第9話 海商王
「今回のクラーケンの騒動は全てが私たちの認識の甘さから始まっていたのね。私たちが初動を誤らなければクラーケンと共存しすることだってできたはずなのに」
アンジェリーナはクラーケンの卵が燐光を放つ水の底を見つめながらつぶやいた。
「それは仕方がありませんよ。この洞窟を見つけて大型船を建造中にクラーケンに襲われたのですからあわてて反撃してしまったのは無理もないです」
「どうでもいいから、この洞窟から早く外に出ようよ」
貴史としては、一刻も早くイカタイプの魔物の卵と巨大な親が潜んでいる洞窟から立ち去りたいのだった。
「シマダタカシ、背中に吸盤がひとつ張り付いたままだ。私がはずしてやろう」
貴史とタリーは、脱落したクラーケンの吸盤を調べて何やら盛り上がっているが、アンジェリーナは洞窟内に無傷で残っていた大型船を振り返った。
偽装もほとんど終わり、もう少し手を入れたら外洋航海に乗り出せると思えた。
「クラーケンが私たちの船を壊さなかったのもきっとミスリル神のご意思なのね。私はあの船を使って南にあるパロの港を結ぶ交易を始めるつもりよ。他にライバルすらいないのだから辺境の海の海商王になって見せるわ」
アンジェリーナは目を輝かせて大型船を見つめる。
その横でタリーは、貴史の背中に貼り付いていたクラーケンの吸盤は鮮度が悪く食用には適さないと気付き、興味を失いつつあった。
そんな時にアンジェリーナの海商王宣言が聞こえたので、タリーはクラーケンの吸盤を放り出して彼女に言った。
「私たちは暫くこの辺りに滞在してドラゴンハンティングする予定だ。最初のパロへの航海は私たちが捕らえたドラゴンを解体して一時加工したものを積み荷にしてはどうだね」
ヤースミーンはクラーケンの吸盤を離れた場所から眺めていたが、タリーの話に加わった。
「それはいい考えですね。私たちが捕らえたドラゴンは様々な加工品の原料として隊商たちが高値で買い取ってくれますが、隊商たちはパロのような大きな都市でさらに高く売り捌いています。アンジェリーナさんの船に積んでパロの港に運べたら普段よりも稼ぎが大きくなると思いますよ」
「本当!?私の村には売るほどの品物はないから、パロへの最初の航海は空荷で行くしかないかと思っていたからすごくうれしいわ」
アンジェリーナはタリーとヤースミーンの話を聞いて、嬉しそうな笑顔を浮かべた。
貴史のは話についていけないので、遠慮がちに尋ねる。
「パロの港っていったい何処にあるの?」
「この村の南にそびえるジュラ山脈を越え、イシュタルと呼ばれる砂漠の向こうにあるのです。陸路は隊商たちが苦労するルートなので、海岸に沿って船で航海すれば楽かもしれませんね」
ヤースミーンはのんびりとした口調で説明する。
貴史はギルガメッシュの酒場にドラゴンの買い付けに来ていた隊商たちが、それほど遠くから旅をしていたことを初めて知ったのだった。
「洞窟を出てみんなのところに戻りましょう」
アンジェリーナが皆を促し、貴史たちは洞窟をあとにして、ドラゴンハンティングチームの宿営地に戻った。
りヒターは貴史たちの帰還を目ざとく見つける。
「シマダタカシの旦那、何処に行っていたのですか。この周辺でドラゴンの痕跡を見つけたので、明日からの狩りの打ち合わせをしたいと思っていたんでやすよ」
貴史は自分の服に付いたクラーケンの匂いを気にしながら答える。
「実は、この村の人たちが最近見つけた洞窟に行っていたんだよ。そこはクラーケンの産卵場だったのだけど、こちらからクラーケンに危害を加えなければ、港として使えそうなんだ」
「洞窟で建造中だった大型船はほぼ無傷だったので、アンジェリーナさんたちはパロの港まで荷物を運ぶ商売を始めるそうですよ」
ヤースミーンも話に加わり、アンジェリーナの事業の話を伝える。
リヒターは驚いた様子で応えた
「そいつは面白い話でやすね。隊商たちとの付き合いもありやすから、捕獲したドラゴンの全ての量をお願いすることにはなりませんが、試しに使ってみやしょう」
「ありがとうございます。クラーケンの幼生も退治してもらったし、お世話になりっぱなしですね」
アンジェリーナに礼を言われて、リヒターは抜け目なく自分の要望を念押しする。
「いえいえ、これからあなたの村をドラゴンハンティングの拠点として使わせてもらうんでやすから、持ちつ持たれつってやつですよ」
アンジェリーナはリヒターの言葉を否定することもなく微笑んでいる。
そんなアンジェリーナにタリーが提案を投げかけた。
「あの洞窟ではクラーケンの卵が大量に孵化しつつあった。それはあなた達がこの海域で漁業をしていると必ず網に掛かってしまうレベルの数だ。クラーケンの幼生が捕獲されたときは、私に食材として提供してもらえないだろうか?」
それは出来ると思いますけど。
アンジェリーナはタリーの意図を図りかねて言葉を切った。
「タリーさん、クラーケンを使って何を作るつもりなのですか?」
貴史はアンジェリーナの代わりに、タリーを問い詰める。
「まさか、姿焼きにして売りに出すのではありませんよね?」
彼の志向を知る貴史とヤースミーンは嫌な予感を覚えながらタリーに尋ねる。
「君達の推理はいい線を行っている。私はクラーケンを一匹まるごと使ってスルメにして、パロの都とやらで売ろうかと思っているのだ」
空気を読まないタリーは、自分の好みの企画をそのまま二人に告げる。
「そんなもの誰も食べるものだと思いませんよ。売りに行くなら材料がなにか気づかれない形状にしてください」
ヤースミーンはすかさずタリーの野望を砕きに掛り、いつもは間に入って取りなそうとする貴史もヤースミーンに追従した。
「悪趣味もいい加減にしてください!」
タリーを擁護してイカに似たクラーケンの干物がそこかしこに転がる事態は避けたかったのだ。
タリーも流石に、歓迎されていないことを悟り、別の案を出すしかなかった。
「君達がそれほどまでに反対するなら仕方がない。クラーケンの加工品は手頃な大きさの切り身に味をつけたソフトタイプの薫製にしよう」
貴史の頭に思い浮かんだのは、薄くスライスした「イカくん」だった。
クラーケンを材料にして、食べごたえのあるサイズが出来たらそれなりに美味しいかもしれない。
「それだったら売れるかも知れませんね」
ヤースミーンは納得していない様子だが、貴史の賛同が得られたので、タリーは事業化を進める気になったようだ。
その横では、アンジェリーナとリヒターが、村から提供する宿の規模を検討しており、ドラゴンハンター達のキャンプ地の夜はなごやかに更けていた。
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