第7話 天使と電車で帰っています

 中学校まではほとんど女子と接点を持つこともなく、ぼっちの代表格とも言える暮らしをしていた俺にとって、この状況はまるで非現実的だった。


 クラスはおろか、学園でも一番とまで言われる美少女、海原春華と一緒に電車で帰っているのである。ウチの地区は電車が一時間に一本程度しか走っていないのだが、車両の中はガラガラで、ほとんど俺と彼女が貸し切っている状況だ。


「ねえねえ天沢君。どうしてそんなに私から距離を取ってるの?」


 ロングシートの角席に座っている海原が、不思議そうに顔を傾けながら、一応隣に座っている俺に声をかける。


「いや……普通、こんな感じかなって」


「ううん。全然普通じゃないよそれ! 私が何かの細菌に侵されてるんじゃないかってくらい距離置いてるもの」


「だったら車両から出てるわ! いや、でもな。このくらいの距離感じゃないのか」


 はっきり言って自信がない。俺は人が二人分ほど座れるだけの距離を空けているのだが、これは果たして空けすぎているのだろうかと、半ば本気で悩んでしまっている。正直、こんなことで悩むとは思わなかった。人生経験なさ過ぎかもしれん。


「もっと来てよ。もっと」


 海原の催促が続き、俺は重い腰をあげ、少しだけ距離をつめて座った。うん、このくらい距離を詰めればバッチリだろう。


「……全然変わってなくない?」


「え? そんなことはないぞ。五センチは縮んでる」


「それ、距離詰めたって言わないよ! あはは、天沢君って面白いねっ」


 こんな挙動不審で変な姿を見せてしまったら、普通は引いてしまうものだと思うんだが、海原春華はそんな姿でさえプラスに受け取ってしまったようだ。


「もう。しょーがないなー」


 すくっと立ち上がる細い体を、思わずじっと見てしまう。一体何をするのかと警戒したが、彼女は二、三歩歩いてもう一度腰を下ろしただけだった。だが、一見すると大したことのない行為で、俺の心臓は急に飛び跳ねた。


「お、おい! ちょっと……近過ぎじゃないか!?」


「ううん……近く、ないよ」


 そう言いながら、彼女は前を向いて外の風景を眺めているようだった。でも、なんだかそわそわしている様子で、どうにも落ち着きが無くなっている。肩が触れるか触れないかの距離で、俺達は少しの間、ただ前だけを見ていた。まるで何の指令も受けていないロボットのように。


「こうして見ると、やっぱり都会っていうより、田舎町って感じがするね」


 街と街の間は山や田んぼが普通にあったりする。そんな景色を眺めつつ海原は言った。茶色い髪が窓から差し込む光に照らされて、まるで映画のワンシーンみたいに神々しい雰囲気を感じた。


「まあな。東京まで新幹線ですぐとは言うけど、やっぱ田舎だよな」


「うん、そうだよね。天沢君は、もしかして東京の大学に行くつもりなの?」


「ん? 大学? ああ……考えてもいねえや」


「ダメだよー。ちゃんと将来のことも考えておかなくちゃ。三年間なんてすぐなんだよ」


「俺にとっては滅茶苦茶長いと思う。先のことなんて全然考えてない」


「えー。天沢君って、実はすっごい度胸があるの? 普通不安だから考えちゃうのに」


「そうなのか? 全く考えたこともないが」


「勇者だね! きっと世界を救えるよ」


「こんな勇者がいるかよ」


「じゃあ魔王だね! きっと世界を滅ぼすよっ」


「なんかデジャブを感じるやりとりだな! こんな魔王いねえよ」


「やっぱり勉強はちゃんとしなきゃダメだよ。目標をしっかり決めないと、後から大変だよ」


「急に真面目モードに戻ったな! そうだなー、確かになー」


 親みたいなことを喋り出すものだから、つい話を終わらせたくなる。親父やおふくろならこれで話を強制終了させられるのだが、隣に座っている天使はまだ気にしているらしく、じっとこっちの顔を見上げてくる。


「ねえ、テストとか大丈夫なの? もうすぐ期末テストあるけど」


 ギク……今一番の懸案事項に触れてきやがった。俺がちょっとばかり眉をしかめた些細な動きも、海原は見逃さない。


「むうう! 大苦戦は必死と見ました! これは予想というより予言です」


「はい。ほとんど敗北が確定してますよ。何せ中間テストは全教科赤点すれすれだったからな」


 海原の宝石でも入ってるような瞳がいっそう丸くなり、両手を頬に当てて痴漢に出会ったみたいな表情になった。何だよ、そのオーバーな反応は。


「ええええっ! やばいじゃん。それは何とかしなくちゃだよ。でも赤点はなかったんだ。天沢君ってギリギリに強いんだね。尊敬しちゃうかも!」


「そんなところを尊敬されても困るんだが」


 ゆっくりと電車に揺られながら、後はただくだらない話題に話が転がっていき、しばらくすると海原は眠ってしまった。彼女が降りる駅までは十分、俺が降りる駅まではあと十三分くらいだなと脳内で計測していた時、突然右肩に柔らかいものが触れた。


「え、ちょ」


 思わず声を出してしまう。彼女の頭が無意識にも、肩にもたれかかっている。さっきまで落ち着いていた気分が嘘のようにドキドキし出した。長い髪から伝わる甘い香りは、何でもない日常をしあわせに変えてしまうような魔力を持っている気がする。


 喋っている時間もあっという間だったが、彼女の最寄駅に辿り着くまでの時間もあっという間だった。


「ふぇ!? あ、ここどこ?」


 電車が乱暴に揺れた反動で、若干跳ねるように海原は起きる。


「もうすぐお前の最寄駅だ」


 俺は勤めて平静を装い、単切に答える。人生初の経験だらけの今日が過ぎてしまうのを、なんだか惜しい気持ちになりながら。


「ホントだ。じゃあ天沢君、またね!」


「お、おう」


 海原は立ち上がると、振り向きざまに天真爛漫のお手本とも言える可憐な笑顔を振りまきながら手を振り、開かれた扉から降りて行く。きっとこれが青春ドラマだったら、生粋のワンシーンになることだろう。見惚れない男はきっといない、かくいう俺でさえそうなのだから。


 海原と別れてからは、ようやくいつも通りの日常に戻った。なんだか安心した反面、少しだが妙な気分にもなった。


 だけど、さっき電車で話した会話によって、俺の人生はもっと急加速しながら様変わりしていくことに、この時はまだ気づいていなかった。

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