サキュバスは、人間家庭の事情に首を突っ込む

夫婦喧嘩はサキュバスでも食えない

地下にある喫茶『カミスギ』。


ここでレジェンド級サキュバスの愛倫アイリン

自称ウェイトレスとして働いているが、

新たにリリアンも

店のスタッフとして働くことになる。


「今彼氏、お金が無くて大変なんですよ」


リリアンの彼氏である

引きこもりのヒロナリ、

彼の両親は仕事で忙しく

家にはほとんどいなかったが、

ヒロナリの食費などは

きちんと置いていってくれてはいた、

これまでは。


だがさすがに二十歳を過ぎ

成人したヒロナリに対して、

親が食費や生活費は自分で出せと言い出し、

家に置いて行く、

ヒロナリに渡す金を減らしはじめたのだ。


二人でほぼ同棲状態だった

ヒロナリとリリアン、

このままでは二人分の食費には

全然足りないため、

リリアンがバイトをはじめた

というのが事の経緯である。



「あんたの彼氏、

それヒモって言うんじゃないかい?」


その話を聞いた愛倫アイリンは、

リリアンがいいように

貢がされているんじゃないかと心配になる。


「ナリくんはヒモなんかじゃないですよ!

なんですか!

もしかして私に彼氏が出来て

嫉妬でもしてるんですか?」


恋は盲目とはよく言うものだが、

経験の少ない十代ならいざ知らず、

百歳を超えたサキュバスまでも

盲目にさせるとは。


「引きこもりのヒモってのも

あまり聞かないしねぇ」


「まぁでもヒモなんて野郎は、

女を外で働かせて、

自分は家でダラダラ、

ゴロゴロしてるもんだからね、

引きこもりみたいなもんかもしれないけどね」


異世界でも人間世界でも、

ヒモと言う存在は左程変わりがないようだ。


これまで親に依存していた引きこもりが、

自分の女に依存するようになって

立派にヒモへと進化を遂げたということか。

それはそれでレアなケースという気もするが、

進化する方向が

そもそも間違えている気がしないではない。


-


ということで、

新しくスタッフとして入ったリリアンだが、

職場の先輩である愛倫姐アイリンねえさんを

見習ってしまったのか

いつもノロケ話ばかりしている。


毎日リリアンにノロケ話を聞かされ、

少々ウンザリしている愛倫アイリン。


もちろん愛倫アイリンも祝福はしており、

最初はその初々しさ、

甘酸っぱさに感動すら覚えたものだが、

最近は内容があまりに幼稚過ぎて

どうにも聞いていられない。


人間で例えるなら、

バツ三ぐらいの女性が

中学生の恋愛を何度も何度も

自慢されるようなものであり、

それはやはりウンザリしてしまうというものだ。


「慎さんが来てくれて、

あたしに愛を囁いてくれたりしないもんかね」


愛倫がそんな寂しいことを言っていると、

ちょうど守屋もりや慎之介しんのすけが喫茶店を訪ねて来る。


「慎さん、ちょうど今、慎さんが

来てくれやしないかなんて思ってたとこだよ、

さすが慎さん、以心伝心ってやつかね、これは」


浮かれて出迎える愛倫だが、

慎之助の後から女がついて入って来る。


「あたしという者がありながら、

ひどいじゃあないかっ」


わざとそんな焼きもちのひとつも

妬いてみせようとする愛倫アイリンだが、

慎之助の連れが

同じサキュバス移民団の仲間だとすぐに気づく。


-


彼女の名前はミルリン。


愛倫アイリン達と共に

人間世界に移民して来たサキュバスは

数百人を下らないが、

その中でも一、二を争う

生粋のゆるふわ天然系サキュバス。


ほがらかなのは性格だけではなく、

二つの胸のふくらみもかなり朗らかで

たゆんたゆん、ばいんばいんだと

移民者の間でももっぱらの噂だ。



愛倫アイリンはミルリンの姿を見て、

瞬時にいろいろと察する。


あまりにわかり過ぎて仕方がないので、

とりあえず先に謝っておく。


「すまないねぇ、

うちのが迷惑かけちまって……」


苦笑いを浮かべ、頭を掻く慎之介。


「えぇぇっ! なんでわかったんですかぁぁ?」


びっくりして不思議がっているミルルン。


その様子を見て

『あぁ、やっぱりなのか』と

愛倫アイリンは天を仰ぎ顔を手で覆う。


-

ことの次第はこういうことらしい。


数百人以上のサキュバス移民者は

日本全国に散っており、

人間達に迷惑を掛けないように

各々が生活している訳なのだが。


その晩ミルリンは溢れる正義感で

《実はお腹が空いていただけ》、

性犯罪をやらかしそうな男がいないか

蝙蝠の姿で夜空を飛び回っていた。


すると何やらヤバそうな匂いが

東南の方角からして来て、

ミルリンはその匂いの元へと急行する。


そこは住宅街にあるマンション五階の一室。


ミルリンはこっそりベランダに忍び込んで、

カーテンの隙間から部屋の中を覗き込む。


すると旦那だと思われる男が、

大声で怒鳴りながら、

妻だと思われる女を殴る瞬間が見えた。


「きゃぁっ」


思わず小さく声を上げてしまったミルリンだが、

部屋の中の人間達は修羅場で

それに気づくどころではなかったらしい。


女は泣きながら何かを訴えるが、

男はますます逆上し、エスカレートして

女に殴る蹴るの暴行を加える。


ミルリンはその光景を見て

いたたまれなくなり、なんとか女を

助けてあげられないものかと思い出す。

窓のドアに手をやると

偶然にも鍵は掛かっていない。


どうしようかと迷っていると、

室内の男が興奮し過ぎたのか、

今まで殴っていた女に

エロいことをしはじめようとする。


『今がチャンス!』


その状況で真剣にそう思ったミルリンは

それだけで相当残念な子であるのだが、

さらにDV男を止めるべく

ベランダの窓を開け部屋の中へと入って行く。


女に向けられた性欲を自分に向けさせ

その隙に女に逃げてもらおうと思ったミルリン、

サキュバスの魅了、誘惑を最大限に活かし

DV男をあっという間にメロメロにさせる。


その間に逃げてもらおうと

思っていたはずなのだが、

予想外なことに

ミルリンは女から罵声を浴びた。


「なんだいっ! この女はっ!? 」


ミルリンはその意外な行動にきょとんとする。


『えぇぇっ、 なんでかなぁぁっ?』


女はさらに罵声を浴びせる。


「このっ、泥棒猫めっ!」


泥棒猫についつい反応してしまう。


「えぇぇっ、

私、ケット・シー《猫》なんかじゃないよぉぉぉ?」


「猫じゃなくてぇ、

どちらかと言うと蝙蝠かなぁぁ」


そう言って蝙蝠の姿になってみせるミルリン。


ここでめでたく通報される。


-


「ここまででいくつ法に触れているでしょうか?」


慎さんがまるでクイズを出すかの口調で

愛倫アイリンに尋ねる。

愛倫アイリンは耳を塞いで

聴こえないフリをしている。


「男女感のいざこざは民事なのでともかく」


慎之介の言葉に息を呑む愛倫アイリン


「そ、そ、そうなのかい?」


愛倫アイリンねえさん、

ミルリンの馬鹿さ加減に震える。


「覗きと不法侵入、この二つは間違いありませんね」


覗きと不法侵入、

それだけ聞くとただの変態のようだが、

あながち間違っていないのでしょうがない。


とりあえず今回は警察で事情聴取を受け、

移民局の慎之介が身元引受人となり、

その足でこの店に来たということだった。


-


「夫婦喧嘩は犬も食わないと、

昔から言うらしいですからね」


どんな世でも不可思議なのは男女の仲。

端からどんな風に思われようとも、

当人同士にしかわからないということはよくある。


そしてこのミルリンの事件、

あっという間に

他のサキュバス達にも広まり、

みんな面白がって

まるで笑い話や小話のように伝承するので、

移民サキュバスの間では

後世まで語り継がれていくことになる。


『夫婦喧嘩はサキュバスでも食えない』







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