第24話 「だからそれが『好き』ってことでしょうに」
「……え~」
約三分間、何とも言えない表情であっちを向いたりこっちを向いていたリーダーが、ようやく言葉を発した。
「事実は判ったわ。で、P子さんはどうしたいの?」
「と言いますと?」
「何をどうするにしても、ツアーが終わった後で良かったけど…… つまり」
「ああ、生かすか殺すか、ってことですか?」
「またずいぶんずばっと」
「だって要はそういうことでしょう?」
それはそうだけど、とHISAKAは頭を抱える。すみませんねえ、とP子さんは少しばかり目を細めた。
「殺したくはないですよ」
「OK」
即答だった。HISAKAは大きくため息をつく。
「その線で、考えればいいのね。判った考えましょう。少し時間ちょうだい」
「すみませんね」
「謝って欲しい訳じゃあないのよ。……そうよね、あなただけはその可能性があったんだ…… ああ、もちろんこないだから言ってるそのひとよね?」
相手は、とHISAKAは暗に含める。
「ワタシは自主的にそうしたのは、DBが最初ですよ。こんな歳で何ですが」
「え」
ぴょん、と伏せ気味になっていたHISAKAの顔が上がった。
「自主的?」
「最初は自主的ではなかったし、それはもう遠い昔のことだし」
「ちょっと待ってよ、それって」
「あ、言わなかったですか?」
「言ってないわよ」
「あ、そーか……」
そうだったよなあ、とP子さんはピアノにもたれながら、赤い髪をかき回した。
「まだ中学に入ってない頃でしたかねえ。通りすがりのひとに、自主的ではなくされたことがありまして」
「……それ普通、レイプされたって言うんじゃないの?」
「ですかねえ」
「ですかねえ、じゃないわよ!」
「でもワタシの感じとしては、そういう感じでしかないんですよね。何か、現実の記憶って感じではないから、他人事で。でもその時、ちょっと痛めつけられてしまった部分があったようで」
「ちょっとじゃないでしょ!」
「だから他人事なんですってば」
だから男の男みたいな所がそう好きではないのだろう、と考えるのはたやすい。
何せ自分をそうしたのは、特定の個人としての男ではなく、「そういうもの」でしかないのだ。
「たまたま、普段通らない土手近くの道を夕方歩いてただけのワタシを、こっちもこっちで見たこともない男が、でしたからねえ。何か後で聞いたら、たまたまうちの町に来ていただけ、らしいんですよね。逢魔が時、って言うんですか? 魔がさしたとか何とからしかったんですけど」
「……」
HISAKAの表情がこわばっている。P子さんはそれをまた淡々と見ている自分が居るのに気付いていた。
「向こうにとってはワタシはたまたま通りかかった『女の子』でしかなかったし、ワタシにしてみても、向こうはただの『男みたいなもの』でしかなかったし。だからその時も変だ変だって言われたんですがね、ワタシ格別恐怖とかそういうのもなくて。警察が色々聞くんですがね、何かワタシが妙に状況を淡々と説明するので、ウチの母上なんかは、この子が誘ったんじゃないかとか何か嫌なこと言われたらしいんですが」
その時説明した婦警は、何やらひどく妙な表情をしていた。どちらかというと、怖がっていたように見えた。
それからしばらく、何の医者なのか判らないけれど、通うように言われた。
通った時の医者は、別に何をするという訳ではなく、自分と話をしたり、お菓子を食べたりしただけだった。それでいて、何が変わったという訳でもない。医者の方も、奇妙だ、という顔はしつつも、様子を見る、ということにしたらしい。数回通っただけで、お解き放ちとなった。
今から考えてみれば、あれは事件によるトラウマという奴をできるだけ軽くさせようということだったらしい。ニュースで時々聞く、PTSDを危惧したのだろう、とP子さんも思う。
「まあだからと言う訳ではないんですが、別に男と付き合おうという気は無かった訳でして。だからまあ」
「今の彼、は大丈夫な訳ね?」
「DBは、大丈夫ですよ。好きですよ。……ああ、好きなんだ。そう。好き、なんですね。あれはたぶん」
「たぶん、じゃないわよ、あなた。自分のことでしょ」
「自分のことでも、『たぶん』はありますよHISAKA。ワタシは自分が何本当に考えているか、なんて、結構判っていないんですから」
実際そうだった。
自分が落ち着いているとか淡々としている、とか言われることは多い。
だがそれは、基本的に自分の周囲の出来事が、他人事に感じるせいなのだ。遠くで起こっていることのように感じられるからだ。
だから強烈な喜びにもならないし、強い苦しみや哀しみや憤りにもならない。
たとえば何処かでつまずいて膝をすりむく。
その時に痛い、と感じるが、だからと言って辛いとか苦しいと思うことは滅多にない。痛みは痛みで、痛みでしかない。
その感覚を説明しようとしても、元々口がそう上手い訳でない彼女である。首を傾げられるだけだった。不用意に説明しようとすると、家族は余計に心配するだろう。いつか口にすることはなくなっていた。
そう言えばこんなこと説明するのは久しぶりだなあ、とやはり他人事のようにP子さんは思う。
「でもまあ、だからと言って、そう日常に支障がある訳ではないですからね。それにいくら何でも、ワタシはギター弾いてるのは自分だって判るし」
「それが判らなかったら、困るわよ」
「そうですよね」
P子さんはうなづく。ああそうだ。だからギターなんだ、と。
あの音だけは、自分を自分自身とつなげてくれる。自分の居る世界を自分とつなげてくれる。
自分にとって、無くては生きていけない、ということは、そういうことなのかもしれない。
「ああそうですね、そう、あの子も」
「あの子?」
「ああ、DBですが」
あの子ねえ、と再びHISAKAは頭を抱える。
「あれも結構、現実ですねえ。あの子と抱き合ってる時は、わりあい、それは他人事じゃない、って言うか」
「それはねえ」
何故だろう、とあらためてP子さんは思う。
まあ考えてみれば、自分のテリトリーにあれだけ近く他人を入れたのは初めてだった。自分自身に他人を迎え入れたのも初めてだった。何でそうしようかと思ったのも判らないが、そこに抵抗が無かったのも確かだ。
「だからそれが『好き』ってことでしょうに」
「あ、そーですねえ」
ぽん、とP子さんは手を叩いた。
HISAKAはとうとうピアノの上に突っ伏してしまった。
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