◇3◇ 厄介な正午

「では所長、私お昼行ってきます」


 11時20分。

 ウチの事務所は基本的に休憩時間も自由だ。業務の区切りがついたタイミングで食事休憩を1時間、その他、コーヒー休憩やタバコ休憩(ただし事務所内は禁煙)は常識の範囲内で、ということになっている。相手のある仕事なのできっかりと12時に食べられないのである。


「はいはい。身体、何ともないみたいで良かったねぇ」

「え、ええ。ほんとにオホホホホホ」


 お財布とスマホだけを持ってそそくさと事務所を出る。まさか本当にお昼までメッセージのひとつも送れないとは。朝は朝で豊橋さんに絡まれるし、クライアントとの打ち合わせは長引くしで、なかなかハードたったのである。


 とりあえずいつもの定食屋さんに行って、ご飯を食べつつ返信しよう。



 私がよく行く定食屋さんは『っちゃ屋』と言って、そこまで古いお店ではないんだけど、外観は昔からある食堂のような店構えである。まぁつまり、正直全然おしゃれではないということだ。だけど味は抜群に良い。


 こないだは肉野菜炒め定食にしたから、今日は和風おろしハンバーグ定食にしようかな。ここの和風ハンバーグってお豆腐が入ってるからあっさりヘルシーなんだよねぇ。


 がらがらと引き戸を開けると、カウンターの中にいた店主のおばちゃんがそのふくよかな身体を乗り出して視線を合わせてきた。


「いらっしゃい。空いてる席どうぞ」

「すみません、和風おろしハンバーグ定食お願いします。ご飯少なめで」


 よっこいしょ、と座ったのは4人掛けの席だ。まだ誰も座っていないが、遅かれ早かれここは相席になる。そういう店なのだ。


 お茶は各テーブルに置いてあるポットからセルフで注ぐことになっている。タオルの上に伏せられている湯呑をとって、とぽとぽと番茶を注いだ。


 まだ店内は空いている。外回りらしきサラリーマンが3組程度。ピークを避けられるというのは本当に有難い。


「いらっしゃい。空いてる席どうぞ」

「すみません、サバ味噌定食で」


 ここに来る人は常連さんが多いのか、席についてからじっくりメニューを吟味して……という人は案外少ない。まぁ店の外にメニューが置かれているからかもしれないけど、ほとんどの人は入店と同時にオーダーするのだ。で、入り口付近に置いてある新聞や雑誌を持って席に着く。最近はスマホをいじる人の方が多いけど。


 あ、しまった。

 然太郎に返事返事。


 額に手をやり、むーむーと唸っていると、カタン、と向かいの席の椅子が引かれた。


 ――は? 

 そんないつの間に相席になるほど混んだの!?

 そう思って顔を上げる。


「や」

「げえっ、豊橋さん……」

「ちょっと、げぇ、はないでしょうよ」

「すみません……。でも何で」


 涼しい顔で向かいの席に座ったのは豊橋さんだった。別にこの店で食べたって良いけど、何でここに座るのよ。


「この店美味いじゃん」

「美味しいですけど。あの、私席移りますから」

「良いじゃん。一緒に食べよって。ほら、もうすぐ混んでくるしさ」

「はぁ……」


 何なんだ一体。

 然太郎への返信もしてないのに。

 とりあえず、既読無視は感じ悪いし、何か打たないと。


『わかった。仕事が終わったら行く。』


 こんなもんで良いだろうか。

 うん、とりあえず断る理由はないのだ。然太郎は話せばわかるやつだし、終電でさっさと帰れば良い。まさかまさか然太郎に限って襲いかかってくるなんてことは万にひとつも――、


『僕はマリーさんに襲いかかりたいと思ってるよ』


 あった――――!!!

 そうだった。

 あいつ、そんなこと言ってた! 

 万にひとつどころか、百にひとつくらいの確率で襲われる可能性がある! いくら平時は草食動物でも、そうなったら絶対に力では勝てない。


 ど、どうしよう。

 本当にこれで良いのかな。


 送信マークに触れる直前だった指をパッと離して、再考していると、向かいから「ぷ」と空気の漏れる音が聞こえてきた。しまった、真向かいに豊橋さんいるのすっかり忘れてた。


「何ですか」

「百面相」

「はい?」

「矢作ちゃん、面白れぇ」

「何がですか」

「なーにそんなスマホとにらめっこしてんのよ、って」

「別に、何でも良いじゃないですか」


 慌ててスマホをテーブルに伏せる。と、「はぁい、お待たせしました」なんて良いタイミングで私の和風おろしハンバーグが運ばれてきた。


 食べよ食べよ、さっさと。そんでさっさと出て、外の自販機でお茶でも買って、飲みながら返信しよう。


「さっきのさ、先約?」

「は?」

「いまの」

「豊橋さんには関係ありません」

「冷てぇなぁ、矢作ちゃん」

「冷たくないです。本当に豊橋さんには関係ないやつですから」

「なぁ、俺さ、最近別れたばかりなんだけどさ」

「……何の話ですか、いきなり」

「いや、それがさ、聞いてよ矢作ちゃん。――あ、どうも」


 豊橋さんのサバ味噌も運ばれて来たが、運んできたおばちゃんは気を利かせたのか、無言でトレイを置いていった。


「聞きたくないです」

「あっそ。そんじゃ、勝手にしゃべる。いや、それがさ、俺最近気付いたんだけど、女って結構詐欺だな、って」

「――はい?」


 ほんといきなり何言ってんだこの顔だけ男。ていうかね、私も一応その『女』って生き物だったりするんですけど?


 

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