◆4◆ スミスミシン、営業中

「ま、マリーさぁん!!」


 知らなかった。マリーさんってば意外と足が速いんだな。

 慌てて店の外に出たものの、既にマリーさんははるか遠くにいた。あっという間に豆粒のようになっていくその後姿を見守る。せめて僕が見える範囲まででも、と思いながら。


 またドン引きされてしまっただろうか。

 僕はずっと日本人だと思っていたけど、すぐにこうやって手が出てしまうのはあの父親の血なのかもしれない。


 父はいまでも母に対して全力の愛情表現をする。言葉だけでは伝わらないと思っている節があるようで、抱き着くのは当たり前、僕の前だろうが、キスもする。まるで恋人同士のように、髪を撫でながら優しいキスをするのだ。そしてそのキスの合間にも「今日もきれいだ」とか「愛しているよ」とかそんな台詞まで吐いて。それって子どもに見せて良いやつなの!? とよく思ったものである。


 見ていてかなり恥ずかしかったから、ああはなるまい、と固く心に誓ったはずなのだが、もしかしたらDNAにしっかり刻み込まれてしまっているのかもしれない。


「どうしよう、嫌われちゃったりとか……しないよね?」

 

 後で連絡するって言ってたし、もし、引いてたら謝らなくちゃ。


 とぼとぼと店の中に入り、マリーさんの湯呑を片付ける。そして、カウンターの上の『電氣カステーラ』を一つ、ぽい、と口に放り込んだ。ふんわりと卵とハチミツの優しい味がする。その甘さについ頬が緩む。しかもこれは、マリーさんがついつい僕のことを考えて買ってしまったのだという。恋人にそんなことを言われて嬉しくない男がいるものか。


 その後は、ぎりぎり閉店間際にお客さんが一人、刺繍糸をまとめて20本買って行った。常連さんくらいにしか知られていないが、ここ、スミスミシンは曜日ごとにお買い得商品やちょっとしたプチイベントがあったりする。


 月曜日は入り口付近のワゴンにある端切れが、ついているお値段から30%引きになるし、火曜日はボタンとファスナーが安い。水曜日は、500円以上お買い上げの方に僕が考案したバッグやポーチの作り方をおまけしているし、ちなみに毎月第3水曜日は手芸教室も開催している。そして、本日金曜日は刺繍糸まとめ買いデーと称して、まとめて10本以上買っていただくと、一本当たり10円引きとなる。土日祝日はスタンプが3倍だ。


 ちなみに、僕が作った布小物は曜日に関係なくスタンプが2倍つく。


 さて、閉店作業に取り掛かろう。


 表のプレートをひっくり返して『CLOSED』にし、施錠する。カーテンをすべて閉めたらレジ締めだ。といっても、そう大して売り上げがあるわけでもない。こんな状態でよく経営出来てるな、と思ったりもするのだが、従業員は僕だけだし、この建物は知り合いから安く譲り受けたものなので、かかるのは光熱費くらいのものだ。

 試しにネット販売もやってみたのだが、これが案外売り上げも良い。発送作業がネックだったが、馴染みの郵便局員さんに相談したら、毎週集荷に来てくれることになった。


 だから、まずまず順調といえるだろう。

 だけど、例えばもし、マリーさんと結婚する、なんてことになったら養えるだろうか。それを考えると少々不安ではあるけど。


「ああ、また先走って、もう。僕は馬鹿だな」


 レジを締めて、売上金を金庫にしまう。

 晩御飯は作り置きのおかずと冷凍ご飯で済ませることにし、今日受けた注文の品を作ることにしよう。


 ああ、その前に次回の手芸教室の告知ポスターも作らないと。


 スミスミシンはむしろ閉店後の方が忙しかったりするのである。


 しかし問題は、僕の作るそのポスターの評判がすこぶる悪い、ということである。上に大きく『○月度 手芸教室!』とタイトル、その下にそれよりは小さめの文字で日時と定員数、さらにその下には持ち物や注意事項(未就学児は必ず保護者同伴で、とか)、それと参加料金。あとは適当にフリー素材のイラストを貼り付けておしまい。伝えたい情報は全部盛り込んであるし、悪くないと思うんだけど。


「マリーさん、こういうの得意だったりしないかなぁ。相談したら迷惑かなぁ」


 自慢じゃないが、僕はずっと美術の成績は2だったのだ。それ以外の苦手教科(音楽と英語)は何とかなったのに、美術だけは本当にどうにもならなかった。


「お前のやる気はすごく伝わってくるんだがな……」


 僕の描いた絵を見た先生の、あの、何とも言えない顔。僕が普段の授業を真面目に受けているのを知っているので、かなり点数は甘くつけてくれたらしい。だけど、それでも2が限界だった。それほどのレベルだということを察してほしい。

 そんな僕が手芸店を開き、小物を作って販売していると知った時、先生は「知らなかった。手芸には美術の要素は必要ないのか……」とかなり驚いていたらしい。そうです、必要なかったみたいです。


 ただ僕も、まさか告知ポスターという思わぬところで美術のセンスを試されるとは思っていなかったけど。


 それでもこんなひどい出来のポスターでもそれなりに人が集まってくれるんだから、まぁ良いかな、なんて正直思ってたりするのは内緒だ。


 さて、次回は何にしよう。

 12月はファー生地のトートバッグ、1月はファスナー付きトートバッグだったからなぁ。バッグばかりというのも、毎回参加してくれる人からすれば、またバッグ?! と思うかもしれない。じゃあ、例えばエプロンとかどうだろう。手作りエプロンでバレンタインを……って、しまった、第3水曜日じゃあバレンタインは終わってしまっている。じゃあ、卒業式や入学式に着けられるようなコサージュはどうだろう。色や大きさを変えれば普段使いも出来そうだし。


 よし、決まり。

 2月は布を使ったバラのコサージュ教室だ。

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