その聖女、脳筋につき取扱注意!!

月暈シボ

閉ざされた街 1 序章

 喘ぐ呼吸が肺を焦がすように熱くする。身体は重く、まるで鉛の塊を背負っているかのようだ。それでもノードは唯一の逃げ道である城門に向って走り続けていた。

 先月、十二歳を迎えたばかりの彼の未発達の身体は過酷な現状に悲鳴を上げているが、脚を止める事は出来ない。もし、そんなことをすれば、あの怪物に追いつかれて食われてしまうだろう。ノードは本能に従って怪物から逃げること、ほんの僅かでも遠ざかることを自身に命じていた。


 物心付いた頃に宿屋へ奉公に出されたノードにとって、忽然と街中に現れた怪物の正体は解からない。

 本来、ここハミルの街は王家の避暑地として栄えてきた歴史を持っており、王国の中でも治安も良い地方として知られている。

 街中で見かける異種族は、冒険者と呼ばれる荒事を生業とする旅の途中のエルフ族やドワーフ族達などの人間とは友好関係にある者達だけのはずだった。

 それがノードのような子供でも知っているゴブリンのような小鬼どころか、見上げるような巨体を持つ怪物が突如街中に現れるなど、あってならないことだった。

 

 これまで聞いたことがない切迫した人の悲鳴がノードの鼓膜を震わせたのは、西の空に陽が落ち始めた頃、彼がいつもの習慣によって店先のランプに火を入れようと外に出た時だ。

 ハミルの街はこの世界の常として頑強な城壁に護られ、人の領域である内側と外の世界を分けている。その出入口である城門は日の出とともに開かれ、日没とともに閉ざされる。

 ノードは日没間近に街へやって来た旅人達に宿屋の存在を知らしめるため、看板を照らすランプに火を打とうとしていたのである。

 その悲鳴が只ならぬ気配が込められているのはノードにも直ぐに解った。平和な街とはいえハミルにも喧嘩やスリのような犯罪はある。商業柄その程度のことは見慣れているし、騒ぎや悲鳴は聞き慣れもしていた。

 だが、今回のそれは聞く者の心に訴えるような迫真の力があった。ノードは嫌な予感を覚えながらも、出処を探そうとするが、まもなく複数の悲鳴と何かが壊れる破裂音が新たに響き渡る。

『何かこれまでの常識が通じない恐ろしいことが起きている!』

 子供心ながらにもノードはそう判断し、いよいよ胆を震え上がらせる。宿屋の中に逃げ戻り自分に与えられている粗末な寝台に逃げたい衝動に駆られるが、彼は恐怖に抗いながら悲鳴と破壊音がした方向へと自分の頭を向けた。


 そこにあったのは、数件先の屋根から突き出るように現れた巨体な人型の姿だった。

 ハミルの街は役人の施設か貴族の屋敷でもない限り建物の高さは二階までと定められている。ノードの目に映った巨体は肩から上と思しき姿なので、その大きさは三階建て程度だろうか。

 時刻は夕暮れであり、全体の姿形は薄暗くて見えなかったが、異様に肩の肉付きが良く、腕が長いように思われた。人型でありながら、部分的に人間とは異なるシルエットはノードに本能的な嫌悪感を覚えさせる。

 それでもノードはまだ、自分の目に映った異形の存在を現実とは認めたくなかった。

 単なる見間違いか、自分の頭がおかしくなったか、あれが現実であるくらいなら後者であって欲しいと願う。まるで呆けたように、突如街中に現れた異形の姿を見つめ続けた。

 だが、彼の願望を聞き遂げる存在はいなかった。僅かな夕日の光に照らし出される巨体の怪物は、ノードの止まっていた時間を再開させるように動き始める。

 牛の胴よりも太い腕を振り回して家屋を破壊し、何かを見つけたように背を曲げる。一瞬の間を置いて再び立ち上がった時には、その大きな手に人間が絡め取られていた。

 ノードが見守る中、謎の怪物は当たり前のように〝それ〟を自身の大きく開いた咢へと放り込んだ。

 その光景を目撃したノードはほんの数秒前に効いた声の正体を理解する。あの悲鳴は生きたまま怪物に食われる人間が上げた断末魔だったのだ。


「お、女将さん!!」

 信じられぬ、あるいは決して真実ではあってならない光景ではあったが、ノードは恐怖で思う様に動かない下半身に鞭を打つように宿屋の中に転がり込むと、自身の主人である宿屋の女将に異変を報せる。

「ノード! 危ないじゃないか! ところでこの悲鳴とでかい音はなんなん・・・!」

 女将の方も耳障りな断末魔を聞き付けたのだろう。それを確認しよう店先に出ようしたところだった。

 ノードとぶつかりそうになった女将は注意を促そうとするが、彼女の瞳にも怪物とそれに生きたまま咀嚼される人間の姿が映し出されると、まるで麻痺にでも掛かったように身体を硬直させる。

「・・・なんなんだい?! アレは・・・・」

 おそらくは女将もノードが答えを知っているとは思っていなかったに違いないが、それでも理解出来ぬ状況と存在を彼に問う。

「・・・わかりません、とんでもない怪物としか・・・女将さん! アレ、こっちに来ます!!」

 問われたノードも困惑するが、山のような怪物が自分達を目掛けるように動き始めると悲鳴を上げる。

「嘘でしょ!・・・ノード! 逃げるのよ!」

「ど、どこへです?!」

「まずはここから離れて! 反対の西門に行くの! そして、そのまま街の外へよ! ノード、あんたは先に逃げなさい! 私はみんなに報せてくるから!」

 女将も釣られるように悲鳴を上げるが、ノードよりも三倍近い年月を生きた彼女は適切な判断を下す。

「なら、おいらも!」

「いいの! あんたは先にお逃げ! 半人前のくせに出しゃばるんじゃないよ!」

 女将は一緒に宿屋の中に戻ろうとするノードをどやしつける。彼女にとって、自身の家族はもちろんのこと客にこの異変を伝え、避難を勧告するのは宿屋の女将としての義務であったのだ。

「わ、わかりました!」

 後ろ髪を引かれる思いを抱きながらもノードは女将の言い付けを守り、怪物から逃れるため大通りを目指して走りだす。そして、彼が女将の姿を見たのはこれが最後になるのだった。


 大通りは既に蜂の巣を突いたような騒ぎになっていた。突如現れた人食いの化け物から少しでも離れようと大勢の人間が狂ったように反対側の西に向かって逃げ惑っている。

 大人達、男も女も自身と親しい者だけの身の安全に夢中で、幼いノードに気遣う余裕はない。お互い助け合うどころか、逃げる邪魔者としていがみ合って争いを始める者達さえもいた。

 そんな修羅場をノードは大人達に揉みくちゃにされながらも懸命に、城門を目指し小柄な身体を動かし続ける。

『なんで・・・なんでこんなことに!』

 泣きながらノードは現在の状況に疑問を投げかける。一体、自分と街の人々が何をしたと言うのだろうか?

 ハミルの街は国教であるユラント神への信仰が特に厚いことで知られているし、ノード自身も神の教えに反するような行いをしたことはなく、朝と夜そして食事の度に神への感謝を欠かしたことがない。

 それなのになぜこのような恐ろしいことが起こっているのか信じられぬ思いだった。

『くそ! なんで! なんでなんだよ!』

 ノードはハミルの街に、そして自分自身に起きた過酷な運命を呪い、身体が叫ぶ体力の限界を覚えながらも怪物から唯一逃れられる手段である西門を目指して走り続けた。


『もう少しで西門だ!』

 目印となる鐘楼(しょうろう)を過ぎた辺りでノードは自身の胸の内に小さな安堵を得ようとする。夕暮れ時の暗さのため、城門そのものは彼の目にまだ映っていないが、まもなく逃げ道である西門に辿り着くはずだった。

 だが、先に進む度に逃げ惑う人影が濃くなるのはどういったことだろうか? 城門は日没とともに閉められるが、怪物が現われたとあってはそれから逃げるために解放するはずだ。

 門番を始めとする街の衛兵達の頭が固いのはノードでも知っているが、あの〝怪物〟に人間の定めたルールが通用しないのは明白である。

 城壁と門は街の人間を護るために存在している。怪物が街中に現れた以上、門を堅く閉ざす必要はないどころか、却って被害を増やす愚かな行為であった。

 そんな年端のない自分でも解かることを衛兵達は頑なに拒否しているのだろうかとノードは疑うが、人混みを避けて西門に向けて視線を送ると、堰き止められた堤防のように人間達が溜まっていく理由を理解する。

 西の空、いや西だけでなく、街を取り囲むように微かに光る壁がいつの間にか存在していたのである。確かな証拠はなかったが、あの光の壁が街から逃げようとする人々の波を堰き止めている正体だとノードは直感した。

「くそ! 何なんだ、あの壁は・・・」

「ぎゃぁ!!!!」

 質の悪い嫌がらせのような光の壁を見たノードは吐き捨てるように呟く。だが、その声が完全に消える前に直ぐ隣にいた中年男性の悲鳴が彼の耳を震わせた。

 

 横を振り向いた彼の目に地面に転ぶ男性の姿が映る。いや、良く見れば転んだのではない〝転ばされたのだ!〟彼の身体に掴み掛かってそのまま押し倒したと思われる者が背後にいた。

 その者はノードの視線を気にするそぶりを見せることなく男性に覆い被さると、大口を開いて首筋を目掛けて食らいつく。大きさこそ人間程度だが、盛り上がった肩と長い腕はあの怪物と共通する特徴だ。

『か、怪物は一匹だけではなかったんだ!!』

 一瞬で事態を理解したノードは、女性を襲う怪物から逃れるために大通りに繋がっている名の無い脇道へと咄嗟に逃げ出した。

 街を取り囲む光の壁が存在する以上、逃げ場所などはなかったが怪物から少しでも離れたいという生存本能が彼の身体を突き動かしたのである。

「うあぁぁ・・・ああ・・・」

 ノードは泣きながら混乱の極地にあるハミルの街中をあてもなく走り続ける。

 怪物への恐怖はもちろんだが、その中には主人である女将や自分に向って助けの手を求めた男性に何もしてやれずに逃げる非情な自分への悔しさと無力さも含まれていた。

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