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妹:距離感

 バタン、と強めに閉まったドアに、またしつこく絡みすぎたかなと反省する。

 ぽんぽんと軽く頭を叩いてくれたから、慰めてくれたんだと思ったのに。

 別にお姫様抱っこされたかった訳じゃない。

 例え荷物感覚で運ばれたんだとしても、下着ブラも着けてない身体が密着したのがちょっと恥ずかしかったから、お姫様抱っこの方が良かったんじゃないかなって……

 そういうとこ、鈍感っていうか、相手にされてないっていうか……いや。うん。確かに台所狭いし、そんなスペースないんだから、いいんだけどね。


 トレーナーとジーンズを引っ張り出して、ベッドに腰掛けながら着替える。

 一応、熱も測ってみたけど、三十八度六分。

 ジェルシートを額に貼って居間に戻ると、お兄ちゃんは茶碗を洗っていた。

 洗濯機が回る音もしてるから、高山さんの服も洗ってくれてるのかもしれない。


「もう少しだから、ソファで待ってろ」


 お兄ちゃんはこちらに目を向けもしないけど、頷いてソファに横になる。

 何気なくスマホをチェックして、昨日の夜から何度かお兄ちゃんからのトークが入っていることに気付いた。いつのまにか通知を消してしまっていたらしい。

 ああ、それで。高山さんがお兄ちゃんの服を着て、あーん、なんてやってるの見たら、怒りたくもなるよね。


 ――体調はどうですか

 ――寝てたら、悪い

 ――朋生?


 短い言葉に心配が募っていくのが分かる。

 それで、早く帰ってきたんだろうか。

 画面に指を這わせていると、背もたれの向こうからお兄ちゃんが覗き込んだ。


「あと着替えだけ、させてくれ」

「うん。ごめんね。昨夜ゆうべ、通知切っちゃってたみたい」

「……ああ」

「高山さんが来てたからじゃないよ」


 お兄ちゃんはちょっと眉をしかめて、そうか、と視線を逸らした。

 そのまま自分の部屋に向かっていく。


「お兄。心配してくれて、ありがとう」


 お兄ちゃんは自室のドアに手をかけたまま、少しの間動きを止めて、小さく「ああ」って答えた。

 二人で暮らし始めてから、高熱を出すなんて初めてだから、お兄ちゃんもなんとなく落ち着かないんだろう。

 お互い、体調管理はしてきたつもりだったし……

 着替えてきたお兄ちゃんに促されて(もう運んではくれなかった)、車に乗り込んだ。


「ごめんね。お兄も休みたいのに」

「余計なことを気にしないでいい。早く治ってくれた方が面倒がない」

「うん。うつしたら、ごめん」


 ちっ、と舌打ちが聞こえた。


「うつったらお返しに面倒見てもらうから、いい」

「そっか。んふふ。任せて。今は尿瓶も簡単に手に入るんだよ。百均にもあるらしいし」

「……寝たきりになるつもりはないぞ」

「甘いよ。普段、熱出さない人、三十九度越えたら大変だよ? あたしも久々で……」


 車を発進させたお兄ちゃんは、深々と息を吐き出す。


「ともき。黙って寝てろ。体力使うな。よく喋る気になるな……」


 最後は完全に独り言だ。呆れ声に、シートを少し倒して目を瞑りつつ、言葉を返す。


「だって、寂しかったんだもん」

「子供か。高山、居たんだろ?」

「いたけど……迷惑かけた後で寝てるの起こすなんてできないし、高山さんに尿瓶の話はちょっと……」

「なんで尿瓶にこだわってんだ」

「だいじょうぶ。お兄はあたしが介護するから、安心してお爺さんになって下さい」

「俺が爺さんになる頃は、ともきも婆さんだ。話が飛んでるぞ。ほら、もう黙れ」

「ん……」


 何が言いたかったのか、自分でも分からなくなって、諦めて口を閉じる。

 きっと何でもいいんだ。お兄ちゃんの声を聴いていたかっただけ。

 とろとろと微睡まどろんでいるうちに、車は病院へと着いたようだった。



 * * *



 玄関前で降ろされて、先に受け付けを済ませる。

 急に冷え込んだりするからか、マスクをつけた患者が結構待っていた。これは待たされるかもしれないと、なるべく人の密度の少ない場所を選んで座る。

 ぼんやりしていると、車を停めて来たお兄ちゃんが隣に腰を下ろした。


「結構いるな」

「かかりそうだから、お兄どっかでヒマ潰しててもいいよ。風邪、もらいそう」

「うちにはお前がいるんだから、そう変わりないだろ。横になるか?」


 何人か、椅子に倒れ込むようにしている人がいるのを見て、お兄ちゃんは言う。


「大丈夫……たぶん」

「じゃあ、よしかかっ ※もいいから」


 お兄ちゃんは言うだけ言うと、上着のポケットから文庫本を取り出した。

 用意がいいなぁ。それとも、常に入ってるんだろうか。

 あたしは、遠慮せずにお兄ちゃんの肩を借りることにした。ちょっとだけ見上げると、もうお兄ちゃんの目は文字を追っている。

 今日のお兄ちゃんは距離が近い。どきどきいうのはきっと熱のせいだけど、この距離を許してくれるのなら、もう少し病人でいてもいいかもしれない。

 健全な妹じゃなくてごめんなさい。

 心の中で謝って、そっと、目を閉じた。




 待ちくたびれて、熱が上がってきたんじゃないかと思う頃、ようやく呼ばれて診察室に入る。

 念の為、インフルエンザの検査もしたけど、陰性だった。

 綿棒を突っ込まれた鼻の奥が痛いよ……

 解熱剤と、吐き気止めを処方してもらって、点滴していきなさいとベッドに誘導される。ここも、空きは他に無いようだった。それでもカーテンで仕切られてる分、待合室よりはいいんじゃないかと、お兄ちゃんを呼んでもらう。

 さすがにお喋りする気分でもなかったので、後を任せて眠ってしまった。


 点滴が終わる頃、お兄ちゃんに起こされてようやく帰宅。すっかりお昼も回ってしまっていて、コンビニとクリーニング店に寄ってから帰る。

 朝から何も食べてないお兄ちゃんに、何か食べさせるのと、高山さんのジャケットをクリーニングに出さなきゃいけなかったから。


「心配しなくても、腹が減れば何か食べる」


 なんて言ってるけど、お兄ちゃんがお腹空いたって言ってるのを聞いたことがない。

 備えあれば憂いなし、だ。

 点滴のお陰か身体は少し楽になったけど、あたしは車で待機する。

 フロントガラス越し、お兄ちゃんが何か抱えてレジに並んでいるのを確認して、あたしは「よし」とひとりごちた。



※よしかかる・・・方言。寄りかかる。

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