第九章 悪魔の誘い

第七悪魔商会の来た日



「荒野の吸血鬼?」

 話を聞いた直後は、ソレがどれほどの障害になるのかと、理解できなかった。

 薄暗くした応接間のソファーの上。相手の顔を見ないようにと配慮したこの部屋で、俺は奇妙な依頼を聞いていた。


「そんなもの、あんたらの軍勢なら一捻りだろう」

「そうもいかなくてですね」

 この世界を二分する勢力、魔王軍。そのトップに立つ魔王直属の側近。

 肩書きで言えば大幹部のその男は、重苦しい息を吐いたのだ。


「あの裏切り者とも手を組み、今や無視できない勢力に変わりつつある。ここでしっかりと手を打っておかなければ」

 どうやら相当な悩みの種らしい。種は芽吹く前に刈れと、そう言いたいのか。

「それで俺への依頼か」

「序列第四位のあなたになら、安心して任せられる」

 大幹部とやらが随分な弱気だ。まさか俺達の手を借りてまで事を成したいとはな。

 その代償、高くつくぞ。


「……いいだろう。契約は成立だ」

 見えない相手に、悪魔の笑みを送る。

 それは俺達流の、いわば儀式。


「契約には誠意と報酬を。裏切りには死の罰を」

「ええ。頼みましたよ」

 その言葉を最後に、奴はこの部屋から一瞬にして姿を消した。流石は大幹部……か。

「だが結局のところ、この世界は奴らの手の上にもないわけだ」

 それだけの力をもってしても、人間達にはしてやられ、自分たちの身から出た裏切り者も始末できないときた。

 愚かな奴らめ。


「お前もそう思うだろう?」

 気配が消えたと同時に現れる、一匹の黒猫。


 彼女、ネフラがすり寄ってくるのを、俺は笑みを持って迎える。

 コイツになら、この暗がりでも俺の笑みが見えるだろう。


「どいつもこいつも。たかが人間ごときに手を焼き、いつまでもくすぶり続けている連中が。やはりこの世界をその手に掴むのは、奴らではない」

 膝の上に乗り、喉をならすネフラが、俺を見上げる。

 その僅かな光を集める瞳を煌めかせ、告げる。


「その栄光は、あなた様にこそ、相応しい」

 美しい、猫なで声で。


 この世界を手にするのは、果たして誰か……か。


 実際、この世界の覇権を狙う輩は多い。

 欲深な人間どもに、恐怖をまき散らす魔王軍。


 そして世界の闇にうごめく、俺達も。


「さて、どうかな」


 俺のそんなささやきは、この暗がりに溶けて、消えていくのだった。


――


「はああっ! 城主様ぁ!」

「やあああああああっ! このおおおっ!」

「……なあ、その」

 晴れ渡る荒野の空の下。

 ガキン、キン、と甲高い音を立てる剣戟と、それをそっちのけで響く、甘い声。


「あああくそっ! このおおおおおおっ!」

 次いで聞こえるのが、アンリのこんないらだった叫びだ。先ほどからしている剣を交える音も、大半は彼女が。

 下半身にヤギの体を持つ、古ゴート族。その大地を自在に踏み鳴らす四本の脚と二刀流から繰り出される怒涛の連撃は、もはや神業と言ってもいい。

 そんなアンリと、あろうことか片手間で渡り合っているのが目の前の……。


「リダリーン、その……少し離れてくれないか?」

「ああっ! 城主様っ! 悲しいことをおっしゃらないでくださいっ!」

 亜麻色の髪の美女は、途端に顔と声に悲しみを混ぜて訴える。


「城主様がもうすぐ旅立つと聞いて、居ても立っても居られないのです!」

「だからって、なあ」

 俺は現在リダリーンに抱きつかれながら、体をそこら中撫でまわされていた。


 彼女のスカートから伸びる、七本の赤黒い触手の内の三本で。


「あああっ! 城主様っ! 必ず帰ってきてくださいっ!」

 緑とこげ茶色の、どこかゆったり目の服を着る彼女が、まるで聖職者のように両手を祈りに重ねる中……ぬっちゃんぬちゃんと触手から垂れる粘液が容赦なく俺を汚す。

 というかリダリーン、これ、わざと塗りたくってるだろ? 全身べとべとになった俺は……これはなんかもう風呂に入るまでは何もする気が起きないなと晴れ渡る空を見上げた。

 ああ、今日もいい天気だ。


「……リダリーンさあん? ちょおーっといいですか?」

「あっ、ティキュラさん。何でしょう?」

 先ほどまでの甘い声は何処へやら。彼女はシュルシュルと這い寄ってきたティキュラにいつもの平静とした調子で答える。


「ちょおーっとカイさんにべたべたしすぎじゃないですか? ホントにもう色々と、色々と」

 ホントにな。俺は物理的にべとべとになった体で同意する。

「ああこれですか? これは城主様が出先で悪い女に捕まらないよう塗りたくっているんです」

「ああそれは……それならいいんですけど」

 良くないですよティキュラさん?


「けどちょおーっとカイさんを独占しすぎじゃないですか? ねえ? ねえ?」

 こめかみをビキビキとうならせ、スパイク状の尻尾を猛烈な勢いで振るうドラコラミアの少女。

 というか、尻尾の威嚇が未だかつてないほど激しいな。


「ティキュラさんが言ったんじゃないですか。私が一番城主様と触れ合う時間が少なかったから、その分私が多めに接してよいと」

「うぐっ!? い、言ったけれど……い、言ったけれど四六時中イチャイチャしていいなんて言ってなああいっ! あとお腹ばっか巻き付くなああああっ!」

「あっ!? ず、ずるいっ! お腹はダメっ! 私のっ!」

 と、当人そっちのけで俺の腹の取り合いが始まった。ティキュラは尻尾を伸ばして三本の触手と激しい攻防を繰り広げる。

 というかお腹巻き付くのがそんなにいいのか? これは巻き付くタイプじゃないと分からない感覚だな。


 やれやれ、喧嘩なんてしないでおくれ。俺にとっては皆愛しい少女達なのだから。


「二つに千切って分ければいいのでは?」

「マリエ、唐突に笑顔でそんなこと呟かないでくれ」

 いつの間にか傍に寄ってきていた妹に言葉を返す。まあ千切れても俺は死なないが。


「それより、本当に行くんですよね? ブルーダラク領」

「……ああ」

 西のブルーダラク領、吸血鬼の住処。

 その名は、俺とマリエの家名と同じ名だ。この異世界に、まさかその名を持つ吸血鬼がいるとは思わなかった。


 これが意味することは、一体何なのか……。

 この世界を探るヒントになるかもしれない。


「……その恰好で行くんですか?」

「……今日はやめておく」

 こんなべっちょんべちょんもいいところでいく訳にはいかないだろう。


「はっ!? 城主様を毎日べとべとにすればずっと出立が延期されるのでは!?」

「え、ちょ、それは私も引くっ!」

「……というよりリダリーン、あなたサキュバスでしょ? 恋愛方面では流石にもう少ししっかりしていると思っていたわ」

 マリエの呆れたような言葉に……まあ、俺も同意するが。


「そんなっ! これは城主様のせいなんですっ!」

 と、荒ぶる触手の動きを一度止めてから、彼女は抗議の声を。

「城主様がっ! 私の心にこんなっ……燃えるような恋の炎を灯してしまったのですからっ!」

 その手で胸をぎゅっと押しつぶすように笑みを浮かべるリダリーン。ゆったりした服の上からでも分かる豊かな胸が潰れ、それでより一層強調され……うん、中々の破壊力だ。

 狙ってやっているのか? いやどうなんだろうこれ。効果は抜群だぞ?


「あ、城主様。ムラムラしたのなら私が処理しますよ?」

「ちょっ!?」

「えっ!?」

「……兄さん?」

 いや、ちょっ、流石サキュバス! 俺の変化も敏感に察知してらっしゃる!

 というかさっきの甘々な声じゃなくて突然事務的な口調になるのやめて! それ以前に周囲にばらすな!


「か、カイさん……や、やっぱり胸なんですか?」

「……」

 ティキュラは不安げに俺を見つめる。白い髪をわずかに揺らし、褐色の肌に浮く、湖面のような青い瞳に俺を映して。

 一方のマリエは……いやこれ本格的に落ち込んでるというか、もっと黒い何かを胸の内に燻ぶらせているというか、というか無言はやめなさいマイシスター。

 ああ、全く……。


「二人とも綺麗だぞ」

「えっ!?」

「なっ!?」

 ちょっと不意打ちっぽく言ったせいなのか、ティキュラとマリエの顔がぽっと赤くなる。ベッドの上では何度も囁いているんだが……まあ、こういう反応をしてくれるのならいくらでも囁こう。


 不安に思う事なんてないぞ。俺はちゃんと、お前たちを愛しているんだからな。


「あ、え、えへへ」

「何あっさり懐柔されてるのよティキュラ。兄さん? 私はそんな一言じゃ納得しませんから」

「丁度いい。納得するまで何度でも囁いてやろうと思っていた」

「ばかですか」

 そう言って、吸血鬼の赤い瞳と同じくらい。首に下げたフラスコに入った血と同じくらい、顔を真っ赤にさせる、黒髪の少女。

 ああ、本当に可愛いぞ、マリエ。


「……」

 と、そんなことをしていたら目の前には触手を躍らせながら俺を黙って見つめる、亜麻色の髪をした美女。

「お前も綺麗だぞ、リダリーン」

「ッ! ああっ! 城主様っ!」

 顔に手をやりながら、その心の内を表すかのように触手を震わせるリダリーン。


 彼女にいたっては……実は、少し気がかりがある。

 一見すると恋を知ったばかりの可憐な美女だが、冷静に見れば、掴んだ大切なものを離さないよう必死な少女にも見えるから。


 その顔に浮かぶ色は、喜びと、興奮と、焦り。

 彼女とは関係を持ったばかりだが……少し、危ういか、なんて思うのだ。


 初めて夜を共にした日の、彼女の涙が脳裏によぎる。

 リダリーン、お前は心の内では、何を思って……。


「何か考え事か?」

「え、クー……」

 おっとこれは……こっちの方がずっと不意打ちらしい不意打ちだな。

 狼少女の、ワーウルフのクーナは、言うが早いかさっと俺の唇を……。


「……じゃ」

 時間にすれば僅か数秒。

 本当にそれだけ言い残して、紺色のウルフヘアを躍らせながら、少女はその四本の脚で駆けて行ってしまった。


「……やるな」

 クーナは元々気配を消して忍び寄るのが上手かったが、また一つ腕をあげたようだ。マリエと違って本当にそこにいることに気が付かなかった。

 ただ最近になって分かった事だが、クーナはあれでいて人一倍照れ屋なようで、思い切りよくキスしてくるかと思えば、それでいて真っ赤になってああやって逃げたりする。ああ、本当に可愛らしい。今すぐにでも追いかけたくなる。

 ……今べとべとじゃなければ、そうしてるんだが。


「やっぱり、一番のキス魔はクーナなんじゃない?」

「そうね。油断も隙も無いわ」

 ティキュラとマリエは複雑そうに顔を見合せる。何かこう、出し抜かれた感じで。

「……」

 そうして無言でメモを取るリダリーン。だから、無言はやめなさい。


「だあああああっ! 何でそんな余裕なのよっ! このおおおっ!」

 ああそうだ。忘れていたが、そんなリダリーンは二本の触手でアンリをあしらっていたのだった。アンリの方を見もしないで。

 気配を探るだけでよくやるな。


「くそおおっ! 俺達もっ! 俺達だってえっ!」

「今日こそ勝ってやるっ! 勝って俺達もべとべとにしてもらうんだっ!」

「うおおおおおっ!」

 で、彼女の触手は七本。三本が俺の方に、二本がアンリに、そして残りの二本で、オークとワーダイルの精鋭たち十数人と渡り合っている。

 ……本当に、こんな逸材よく手つかずで眠っていたな。


「うわああああああんっ! カイ様っ! カイ様あああぁぁっ!」

 アンリは……ああ、こっちに混ざりたいのに目の前の二本の触手に阻まれてそうもいかなくなっているようだ。こげ茶色の一本に結んだ髪を振り乱し、声がだんだん苛立ちから悲壮な感じに変わりつつある。これちょっと可哀そうだな。

 安心しろ、後でたっぷり撫でてやるから。


「えいっ! えいっ!」

「全く、真面目に特訓しているのはミルキ・ヘーラだけか」

 背の高い美女は、今日も今日とて城の日陰で地面の的に向かって石を投げている。実はちらちらとこちらを窺っているのだが、それでも真面目に石を投げ、それを拾ってまた投げを繰り返す。いや、絵面的には全然真面目に見えないけれども。

 青紫のウェーブがかった髪が、そんな健気に頑張る彼女と一緒に風に揺れた。


「……やっぱり、カイさんは皆の事よく見てますよね」

「ホント。これだけ女を侍らせながら、そういう気配りがよくできますよね」

 言葉に棘があるぞ、マイシスター。

「城主様は女たらし、と」

「メモするところが違うぞリダリーン」

 俺はそんな彼女たちとの日常を味わいながら、再び荒野の空を見上げる。


「……今日も平和だ」

 魔王軍の襲撃から勝ち取った、恐らくは、つかの間の平和。

 それを俺は、大切に、噛みしめていく。


 この異世界で築いてきた、大事な大事な仲間という幸せを……。


「旦那ぁ……俺、生まれ変わったら旦那になりやすっ!」

「何を言っているベーオウ」

 いい感じでこの場をまとめようとしていたのに。涙目でよく分からないことを口走るベーオウに、全部持っていかれた。

 いやまあ、お前も大切な仲間だが。


「お、俺っ! 今までに女に粘液塗りたくられて嫉妬されてキスされた経験なんてありやせんでっ! き、きっとこれからも、ないでしょうしっ!」

 ああ、まあ……ないだろうな。特に粘液を塗りたくられるくだり。

 というかお前にはジゼールがいるだろ。


「それで、どうした」

「ああすいやせん、商団が来たんで、知らせに」

「商団?」

 聞きなれない言葉を聞き返すと、それにベーオウは、荒野を指さして答える。


 荒野の向こうから、巨大な荷馬車を引き連れた一団がこちらに迫ってきていた。

 言葉の響きからすると以前聞いた旅商人とやらか?


 だが、何人か遠目で見る限り……。


「魔王軍の手の者か?」

 あれは人間ではない。

 空の青をもう少しくすめたような色の肌。爛々と光る、金色の目。

 纏う雰囲気からしても間違いない。あれは……。


「魔王軍と関係しているかはわかりやせんが、以前取引したことのある相手なのは間違いありやせん。俺達の武器はあいつらが都合してくれたんで。それで今度は旦那に挨拶してえって言ってます」

「ふむ」

 ベーオウにとっては多少信用できる相手らしいな。まあ、それは俺達が魔王軍と敵対する以前の話だろうが。


「話を聞こう。商団なら……外貨を獲得するいい機会だ」

「あいつらは物々交換もしてくれやすし、買取にも応じると思いやす」

 話に応じることですぐにまとまるが、油断はしないでおこう。

 何せ奴らは恐らく……。


「じょ、城主様っ!? あああすいませんっ! こ、こんな、お召し物をこんなにした状態でっ!」

「ん? ああこれは……間が悪かったな」

 リダリーンが顔を真っ青にして悲鳴をあげる。まあ、流石にこんなべとべとぬちょぬちょで会う訳にもいかないよな。

 すぐに着替えて……。


「お任せくださいっ!」

「え、リダリーン、何を」

「ええいっ!」

 触手が服の間に入り込んできたかと思えば、それはすぐに膨張し、繊維をミチミチバリィと音を立てて引き裂いて……。


「え」

「こ、これで大丈夫ですっ!」

 な、何が大丈夫なのかな?

 上半身と下半身、両方の服が見事に引き裂かれ、そうなれば当然……お、俺は、全裸に……。


「全裸の吸血鬼の面目躍如ですっ!」

 しーん、と、リダリーンの活気づく声に反比例するように、周りが凍り付き……。

「あ、あれ?」

 その空気に、またしてもやっちゃいましたみたいな表情を浮かべる、亜麻色の髪の美女。

 そうして俺が本気でこの場をどうしようかと思い悩んだ直後、青空に一つ黒い影を作り、舞い降りてくる、一人の男。


「これはこれは、お初にお目にかかります」

 ストンと危なげなく着地し、身ぎれいなスーツ姿の男は、深々と礼をする。


 俺達吸血鬼や人間と同じ肌の色。空の青と、草木の緑を混ぜたような少し変わった色の短髪。

 外見はそんな風に人間社会に溶け込めるようで、けれどその目は、爛々と光るその目だけは、奴らの特徴を備えた、金色の瞳。


第七悪魔商会セブンス・ダイモーン。その会長をしております、ラセスチャー・ダイモーンと申します。以後、お見知りおきを」

 丁寧な口調で、しかしどこか楽しそうに、愉快そうに笑う。

 その名の通り、目の前に立つのは……。


 一人の、悪魔。


「噂に名高き、全裸の吸血鬼様」

「……」

 流石、商会の会長を名乗るだけはある。

 この状況で……眉一つ動かさず、この光景を受け止めるとはな。


 皆が俺を見て、それからちょっと視線を下げてを繰り返している中、真っ直ぐ俺の瞳を見つめ堂々としている、恐らくはこの世界でも名前の知れた、悪魔。


 ああ、うん……死にたい。


 心の奥底まで見通すようなその瞳は、俺の心のそんな声も、聴いているのだろうか。



<現在の勢力状況>

部下:古ゴート族82名、レッサーオーク51名、ギガントオーク67名、ワーウルフ21名、ワーダイル60名

従者:ベーオウ

同盟:大魔王ガルーヴェン

従属:なし

備考:第七悪魔商会が来訪中





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