◆2◆ 『恋人』の始まり

「良いか、然太郎。絶対に強引なのはノーだ」


 電話の向こうで父はきっぱりとそう言った。


「日本人女性が押しに弱いというのは、あれは嘘だ」

「そうなの?」


 知らなかった。ドラマや小説だと、結構女性は『俺様』というやや強引な男性を好むような描写があったと思ったんだけど。


「確かに最後の一手は『押し』だが、最初から押しっぱなしでは駄目なんだ」

「参考になるよ」

「そうだろうそうだろう。何せ僕はあのアンコウフラッグと言われたミヤコを――」

「お父さん、難攻不落じゃない?」


 それじゃ新種の海洋生物だよ。


「そうそうそれそれ、ナンコウフラクナンコウフラク。そのミヤコをものにしたんだから――あれ、そういえばミヤコはどこだ? おおい、ミヤコ! 僕のスウィートハート! た、大変だ然太郎。僕の女神がいなくなってしまった」

「ええ? ただの買い物じゃない?」

「そんな! 僕に書き置きのひとつもなしに!? そんなわけはない。もしかしたら彼女にピンチが迫っているのかもしれない。僕はミヤコを探しに行く」

「あぁうん、頑張って」

「然太郎も頑張れ」


 何かよくわからないまま電話は切れた。

 マリーさんに告白したその次の日、父から定期的にかかってくる『元気にやってるかコール』という名の愛妻自慢電話の中で、僕が「恋人が出来た」と報告したところ、冒頭の有難いお話をいただいたというわけである。


 母が難攻不落だったというのはもう何度も聞いている。父はどうやら本国ではかなりのプレーボーイだったらしく、自身の成功体験から導き出された完璧なアプローチを母に対しても行ったのだという。が、結果は惨敗。ドン引きされ、やんわりと「国に帰れ」とまで言われたらしい。


 それでめげないのが父だ。さすがに彼も突進するだけの猪ではなかったというわけである。頭を使ったのだ。さすがはホモサピエンス。もしかしたら自分のやり方を変えなければならないのではないか、このアプローチは通用しないのではないか。という考えに至ったらしい。


 そこで父は、新渡戸稲造氏の『武士道』を読みまくった。日本人女性を落とすには、まず和の心だろう、と考えたらしい。それはどうだろうと思ったけど。


 ちなみに僕に対してぐいぐい迫ってくるタイプの女の子というのは、どちらかといえば『欧米人としての僕(いや、生まれも育ちも日本なんですけど)』を求めているわけで、その中に『和の心』があるとはどうしても考えにくい。人前で抱き合ったり、見せびらかすようにキスをするなんて、そんなはしたないことを和の心は許さないはずだ。


 けれども母は、父の欧米的アプローチを拒んだわけだから、少なくとも彼女の求めている男女交際はそういうものではなかったのだろう。だから、まぁ、その選択は間違っていなかったと言える。


 だけど、いきなり着流しにおもちゃの刀を差して家に行き、「たのもう!」と叫ぶのは間違ってる。どうして形から入っちゃったんだろう。


 しかし、とにもかくにも父と母は上手くいき、言語の壁やら文化の壁やらを乗り越えてゴールインした。そしてその結果産まれたのが僕だ。


 母は父と一緒になるにあたり、彼の故郷であるオレゴン州に嫁ぐことも考えたらしいのだが、それに「ノー!」と首を振ったのは父だった。


「僕はミヤコと一緒にこのモリオカに住む! 僕はここで君と共に朽ちる覚悟だ」


 などと言い出し、英会話スクールの講師の仕事を見つけ、あっさりとここに定住を決めた。その決意の表れだとか言って、お墓まで購入済みである。まだまだ入る予定もないのに。

 とにもかくにも、父は『和の心』を徹底的に研究し、そして母(父の言葉を借りるなら『スウィートハート』らしいけど)を射止めたのである。


 その父が言うのだから、きっと間違いないのだ。


 何もかも初めてだと言っていたし、ここはひとつ僕がしっかりとリードしなくちゃな。

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