第8話

 電話に出ない。

 返信もない。

 店に行っても会えない。

 家は、流石にストーカーみたいだから我慢。

 言うんじゃなかった。

 好きだなんて言うんじゃなかった。

 一人占めしたいだなんて、思うんじゃなかった。

 逃げるだろうことは何となく、分かっていたのに。

 俺はなにをやってるんだ。

 しょうたろうさんのところに居るんだろうか。

 あっちとは会ってるのか。

 俺とはもう、会ってはくれないのか。

 また別の誰かと、同じようなことを、するんだろうか。

 ほんの数日前までのことなのに、あの潮の匂いと、蝉の声と、熱すぎた直射日光が、ずっと昔のことみたいに感じられる。

 扇風機と、コンビニまでの道のりと、でこぼこのアスファルトと、溶けたアイス。

 浴衣からはみ出してたふくらはぎ。

 湿った背中と、汗の匂い。

 指の感触。

 こんなつもりじゃなかった。

「なんでだよ」

 夏休みが終わっちまう。


 結局ずっと連絡取れなくて、残りの夏休みは代わりにひたすら大学の友達と遊びまくった。

 振られたんだって言ったらなんかみんな結構優しくて、一人でいたらずっとハルさんのことを考えてしまうから、毎日誰かしらを誘って夜中まで遊び歩いた。

 ファミレスで時間潰したり、カラオケ行ったり、ゲーセン行ったり、ひたすら無駄なことに時間を費やした。

 他に好きな人をつくったほうがいいんじゃないかって言われて、そうかもしれないって思ったりもしたけど、誰を見ても、なにを見ても、結局は誰も、なにも、ハルさんには敵わなかった。

 会いたい。

 触りたい。

 髪の生え際から足の指の間まで、全部覚えてる。

 圧し殺した息遣いも、たまに洩れる気持ちいいっていう声も、掴んだ皮膚の感触も、背中に回してくれる腕も、イったときの震え方も、恥ずかしそうに笑った顔も、全部全部覚えてる。

 あんなもん、代わりなんてない。


「っはー、みっともな……」

 そんなことばっか考えながら、夏休みもぼちぼち終わりな9月の最終日。

 ここ最近ずっとそうだったように、みんなと騒ぐだけ騒いで夜中にとぼとぼ自分のアパート帰ったら、薄暗い共用廊下の俺の部屋のドアに誰か人がもたれ掛かって立っていた。

 薄そうな大きめのパーカーを羽織ったその人は、腕組みをして下を向いていて、誰だか分からなかった。

 その人は不意に顔を上げて俺に気がつくと、なんか急にうんざりしたような顔をして、一言「遅い」と俺に言った。

「………………ハルさん」

「待ちくたびれた。いろんな人にじろじろ見られたし」

「え、ごめん、」

 ふいっと目を逸らしたハルさんに、俺は心底狼狽えた。

 久しぶりに見たハルさんは、髪の色が極端に変わって、少し短くなっていた。

 こないだまで金だか茶だか分かんないような明るい色だったのに、なんか暗いグレーみたいな、独特な色になっている。

 よく見たらそのデカめのピアスも見覚えがない。

 っていうか。

「……なんで?」

 なんで居んの?

 なんで髪の色変わってんの?

 なんでずっと連絡取れなかったの?

 これ今、なに? どういう状況なの?

 こちらとしては至極当然な気のする疑問を一言で投げ掛けると、ハルさんは一度ちらっと俺を見て、またふいっとその顔を背けた。

 そして何故かぶすっとした膨れっ面になる。

「お前のせいでさっき祥太郎さんに振られたんだよ」

「どゆこと?」

 俺、なんもした覚えないんだけど。

 っていうかずっと避けられてたのこっちだし。

「お前が、……」

 ハルさんは、呟いて、口ごもって、膨れっ面が段々困ったみたいな表情になる。

「お前が、変なこと言うから……、」

「変なこと?」

「俺に好きとか、言うから、あれからずっとあのときのことが頭から離れなくなって、そしたらさっき祥太郎さんに振られた。もう要らないって言われて……」

「え、」

 ハルさんは、急にもたれていたドアから背中を離してすくっと立ち、眉毛を下げたまま俺をきっと睨んで凄んだ。

「お前のせいで泣かせちゃったんだからな!」

「え、向こうが泣いたの!?」

「俺も泣いたわ!! 祥太郎さんには俺しか居なかったのに、なんか裏切るみたいなことしちゃって……」

 だからお前が悪い、と、ハルさんは俺にそう言った。

「いやごめん、状況がよく飲み込めない……」

 っていうか俺の告白は変なこと呼ばわりか。

「だから、」

 ハルさんは、向き合ったまま、また目を逸らした。

「だから、一人になっちゃったの、お前のせいなんだから、責任取れや」

「えっ、と、それは、つまり、」

「言っとくけど、俺は自分勝手なんだからな!」

 いやそれは、知ってるけど……。

「面倒臭いタイプだし、」

 それも知ってる。

「我が儘だし、」

 それも知ってる。

「すぐ焼きもち妬くし、」

 それは逆に嬉しい。

「俺が傍にいてほしいって思ったときにはすぐ来ないと嫌だし、」

 うーんそれは、ちゃんと何らかのアクションくれないと難しいかもしれない。

 でも。

「あと、」

「ハルさん」

 嬉しい。

 可愛い。

 やっぱり可愛い。

 堪んない。

 俺は2歩近づいて、ハルさんの顔を両手で挟んで、それからゆっくり抱き締めた。

 華奢な身体。

 久しぶり。

 夜風でちょっと冷えてる。

「そんな予防線張らなくても、大丈夫だからさ」

「孝信……」

 だってほら、俺はずっと健気に待ってたろ。

 あんたがここに立ってた時間よりも遥かに、ずっと長いこと待ってたぞ。

 いや確かにちょっと諦めてたけどさ。

 ん?

 あ、泣いたかな。

 顔が見えないけど、鼻啜った。

「……嫌いになったら怒るからな」

「ならないよ」

「浮気したら殴る」

「しない」

「別れるとか言ったら全力で呪うからな」

「こええよ!」

「……あったかい」

「……、良かった。帰ってくるの遅くてごめん」

「本当だよ」

「寒かった?」

「うん」

「じゃあ取り敢えず、いつまでもこんなとこいてもアレだし、家の中入ろっか」




 家の中に入って、着ていたパーカーを脱ぎ捨てているハルさんに聞いてみる。

「その頭どうしたの」

 ハルさんは勝手知ったる俺の部屋、みたいに、もそもそと壁際のベッドに上がって布団に潜り込んだ。

「別に。只の気分転換」

「へえ」

 俺は着ていた服を脱いで洗濯機に放り投げてから、パンツ一枚で部屋着を探す。

 今朝どこにやったっけ。

「俺何回かハルさんの店に行ったんだけど、ハルさん全然いないから、避けられてるんだと思ってたわ」

「あー、いやまあ、避けてたけど、」

「やっぱりか」

 ハルさんも布団で中でもぞもぞしてるから何してんのかと思ったら、布団の隙間から着ていたはずの服だけがびろーんと落ちてきた。

「でも店にはいたよ。俺最近厨房に入ってるから、そっちからは見えなかっただけ」

 なんじゃそりゃ。

 そらあそんな見慣れない頭で違うとこ居たら分かんないわ。

「孝信、お前さっきから何してんの」

「いやあ、部屋着どこやったっけって探してんの」

「……要らなくない?」

 いや要るだろ、と思ってハルさんのほうを見ると、ハルさんは俺の布団の中で俺を恨めしそうな目で見ていた。

「待ってるんだけど、俺」

「早っ」

「キスして」

 伸ばしてきた腕には、俺があげた茶色い皮のブレスレットがついている。

「つけてくれてるんだ」

「つけてるよ、あれからずっと」

 俺は部屋着を探すのを諦めて、ベッドの縁に腰掛けた。

「髪、似合ってる」

 軽く撫でると、ちょっと傷んでるのが分かる。

「店でも言われる。全然雰囲気違うから、別人みたい、とか」

 確かに別人みたいだ。

 なんか、色気が凄い。

「会えて嬉しい」

「なあ、孝信。俺の声聞こえてた?」

 ぐいっ、とハルさんが不満そうな顔で下から腕を掴んで引っ張った。

 その拍子に俺はバランスを崩してハルさんに覆い被さるみたいにベッドに手を着く。


「キスをしろって言ってんの」




(珍しくノーカット……!)

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