第15話 天使はけっこうドジである

 海原からお弁当をもらった次の日、今日も俺は部活をする為に三階の図書室に足を踏み入れた。


 とは言え、今日はあまり読書をする気分にはなれず、何となくボーッとしてる。何気なく外が気になり、窓を開いてグラウンドを眺めてみると、やる気のなさそうな野球部とサッカー部が、ダラダラと練習をしているシーンが延々と続いていた。海原の言うとおり、もうちょっとやる気を出したほうがいいんじゃないか。


 そんな他人事に浸っていると、何かが猛烈な勢いで廊下を駆けてくる音がした。一体何事だろうかと振り向くと唐突に扉が開き、


「秋次ぅ! 秋次はいるかぁっ!?」


 かなり久しぶりに見た。学校内で唯一の友達と言える男、麗音だ。


「おお、何だよ。話していたよりずっと休みがなが、」


「うおおおお! 我が友よー!」


 突然猛烈なダッシュと共に俺にラリアットを喰らわせようと右腕を首目掛けてあげてきた。窓際でこんなもん喰らったら落下しちゃうだろ!


「やめろコラ! 殺す気か!」


 俺は思い切り奴を両手で奴を突き飛ばした。吹っ飛ばされながらも、なぜか長身のイケメン野郎は嬉しそうだ。


「はっはっは! やっぱり変わっていないな。我は嬉しいぞ」


「変わってないに決まってんだろ。あれから二週間も経ってないんだぞ。どうだったんだ、旅行は?」


「うむ。それについては何も面白くはなかった。さて、雑談の前に話さなくてはいけないことがある」


 そんなこと言って、幼馴染の彼女とエンジョイしてたんだろう。奴はすぐに自分の定位置である長テーブルの真ん中に陣取り、腕を組みながら真顔に戻った。


「実はな。最近部活動の規定が変わったのだ。我は全く知らなかったのだが、先日生徒会が決めたらしく、さっき話を聞いた」


「規定? どんなふうに変わったんだよ」


「うむ。具体的に言えば、部活動を存続させる基準が変わった。今までは幽霊部員でも二、三人いれば問題なかったが、これからは違うらしい。生徒会の連中が抜き打ちで見回りをして、ちゃんと部活動を行っている者が三名はいなくては、部活動として認めないと言うのだ」


 気がつけば俺は麗音の話に聞き入っていた。


「え!? な、何だよそのワケ解んねえ規定は。じゃあ俺達はどうなるんだよ」


「このままなら廃部になってしまうな」


 バットか何かで後頭部を殴られたようなショックが走る。マジかよー。唯一の憩いの場だったのに。


「それと、活動目的がはっきりしない部活動についても、廃部の対象になるらしい」


「俺たちじゃん」


「うむ! 間違いない! まさに討伐対象だ」


「嬉しくねえ……狩られるのを待つだけかよ」


「だが案ずるな。活動内容については我が考える。お前は部員を集めるほうを頼む」


 キラリとした流し目をこちらに向けてくるが、それは正直無茶振りもいいとこだ。


「いやいや! 待ってくれよ。俺のコミュ力のなさは知ってるだろ。いくら何でも勧誘なんて無理だ」


「大丈夫だ。お前ならやれる。我のほうが無理だぞ」


「そんなことないって! お前のルックスなら女子を釣れるって」


「無理だな。我はそんな真似などできん。というわけで、頼んだぞ」


「どういうワケだよ。やらねえぞ! 俺は絶対に勧誘なんてやらねえからな!」



 困ったことになったと思いながら、部活上がりに下駄箱で一人ため息をつく。麗音は計画作りとやらに張り切っていて、今も部室に残っている。結局勧誘係を任されてしまった。


 我ながら意志の弱さに驚いてしまうが、こうなってしまったらやるしかないっぽい。しかしどうしたらいいのだろうか。夕暮れ時の校庭でも眺めながら考えてみるか。もう運動部の連中もいなくなっているだろうし。


 そう思いながら校庭に寄り道をしてみた俺は、遠くに一人だけ残っている人がいることに気がついた。後ろ姿だけで誰かは一目瞭然。たった一人で細い体を揺らしながら、一生懸命に野球のボール入れを運んでいたのは、ジャージ姿の海原春華だった。


「ファイット。ファイット」


 自分に喝を入れているのか、何か口ずさみながらちょっとずつ歩みを進める。両手に重いケースを持っていて、視線が少しばかり下になっているからか、俺にはまだ気づいてない。大変そうだから手伝おうかな、とか思ってると、


「きゃあっ!?」


「あ! お、おい!?」


 俺まで思わず声が出てしまった。アスファルトの上で学園の天使は、それは見事にすっ転んだのだ。アニメでもなかなか見られないような、見事過ぎるダウンシーン。おかげで野球のボールは弾けるように周囲に散開していく。


 今、マジで何にもないところで転んだなと俺は気がつく。そう言えば階段で転びそうになった時も、百人いたら百人は普通に上りきるところを、海原は見事につまずいていた。実は学園の天使は、けっこうなドジなのかもしれない。


「大丈夫かー? 海原」


「イタタタ……ふぇ!?」


 仰向けで倒れていた海原は、ハッとした表情で目を見開いている。瞳には涙が滲んでいた。そしてすぐに飛び起きる。


「あ、天沢君!? どうしてここに?」


「いや、ちょっと暇つぶしで。それよりさ、何で一人で運んでたんだ?」


「あはは。今日のうちに片付けとこって思って。みんなは朝練もあるからいいよって言ってたけどね。なんかだらしない感じがいやだったの」


「ふーん。ずいぶんと散らかっちまったな」


 俺はとりあえず散らばったボール達を拾い、一個ずつケースの中に投げ入れていく。海原はちょっと慌てたように駆け寄り、


「い、いいよー。私がやっちゃったんだし」


「何でも一人でやろうとするなって。俺にできることがあれば手伝う。いつも世話になってるからな」


 何たって勉強の面倒も見てもらったし、お弁当も作ってもらったりしてるし。このくらいじゃ全然お礼にはなってないんだけど。それでも学園の天使は、夕日より眩しい微笑を浮かべた。


「ありがと! 天沢君って、やっぱり優しいね」


「このくらい誰でも手伝うって。そっち拾ってくれよ」


 結構な玉の数だったから、意外と全部集めるのは時間が掛かる。でも海原は、何だか妙に楽しそうに見える。野球が好きみたいだから、こういう地味な作業も好きなんだろうか。海原はボールをひょいひょいケースに投げ入れながら、


「ねーえ天沢君。夏休みの予定とかは、もう決まってるの?」


「ん? いやー、全然決まってないな。お前は秒刻みのスケジュールか?」


「そんなスケジュールだったら死んじゃうよっ。埋まってる日もけっこうあるけど、空いてる日もあるよ!」


「そうかそうか」


「もう一回いうけど、空いてる日もあるよ!」


「な、なんか怒ってるか?」


「別にー。あ、ねえ! やっぱり天沢君も野球やってみない? 面白いよ!」


「やだよ。絶対体育会系はやらない」


「ええー。どうしてもダメなの」


 また勧誘か。以前も断ったと思うんだけど。俺はちょっぴり呆れつつ、最後のボールをケースに入れる。ボールで山のようになったケースを海原はもう一度、力一杯持ち上げようとするが、


「ふうううんっ」


「あ、上がってねええ……」


 やっぱり女の子の腕力じゃ厳しいものがある。それでも必死に頑張る姿に不覚にも心を打たれてしまったのか、俺はとりあえず側に寄り、


「これ倉庫までだろ? 俺が運ぶよ」


「え! 悪いよー。ここは力自慢の私が」


「全然非力にしか見えないぞ。あれ? 意外と軽いじゃん」


「え!?」


 思っていたより簡単にケースは持ち上がり、俺は普段と変わらない足取りで倉庫まで歩き始める。すぐに隣を歩き始めた非力な天使は、何だか呆然とした顔のままこっちを見上げていた。


「すごーい! 天沢君ってやっぱり力持ちだね! 絶対スポーツしたほうがいいのに」


「そうかー? このくらい普通だけどな」


「そんなことないよ。それに、私……天沢君だったら応援したいって思う」


「ん? 俺なんか応援しても詰まんないぞ」


 海原はブンブン首を横に振ってから、いつものニコニコ顔になる。


「ううん! きっと天沢君は、凄いものを持ってるよ。私が保証してあげる」


 真っ直ぐな瞳にドキドキして、俺はまた目を逸らした。海原は人を過大評価する天才なのか、良いところを見つける天才なのかどちらかだろう。


 倉庫にボールを置いた後も、なぜか俺は彼女から部活の勧誘を受け続けるのだった。

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