第27話 悪魔は突然やってくる
「いいか秋次よ。明日は絶対にお前の家のカメラを忘れてくるんじゃないぞ。スマホの画質ではいろいろと足りんからな!」
「解った解った。そう何度も念を押さなくても大丈夫だって」
夏休み四日目。そろそろ七月も終わろうという昼下がりに、俺の唯一の友人である麗音がバイト先のカフェにやってきた。伝統文化研究部の夏休み活動の一つが明日行われるわけで、本来の部員である俺たち二人はミーティングをすることになったというわけ。
とは言っても、俺はバイトの片手間にやつの話を聞いているだけだ。マスターの定位置であるカウンター側にほど近い、小さな丸テーブルに腰掛けているイケメンは、ボールペン片手に雑誌を広げ、入念に観光スポットやお寺をどう回るかを考えているようだった。
とにかく外は暑い。マジで夏真っ盛りになってきたな、などと考えていると、入り口付近の窓から誰かがこちらに歩いてくるのが見えた。鮮やかなブルーカラーのシャツに、カーキ色をした膝上丈のスカートが美しくなびいている。だが、その美貌に見覚えがあると気づいてから、俺はちょっとばかり顔が青くなってしまう。嘘だろ。
その女は扉を開けると、さも常連のようにこちらへ近づいてきた。間違いなく知り合いというか、ついこの前もあった女で間違いない。そして、学園の悪魔と呼ばれるくらい良からぬ噂に満ち溢れた女。
「まあ、とても素敵なところだわ。どうしてボサッとしているの店員さん? 一名来店したわよ」
「ま、真栄城……お前、何でここに」
俺の言葉を聞いて、ずっと観光スポットの雑誌と睨めっこを続けていた麗音がハッと顔を上げ、ほぼ同時に立ち上がる。
「真栄城ではないか! まさかこの伝統文化部第二の拠点まで見つけ出していたというのか」
「いつから第二の拠点になったんだよここは」
「ふふふ! 別に。あまりにも暑くて堪らないから、ここで一休みしようと思っていただけなの。まさかお二人がいるなんてね」
「どうもお前の偶然は頻度が多い気がするんだが、まあいいや。何処でも適当にかけてくれ」
真栄城は黒いハンカチで軽く頬を拭いながら、いつもは海原が座っている窓際の席に腰を下ろした。眺めもいい上に他の席とは離れているから、大体みんなあの席に座りたがるのだ。しょうがなく俺が水とおしぼりを持って彼女のテーブルまでいくと、ボケーっとしていたマスターの声がした。
「おや! いつぞやのお嬢さんじゃないか。また来てくれたのかい」
珍しく真栄城はペコリと頭を下げた。マスターは何やら嬉しそうに俺達がいるテーブルまで歩いてくると、
「いやいやー。もう来ないのかと思っていたのだがね。良かったよ。天沢君がいる時で」
「い、いえ。マスター。その話はちょっと」
真栄城は何だか柄にもなく慌てている様子を見せたが、話を聞いているようで聞いてないマスターは止まらない。
「天沢君。彼女は君に会いたがっていたんだよ。ここでバイトをしているって聞いたんですけど、いつ来たら会えますか? って聞かれたからね。教えてあげたら、」
「ちょ、ちょっと待ってください! あたしは、」
「ちょっと待って欲しいのは俺だわ! 個人情報ですよマスター。っていうか、真栄城もどうしてそんなこと聞いたんだよ?」
バイト先までやってきて、俺を生徒会に引き入れるつもりだったか。執念深いとは聞いていたが、ここまでとなるともはやホラーである。彼女は一瞬だけ外の景色に顔を向けたが、やがてコホンと小さな咳払いをする。
「これは監視の為です。以前深夜に学校付近を出歩いていたあなたが、何かしていないかを抜き打ちチェックする為よ」
「あれ? そうだったの。てっきり天沢君に会いたくて堪ら、」
「マスター! あっちに行ってください!」
「は、はい」
悪魔生徒会長の特技とも言える一喝が炸裂し、驚いたマスターはすごすごと退散した。一緒に俺も退散したいところだけど、まだ注文を聞いていないわけで。
「全く。どうして俺って信用がないのかね。めっちゃ健全じゃん。さて、ご注文は?」
「ふん! あなたが健全かはあたしが判断することだわ。アイスコーヒーを頂戴。あたしはコーヒーにはうるさいのよ。ちゃんとこの舌を満足させなさいよ」
「まあ、マスターのコーヒーは格別だからな。お前も驚くだろうよ」
作るのは俺じゃない。このくらい強気に出ても後々困ることはないだろうと、カウンターに退散した俺はまたしても隙を持て余した。一通り話はまとまっていたから、麗音のやつもここにいる必要はなくなったとばかりに立ち上がり、
「じゃあな! 今日は早く寝ておくのだぞ。何しろ明日は早い。あ、そうだ。真栄城、お前は別に来なくても構わんぞ」
「はあ? 麗音君、あなたなんて勿体ないことをほざくのかしら! あたしのいない世界なんて、水がなくなった地球のようなものよ」
「余りにもスケールが大きすぎる例えだな。ふん! では失礼する」
「じゃーなー!」
俺は去っていくイケメンに手を振り、マスターは台所の奥に引っ込んで作業を続けている。真栄城と二人っきりみたいになっちまった。奴はいつの間にかボールペンと手帳をテーブルに出して何か書いている様子だ。
「あー……天沢君。ちょっとこっち来なさいよ」
「え? 追加の注文でもあるのか?」
「いいから来てよ」
強引なやつだと普段ならつっぱねるところだが、ここでは俺は店員であり真栄城は客だ。全くもって不本意ではあるものの、仕方なく近くまで足を運んでやった。
「あなたって、バイトに勉強に大変だと思うけれど、普段どんな風に息抜きをしているわけ?」
「ん? いや、まあ。ゲームしたり筋トレしたり、かな」
何でこんな質問をされるのか解らないが、それより気になるのは自分自身がいかに面白味のない人間であるかという再発見をしてしまったことだろう。
「ふぅーん。エッチなものを見たりするのが抜けてるんじゃない?」
「お、お前な! あれは違うんだって。本当はリスペクトしてるマッチョの画像を見ていたんだよ。俺もこんな風になってみてー! ってな」
「へええ……それはそれで意外というか。何か怖いものを感じるわ。あっ」
真栄城はテーブルの上でクルクル回していたシャープペンを床に落としてしまったらしい。そして申し訳なさそうな上目遣いでこちらを見つめてきた。
「ごめんなさい。ちょっと取ってくれないかしら?」
なんかアレだな。二人だけになってから急に声色が変わった気がするのだが。仕方なく俺はシャープペンを拾おうとしゃがみ込む。あった。お洒落なサンダルのすぐそこに落ちていたので、ちょっと距離的に戸惑ってしまう。彼女の白い脚が、けっこう近くにあるからだ。
「な、なあ。お前の脚の近くになるからさ。ちょっと自分で取ったほうがいいんじゃ」
「お願い。あたしどうしても、あなたに取ってほしいのよ」
何でそうなるんだよと思いつつも、俺は少し右腕を伸ばしてシャープペンを取ろうとした。肩まで入れないと届かない。ギリギリで届くかと思った時、思わず息を飲む瞬間が訪れる。こっちがテーブルの下にいるってのを解ってるはずなのに、真栄城は足を組みやがったのだ。スカートの中にあった水色の爽やかかつエロやかな下着が網膜に焼きつき、俺は呆然としたままシャープペンをようやく掴んで立ち上がった。
「……見た?」
真栄城はシャープペンを受け取りつつも、小さく囁くように聞いてきた。
「いや、何も」
「嘘。顔が真っ赤になってるわよ。エッチなものを見た顔だわ」
俺はあまりの突拍子もない行動に棒立ち状態。
「ぜ、絶対わざとだろ。何で見せてきたんだよ」
「あら? それじゃあたしがまるで痴女みたいじゃない? スカートの中を覗くなんてひどいわ」
急に泣き出す真似まで始めやがった。魔性の女感が半端ない。しかし顔は赤くなっているから不思議なものだ。
「ば、バカやろ! 誰も覗いてなんかいねーよ!」
「じゃあ天沢君。あたしのお願い聞いてくれる?」
「嫌だ」
「どうしてそこは即答なのよ! まだ何も言ってないのに。コホン。あなたとあたしって、結構お話しする仲になってきたと思うのよね。いつまでも名字で呼び合うの変な気がするわ。だから、今日からお互い名前で呼び合いましょうよ」
「別に変じゃなくね?」
「いいから。守ってくれないと、あなたのことをのぞき魔判定するわよ」
「おいおい! 見せてきたのはそっちだろ」
「さあ、何のお話かしら。いーい? これからはあたしのこと、夏希って呼ぶのよ」
面倒な要求しやがって。女子を名前で呼ぶなんて、人生でほぼないというのに。下着を見てしまったことに後悔したが、なんだかんだ真栄城と話をしつつバイトの時間は過ぎていくのだった。
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