第15話:混沌の玉座

「父上、本当に大丈夫でしょうか……。」


 聖銀の全身鎧を剥がされて、宝剣も失った息子が還ってきたのは昨日の夜だった。このできの悪い息子が辱められようがどうでもいいが、この栄えある名に泥を塗られたままでは寝覚めが悪い。だからこそ事を起こしたのだ。準備はとうにできている。


 がくがくと震える臆病な息子に吸血鬼ヴァンパイア、否、ジョナサン・トールボット男爵は大きく溜息を吐いた。所詮屍人ゾンビ等雑兵のたぐいでしかない。少しずつ、少しずつではあるが議会を支配下に起き、目障りな糞どもを、屍肉喰らい《グール》や吸血屍人ブラッドサッカーとして支配下に置いた。並大抵の冒険者では、手も足も出まい戦力だ。


 何を恐れる必要がある。この街の冒険者では組合代表ギルドマスターの一党を除けば最上位である冒険者ブランドンすらも支配下にある。臆病が悪いわけではないが度を過ぎた臆病風は、気高き吸血鬼にとっては腹立たしくもあった。自らの血を分けた息子がこのざまとは。


 もはや後顧の憂いは冒険者のみ、しかし、それももう無くなる。自らが血を吸い、屍肉喰らいに仕立て上げたあの大男をギルドに送り込んでやった。多大な被害になるだろうし、組合代表のあの大剣使いもただでは済むまい。もし生き残って乗り込んできたとしても、この戦力なら返り討ちにできる。


 しかし、そう言い聞かせてもこのできの悪い息子は臆病風を吹かせたままだ。やがり妾腹というのはいかん。しかし息子は息子である。安心させてやるのが親というものだろう。


「戯れだ、見よ。」


 配下共から巻き上げた金で手に入れた、遠見の鏡を持ってこさせる。所詮屍人ゾンビとは言うものの、術者の力量では執事や家令のマネごとも上手くやってのけるのはみていて面白いものだ。


 目の前にドスンと置かれた大鏡の鏡面が中央から水面に石を落としたように揺らめいて、玉座から、冒険者ギルドのホールに切り替わった。送り込んだ元大男の屍肉喰らいの視界だということは明らかだった。なにせその視界の持ち主は、長い腕と鋭い爪を振るい、雑多な武器防具で立ち向かう冒険者共の肉を食らっている。


 新たに立ち向かってきた冒険者の鋼の大盾をその鋭い爪で切り裂き、脇から飛んできた矢を掴んでへし折る。まだ新しい冒険者の一団がが出てきたが、見すぼらしい剣士と獣人かなにかの術士、大戦鎚の重戦士の装備は立派だが、速さにかなうまい。


「どうだ、息子よ。これでもまだ怯えるか。」


 そう言って息子の方を見た吸血鬼は、その顔面がより蒼白になるのに気がついた。そして爆発か何かのような音で視線を大鏡に戻すと、何ということか、強靭なはずの屍肉喰らいの腕が、まるで折られた枯れ枝のように無残に地面に転がっているではないか!


「何があった!」

「何だ今のは……。」


 見ていないうちに何があった。あの冷静な死霊術師までもが唖然とした目で見ていた。一撃で斃れていてもおかしくないあの剣士がひょいひょいと屍肉喰らいの攻撃を回避しながら、何の変哲もない鋼の剣で忌々しくもその肉を切り裂いている。折れた碧鈷鋼の剣を携えているが、あれで腕を切り落としたとでも言うのであろうか。


「ふん、その剣では何もできまい。いつまでもそう避けていることもできんだろうに。」


 事実、どれだけの技量があろうと、いつまでも避け続けることなどできない。どれだけの手練であろうが、百に一度は失敗するのだ。流石に堪えきれなく成ったのか、剣士は碧鈷鋼の獣戦士と立ち位置を入れ替えた。忌々しいことだが、懸命だろう。


「……そういえば、なぜ火の魔術を使わないんだ? 」


 誰にも効かれないようにぼそりと呟いたつもりだろうが、吸血鬼の鋭敏な聴覚からは逃れることはできない。愚かな息子だ、奴らが焼きたいのは屍肉喰らいであってギルドの建物ではない。鍛冶が起きればどれだけ燃え広がるかも予想がつかん。その程度のことくらい分かっているべきだろう。全く冒険者になって何を学んだというのだ。


「奴ら、自分のねぐらは焼きたくないのだろう。」


 死霊術師も聞こえていたのか、バカ息子の問に静かに答えた。息子は顔を赤くして俯いている。全く、その程度のことも思いつかぬから後継者争いに負けるのだ。さて、戦況はどうなっていることやら。


 吸血鬼はあれ程の手練が出てきた以上、この屍肉喰らいももう長くはないと見積もっていた。今重要なのは、どれほどの戦力が居るか、ということである。『属性調和』なんかが使える術士は厄介だ。なにせ武器に他の属性を宿らせてしまうことが出来るのだから。特に屍人は日を付けられてはたまったものではない。


 防戦一方の重戦士の背後で獣耳を揺らす術士が何やら唱え始めた。恐らく奴らの切り札であろう。


 それは見たこともない奇妙な光景だった。触媒を用いた魔術というのはよく聞くが、それが紙切れというのは初めて見るものだっや。大抵の場合、獣の牙や霊木の欠片や葉、変わったところでは酒なんかもあるが、あれは紙切れである。


「なにか知っているか?」


 吸血鬼は死霊術師に問いかける。死霊術師は、今までに見たこともない気色満面の笑みと怒髪天を衝くような怒りが入り混ざったような表情を浮かべて吸血鬼を見返した。


「お待ちくだされ! 」


 その気迫は吸血鬼を押し止めるに足りるものだった。やつは魔術を究めんと欲するために禁忌である死霊術に手を出したという。その彼がここまで執着の様相を見せるとは思いもしなかった。


 大鏡に視線を戻すと、そこには小さな青い火の玉から逃げようとする屍肉喰らいの視界が写っていた。蝋燭よりも頼りないそれが触れた途端。その視界は真っ青な炎に包まれ、そして瞬時に遠見の大鏡は、その視界を鏡面に戻してしまった。


「蒼くはあるが、炎ではないか。」

「違います! あれは死者のみを焼く幽世かくりよの火でございます。二百年前に失われたはずの秘術、なんとも手に入れたい……。」


 もう一度、もう一度見せろとただの鏡面に縋り付く死霊術師の変わりように、理性無き屍肉喰らいですらも唖然としているようだった。

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