第20話「姉の秘密、姉との秘密」

 静かな森に人の気配はなく、鳥と虫との鳴き声しか聴こえない。

 動物には楓夜フウヤお姉ちゃんの正体がわかるのか、そこかしこからきつねくま、リスやウサギの視線を感じた。でも、遠巻きに見守るだけで、決して近付いてこない。

 そんな中で、ようやく落ち着いたお姉ちゃんが僕から離れた。


「……リンちゃん、ありがとぉ。わたし、もう大丈夫、だけど」

「だけど、じゃないよ。大丈夫さ、なにも変わらない。楓夜お姉ちゃんは僕の家族で、みんなと家族なんだ」

「う、うんっ……でもぉ」


 間近で見上げる楓夜お姉ちゃんは、おっきい。

 僕が小柄なのもあるが、立って向き合うと目線の高さにおへそがあるくらいだ。楓夜お姉ちゃんは、ごくごく一部だけ人間の肌が露出している。顔と、首と、そこから真っ直ぐ下に胸の谷間、お腹は色白な柔肌やわはだだ。

 でも、両手両足はうろこと体毛に包まれ、背には尾と翼がある。

 もじもじしながら、お姉ちゃんは深呼吸してなにかをとなえた。

 異形の巨体がみるみる縮んで、見慣れたいつもの姿になる。


「ふぃ~、久々に暴れちゃったよぉ。あっ……そ、そうだよね、わたし……おぞましいよねぇ」


 いや、僕が背を向け目をらしたのは、そうじゃない。

 

 そう、それも見慣れてるけど、見ていい訳ではない。

 そして僕も、さっきの大乱闘の中でほぼ裸だった。パンツ一丁では格好がつかない。

 因みに当たり前だが、男物のトランクスだ。

 え? 女装するなら下着から?

 それは千奈チナの姉貴に任せてる、姉貴は本格的にやってるから。喉仏のどぼとけだってさり気なく目立たないようにしてたし、ムダ毛のゴニョゴニョにも気を使ってるのさ。

 なんてことを思いつつ、そっと振り返る。


「えっと、楓夜お姉ちゃん。素っ裸だから、流石さすがにちょっと」

「ふえぇ、ひょっとして……えっ、わたし姉なんだよね? 今まで通り姉でもいいんだよねぇ?」

「そ、それはそうだけど」

「……でもぉ、姉じゃなくなったら、麟ちゃん……?」

「へっ?」


 ごめん、ちょっと言ってる意味がわからない。

 けど、まぶしい裸体が無防備に近付いてきて、僕は自然と後ずさった。

 大自然の解放感に、どうやら楓夜お姉ちゃんは落ち着きを取り戻した……いつものアレコレこじらせた人に戻ってくれた。

 それはいいけど、ちょっと困る。

 けど、不意にお姉ちゃんはハッとした顔になる。


「そ、それよりぃ……麟ちゃん、血が出てる。わたしがやったんだよねぇ……はあ、駄目だなあ」

「ん、大丈夫だよ。ちょっと派手に出血してるけど」

「治してあげたいけど、わたしは回復系の魔術は持ってないし」


 ……今、魔術って言いました?

 まあ、今更驚くことはないけど。


「そんなに心配しないで、ツバ付けとけば治るから」


 勿論もちろん、手当する必要はある。止血だけでも……でも、ここにはなにもない。裸の男女と大自然、取り巻く動物たちは襲ってこそこないものの、文明とは隔絶かくぜつされてしまった。

 瞬間移動テレポーテーションで戻ろうにも、裸なので転移先を慎重に考える必要がある。

 さっきは、楓夜お姉ちゃんを強くイメージすることで跳べた。

 突然発現した一回目と違って、目的地を強く念じることが大事だとわかった。

 さてと僕が帰還先を考えてると……楓夜お姉ちゃんがなにかを思いついたようだ。


「あっ、それだよぉ! 麟ちゃん、頭いい! 

「いや、ちょっと待って。それはものの例えで……って、お姉ちゃん!?」

「デヘヘ……これは治療だし、姉と弟だから問題ないよぉ」


 突然、僕は楓夜お姉ちゃんに押し倒された。

 僕の薄い胸に手を当て、そっとくちびるを近付けてくる。

 そして、チロリと赤いしたが傷口をなぞった。

 染みるように痛むかと思ったが、不思議とくすぐっくてひんやり気持ちいい。


「……そのままで、聞いてね? わたし、人間じゃないんだぁ」

「う、うん。ただ、その、ちょっと」

ドラゴンの体液には、霊験れいけんあらたかな治癒ちゆの力があるのぉ。調合次第では、不死の魔薬だってできちゃうんだよ?」

「龍、っていうのは」


 まるで動物の毛づくろいみたいに、お姉ちゃんの舌使いが熱を帯びる。

 不思議と出血が止まって、傷口もふさがれていった。

 おどろく僕を上目遣いに見上げて、デヘヘと楓夜お姉ちゃんは笑う。うん、ちょっとその笑い方がいやらしい。目がニヤニヤしてる。けど、語られる言葉はシリアスだった。


「わたしのパパは人間、麟ちゃんとみんなのお父さん……御暁高定ゴギョウタカサダ

「異母姉弟、ってこと?」

「そう。そして……わたしのママは、龍なの」

「龍ってあの」

「そう、RPGロープレで出てくるやつ。火を吹いたりして、財宝を守ってるボスキャラ的な」

「……龍って、実在したんだ」

「もう、ほとんどいないけどね。ママも人間に討伐されちゃったし」


 驚きの連続だ、それって「一狩り行こうぜ!」で有名なあのゲームモンハンみたいだってこと? 世界にはまだまだ、人間の知らない未知と神秘が息衝いきづいているんだね。

 僕は楓夜お姉ちゃんの言葉を疑わなかった。

 だって、さっきのお姉ちゃんは龍のようだった。

 人の身に龍の力を宿した、いうなれば人龍じんりゅう

 荒れ狂う暴力の権化ごんげは、あのカーボノイド零号ゼロごうさえも一蹴いっしゅうしたのである。それも全て、僕を守るためだ。


「今から昔、んと……百年は経ってないかなぁ? 前の戦争の時だって、ママは言ってたから。まだ昭和だった時代、パパとママは大陸で出会ったの」

「待って、父さん……何歳なのさ」

「んー、なんか『歳を取るという概念は凡人のもので、天才には関係ないのだよ』って言ってたみたい。で、パパはママと戦ったあとで、勝ったけどママを殺さなかった」


 僕の父、超能力者で天才科学者な上に――

 実はドラゴンスレイヤーでした←NEW!!

 ほんともぉ、滅茶苦茶メチャクチャだよ。元号が令和になってしばらく経ってるし、あの悲惨な大戦も記憶が薄れ始めている。忘却されることはないけど、その傷跡が日常に顔を出すことがなくなった。

 そんな今から百年前……父さんは一匹の龍に出会った。


「ママはいつも言ってたよぉ? パパは人間なのに、ママより強かったの。精力も絶倫ぜつりんで、ママは天文学的な確率でしかありえない妊娠に成功したんだぁ」

「……うん、まあ、続きをお願い。僕、頭が痛くなってきたよ」

「あっ、大丈夫? 人によっては、龍の体液でいろんな副作用が出るから」


 もう、楓夜お姉ちゃんの爪が引き裂いたきずあとは、薄れていた。

 ようやく舐めるのをやめてくれたお姉ちゃんは、僕に馬乗りになったままで身を起こす。見下ろす眼差しはいつものぽややんとしたものだが、龍の眷属けんぞくとして話を続けてくれた。


「ママは卵を生んで、孵化ふかまでに何十年もかかった。わたしが生まれたすぐあとに、人間たちに殺されちゃったけど……ママはパパのことを教えてくれたし、頼れって」

「そう、なんだ」

「でも、日本に来てみたら驚いたよぉ。パパ、死んでるんだもん。でも……お姉ちゃんたちや麟ちゃんに会えた」


 そう言って楓夜お姉ちゃんは微笑ほほえむ。それはどこか、寂しげで、孤高を感じさせる笑みだった。姉は龍と人とのハーフで、途方も無い力を受け継いでいる。

 龍、それはあらゆる生物の頂点に君臨する存在。

 神に次ぐ力を持ち、ゆえに神々に世界の管理者を任された摂理せつりの代行者でもあるという。しかし、人間は文明を発達させ、龍の存在を忘れてしまった。空想と物語の中へと、恐るべき大自然の守護者たちを閉じ込めてしまったそうだ。

 楓夜ちゃんはだから、力を出すと半分龍の遺伝子が覚醒する。


「ん、そっか……でも、なんか。なんだか、格好いいよ」

「えぇ~? だってわたし、あんなだよぉ?」

「僕を助けてくれた。まあ、ちょっと暴走気味だったけど。でも、そんなにまでして、僕を救おうとしてくれたんだ」

「そっ、そそ、それは当然だよぉ! お姉ちゃんはお姉ちゃんなんだから! ……あと、パパが受けであのシュウとかいうのが攻めとか、ありえない。鬼畜攻きちくぜめでも許せないもん」


 楓夜お姉ちゃんは時々、訳のわからないことを言う。

 そして、訳のわからない行動も日常茶飯事にちじょうさはんじだ。

 今もほら、説明が終わったところでハァハァと息を荒げてる。


ぜん食わぬはナントヤラ、だよねぇ……麟ちゃん、わたしもぉ、もぉ!」

「ちょっと待って、姉と弟だから! 半分しか血は繋がってないけど、家族だから!」

「家族のカタチって、色々あると思うのぉ。丈夫な卵をバンッバン! 産んであげるねぇ」

「い、いや、そういう家族計画はちょっと」


 僕はこの時、常人を遥かに超越した脳をフル回転させていた。具体的には、あらゆる思考を停止させ、念仏のように『姉と弟』と頭の中で唱え続けている。

 だが、超人的な肉体と頭脳に反比例して、僕の精神性は中学二年生の男の子だった。

 頭上から声が降ってこなければ、正直危なかったと思う。


「ニャハハ、お楽しみだったかにゃー? 迎えに来たよーん! ってか、学校でなにあったのさ。特撮のセットみたいになってたじぇ!」


 二人同時に空を仰げば、そこには姉が浮かんでいた。

 またも授業を抜け出て、飛んできてくれたのは華凛カリン姉さんだった。

 そう、ロボの姉、天下無敵のスーパーロボットガールである。

 咄嗟とっさに楓夜お姉ちゃんは、僕から降りるや飛び退く。

 着陸した華凛姉さんは、手に持ったかばんを突き出し笑った。


「素っ裸になると察したアタシちゃん、早速家から服を取ってきたぞい!」

「あ、ありがとぉ? えっと……見た?」

「んー、バッチシ! 抜け駆けは駄目じゃん? りんりーは弟だから、みんなで姉として愛さなきゃ」


 そう言いつつ、ニパッと華凛姉さんは笑う。


「あとさー、アタシちゃんはお前の姉でもあるんだぜ! さあ、胸に飛び込んでくるのですよ、カモォーン! ……大変だったね、楓夜っち」

「も、もぉ……そういう、歳じゃ、ないもん」

「りんりーのこと、ちゃんと守ったね。偉い偉い」


 華凛姉さんは笑顔で、楓夜お姉ちゃんを抱き締めた。そして、手招きで僕を呼ぶ。

 おずおずと僕も、お姉ちゃんに並んで姉さんに抱き着いた。

 ちょっとジェット燃料の臭いがして、華凛姉さんの身体は太陽みたいにホカホカしてるのだった。

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