妹:青い青いカムイトー

 逃げた。

 珍しく行きたいって言うから、一緒に選ぼうと思ったのに!

 あんまりしつこくして、やっぱりやめたと言われるのも嫌だから、おとなしくひとりで選ぶけどさ!

 仕方なく部屋へ入ってパソコンを開く。調べものするなら大画面の方が見やすいからね。

 ランチビュッフェもいい、渋くお蕎麦もいい、なんて目移りしていたら、トークの入った音がした。確認すると高山さんだ。


 ――連休は忙しい? どこかでドライブでも行かない?


 忙しいどころか、何の予定も入ってないけど。ポップアップされた画面を見ながらしばし悩んでいると、新たにメッセージが入る。


 ――千早も誘うから、警戒しないで〜


 泣き顔のスタンプに思わず軽く吹き出した。警戒とまではいかないんだけどね。ロックを解除してトーク画面を開く。


 ――後半ならだいたい空いてます。予定決ったらまた連絡ください


 親指を立ててウィンクしてるパンダのスタンプを送ったら、敬礼しているお巡りさんの「了解です!」というスタンプが返ってきた。

 そういえば、高山さんって彼女いないのかな? 千早さんとは「今は」付き合ってないって言ってたけど……実は彼女いるのに、お兄ちゃんの妹ってだけで気にかけてくれてるなら、申し訳ないな。ダシに使われてるなら、それでいいんだけどね。今のお兄ちゃんには、高山さんくらい強引でめげない精神がないと、きっと駄目だろうから。

 スマホを置いて、検索画面に意識を戻す。まずは、温泉だ。



 * * *



 次の非番の日、小さなプラスチック製のカゴにお風呂セットを用意して、準備万端でお兄ちゃんの帰りを待っていた。どんなに遅くとも、十時くらいまでには帰って来られるはず。

 じりじりと立ったり座ったり、落ち着かない。

 車の音に窓から外を確認して、黒い車がゆっくり駐車場に入ってくるのを見ると、荷物を持って飛び出した。

 いつもの場所じゃなくてアパート寄りに停めて、エンジンをかけたまま、呆れた顔でお兄ちゃんが降りてくる。


「着替えくらいさせろ」

「わかってるよ。荷物積んで待ってるから、鍵かけてね!」


 軽い溜息をつきながら、片手を上げて家の中に入っていくお兄ちゃんの背中を見送る。

 荷物は後部座席に放り込んで、助手席に乗り込んだ。

 空の青と雲の白は半々くらい。日差しはだんだん強くなってきていて、日光に当たると車じゃ暑いかもしれない。厚手のパーカーを脱ごうか、迷うところだ。

 何年か前には、ゴールデンウィークに雪が降ったこともあるから、今年は暖かくていいなって素直に思う。

 そうだ、とナビに手を伸ばす。今のうちに設定しちゃおう。

 弟子屈でラーメン食べて、摩周湖回って川湯でひとっ風呂!


 完璧なプランにひとりほくそ笑んでいると、お兄ちゃんがゆっくりと歩いてきた。ジーンズにTシャツ、パーカー、さらにミリタリー風のナイロンジャケットを羽織って、いつもよりラフに纏めてる。早く、と急かしたい気持ちと、もうちょっと眺めていたい気持ちがぶつかり合った。

 お兄ちゃんは買物するとき、面倒だからと、店頭やネットのコーディネートそのまま買ったりするから、やけにセンスが良かったりする。黒い服が多いのも考えるのが面倒臭いって理由だけど、組み合わせは素材替えたりしてやってるから、やっぱり本人のセンスも高いのかもしれない。

 欲目、と言われればそれまでだけど。


「で、どこ行くって?」


 運転席でシートベルトを締めながら訊くお兄ちゃんは、すぐにナビに気が付いた。


「ナビに入れておいた!」


 うきうきとどや顔で告げたあたしに構わずに、操作して目的地の確認をしてる。


「……摩周寄る必要が?」

「いいじゃん! 通り道、通り道!」

「昼、食い終る時間次第だな。あの店、並ぶぞ?」

「う……明日休みだし……帰りが少し遅くなっても……」


 小さな溜息と共に軽く頷いて、お兄ちゃんは車を発進させた。


「……なんなら、運転代わるし」

「俺が意識を失くしたら、頼む」


 それって、どういう状況?!

 微妙に引っかかる言い方だけど、出来る妹は、無言で栄養ドリンクを差し出すのだった。




 人気のラーメン店は、お昼前だと言うのに、すでに何組か待ってる人がいた。それでも回転はよくて、思ったほど待たないでカウンターに案内される。注文を済ませて時間を確認したら、ほっと息が漏れた。お兄ちゃんが、頬杖をつきながらこちらを見たので「よゆーでしょ」って強がって、さらに呆れた視線を向けられた。

 魚介系スープが売りのラーメンでお腹が満たされると、気分も上がってくる。

 お兄ちゃんは眠くなっちゃうかな、とちょっと心配してみたけど、ミント系のガムを噛みながら黙ってハンドルを握っていた。ステレオから流れてくる、一昔前のロックなミュージックに合わせて、指がリズムを刻んでる。


 観光バスでいっぱいの第一展望台をスルーして、カーブの多い方にある第三展望台に向かう。本当は裏摩周が一番好きなんだけど、そっちに行くには道が違うからまた今度だ。

 さすがに連休とあって、こちらにもそこそこ人がいる。あちこちに溶けきってない雪の塊が残っていて、うっかりすると足を滑らせそうだった。

 外に出ると空気が冷やりとしてる。天気もいいけど、やっぱり山の上にはまだ冬が居座っているんだなぁ。


「ともき」


 展望台へ向けて歩き出したあたしの肩に、温かいものがかけられる。ふわりとお兄ちゃんの匂い。


「着てろ」

「大丈夫だよ。ちょっとの間だし。お兄が寒いでしょ」

「俺は、あまり感じない。見てる方が寒い」


 ウソかホントか分からないけど、お兄ちゃんはショートパンツが寒そうに見えると言う。レギンスも穿いてるんだけどね。ここで押し問答したってお兄ちゃんは譲らないから、ありがたく袖を通してしまう。


「じゃあ、さっと行って戻ってこよう」


 そう言って、足を速めたまでは良かったけど、すれ違う人に気を取られて足元がお留守になった。雪に足をとられてバランスを崩す。


「わわ」

「馬鹿」


 呆れ声と共に肘を支えられて、どうにか持ち直す。


「コケて人の上着泥だらけにするとか、やめてくれ」

「ま、まだコケてないもん……」


 お兄ちゃんは「時間の問題だな」って、あたしの肘を掴んだまま並んで歩き出した。何だかちょっと連行されてる気分になる。

 盛り下がりかけた時、目の前に青い湖が見えてきた。周囲の山々にはまだ雪がまだらに残り、青い空とその山の稜線を映す湖面は、青を溶け込ませてさらに深い青を湛えている。少し風があるから、完全に鏡面のようになってはいないけど、充分神秘的な“摩周ブルー”だった。


「“霧の摩周湖”なんていうけど、あたし来るとき割と晴れてるんだよね。学生の頃は、晴れた摩周湖見ると婚期が遅れる、とか言われてたけど……」

「ああ、出世できない、とかもあったな」


 なんとなく、顔を見合わせる。


「ただのジンクスだしね。これが見られるなら……まあ、いいかって気もするし」


 あたしがスマホを取り出すと、お兄ちゃんはようやく掴んでいた手を離してくれた。


「……いつまでも面倒は見ないぞ。出世できないなら、なおさら」

「えぇ? お金以外、面倒見られてる気がしないんだけど」

「一番大事だろ」

「……もう少し渡す?」


 食費はほぼあたしが出してるから、家賃は折半くらいで渡してるんだけど。


「いらないから、早めにどうにかしろ」

「どうにかって……お兄が結婚したっていいんだけど」

「無理だ」


 もう充分というように、くるりと踵を返して、お兄ちゃんは駐車場に戻り始める。

 無理なのかな。千早さんみたいな人なら、上手くやってくれそうな気がするけど。

 自分で思い付いた可能性に、少し靄のかかった気分を、あたしは青い湖に向けたスマホのシャッターを切って、上書きすることにした。

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