5-2 捕まえた

 ――放課後。


 相変わらず話をしようとしない奏多に、歌恋が必死に話しかけている。そんな様子を横目で見てから、武蔵は君華と目配せをし、教室を出た。

 玄関を出てから君華と合流し、人気の少ない中庭で立ち止まる。


「で、話って何だ?」


 武蔵は、朝よりも冷静になりながら訊ねる。

 困ったような、浮かれたような。そんな気持ちは、だんだんと薄れてきていた。君華の表情が、緊張しているというよりもただ単に元気がないように見えたのだ。


「ムサシくんって、いくたんと仲が良いのよね?」

「いくたん……って、育田さんのことか」

「あら。いつも通りいくちゃんって呼んでも良いのよ?」

「……委員長の顔を見てると、そんな冗談言ってる場合じゃないように思えるんだが」


 歌恋の名前が上がると、今朝の焦った気持ちなどどこかに吹き飛んでしまった。何故、君華の口から歌恋の名前が出てきたのか。君華はどうして、元気がなさそうなのか。考えるだけで、不安でたまらなくなる。


「やっぱり、何かあったのね? 事情は知らないけど、最近いくたんに元気がないっていうのは見てるだけでわかっちゃうわよ」

「まぁ、そうだよ……な」

「……だいたい察しはついたと思うけど、話っていうのはいくたんの……。いや、違うわね。かなたんのことで相談があるのよ」


 かなたん、というのはつまり奏多のことなのだろう。そういえば、歌恋と奏多は仲が良いから「いくたん」と「かなたん」でお揃いにしよう! と、君華が言っていたような気がする。その時はまだ歌恋と仲良くなる前だったからあまり覚えていなかったが、急にその光景を思い出してしまった。嬉しそうに歌恋と奏多が微笑み合っている姿が思い浮かび、武蔵は無意識に下唇を噛む。


「かなたんに、頼まれちゃったのよ」

「……何を」

「いくたんと友達になって欲しい、ってね」


 ――はぁ?


 武蔵は思わず心の中で聞き返す。でも、実際には言葉の意味がわからなすぎて何も反応することができなかった。口を小さく開き、ただただ茫然と君華を見つめてしまう。


「何だよ、それ。京堂さんが委員長にそう言ったってことか?」


 やっとの思いで言葉を返す。でも、声のトーンは自分が思っていた以上に低く、棘がある感じになってしまった。君華に申し訳ないと思いつつも、怒りに近い感情が抑えられない。


「そう。いくちゃんと委員長は絶対趣味が合うから、仲良くなれると思う! ……って、彼女は言ってたんだけど」

「……趣味が合う? ってことは、委員長ってまさか」

「ああ、別に隠してる訳じゃないから言うけど、私もこっち側の人間よ」


 さらりと言い放つ君華。

 しかし、うっすらと苦笑を浮かべていたのを武蔵は見逃さなかった。


「私もってことは、俺らのことも察してたんだな」

「ムサシくんと、いくたんと、リッヒーでしょ? 三人でよく話してるから、そりゃあもう、わかるわよ」


 リッヒー、つまり理人は容姿端麗でコミュ力もあるから気付かれにくいと思っていたが、案外見ている人は見ているものだ。

 武蔵も苦笑を零しながら、君華に問う。


「……でも、好きそうなジャンルは違うってことだろ? 俺達はアニソン好きで、よくライブやイベントに行ってるんだが、正直委員長にそんな印象がないって言うか」

「そ、そうね。まぁ、その……腐ってるのよ、私」

「……あぁ」


 なんとなく、心の中で考えていた想像が当たってしまった。女性のオタクなら、腐女子である可能性も少なくはない。武蔵も百合ものが嫌いなわけではないし、何とも言えなかった。


「ん、んんっ。とにかくね、ムサシくん」


 まぁ、少なくとも男が深く突っ込んで訊ねる話でもないだろう。だいたい、今はそれどころではない。君華が咳払いをして話を戻してくれたのは正直助かった。


「私も二人の様子がおかしいことは気付いていたのよ。特に、いくたんの元気がないことはね。だから、かなたんに頼まれた時に確信したの。二人に何かあったんだって。それで今、仲の良いムサシくんに相談してるって訳」

「……そうか……。教えてくれてありがとうな、委員長」


 まっすぐ君華を見つめながら、武蔵はじりじりと後ずさる。頭の中がまだまとまった訳ではないのに、身体が勝手に動き出してしまう。早くしなければという気持ちだけが先走ってしまうのだ。


 武蔵はとにかく、ショックを受けていた。

 奏多は、歌恋の本音から逃げるだけでなく、自ら遠ざけようとしている。歌恋は向き合おうとしているのに、奏多は無理矢理決着を付けて自分勝手な行動をしているのだ。考えれば考える程に信じられなくて、武蔵の怒りは増していく。

 このままじゃ駄目だ。どんなに歌恋が頑張ろうとしても、報われない。


「かなたんのところへ行くのね? 彼女、部活には入ってないからもう帰ったかも知れないけど……」

「それはわかってるが、行ってくる」

「そう。……あっ、最後に一つ、私からあなたに言いたいことがあるのよ」


 立ち去ろうとする武蔵に小さく手を振りながら、君華はうっすらと微笑む。


「たまには料理部に顔を出しなさい。鈴木すずきくんが寂しがってるわよ」

「……ああ、わかった」


 内心、「鈴木くん(二人だけいる男子部員の一人)、ちゃんと出席してたんだな」と思いつつ、武蔵は力強く返事をする。

 そして武蔵は走り出した。向かう先はもちろん、奏多の元だ。

 君華の言う通り、奏多はもう学校にはいないかも知れない。今、武蔵が感情のままに飛び出しても仕方がないことは、頭の中ではわかっているのだ。結局奏多は一週間も話をしようとしていない。だから、武蔵が行動するのは今日であっても明日であっても特に変わらない、微々たる差だ。

 でも、武蔵の足は止まらなかった。

 まずは教室に向かう。が、やはり誰もいなかった。この時点でもう「間に合わなかったか」という気持ちになってしまう。足は自然と玄関へと駆け出すが、頭の中では「委員長の話をいくちゃんに伝えるかどうか」で悩み始めていた。

 きっと、いや絶対に。この事実を伝えたら歌恋はショックを受けるだろう。ショックの先にあるものが悲しみなのか、それとも自分と同じく怒りなのか。もしも自分と同じ気持ちになったのなら、歌恋は奏多に立ち向かえるはずだが……。


「あっ、先輩」


 悩んで悩んで、悩みまくっていた。だから、林檎に声をかけられるまで玄関に辿り着いたことに気付かなかったのだろう。


「おう、林檎ちゃん。京堂さん、は…………ぅお」


 武蔵は思わず、よくわからない呻き声を漏らしてしまう。でもこれは、仕方のない話なのだ。

 林檎の視線の先には歌恋と奏多がいた。しかし武蔵は、「ああ、良かった間に合った」という思考になることも、「京堂さん、話があるんだが」とすぐに切り出すこともできないでいる。


「り、林檎ちゃん。この状況は……」

「うーん。もう五分くらいこの状態かなぁ」


 壁かけ時計に目を向けながら、林檎も何とも言えない表情をしている。

 奏多は確かに、逃げずにそこにいた。まぁ、逃げようとしても逃げられないように歌恋が後ろからぎゅっと抱きしめているのだが。

 奏多は片手に上履きを持っていて、履き替えるところだったのだろう。今日も今日とて、逃げる気満々だったのかも知れない。


「あ、的井くん! 私、ついに奏ちゃんを捕まえましたよっ」

「あー……っと、お、おう。よくやった。随分と物理的ではあるが……お手柄だな!」

「はいっ」


 奏多を抱きしめた状態のまま、歌恋は武蔵を見て満面の笑みを浮かべる。しかし当の奏多はしかめっ面だ。少しでも手を離したら逃げられてしまいそうな雰囲気がする。


「……で、林檎ちゃん。どうしてこうなった?」

「そっ、それは……」


 林檎に問いかけると、何故か林檎は目を泳がせた。

 やがて、勢い良く頭を下げる。


「ごめんっ、的井先輩が見知らぬ女……って言うか、委員長? と一緒にいるのを見かけて、つい……後を……」

「……マジか。話も全部か?」

「う、うん……」


 コクリと頷き、林檎は正直にこれまでのことを話し始めた。

 二人の後を追ったのは良いものの、やっぱり「盗み聞きなんて良くない」と思った林檎は立ち去ろうとしたらしい。でも、君華の口から歌恋の名前が出た途端に動けなくなり、結局全部話を聞いてしまったという。

 居ても立っても居られなくなり歌恋に連絡するも、反応なし。仕方がないから帰ろうとすると玄関で歌恋と奏多に遭遇し、君華の話を打ち明けた。

 そして歌恋は、


「もう駄目です、無理やりにでも捕まえます!」


 と宣言し、奏多を力強く抱きしめている――というのがここまでの流れらしい。


「……京堂さん。そろそろ話を聞いてくれないか? こっちにも本音を伝える権利くらいは欲しいんだが」


 抱きしめられたまま俯く奏多に、武蔵は冷静になって言い放つ。すると奏多は、足元に目を落としたままゆっくりと口を開いた。


「話すことなんてもう何もないし、もう帰りたいんだけど」


 初めて歌恋を突き放した時と同じような、暗いトーン。普段の明るい彼女とは大違いの、機嫌の悪そうな姿。

 ここに来てまでそんな態度を取るのか、と思った。林檎も顔を強張らせ、きつく奏多を睨み付けている。


 ――でも何故か、歌恋だけは優しい表情をしていた。


「もう良いじゃないですか、演技なんてしなくても」

「……演技?」

「わかってますよ。奏ちゃんが無理して悪役を演じようとしてるってことくらい。友達だから、それくらいわかります」


 囁いて、歌恋は微笑む。

 しかし奏多は眉間にしわを寄せていた。「意味がわからない」とでも言いたげだ。でも、奏多の気持ちもわかってしまうような気がした。正直、悪態を吐いている時の奏多の方が本性で、クラス内で明るく振舞っている方が演技だと思ってしまう。

 でも歌恋は、逆だと言うのだ。


「どうして……。こんなに突き放してるのに、いくちゃんは……」


 今にも消え失せそうな声で、奏多は呟く。でも、抱きしめている歌恋には丸聞こえだ。笑顔を絶やさぬまま、歌恋は言葉を続ける。


「馬鹿馬鹿しいことを言ってるって思ってますか? でも、私はずっと奏ちゃんを見てきたんです。これからもずっと奏ちゃんと一緒にいたい。私のことを信じて欲しい。だから、私も奏ちゃんを信じるんです。普段の明るい奏ちゃんが、奏ちゃんです。つまりは何が言いたいかと言うと……」

「ま、待って。ストップ」


 止まらなそうな歌恋の言葉に、奏多は焦ったような声を上げる。身体をジタバタさせて抱き着き攻撃から逃れ、歌恋をじっと見つめる。


「わかった、話す。話すから、場所を変えよう? そろそろ誰もいないと思うから、教室に戻ろうよ。ね?」

「……っ!」


 奏多の言葉に対する歌恋の反応は、あまりにもわかりやすかった。嬉しさに溢れているように両目を丸々と見開き、コクコクと頷きまくっている。

 歌恋の反応に弱々しい笑みを返すと、奏多はばつの悪そうな視線を武蔵と林檎に向けた。


「ごめん、的井くん達には迷惑かけたって、わかってる。逃げずに話すから、的井くん達もついて来て」

「……おう。気にするな、とは簡単に言えないが、わかった」


 林檎も無言で頷くのを確認すると、奏多は耳を澄まさないと聞こえないくらいのボリュームで「ありがとう」と呟いた。

 いつも通りの明るい奏多ではない。でも、ついさっき覗かせた刺々しさはもうなくなっていた。言葉通り、もう逃げないと決めてくれたのだろう。

 ようやくか、という気持ちはあったが、とにかく安心した。ふと歌恋と目を合わせると、ドヤ顔に近い笑みを浮かべていて、「おいおいまだその表情になるのは早いだろう」と心の中で突っ込んでしまう。

 しかし、


「的井先輩、嬉しそうだね。顔に出てるよ?」


 と林檎に言われてしまい、人のことは言えないな、と思う武蔵だった。

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