第16話「謎の転校生、リンジィ」

 この日も僕は、日課の家事をこなした。

 そして、掃除と洗濯を終えて一服していた時の出来事だ。

 突発的な、今日だけの大事な仕事ができてしまった。

 しかも、緊急性を要する案件ときてる。

 時計はその時、昼の11時になろうかという頃合いだった。

 そんな訳で、僕は炎天下えんてんかの下を歩いている。


「ねえねえ、麟児リンジクン。その、ボクちょっと……理解できないっていうか」


 勿論もちろん季央キオねえも一緒だ。

 シュウから僕を守ると言って、同行してくれてる。護衛を買って出てくれたのは嬉しいけど、ちょっとやっぱり季央ねえは目立つ。

 眉目秀麗びもくしゅうれい可憐かれんにして流麗りゅうれいなる美貌びぼう

 しかも露出度が高い。

 日本人離れしたスタイルに長い金髪、そして紫陽花色バイオレットひとみ

 でも、誰もが振り返るその美しさは、今の僕にとってはカモフラージュにもってこいだ。


「麟児クン、そういう趣味なの? ねね、キミってば千奈チナと同じタイプの子?」

「季央ねえ、これには深い訳があるんだ。そもそも、季央ねえがすぐ気付いてくれたら、全力で走って楓夜フウヤお姉ちゃんに追いつけたんだけど」


 そう、今の僕が全力全開でダッシュしたら……恐らく全てのオリンピックレコードは過去のものになる。それくらい、人間離れした力が僕には宿っていた。

 けど、それは突然手に入れた力で、僕自身の望んだものじゃない。

 そして、力はただの力であるだけで、僕そのものでも、僕の一部でもないんだ。

 それをあの愁は、多分理解してくれてない。

 だからやっぱり、季央ねえの護衛は嬉しい。

 でも、誤解は解かないとね。


「季央ねえ、僕はその……この女っぽい顔つきも、せっぽちで小さな身体も、気に入ってる訳じゃないんだよ」

「……説得力がないよ? だってその格好」


 今の僕は、中学校の制服を着ている。

 同じ学校の三年生、楓夜お姉ちゃんに忘れ物のお弁当を届けるからだ。

 けど、訳あって僕はクラスメイトたちには会いたくない。

 顔を合わせたくないんだ。

 そんな訳で、自然と選択の余地は狭まる。


「違うよ」

「でもそれ、似合ってるよね?」

「それは人それぞれの主観によると思う」

「麟児クンの制服? それ」

「千奈の姉貴のおさがり」


 はっ、しまった。おさがりってことは、僕が正式に継承した僕の着衣って意味になっちゃうじゃないか。違う違う、これは一時の変装だ。

 そう、


「いいかな、季央ねえ。今の僕は……御暁家ごぎょうけ居候いそうろうする謎の美少女、リンジィだ」

「……その設定、いる? ねえ、麟児クン……ボク、もう少し優しくするね、今後は。うんうん、責めないぞ? 責められるものか、弟クン」


 可愛そうなものを見る目はやめてほしいな。

 女っぽい自分が嫌いなのに、女装してでも姉の弁当を届ける。

 つまり、それくらいクラスのみんなに会いたくないんだ。

 正直、まだ思い出したくもない。

 けど、楓夜お姉ちゃんにお昼抜きは無理だと思う。育ち盛りの中学生に、お弁当がないなんて耐えられない。あと、作った身としては是非ぜひ食べてほしいのもある。

 そんなこんなで、校門が見えてきた。

 割と地域じゃ有名な、中高一貫校だ。


「まだ授業中かな。携帯を鳴らす訳にもいかな――」


 だが、遅かった。

 すぐに季央ねえは、ホットパンツのポケットからスマートフォンを取り出す。


「あ、もしもし? 楓夜? キミね、お弁当忘れてるよ」


 ドイツ人、合理的過ぎ!

 でも、空気は読めない感じが実にジャーマンだよ!

 回線の向こう側から、楓夜お姉ちゃんの弱りきった声が漏れ出てきた。

 やれやれと僕は、季央ねえからスマートフォンを取り上げる。


「もしもし? ごめんね、楓夜お姉ちゃん。お弁当忘れてるから、届けに来たんだ」

『ふぇぇ、季央ちゃんなんで……授業中だよぉぉぉぉ! なにもう、そゆキャラなの?』

「僕もまさか、いきなり電話すると思わなくてさ」

『だよね、こっち授業中だしぃ。電突でんとつびっくり……あ、先生が今! 今、わたしのスマホを! ちょ、ま……と、とにかく、あとでねっ! それと、ありがとぉ、麟ちゃあああああん!』


 最後はまるで、殺されるかのような悲鳴の絶叫だった。

 相変わらず元気な姉だなあと、僕はとりあえずマイペースを貫く。

 そう、平常心を自分に言い聞かせる。

 大丈夫だ、この間のあれは……クラスのみんなを責める訳にはいかない。多分、普通の反応なのだから。むしろ、おかしいのは僕だったんだ。

 スマートフォンを返すと、季央ねえは興味津々で校門から校内を覗き込む。


「ふふん、これが日本の学校かあ。ねね、麟児クン。少し探検しようよ」

「だーめ、お弁当を渡してすぐ帰るよ」

「えー、ちょっとぐらいいいじゃないか。ボクさ、決めたんだ」


 くびれた腰に手を当て、季央ねえは颯爽と振り返る。


「ボクの記憶は一部、欠落している。過去ももやがかかったように不鮮明さ。だから」

「だから?」

「これからのことを思い出にして、それを増やして大切にする。そのためにも今、自分の気持ちに素直になるのだよ!」


 謎の力強さがあって、不思議と僕も笑みがこぼれた。

 よかった、あんなことがあったけど吹っ切れたみたいだ。父さんの墓前ぼぜんにも顔を出せたし、これからは家族、姉と弟なんだ。

 だから、復活の笑顔に僕はかなわない。


「ちょっとだけだよ? 季央ねえ」

「うんうん、そうこなくっちゃね! じゃあ、いこいこっ!」


 僕の手を取り、季央ねえは大きく一歩を踏み出す。

 その格好は、ヒップラインの浮き出たきわどいホットパンツ、そしてランニングシャツにベースボールキャップだ。輝く金髪も相まって、ドイツっていうよりアメリカン? ダイナマイトなヤンキーガールって感じ。

 で、その刺激的な格好のまま僕をぐいぐい引っ張ってゆく。

 僕はウィッグをツインテールに結って、上から下まで女子の制服だ。

 まあ、ばれないだろう。

 ばれないと思った。

 なんで僕……ばれないなんて妙な自信を持っちゃったんだろう。


「あれ……御暁君?」


 不意に、聞き覚えのある声に呼び止められた。

 それで僕は、まるで凍りついたように凝固してしまう。

 恐る恐る振り返ると……そこには、一人の女子生徒が立っていた。何故、この時間に外に……授業は? っていうか、見られた? 見たよね? ガン見されてるよね、僕!


「えっと……あ、あの」

「……ゴホン! 私、リンジィ! 謎の転校生! だから人違いよ、委員長さん」

「やっぱり、御暁麟児君だよね。ひ、久しぶり」


 咄嗟とっさに裏声を絞り出してみたけど、駄目だった。

 僕はがっくり肩を落としつつ、かなり自分が間抜けな存在になってしまってると気付く。そして季央ねえは、さっきの勝ち気で強気な笑みとは別の笑いを噛み殺している。

 必死に笑うのをこらえてくれてるのが、またまたなんともやるせない。

 僕は大きく溜息ためいきを吐き出し、女装のままで少女をやめた。


「久しぶり、委員長。えっと、確か……学級委員長の西尾香菜ニシオカナさん」

「う、うん」

「どうしてこんな時間に登校を?」

「ちょっと風邪気味で病院に……って、なんで? どうして御暁君が平然と質問してて、私が普通に答えてるのかしら」

「だね」


 気まずい。

 そう、僕はクラスのみんなには絶対に会いたくなかった。

 特に、委員長には。


「ひょっとして、さ。委員長、僕……馬鹿みたいじゃないかな?」

「ええ、とっても。なんだか、馬鹿みたいにスカートが似合うわ」

「だよね。……はぁ」


 委員長はいぶかしげに季央ねえをにらんで、それから改めて僕に向き直る。

 そして、開口一番に意外な言葉が零れた。


「この間は、その、ごめんなさいっ! ……助けてくれたん、だよね?」


 委員長は、真っ直ぐ僕を見詰めてくる。

 言葉に詰まって、僕はその生真面目きまじめな視線から目をそらした。


「ま、まあ、結果的には」

「でも、みんながあんなに……私も、酷いことした。御暁君、学校来なくなっちゃって」

「いや、いいんだ。当たり前の結果だもの」


 だが、委員長はグッと身を寄せてくる。


「わたし、何度かプリントを届けようとして、会ったら謝ろうって! でも」

「でも?」

「なんか、妹さん? フリフリのエプロンドレスを着た子しかいなくて」

「……姉です」

「嘘っ!? あと、高等部で有名な御暁先輩に口説かれそうになって」

「兄で――あ、いや、姉です」

「それとなんか、突然お庭の方からロケット? なにかが打ち上がって、バビューンって光になって飛んでって」

「…………姉、ですね」


 どうしよう、僕の平和な日常がピンチだ。

 でも、委員長はエヘヘと笑う。

 無駄にタフなメンタルと、物怖じしないおおらかさは彼女の美徳だ。

 そして、季央ねえはニヤニヤしながら僕と委員長の肩を抱き寄せる。


「その話、長くなりそう? とりあえず、立ち話もなんだと思うんだよね」


 丁度、四時間目の終了を告げるかねが打ち鳴らされた。

 昼休みを迎えた校内へと、渋々僕は女装のまま歩み出す。

 もうここからは、本当に謎の転校生リンジィで押し通そう、無茶を通せば道理は引っ込む筈……無駄とわかっても開き直って、僕はそう思い込むことにしたのだった。

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