第12話 師匠と弟子、その別れ

 次の日、安樹は泣き腫らしたままの顔で朝を迎えた。

 役人がやってきて、安樹に石牢から出るよう身振りでうながす。

 安樹は、寝台に横たわったままの田常を振り返った。


「オレ、じっちゃんの言ったこと信じないから。例えじっちゃんの言ったことが本当でも、オレはじっちゃんの孫だから。絶対に最強の盾を作って戻ってくるから」


 そう言って石牢の床に落ちていた天翔山の地図を拾い上げる。

 早くしろとせかす役人に引きずられるように安樹は牢を出た。


 牢を出た安樹の背中に師匠の声がする。


「おまえに教えておいてやろう。洛陽で出した問題の答えじゃ。最強の矛と最強の盾がぶつかったら、どっちが勝つか」


 安樹が振り返ると、師匠は寝床に横になったままだった。

 丸まった背中が小さく見えた。


「……じっちゃん」


 ――その時、突然、大きな叫び声ともに騒々しい足音が聞こえてきた。


「待った待った! その釈放、ちょっと待った!」


 リルだった。

 リルが、手に一巻の書状を持って走りこんできた。


「リルディル様。こんなところにいかがなされました」


 役人は驚きを隠せない。一方のリルは、息を弾ませながら満面の笑みを浮かべていた。


「昨日一晩かかって、やっと父様を説得したんだ。おい、おまえ、ここに偉大なるハーン様の書類があるぞ。とっとと、そこの老人を解放しろ」


 リルの持ってきた書面を見た役人は、あわてて田常を石牢から連れ出した。


「君がハーン様を説得してくれたのかい? じゃあ、じっちゃんも解放してもらえるんだね」


 安樹はリルの手を取って頭を下げる。

 ――しかし、リルは言葉を詰まらせた。


「いや、あの、じっちゃんもというか、父様は一度決めたことはなかなか変えない人だから、さすがにそこまでは」


「えっ?」


 田常を牢から出した役人は、今度は安樹の首をつかむと、無理矢理石牢へと放り込んだ。


「釈放する人間と捕虜になる人間を入れ替えてもらったんだ。アンジュのじい様が盾を作りに行って、アンジュがそれを待つ。そう決まった」


 安樹は突然の出来事に頭を抱え、リルに文句を言った。


「どこをどうしたら、そうなるんだよ」


 リルは、そんな安樹の口の利き方が癇に障ったようだった。


「なんだよ! アンジュが『なんとかしてぇ』って泣いて頼むから、一生懸命とりなしてやったのに。私だって、おまえを殺さなかったせいで一年も戦にいけないんだぞ。退屈しちゃうじゃないか。その間、おまえが責任持ってかわいそうな私の相手をするのが筋ってもんだろ!」


 口喧嘩を始めた二人の横で、田常は気まずくしわぶいた。


「あー、安樹よ。どうもそういうことらしいから、すまんな。昨日わしが言ったことは、もちろん嘘ではないが、まあ、その、なんだ、必ず最強の盾を作って戻ってくるから……待っておれよ」


「そんな! じっちゃん、今、ちょっと笑ってただろ。待ってくれよ、置いてかないで!」


 安樹の叫びもむなしく、田常は役人に連れられ地下牢から釈放された。

 後に安樹が衛兵に聞いたところによると、一頭の馬とわずかな食料だけを与えられてオルド・バリクから放逐されたのだそうだ。

 その姿は広大な南の草原へゆっくりと消えていったという。


 それから、五年の歳月が過ぎた。


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