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「行くよー、樹!」



 前方を歩いていた睦月が嬉しそうに微笑み、こちらを振り返る。

 そのどこまでも嬉しそうで、無邪気な笑みを見ていると出会った頃の睦月を思い出す。あの頃の睦月は狂気の片鱗はあったものの、少し狂っていただけだった。普通の女子中学生という要素の方が前面に出ていた。


 向井光一に依存して、その思いを抑えきれないほどに高め、時折暴走していたけれどもその狂気を隠せていた。



 普通の少女としての一面の方が大きかった。そのころのように、普通に只喜んでいるように今の睦月は見えた。

 それでもその心が、どれだけ昔と異なっているのか俺は知っている。

 睦月はもう、あの頃の睦月では決してない。その心はとっくに狂気に染まっている。俺はそのことが嬉しくて、笑みを溢してしまう。



「ああ、行くか」



 俺と睦月が今いる場所は、サンティア帝国と隣国のマハラ王国との国境だ。自然のあふれる森の中を歩いている。こういう緑が茂る場所は、魔物も多い。一般的に言えば危険な場所だが、俺と睦月にとっては何の危険もない場所だ。


 昨日、俺は結局睦月の狂った笑い声を子守唄に眠りについた。

 いつまで睦月が起きてたかは謎だが、薄らと目の下に残る隈が一層睦月の不気味さを引き立てている気がした。



 この世界は地球とは違って、国境の境目なんて曖昧だ。

 パスポートなんてものは存在しないし、関所はあっても割と国家間を移動するのは簡単だ。



 ただサンティア帝国は何処か閉鎖的な国だ。

 江戸時代の日本と同じような、鎖国にも似た状態が維持されている国だったりする。

 出入り出来ないわけではないが、一般人は手続きに時間がかかるものだ。



 最も俺と睦月は『皇帝』直轄部隊『蘭』の一員であるから、基本出入りは自由である。

 『蘭』は『皇帝』の信頼を得ているもの(それは戦力としての意味でも、人格的な意味の双方があるが)がなるとされている。



 基本的に『蘭』は『皇帝』に、その命を投げ出しても悔いはないと言わんばかりの絶対的な忠誠を誓っているものが多い。

 『皇帝』を神と崇めるサンティア帝国の出身者ばかりなのも一つの理由だろう。

 だから俺と睦月はその点においても、『蘭』の中では異質な存在だと言える。

 俺達の出身地は、サンティア帝国どころかこの世界の何処にもない、地球と呼ばれる星の日本と呼ばれる国だ。



 『勇者』も、『聖女』も、『魔王』も、魔法と呼ばれる現象も。

この世界において重要なそれらの全てが幻想で、妄想の中にしかないとされていた世界。



 この世界とは根本的に違う地球と呼ばれる星。

 インターネットなんてものが普及して、誰でも簡単に物事を調べられるようになっていた世界。

 宗教家な人間は居たけれども、神なんてものを信じてない人間が溢れかえっていた世界だった。

 そして俺も神なんて全く現在も信じていない。




 一つの宗教に熱心な人間の思考なんて俺には理解できない。見ている分には面白いけれども、神を信じる人間に自分がなるなんてありえない。

 俺と睦月はきっとこの世界においても無神教だ。

 最もそんな俺と睦月だからこそ、『皇帝』に気に入られたともいえた。『皇帝』は面白い人間が好きなのだ。睦月の狂気を楽しんでいる点は俺にどこか似ていると言えた。



「ねぇ、樹。転移魔法使っちゃ駄目なのぉ? 私はやく会いたいのにぃ」



 サンティア帝国を抜け、道を歩く中で、睦月がこちらを振り向いて不機嫌そうに言った。

 この世界には二つの大陸がある。

 西のアフガレント大陸と北のチェリンザ大陸だ。

 サンティア帝国はアフガレント大陸の最東にある。隣接している国はマハラ王国だけである。

 国境を区切っているのは一つの大きな川だ。二つの国を裂くかのように縦に流れているヤハラ川。

 大人一人ぐらい溺死してしまいそうな深さもあるその川を基本的に渡る手段はいくつかかけられている橋である。

 俺と睦月はさっさと橋を渡って、マハラ王国の東部を歩いていた。




「フェイタス神聖国までは遠いから、転移するとしても細々になる。それに下手に転移したら色々疑われて面倒だろ?」

「えー、それじゃあ時間滅茶苦茶かかるじゃんかー」




 頬を膨らませて、睦月は不機嫌そうな表情を浮かべる。

 本当にその子供のような仕草だけを見れば、睦月は可愛らしい少女にしか見えないだろう。



 そもそもこの世界は地球よりも平均身長が高い。

 地球でも背の低い方だった睦月なんて、もう十七歳になるというのに一見すれば子供と間違えられる。俺もそこまで背は高くないから、人の事は言えないが。

 本当、もっと背が高ければ俺も睦月も子供扱いされないというのに。しかし日本人は背が低いものが多いし、そんな事行っていても仕方がない。



「ま、三フィンぐらいで速ければつくだろ」



 フィンとは、日本でいう週のようなものだ。

 ただしこちらの一フィンは八日間もあるし、一日の時間も地球よりも長い。



 俺達の向かうフェイタス神聖国は此処から大分離れた距離にある。この三フィンという期間も、俺と睦月が休まず移動し続ければそれぐらいかかるだろうという目安である。



「そんなにかかるとか本当嫌だよー。私ははやく行きたいのに。あの女も、光一にあんな役割押しつけた奴らも全員殺してぇー、それからぁー、光一ぃとずーぅと一緒にいるんだもーん。もー、イライラする!」



 無邪気にほほ笑えんだかと思えば、睦月は不機嫌そうな顔をした。

 そしてその手にはいつの間にか、昨日盗賊達の命を簡単に奪い去った黒炎が出現していた。禍々しく燃え上がっている。そして鬱憤を晴らすためにか、睦月はそれを思いっきり目の前に広がる自然へと向ける。

 まず初めに睦月の近くにそびえたっていた木にその炎が触れた。

 睦月の意思のままに、一瞬でそれを覆った。



 その不気味な雰囲気を持つ黒い炎は、小枝も葉も残さずにそれを燃やしつくしてしまう。

 瞬きするほどの短い時間で大木が消滅するなんて馬鹿げた話である。地球でなら冗談だろと俺も笑い飛ばしただろう。

 でもこの世界ではそんな力が存在するのだ。



「ふふふ、あはっ」



 消えうせた一本の巨大な木。

 それを見て無邪気に笑う睦月。



 睦月はこの世界に来てから、何かを壊す事が好きになっていた。

 地球にいた頃から睦月は破壊行為をしていたけれども、異世界にやってきて益々それが顕著になった気がする。

 苛立ちを感じた時に睦月は何かを壊す。

 それは生物だったり、物体だったり様々だ。

 そして壊す時に睦月が使うお気に入りが、黒炎なのだ。



「睦月は黒炎好きだよな。使うの」

「あはっ。だってこれ、一瞬で邪魔なもの消しされるから気持ち良いじゃんかー」



 俺の言葉に睦月は玩具を与えられた子供のように何処までも無邪気な笑みを見せたのだった。



 黒炎を出現させるそれは、睦月が最も気に入っている魔法だった。

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