◆4◆ スミスミシン2階にて

「ううう、沁みるぅ~」

「うん、適当にしては上出来上出来」


 さすが私! とマリーさんは満足気だ。もう上出来以上だよ、ほんと。


「ありがとう、マリーさん」

「良いのよ、これくらい。あ、でも後片付けはよろしく。私、作るのは良いんだけど、後片付けが嫌いなんだよねぇ」

「ああもう全然それくらい僕がやるよ、もちろん」


 ほかほかのスパゲティをいただいて、ふぅ、と一息つく。


「でもなんかごめんね」

「何が」

「本当は、僕がお礼をするはずだったんだ。ポスター、あんなに素敵なの作ってくれてさ。あと、あのロゴ。すごく良かった」

「ふふん。でしょでしょ。ああいうの好きなのよね。今回はね、サービス。次回からはお代取るから」

「払う払う。もちろん言い値で払うよ」

「あはは、言い値って」


 仕方ないから身内価格にしてやんよ、なんてマリーさんはちょっと照れ臭そうに笑っている。


「でもね、本当に何かお礼がしたかったんだよ。なのに結局ご馳走になっちゃって。今度はどこか外で美味しいもの食べよう。ね?」

「うん、まぁ、今度ね。そういやさぁ、然太郎ってお酒とか飲まないの?」


 麦茶を飲み干したマリーさんが思い出したように言う。


「たまに飲むよ、ほんとたまにだけど」

「そうなんだ。ほら、さっき冷蔵庫開けた時にビールとか入ってなかったから。まぁでも、何だろ、然太郎ってあんまりビールとかってイメージじゃないけど」

「そうかなぁ。僕だってビールくらい飲むよ。大人なんだから」

「うへぇ、意外。何かこうさ、飲むにしても、ウィスキーとか、ワインとか? 何かそんな感じっていうか。絶対ビールとか焼酎じゃない、みたいなイメージだった」

「そんなイメージなんだね、僕。ウィスキーもワインも焼酎も飲むよ。マリーさんは? お酒飲むの?」

「私はね、休みの前日に飲むくらい。ビールね。ビールっていうか、発泡酒だけど」

「そっちの方が何か意外だよ。何か可愛いカクテルとか、そういうのかと思った」


 女性といえば、何かきれいな色のカクテルを飲むものだと思っていたのだ。というか、僕が一緒に飲んだことのある女性はだいたいそういうものを飲んでいたから。まぁ、一緒に飲んだことがある、というか、気付けば隣に座られていた、というのが正しい。ショートグラスの結構きついやつを頼んで、酔った、としなだれかかって来るのである。そういう時はマスターに助けを求めてタクシーを呼んでもらうんだけど。


「カクテルも美味しいんだけど、あれ、度数が案外高かったりするじゃん。あんまり強くないのよ、私。5%くらいの発泡酒を1缶飲むか飲まないか、って感じで寝ちゃうこともあるから」

「そんなに弱いのに飲むの?」

「何だろうね、飲まないとやってられない、みたいな? あぁ、でも最近は飲んでないなぁ」


 それは、最近『飲まないとやってられない』という精神状態じゃないからなんだろう。それは喜ばしいことだ。


「でもね、別にお酒自体が嫌いなわけじゃないんだよ。今日は私頑張った! っていう時にお祝いの気持ちで飲んだりもするしね」

「そっか。嬉しい時のお酒は良いね」

「然太郎は? 結構飲める方?」

「僕は両親がどっちもザルなんだ。で、しっかり受け継いだ。どんなに飲んでも酔わない」

「良いなぁ」

「良いのかなぁ」


 そんな他愛もないことを話して、気付けばもう21時だ。普段なら考えられない時間である。


 こんな時間に僕の部屋で恋人と2人きり、しかも背後にはベッドがある(まぁ間取りが間取りだから仕方ないんだけど)、なんて状況に僕はかなりドキドキしているんだけど、果たしてマリーさんの方ではどうなんだろう。いや、ここは紳士らしく、そろそろ駅まで送るよ、って言った方が良いんじゃないかな。


「そうだ、然太郎」

「な、何」

「今度ここのお菓子買って行こうと思ってたんだけど、知ってる?」


 そんなことを言って、マリーさんがスマホを片手に膝歩きで近付いてくる。ああもうどうしてこの人はこんなに無防備なんだ。ちょこん、と僕の隣に座って、僕のベッドを背もたれにして、スマホの画面を見せてくる。なんてことはない、お菓子屋さんのホームページだ。『創作菓子庵 和楽わらく』という名前で、つい最近出来た店らしい。ここはノーチェックだった。


「知らない。わぁ、和三盆と醤油の羊羹、美味しそう……」

「でしょ? これね、老舗のお醤油屋さんとのコラボ商品らしいのよ。ほら見てよ、醤油のロールケーキもある!」

「醤油のロールケーキ?! 何それ!」

「気になるでしょ! これは絶対食べなきゃよねぇ。ちなみにこの羊羹ね、一本丸々かハーフサイズしかないのよ。さすがにハーフでも1人ではちょっと多いしさぁ、然太郎、今度一緒に――」


 しまった。

 と思った時には遅かった。

 楽しそうに和菓子の話をしながら僕を見つめるマリーさんがあまりに可愛くて、つい我慢出来なかったのだ。スパゲティを食べた後で、もちろん口紅なんて塗り直していない、ほとんど素の状態なんじゃないかと思うようなその唇に、つい、僕のそれを重ねてしまったのである。

 

 ああもう紳士の僕はどこに行ってしまったのだ。さすがにこの先は自制しなければならない。だけれども。


 ふ、と唇を放し、「ごめん」とささやく。本当はちゃんと「しても良いですか」と確認してから、そうやって手順を踏んでするつもりだったんだ。そんな弁明をしたところでもう遅いってわかってるけど。


 ところが。


「!?」


 わずか数センチのその距離を詰めるように、マリーさんがぐい、と顔を近付けて来た。そうして再び僕らの唇は重なった。



 

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