第35話 「MAVOちゃん話がずれてますよ」
「そりゃーそーでしょー」
何言ってんの、と相手は目を丸くした。
*
とりあえず一度話してみて、と言うリーダーにはい、とは答えつつ、やはり首を傾げながら歩いていた。すると同じビルの階下のカフェから聞き覚えのある声がした。MAVOだった。
待機中らしいのだが、その状態に飽きたらしく、ラフな格好のまま、ミックスジュースを飲んでいたらしい。
「ここは結構ジュース類も美味しいんだよ」
そう言って、勝手にP子さんにも同じものを注文してしまった。面食らったが、まあMAVOなので仕方ない、とP子さんも思う。
「アナタまでそういうこと言いますかね、MAVOちゃん」
「だってあたし、そーゆう商売のひとって尊敬するもん」
そう言ってずるずる、と手放しでストローからジュースを吸い込む。
「そうだったんですか?」
「あたしはたまたまこの類い希なる声があったからいいけど」
自分で言うか。
「ぜーったいあたしが客商売なんかやったら、一日で切れてぽん、よ。怖いからって何処もやとってくれなくなるのがせいぜいだもん」
「そんなことないでしょう?」
「そんなことあるよお」
「それもそうですね」
「あ、否定しない~」
「アナタが言ったんでしょうが」
「それでも人に言われるのは嫌だもん。まあP子さんだから腹は立たないけど、あたし導火線滅茶苦茶短いから、って」
まあ確かにそうだ、とP子さんも思う。
「あたしなんかだいたい高校中退だしー、そもそも中退した証拠もないしー。HISAKAがいなかったら食う寝るとこに住むとこもなかったしー。でもこの声だからHISAKAはあたしのこと好きなんだしー」
文脈がつながっていないぞ、とP子さんは思うが黙っている。
「だからさあ、あたしもP子さんも何だかんだ言って、一芸に秀でちゃってるじゃないの。だからいーのよ。それがとびきりなんだから、別にい。客商売できなくてもしょーがないもん。そうゆうのは、一芸には秀でなくてもそうゆうことには秀でてるひとがやってくれるんだもん。あたしやP子さんがやるよりずっといーじゃない。世界は人間は持ちつ持たれつなんだしー」
まあ言っていることはそう間違っていない、とP子さんは思う。
「でさあ、でもその一芸に秀でまくってしまったあたしのこの声がなかったらさー、あたしなんか思いっきり社会の敗残者じゃないのお。まあだからそうならないように一芸を思いっきり磨いてるんだけどさー。HISAKA絶対サドだよ。ってあたしはマゾか。MAVOって名前がいけないんだよなあ。何考えてるんだろーなあHISAKAって」
「MAVOちゃん話がずれてますよ」
「わかってるよぉ。とにかく、客商売で頭切らさずにいられる皆様ってのがあたしはすごいと思うんだけどなあ。だからP子さんのダンナもやっぱりすごいのよ」
「だ、ダンナ?」
「違うの?」
うー、とP子さんはうめく。なるほど立場的にはそうなるのか。あれだけその言葉が似合わない男はいないというのに。
「それにウチの事務所ったってー、事務とかそーゆう帳面系ってエナちゃんとかその下のアルバイトちゃんがやってくれてるじゃない。ちゃんとHISAKAがスタッフとして欲しいのは、ウチのメンツと気心知れてて、ちゃんと人付き合いできるひとだと思うよお。だったらそういうとこ出のひと、ってのは結構強いと思うよ。あたしが言っちゃ説得力ないとは思うけどさあ」
一気に言うMAVOの言葉をひとまずP子さんは頭の中で整頓してみた。
「……そうですねえ。それも、悪くないかもしれない」
「それにP子さんとそーやって暮らせてるんだから、ダンナの今の店、だんだん居づらくなるよ。男好きって訳じゃあないんでしょ?」
「まあそういうことは言ってましたがね」
「だったらとっととその話OKするのが正解!」
ぴ、とMAVOは人差し指を立ててP子さんの前に突きつけた。
「……卑怯ですねえ、アナタのその声でそういうことをしますか?」
「これがあたしの武器だもん」
無敵の声が、彼女に選択を突き付ける。
*
「見たよ、DBちゃん」
こそっと囁かされる。
「……ああ、久しぶりだね、トキちゃん」
音もさせずに忍び寄るんじゃない、とDBは軽く眉を寄せる。カウンターに、オーダーを取りに行った時だった。
「それで。一体何を見たって言うの?」
「ふふーん。こないだあたし、水道橋まで行ったんだ」
どき、と心臓が跳ねる。
「何、野球でも観に行ったの?」
それでもつとめてさりげなく、DBは対応する。そのあたりは慣れだ。
「ううんあたしは行かないよ。でもDBちゃん、行ったでしょ」
「うんまあね」
別にそれは否定すべきことではない。
「一人で行ったの?」
彼は黙ってちら、とトキを見た。
「ううん」
「ふうん。やっぱりじゃあ、あれ、DBちゃんなんだ」
「それだけ?」
仕事中なんだから、困るよ、というニュアンスを込めて彼は短く問いかける。
「ううんそれだけじゃあない」
はい、とカウンターの中からママが料理と酒を手渡す。
「トキいい加減にしなさいよ」
「いいわよ、これだけ聞いたら、あたし帰るから。まだ人通り多いから」
嫌な予感が、する。
「野球一緒に行ったの、真っ赤な髪の女の人でしょ」
「そうだけど。それがどうしたの?」
「ああじれったい」
苛々と、彼女は首を横に振る。
「あれって、PH7のP子さんじゃあないの?」
さて。
言われる言われるとは思っていたが、いきなりそう来たか、と彼は思う。誤魔化してしまうことはできる。そう難しいことではないだろう。
だが彼女達「ファン」の行動は、結構厄介なのだと彼はP子さんから聞いたことがあった。
自分に関してはそう大したことはないけれど、人気のあるメンバーの場合、自宅を押さえられることはもちろん、交友関係も結構厳しくチェックされてしまうのだと。
それじゃあまるでストーカーの類じゃないか、と彼は思うのだが、ある程度の有名税なので仕方がない、ということらしい。
「だとしても、それはそれ、でしょ」
あえてさらり、と彼は受け流して、トレイを取ると、テーブルへと戻って行った。
「ほら怒ったじゃないか。お前が口出すことじゃないだろう?」
ママはカウンターから身体を乗り出して、妹に話しかける。
「……そりゃあそうだけどさ」
唇を尖らせる。
「だいたいそんな、街で見かけたなら、当人に話しかければいいでしょうに?」
「……それができたら苦労はしないのよ!」
案外シャイな妹に、夢路ママはふう、と息をつく。
「お前の好きなのは、もう一方のギタリストじゃあなかったのかい?」
「それはそうだって言ってるでしょ、兄貴」
ぐい、と「兄貴」は妹の頬を軽くつねる。営業時間中には、それは禁句なのだ。
「だから、せめて他のメンバーとお知り合いになれれば、そこから、って思えるじゃない」
ママは黙って首を横に振る。
「無駄だろうね」
「何が無駄だって言うのよ」
「そんな風にして、近づいたファンって奴をほいほい相手にするようなひとなのかい? お前の大好きなギタリストさんは」
「……」
トキは詰まる。そう言われてしまっては、元も子もない。
「でも」
「でも何だい?」
黙ってトキは立ち上がる。
「帰る」
「そうかい。気を付けてお帰りよ」
それには妹は答えなかった。ただ、少しばかり強く扉を閉める音が響いた。
「……僕、少し冷たすぎたかなあ」
DBは顔を上げる。聞いていない振りをしつつも、このきょうだいの会話は彼の耳に入っていた。
「いいや、あの子にはあのくらいでいいのよ」
「ふうん、DBちゃんのいいひとは、バンドのギタリストだったのかあ」
へえ、とたまきさんの客の一人が興味深そうに眺める。
「さぞ格好いいだろうね。可愛らしい男の子を侍らせる格好いいギタリスト。うーん絵になるじゃないか」
「結構音楽業界ってさ、男だ女だどっちでもいいこと、ない?」
「まあ常識以上のことを求める世界だからねえ。だから常識でくくれない連中が出てくるのさ」
客はははは、と笑った。
DBはそんな彼らの会話には何も言わず、首を傾け、微かに笑った。
確かに、そろそろ潮時なのかもしれない、と彼は思った。
そもそもは、家からの捜索をくらますために、この職にはついたのだ。さほどに身元を詳しく問われる訳でもない。大切なのは、日々の仕事と、それに従事する自分の態度だけだ。
離れてみると、自分があの家で、何が苦しかったのか、よく見えてくる。
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