2-2 絶対に負けない

 ――約二時間後。


 一部の売り切れはありつつも、欲しいものはすべて買えた。時刻は三時過ぎ。カフェでゆっくりするにはちょうどいい時間だ。

 二人は会場から少し歩いたカフェに行く……ものの、室内はライブに参加するであろう人達で埋まってしまっていた。仕方なくテラス席に行き、ようやく一息吐く。


「で、何があったんだ?」


 二人してアイスコーヒーを飲み、しばしの沈黙の時間が流れる。武蔵は「さて、何から話したものか」と悩んでいた。すると痺れを切らしたように薫が訊ねてきたので、武蔵は覚悟を決めて口を開く。


 同じクラスの女子――歌恋とデートしたこと。歌恋は良い子だが、オタク趣味に理解があるかどうかは未知数だということ。でも武蔵は、自分の趣味を明かして向き合っていきたい、ということ。

 ここまではただの恋愛相談だ。話を聞かされた薫は「頑張れ」と言うことしかできないだろう。でも、違うのだ。問題は、林檎にも想いを寄せられているというところにある。もう、「恋愛に興味がない」で逃げることはできないのだ。


 林檎とも向き合っていかないといけない。でも、歌恋とのことある訳で……。

 といった具合に、慣れないことの連続で頭がパンクしていることを薫に伝えた。

 話を聞き終えた薫はズバリ一言、


「突然のモテ期だな」


 と言い放ち、笑い飛ばしてくる。まさか武蔵から恋愛相談の話をされるなんて思ってもみなかっただろうし、当然の反応だろう。武蔵も思わず苦笑してしまう。


「その話は、的井ちゃんの友達の……ええと」

「理人のことか?」

「そうそう、理人くんも知っているのか?」


 薫の質問に、武蔵は首を横に振る。

 デートのことはバレてしまっているが、細かいことを何も話していない。というよりも、歌恋のことはともかくシスコンの理人に林檎のことまで相談したらまずいだろう。だからこそ、このことは薫にしか相談できなかったのだ。


「悪いな、突然こんな相談。何つーか、思い詰めちまってな。他に相談できる奴がいなかったんだ」


 頭を掻きながら、武蔵は苦い笑みを漏らしまくる。


「いや、良いんだよ。それにしても的井ちゃんは真面目だね。もっとこう……二人の女の子とのフラグが立ってうはうは! って感じにはならないのか?」

「うはうはって……。アニメとかなら楽しんで観るが、自分がそういう状況になったら結構辛いもんだぞ」


 歌恋も林檎も良い子だから、尚更思い悩んでしまうところがある。何で自分が選ぶ立場――的な状況になっているのか、考えれば考える程に意味がわからない。


「的井ちゃん、ちょっと良いか?」

「ん、何だ…………うぉっ」


 突然立ち上がったかと思えば、薫は思い切り武蔵の背中を叩いてきた。しかも、思わず「うぉ」とか言ってしまう程の力強さで。

 正直、この薫の行動にはビックリした。唐突に殴られたから、とかそういう意味ではない。薫は小学生の頃からずっと女子校に通っているらしく男性に耐性がない――というか、男性が苦手なはずなのだ。


「男に触れるのは苦手なんじゃ」

「まぁ、苦手だな。でもこうして的井ちゃんと友達になっているように、トラウマ的な恐怖感がある訳じゃない。ライブだって、こうしてライブハウス以外だったら普通に参加してるしね。それに……」


 座った状態のまま唖然としてしまう武蔵に対し、薫は立ったまま武蔵を見下してくる。でも表情は柔らかくて、どこか安心させられる笑顔をしていた。


「こうして一つ一つ解決していけば良い。焦りは禁物だ」


 その一言だけで、心がすぅーっと軽くなっていくような気がした。

 本当にこの人は頼れる先輩だ。ただのライブ仲間ではなく一人の友達なんだと感じさせられる。理人以外にも心を任せられる相手がいると思うと、それは凄く幸せなことだなぁと武蔵は思った。


「薫は本当にイケメンだな。……ありがとう、気持ちが楽になった気がする」

「まったく、一言余計だよ。イケメンって言わないで欲しいんだけどな」


 不服そうに蜜柑色の瞳を向けてくる薫。

 悪い悪いと平謝りしつつも、武蔵は聞き返した。


「とか言って、女性扱いされても困るんだろ?」

「……ま、まぁね」


 痛いところを突かれたと言わんばかりに、薫は視線を逸らす。

 薫からは初めてリアルで会った時にきっぱりと言われているのだ。


 ――私は男性が苦手だ。だから恋愛はノーサンキューだ。……と。


 だからこそ薫とはこうして気兼ねなく接することができているのだが、言われた瞬間はそれなりにショックだった。薫は美人だし、趣味も合うし、林檎には悪いがキャピキャピしていないし話すテンポも合いそうだった。

 だからもしかしたら、なんて思った瞬間があったのだ。

 でもまぁそれも昔の話。「恋愛はノーサンキュー」と言われてから、武蔵は薫のことを一人の友達として認識している。もし、今になって薫に「恋愛にちゃんと向き合ってみようと思うんだ!」なんて言われても困るだけだろう。

 歌恋と林檎の問題を抜きにしても、薫のことは今更友達以外の関係を考えることはできないのだ。


「いや……でも、本当に助かった。ゆっくり考えてみようと思う」

「うん、それが良いと思うよ。歌恋ちゃん……だっけ? その子にも会ってみたいなぁ」

「ああ、そうだな。その時は……俺が育田さんに趣味を明かしてる時だろうな」


 趣味を明かした時、歌恋はどんな反応をするだろうか。

 考えるだけでも胸がざわつく。少しでも否定的な態度を取られたら、きっと自分は傷付いてしまうだろう。そこからどう歌恋と向き合っていけば良いのか、なんて。考えれば考える程に混乱してしまう。歌恋を取るかアニソンを取るか、なんて選択肢を迫られたりしたらどうすれば良いのか。その時はもしかして、林檎に逃げてしまうのか。いやいや、そんなのは最低だ。


(とっ、とりあえず落ち着けよ俺……! 今考えまくっても仕方ないんだからよぉ!)


 頭の中の暴走が止まらず、武蔵は自分で自分を叱咤する。

 すると、薫に不安そうな顔で見つめられてしまった。


「的井ちゃん、本当に大丈夫か? 顔色が悪いが、あまり考えすぎない方が」

「あ、ああ。そうだな。……ん?」


 心配をかけないように返事をしつつも、武蔵の視線は何故かあらぬ方向を向いていた。

 でも、これには理由がある。見知った顔を見かけたような気がして、ついつい目で追おうとしてしまったのだ。


「何イチャイチャしてるんですか、小古先輩!」


 しかし、見知った顔――と言うか、友人とその妹はすぐそこにいた。

 不満そうなジト目を向ける林檎と、その隣で「やぁ」と片手を上げる理人。

 ちなみに「小古先輩」とは薫のことで、林檎だけが使っている呼び名だ。「小古瀬先輩」と呼ぶのは言いづらいというのが由来で、武蔵もひっそりと「小古先輩……確かに語呂が良いな」と思っている。


「おぉ、林檎ちゃん。今日も元気だね」

「何ですかそのイケボとよゆーな表情は! あたし、的井先輩と友達っていうの未だに認めてないんですからね」


 林檎と薫は度々ライブ会場で顔を合わせている。のだが、武蔵と仲が良いのが気に食わないらしく、慣れ合う気はないらしい。武蔵とは違って敬語で話しているのがその証拠だろう。


「と言うか林檎ちゃん、今日も凄いな。全部手作りなんだろ?」

「あっ、そうなの! 前回のツアーのダンス曲パートのところの衣装! ふふん、一年ぶりのムーンちゃんだから、頑張ったんだよ」


 武蔵が話を振ると、林檎の表情がコロリと変わった。そこに触れて欲しかったと言わんばかりに笑顔の花が咲く。

 林檎の今日の服装――と言うより、衣装と言った方が良いだろう――は、相間伊月のライブ衣装のコスプレだった。薄桃色のチャイナ風の衣装で、足元は白いブーツ、髪型はいつものサイドテールではなく二つ結びにしている。

 呉崎家は美形揃いだから、普段の林檎だって十分可愛い。しかしいつもより着飾っていて髪型の雰囲気まで違うのだから、思わず見惚れてしまった。


「武蔵、ちょっとじろじろと見すぎじゃないかな?」


 さも当然のように理人が睨んでくる。そんな理人を林檎が更に鋭い視線で見つめていた。うん、よく見る光景だ。


「そう言うなら理人がコスプレするのをやめさせたら良いんじゃないか?」

「それは駄目だよ、林檎の趣味だからね。僕が口だしをする権利なんてないよ」

「でも写真……たくさん撮られてるんだろ?」


 林檎の趣味はコスプレだ。裁縫をするのが得意で、たまに自作の衣装を着てライブ会場に現れる。もちろんライブ前にはTシャツに着替えるのだが、物販待機列などではよく写真を撮られている印象だ。ちなみにSNSでの林檎の名前は「くれない凛華りんか」である。


「それは紅凛華さんだ。僕の妹とはまったく関係がない」

「……そう来たか……」


 それじゃあ目の前にいる奴は誰なんだよ、という話になるが、その話をしても理人の目が死ぬだけだろう。武蔵はそれ以上話を広げないことにした。


「そういえば、薫と理人は初対面だったよな?」


 とりあえず当たり障りのない話題を振ってみる。

 何度か顔を合わせている林檎とは違い、理人と薫が顔を合わせるのは何気なく今日が初めてだった。薫と理人は、恐る恐るといった様子で視線を交わす。


「あ……あぁ、そうだね。僕は武蔵の友達の呉崎理人って言います。よろしく」


 理人は改まって自己紹介をし、自然な動作で手を差し出す。ネットで知り合ったライブ仲間が多い理人にとってはほぼほぼ無意識な行動だったのだろう。それくらい理人はコミュ力が高いのだ。


「あっ! そう……でしたよね。武蔵から話は聞いていたのに……すいません」


 だからこそ気付くのも早かった。

 渋い表情をする薫を見て、理人はすぐに手を引っ込める。


「いや、私の方こそごめんね。理人くんは的井ちゃんよりゴツくないからハードルは低いと思ったんだが……。どうしても拒否反応がでてしまって」


 さり気なく「ゴツい」と言われた気がしたが、今は気にしないでおこう。

 薫の言う「男性が苦手」は、前々から言っている通りトラウマとかがないレベルだ。身体が触れるのはちょっと、という感じで話すのは平気らしい。

 でもやっぱり理人とは初対面だし、あまり長くいるのは辛いのかなと思った。


「薫、大丈夫か?」

「大丈夫だよ、的井ちゃん。それより理人くん。私は君に言いたいことがある!」


 だから心配して声をかけたのだが、薫は予想外の反応を示した。

 ビシィ、と理人を指差し、蜜柑色の瞳を光らせる。


「君は少々シスコンすぎると思うんだ。林檎ちゃんだって一人の女の子だ。あまり邪魔をしない方が良いと思う!」

「……え?」


 理人にとっても意外な言葉だったのだろう。だって、まさか初対面の女性から「君はシスコンすぎる!」なんて言われるとは思わないのだから。

 口を半開きにして唖然とする理人だったが、それ以上の反応をしてしまったのは何を隠そう武蔵だった。


「お、おい、薫! 今その話をしなくたって……っ」

「悪いね的井ちゃん。林檎ちゃんにとってはシスコンが大きな足枷になっていると思ったから、正直に言わせてもらったよ」

「いやでもなぁ、今その話をしたら、色々と! ……ほら、さぁ……な?」


 だんだんと声が震えてくる。

 辺りの空気が変わった気がした。頭の中には「やばい」という言葉しか浮かばない。

 林檎の視線が鋭くなる。薫の「シスコンすぎる。邪魔をしない方が良い」発言にはうんうんと頷いていたはずなのに。武蔵が動揺を露わにした瞬間に何かを感じ取ったようだ。同時に、理人が納得したように口角をつり上げている。


「何か、的井先輩……変。って言うか、先週のASAあさライの時も様子がおかしかったような。ねぇ先輩、あたしの気のせい?」


 琥珀色の瞳がギラリと輝く。

 隣で笑う理人は何も言わない。まるでこの状況を楽しんでいるかのような態度に、武蔵はイラつきを覚える。でも今はイラついている場合ではない。武蔵は理人を無視して薫と視線を合わせた。


「あー……そうか。ご、ごめん的井ちゃん。今ここで言うことじゃなかったね」


 ははは、と乾いた笑いを零す薫。

 薫が状況を理解してくれたのは助かった。助かった……とはいえ、今更何をしても誤魔化しきれないだろう。残念なことに理人は、武蔵が歌恋とデートしたことを知っている。話そうと思えば理人から林檎に事情を話せてしまうのだ。

 それは避けたい。せめて、自分の口で伝えるべきだと思った。


「わかった、わかったよ林檎ちゃん。正直に話す。冷静になって聞いてくれ」


 いつかは林檎にもバレてしまう話だとは思っていた。

 でも、まさかこんなにも早く話すことになるなんて。しかも付き合い始めた訳ではなく、一回デートしただけの話なのに。

 でもきっと、林檎にとっては大きなことなのだろう。

 なんとなく、話し終えたあとの林檎の様子が想像できてしまう。その時の林檎に怯えながらも、武蔵は覚悟を決めて話し始めるのであった。



「へ、へぇー。育田歌恋さん。同じクラスの。ふぅん、なるほどね。そっかそっか」


 林檎の反応は、想像よりも少し違った。ぼそぼそと呟きながらも、目は泳ぎまくっていて狼狽えているのが丸わかりだ。


「くそ兄貴。まじくそ。ついに先越された。デート。デート。ああああー」


 ベンチの上で体育座りをしながら、林檎はじとーっと理人を睨み続けている。確かに理人によるガードは高かった。先週のライブが例外中の例外で、二人きりで出かるなんて絶対に許さない。それが理人という名のシスコンだ。

 口は悪いが、林檎の「くそ兄貴」には武蔵も同意せざるを得ない。決して林檎に同情しているとかそういう訳ではなく、


「武蔵、僕は育田さんとの仲を応援してるからね」


 ――このように、ただ単にくそなのだ。いくらなんでもシスコンがすぎる。妹が可愛いのはわかるが、悲しませるようなことを言うのはどうかしていると思う。


「……的井ちゃん、提案がある。理人くんと友達をやめたらどうかな?」

「薫、気持ちはわかるが落ち着いてくれ。今はこいつの悪いところが極端に出ているだけなんだ。普段は良い奴だから、許してやってくれ」


 薫は渋々といった様子で頷いてから、「第一印象は最悪だな」と呟く。理人にも聞こえるようなボリュームだったため、理人は「すいません」と小声で呟いた。

 もしかしたら、薫がいればいつかは理人のシスコンが直るんじゃないのか。と、武蔵はひっそりと考える。まぁ、もう理人とは会いたくない、と言うかも知れないが。


「ああっと……林檎ちゃん。その……」


 ふと、武蔵は我に返る。

 今は理人の話題に逃げている場合ではない。やるせない視線を林檎に向けつつ、武蔵は頭を掻く。


「なぁに、的井先輩? 困ったような顔しちゃって……ねぇ?」


 まるで武蔵の表情を楽しんでいるかのような、林檎の上目遣い。

 狼狽えまくっていると思っていたが、意外とそうでもないのだろうか? というよりも、もしかしたら。

 武蔵の想像はあらぬ方向へ進んでいく。「大好きな的井先輩」と言い続けてきた林檎の発言そのものが、ただのからかい目的だったらどうしよう。もうそうだったら、悩み続けていた自分が馬鹿みたいではないか。


 でも、実際問題――林檎は煽るような視線を送っている訳で。

 何だか急に焦ってきた。冷や汗までもが額を伝う。おかしい、また季節は春のはずなのに。暑いような、それとも風に吹かれて寒いような、よくわからない感覚だ。


「的井先輩」

「……な、何だ」

「林檎、負けないよ。ぜっったいに! 負けないんだから」


 林檎の声は、心なしか力強く武蔵の心に響いてくる。

 気のせいだった。からかっているだけなんて、勘違いだった。林檎の鋭い視線とまっすぐな声に「そりゃそうだ」と気付くことができたのだ。


 ――むしろ、何を現実逃避しようとしてるんだ、俺は。


 武蔵は自分で自分に苦笑する。気付けば暑さも寒さもすっ飛んでいた。ただ目の前にあるのは、真面目な表情の林檎のみ。

 だから武蔵も見つめ返した。ただ、どんな顔をしたら良いのかはわからなかったけれど。じっと見つめて、頷いてみせる。


「ああ、そうだな。林檎ちゃんはずっと、そう言ってるんだもんな」

「うん、そーだよ。でもすぐに決着とかつけなくて良いから。だって今の状況、どう考えても林檎が不利じゃない? だからもっとアピールしなきゃ!」

「は、はは……そうか」


 林檎の勢いに、武蔵は笑って誤魔化すことしかできない。

 でも、誤魔化すのは今だけにしようと思った。いつか絶対に、自分の心に決着をつける。二人のためにもそうしないといけないと、武蔵は改めて思うのであった。

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