第6話 彼女は僕の

 

 周囲の人間がポカンとする。もちろん、僕らもだ。

 今、このバカは何て言った?


「ランスロッド。お主、何を言っとるんじゃ?」


「父上、かねてから父上が俺に婚約者として相応しい相手を探していたのはわかっている。だが、選ばれて近づいてくるのはどいつもこいつも化粧が濃ゆくて香水の匂いが強烈なブスばかり」


 ゆっくりとこちらえ兄が向かってくる。


「俺は気づいた。いずれは国王としてこの国に君臨する俺に相応しい女とは何なのか? それは俺と同じしたたかな女。それこそがこの国に、俺に必要なものだった」


「ヒビキ・ディーンハイム。貴様は俺を惚れさた。光栄に思え、今から俺が貴様の夫だ」


 キザったらしく身振り手振りを交えながら説明する兄。しかし、その瞳は僕の隣しか見ていない。

 エスメラーダ令嬢が涙目になっていたり、その父親である公爵が顔を真っ赤にして怒っていたり、国王臣下一同が顔を真っ青にしていることに気づいていない。


「伯爵家と爵位は低いが、文句がある奴は俺に言ってこい。俺は決めたのだ、この女を妻にすると」


 今度は父上が遠い目をして辞世の句を詠み始めた。いくらなんでも気が早いと思う。


「よかったな。これで貴様は国王補佐の妻ではなく、この国の女王になれるのだから。ディーンハイム家としてはこれ以上ない誉れだろう」


 僕の肩に手を置き、押し退ける。スルリとヒビキさんの肩に手を回す。


「祝え! 新しい俺と婚約者の将来を!!」


「ちょ、ふざけんなよテメェ」


「ふん。その反抗的な態度、嫌いではないぞ」


 パチパチと、この状況を飲み込めていない人たちが拍手をする。他の連中も雰囲気に流されてか拍手をする。

 公爵家と王家、腹心の大臣たちはパニックになっているのだが、この兄の妙な強気に流されかけている。


 さて、そんな混乱の中で僕は何をしているかというと

 、ただ突っ立っていた。


 だってそうだろ? 突然の出来事で驚いたし、今後の後始末のことを考えれば頭痛しかしないが、女遊びが派手な兄が自分から婚約者を指名したのだ。これで安泰になれば万々歳。


 元々から僕は人付き合いとか女性関係とかが苦手だったし、今回の婚約だって父上から勧められて嫌々だったじゃないか。最初は叩かれそうになったり叱られたり、学園じゃ不良たちに囲まれて無理矢理に昼食を食べたり。


 兄に何かを奪われるのだって初めてじゃない。いつもと変わらない。彼女がいなくなれば僕はまた元の一人で穏やかなひっそりとした暮らしに戻れる。もしかしたら今回の件で公爵令嬢との婚約が僕の方に回ってくる可能性だってある。年上お姉さんなんて僕の好みじゃないか。



「ハ、ハル!!」


 ただ見過ごせばいいだけだった。


「ふっ。そんな不能な愚弟よりこの俺を見ろ」


 いつも通りに諦めればよかった。


「ランスロッド。お主、いい加減に…」


 やれやれ、とため息をついてクールぶって達観したつもりで自分からは何もしなければよかった。


 だけど、しかし、そんなことは、




「ヒビキから手を離せよ。このクソ兄貴!」




 無理矢理ヒビキさんを抱き寄せていた兄をランスロッドを突き飛ばす。

 そして、彼女を庇うように前に立った。誰が? この僕がだ。


「なんのつもりだハルルート。そいつは俺のものだ」


「違う。彼女は………ヒビキは僕の婚約者だ!」


 額に青筋を浮かべるランスロッド。いつもの顔だ。愉悦に浸るか怒鳴り散らすか。いままでに何度も見慣れた表情だ。

 これに僕は何度も負けてきた。正面から喧嘩しても絶対に敵わない。だから途中からは諦めて逃げるようになった。

 でも、それでも、今は、彼女については、


「今ここで宣言する! 僕はヒビキ・ディーンハイムを将来の妻として娶る!!彼女が好きだ! 誰にもその邪魔をさせてたまるか!」


 啖呵をきった僕の声が城内の広間に響く。

 自分でも初めて出した大声だ。嘘偽りのない我儘だった。


「はぁ。貴様、誰にモノを言っているかわかっているのか? 俺はこの国の次期国王で、貴様の兄だ。お前の物は俺の物。この国の全ては俺の物だ!」


 体に染み付いた経験っていうのは恐ろしいものだ。初対面の時のヒビキさんよりも、学園であった不良たちよりも、この兄の方が強大だと思えてしまう。

 手足が震える。何かを言わなくてはとわかっているのに口からは息しか出ない。

 先程の啖呵で勇気の全てを振り絞ってしまったようだ。情けない。


 周囲は固唾を飲んで僕らを見ている。パパは何かを見定めるように立っていて、助け船を出してくれる気配もない。


「なーんだ。アタシの思い伝わってたじゃねーか」


 背後から声がした。

 そして、


「おい!さっきから黙って話を聞いてたらよぉ、何なんだテメーは」


 頼もしくて愛おしい、カッコいい彼女が兄と僕の間に立った。


「人を物扱いしやがって。アタシはテメーみたいな女の敵が大っ嫌いだ! テメーみたいなクズからの婚約なんてお断りだこの野郎!」


 令嬢としてあるまじき言葉遣い。

 王子に対する無礼な振る舞い。

 人に向けちゃいけない中指立て。


「き、貴様……たかが伯爵令嬢の分際でこの俺に恥をかかせるつもりか!」


「テメーみたいなのがいることがこの国の恥だよ」


「おのれ……おのれぇえええええ!!!!」


 逆上したランスロッドがヒビキさんに襲いかかる。

 今までに無いもの凄い怒りの形相で。


「あ、危ない!」


 急いでヒビキさんを抱き寄せようとする。


「はっ! 心配すんなハル!」


 ヒビキさんはヒールにもかかわらず、ステップを踏んで、スカートだなんて関係なしに体を回転させ、


「死ねやゴラァ!!」


 全力全開の回し蹴りをランスロッドに叩き込んだ。


「ぶべらっ⁉︎」














 あぁ、だから危ないって叫んだのに。








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