第13話 海からの呼び声
ネーレイド号は追い風を受けて滑るように帆走していた。
エンジンを持たない帆船故に甲板上で聞こえるのは、舳先が波を切る音と、索具の軋み、そして風の音だけだ。
船尾から彼方を望むと、青い海の彼方、緑豊かな陸地に小さな集落が見える。
昨夜遅くに出港した、ヤヌス村が遠ざかりつつあるのだった
「ヤヌス村があんなに小さく見える。私は本格的な航海に出るのは久し振りなんです」
隣に来たアンジェリーナが感慨深げに呟くので、貴史は尋ねた。
「アンジェリーナさんは何処で船の動かしかたを教わったのですか」
「船は子供の頃からオモチャの代りだったわ。遠洋航海に必要な航法技術は、交易に来た船の航海士に教わったのよ」
アンジェリーナは舷側に移動し、雪を抱いたジュラ山脈の偉容を眺めた。
標高三千メートルを超える山脈は東西に長く伸び、ウラヌス海に達すると千メートルを超える急峻な断崖となっている。
パロの都から北のヒマリアに旅をするには険しい山を越えるか、あるいはウラヌス海を船で航海するしかない。
アンジェリーナは、ウラヌス海航路を開拓しようとしてるのだ。
「シマダタカシ、船首に来てください。面白い生き物が見られますよ」
ネーレイド号の船首の方向からヤースミーンの声が聞こえたので、貴史は思わず振り返った。
「面白い生き物って何がいるのだろう?」
貴史がつぶやくとアンジェリーナが微笑を浮かべる。
「行ってみましょうよ」
アンジェリーナに誘われるままに貴史が舳先に行くと、ヤースミーンとタリーが手すりから身を乗り出すようにして海面を眺めていた。
そこではネーレイドと並走するように、二頭のイルカが交互にジャンプして泳いでいた。
「魚タイプの魔物を見るのは初めてです。なんという名前の魔物なのかしら」
ヤースミーンはイルカのことを魔物と疑わない様子で話す。
「ヤースミーンそれは魔物ではない。僕たちや犬とか猫と同じ哺乳類の動物なんだよ」
貴史は苦笑したが、北国の内陸部にあるヒマリヤ育ちのヤースミーンがイルカを知らないとしても無理はない。
中世的な世界では、生き物に関する正確な知識もないに違いない。
「私はイルカなら知っているよ。ショウガを効かせて煮つけにすると美味しいらしいな」
タリーは礼によって何でも食べてしまおうと考えているが、流石に貴史達が苦言を呈した。
「タリーさん、イルカは知能も高くて可愛らしい動物だから、食べようとしたらみんなから非難が集中しますよ」
「そうですよ。船と並んで泳いで愛嬌を振りまいているのに食べるなんて残酷です」
「いやちょっと言ってみただけで、本当に料理しようと思ったわけではないよ」
流石のタリーも空気を読んだらしく、イルカの食材化計画は断念した様子だ。
「航海の最初からイルカが挨拶に来るなんて幸先がいいわ。あの子たちが船と並んで泳いでいると幸運が訪れるような気がするの」
「私もそう思います。それにしても私は初めて海を見た時にこんなにたくさんの水があるのかとびっくりしました。海は大きいのですね」
ヤースミーンが見つめる水平線には真っ白な入道雲が立ち上がりコバルトブルーの海に映える。
白い雲と青い空を背景にイルカが跳ねる姿は、アンジェリーナの言葉ではないが幸先の良いものを感じさせる。
その時、船尾の方向から何か騒がしい声が響いた。
「何が起きたのだろう?」
タリーが怪訝な表情で後方を見ながらつぶいた時、船員の一人が船首部にいる貴史達の所に走ってきた。
「アンジェリーナさん大変です。乗客の一人が海に落ちました」
アンジェリーナは険しい表情に変わると立て続けに船員に指示した。
「帆を降ろして船足を落とせ。速度が落ちたらカッターを降ろして落ちた乗客の救出に向かうんだ。本船が回頭するには時間が掛かるから乗客救出には間に合わない」
「わかりました」
船員はきびきびと返事を返して慌ただしく指令を伝えに走る。
順風に広げていた帆は瞬く間にたたまれ、ネーレイド号は速度を落とし始めた。
それと同時に、舷側に積まれているカッターボートを降ろす準備を始める船員もいる。
貴史は船員たちの邪魔をしないように脇に避けながらヤースミーンとタリーに言った。
「誰が転落したのか気になるから船尾に行ってみましょう」
「そうですね。乗客と言えば、私たち以外にはリヒターさんとホルストさん、それにパロの町から来た来賓しかいませんから」
ヤースミーンが心配そうな表情で答え、貴史たちは船尾に向かった。
船尾には手すり越しに海を眺める一団の人々がおり、その顔ぶれはパロの都から来た来賓たちだとわかる。
貴史はパロの都からの訪問団のまとめ役となっているジョセフィーヌさんに尋ねた。
「誰が海に落ちたのですか?」
「大変なの、あなた達ドラゴンハンターの団長をされているリヒターさんが海に落ちたの。見失なわないように目で追っていたのだけどあっという間に遠ざかってしまって」
ジョセフィーヌの言葉を聞いて貴史達は驚いた。
「リヒターほどのやつが海に落ちるなんて考えられないことだ」
タリーが呟くと、パロの都から来たバイヤーの一人が一部始終を説明する。
「僕はその人と世間話をしながら一緒に海を見ていたのですが、突然波間に知り合いの姿が見えたと言って、手摺りを乗り越えて海に飛び込んだのです」
「こんな沖合いまで来て、人がいる訳もないのになんてことなの」
ヤースミーンが力なくつぶやき、貴史達は成すすべも無く後方の海原を見つめていたが、知らせを聞いたホルストが駆け付け、船尾の手すりをなぎ倒しそうな勢いでぶつかって止まる。
「団長、どうして海なんかに落ちてしまうんですか。団長がいなくなったら俺たちはどうしたららいいかわからなくて、只のろくでなしの集まりに逆戻りしてしまうかもしれないのに」
ホルストは涙を流さんばかりの様子で、洋上に取り残されたリヒターがいるはずの後方の海原を見つめていた。
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