呪術家の後継者

昔、まだ異世界の住人達が、

自分達が住んでいる世界が

消滅してしまうなどとは

誰も思っていなかった頃。


サキュバスのアイリンは

一人の男の子と出会う。


黒い蝙蝠の羽根を羽ばたかせて

暗い夜空を飛んでいると、

アイリンが忌み嫌う臭いが

どこからともなく漂って来た。


その臭いから

子供が痛みと苦しみに耐え

泣き叫んでいるイメージを感じ取ったアイリンは

すぐさまその臭いの元へと駆けつける。



臭いの発生源は

森林の中にひっそりと佇む巨大な城。


 ――ここは……


その城は先祖代々、何千年もの間

呪術師を生業としているスペラキュアーズ家の居城、

サキュバスとは言え

千年の時を生きるアイリンが

その存在を知らない筈はなかった。


 ――まさか、子供を

 呪術の実験台にしているんじゃないだろうね……


アイリンの脳裏には嫌な考えが過ぎる。


法も人権も

こちらの人間世界とは比べ物にならない程、

貧弱な張りぼてでしかない異世界のこと、

アイリンが危惧している残酷な仕打ちも

これまでの歴史の中で

日常茶飯事と言っていいぐらい

数え切れないぐらいに繰り返されて来たこと。


アイリンは何の躊躇ためらいもなく

呪術師の城に忍び込む。



城の地下にある牢、

そこが嫌な臭いの元凶だった。


鉄格子の中、石床の上に、上半身裸で

うつ伏せになって倒れている男の子。


まだ少年とも呼べないような

年端も行かない子供、

その幼き肌の背には

まばらに幾つかの紋様が刻まれている。


その肌の色合いから見るに

まだ刻まれたばかりというところか。


「なんてことを……辛かったろう……

今すぐここから出してあげるよ」


鉄の格子を腕力のみで折り曲げ

牢の中に入って子供に近寄るアイリン。


しかし意外なことに

目の前で倒れている子供は

なけなしの力で自らの首を横に振って

アイリンの助けを拒絶した。


子供の細い目、その瞳は

輝きを失い、生気を無くし

まるで作り物の人形のような

死んだような目をしている。


おそらくは長時間に渡って与えられた

恐怖や苦痛、悶絶の影響だろう、

顔の表情筋も強ばり

硬直しきってしまっている。


自らの体を支える力すらも残っておらず

四肢を投げ出して横たわっているだけの存在、

にも関わらずその子供は

アイリンが差し伸べた手を拒絶した。



それがまだ幼かった頃の

サムエラ・スペラキュアーズであり、

何千年にも渡る呪術家を継ぐべく運命付けられた

スペラキュアーズ家の嫡男にして

次期当主候補であった。


呪術師一族のスペラキュアーズ家は先祖代々、

呪術の確実性、効率性、

効果などを向上させるために

一族に生まれた子の体に

呪術紋様を刻み込むという風習があり、

それは当人が成人するまで

何年間にも渡って繰り返される。


幼きサムエラはまさにその

呪術紋様刻印の育成期間中であった。



アイリンの助けを拒否したのは

次期当主としての決意や自覚というよりは

むしろ自らに定められた運命を

諦めて受入れていたからだろう。

運命に抗うことを放棄したと言ってもいい。


呪術家の嫡男と生まれ、将来は跡を継ぎ、

一族を率いて、家系を名家を

守っていかなくてはならない定め。


幼いサムエラにそれ以外の選択肢は無く、

いや実際には無限に選択肢はあったのだが

選択肢が無いと思い込んでいたのだ。


そう、アイリンが差し伸べた手を取るという選択肢も

自らがその意味も知らぬままに

諦めて自ら放棄してしまった。


この苦痛の時を乗り越えたとしても、

金で依頼を受け、ターゲットを呪い殺し続けるという、

まさしく呪われたような生き方を

死ぬまで続けるだけだというのに。



アイリンはその後何度も

スペラキュアーズ家の城、牢内の石床に

上半身裸で倒れ込んでいるサムエラのもとを訪れる。


その度にサムエラの体には

呪術紋様の刻印が増えており、

そして、いつしか

サムエラの首から上を除く上半身、

その全てが呪術紋様で埋め尽くされた。


それと同時にサムエラは

この世界のすべてを呪い、

すべてを恨み、妬んでいるような

怨念と憎悪に満ち溢れた目へと変貌して行き、

そう言った意味では、

名門呪術家の当主に相応しい風貌へと変わって行った。


-


「それがまたどうして、

こんなに変わってしまったんでしょう?」


愛倫アイリンに昔の話を聞いた

慎之介は素直に疑問を口にした。


「あたしもね、久しく会っていなかったから

はっきりはわからないんだけどね……」


「おそらく、諦念ていねんを諦めたんだろうね」


「諦めることを諦めた、ということですか」


「どうしようもなく、

とても抗えないような運命に直面した時に、

じっと息を潜めて、苦痛に耐え、通り過ぎるのを待つ、

やり過ごそうとするだろ? 特に人間は」


こちらの普通の一般人からすれば、

そんな大それた運命など

感じたことがないと思うかもしれないが、

日本に住む者であれば

それは誰もが一度は思ったことがあるもの。


「ええ確かに、大規模な自然災害とか

人間の力がとても及ばないようなことには

そうやってやり過ごすのを待つしかありませんね」


「でもね、運命なんてのは

そんな生易しいもんじゃないんだよ


一度運命に翻弄されちまうとね

どんどんと悪い方に悪い方に

流されて行っちまうものなのさ、

激しい川の流れに飲み込まれたみたいにね


必死にもがいてもがいて、

それでやっと元から居た位置、

運が良ければ少しだけ前に進む、

何もしなければただ流されるだけ


まぁそのことに気づいたんじゃないかね」


どこか遠い目をして

そんなことを語る愛倫アイリン

慎之介が知らない世界で

一体何を見て来たのだろうか。


「小さい頃から

クソみたいな仕打ちにあって、

クソみたいな人を呪い殺す一生を

諦めて全て受け入れたら、

今度はもうじき世界が消滅します

と言われたんだからね、そりゃね、

もう馬鹿馬鹿し過ぎちまって、

諦めることを諦めたんじゃあないかね」


物憂げな表情をしていた愛倫アイリン

言葉の最後に少しだけ笑った。


-


「おいクソアマ、

愛人とイチャついてるとこ悪いんだけどよ」


愛倫アイリンと慎之介が話し込んでいる間に

石化解除の術を発動したサムエラであったが、

被害者の石化が解除されることはなかった。


「これは呪いには違いなさそうだが、

俺の得意分野じゃあなさそうなんだがな」


事態の異変を察したサムエラは、

石像の方を向きながら後ずさる。


「ああ、そのようだね」


「これはどっちかと言えば、

クソアマの得意な分野なんじゃねえのか?」


石像の後ろ、その空は

霊体のように透き通った、

怨念が込められた女の巨大な顔で

覆い隠されていた。


「まさかこんなところで、

生き霊が出て来るとはね」


それまでの物憂げな表情は

愛倫アイリンの顔からすっかり消え去って、

愛倫アイリンは女戦士としての凛々しさを取り戻す。


「どうやらこの時間で正解だったみたいだね

だから早朝の方が良いって

言ってたんだよ、あたしは」






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