異世界転移した最強吸血鬼に睡眠を! ~モンスターを従え、安らかに眠れる城を築くまで~

MADAKO

プロローグ

最後の夜、異世界の夜明け



 人里離れた山奥に、その屋敷はあった。


「こいつっ!? なんて再生力っぐあああっ!」

「バカなっ! 切り飛ばした腕がっああ!」

「魔法がっ、妖術が、きか、な……」


 現代の文明の光も及ばぬ深い森の奥地。そこに彼らは住んでいた。

 この国の『妖』や『化け物』と呼ばれる、人間とは異なる姿かたちをした異形。


 怪物モンスターたちが住まう、その一角。


「お頭! どうか逃げて、ぐぶあっ!?」

「これが最後だ」

 俺は今しがた殺した烏天狗の副官を踏みにじり、慈悲も憐憫もなく問いかける。廊下を進む際に飛び掛かってきた奴らを束ねる、この館の最奥に鎮座する、目の前の男に。


「降伏する気はあるか」

「……恐ろしいやつよ。そのような年端も行かぬ姿でこの力。我ら日ノ本の妖とは一線を画すか。西洋の妖が、これほどまでとはな」

 奴は、この山奥の森を統べる大妖怪の男はそう言って立ち上がり、すらりと刀を抜く。それが奴の示した答えだった。


「そなたを放っておけば、いずれこの国の裏の世界が全てそなたの手に落ちる。いや、それだけでは済まぬであろう。そなたは表の……人の世までをも手にかける」

 黒髪を流すように後ろで一本に結んだ、見た目は年若く、背の高い美しい優男。そいつが古風な和服姿で、時代錯誤な刀を構えている。


 人の世との交わりをはるか古来で断ち、ずっと静かに暮らしてきただけの、けれど強大な力を持つ『人ではないモノ』。


「それだけは看過できぬでな」

 そんな男が決意の光を瞳に宿し、そうして俺に飛び掛かってきた。


「ふっ!」

 寸分の迷いもない、頭上から迫る見事な一太刀だ。

 奴の剣……鋭く速く、。それは空気によるロスがないことを意味している。この一刀だけで、コイツがどれほど凄まじい使い手か伝わってきた。


 その一撃が俺の髪を数本持っていく。バックステップでかわした刹那に交差する視線。その視線の先で、何故か男は薄く笑みを……。


「ぐっ!?」

「悪いが」


 気づいたときには、光が俺の胸に吸い込まれていた。


 先ほどの会心の一刀が……ああ、あれほどの一太刀が、単なる陽動に過ぎなかったと気づいたときには、流石に驚いたさ。


「二刀、流!」

「そなたの命、俺が貰い受けッ!?」

「……見事、だ」

 剣の達人が見れば、お前を称賛しただろう。


 太刀の一撃は、魂のこもった確かな一撃だった。本来、陽動などというつまらない小細工と片付けていいものではない。

 そして今の連撃は、そんな一撃を以てしても狩りとれないほどの強敵を屠るための技。まるで二つの魂を乗せたかのような、鮮やかすぎる連撃。ああ、そうだな。言葉をどれだけ尽くしても褒めたりないさ。


 俺の胸に深々と刺さった銀の短剣は、確実に俺の命を散らしていただろう。そう……。

 これが、俺以外なら。


「ば、かなッ……な、ぜ……死、なッ!」

「先ほどは西洋の妖、と俺を呼んでいたな」

 俺は、刺し違えるように突き出した右手を引き抜く。

 大妖怪の男の胸に深々と穴をあけた、血まみれのその手を。


 温かな血が、その熱が。命と一緒に、音を立てて零れゆく。


「生憎だが、そんな伝承など当てにはならん。我らのルーツも、別にある」

 世に知られているところのとは、俺たちは少し違う。

 銀の短剣では、俺は殺せないのさ。


「そ、うか……そな、た、黄泉、の……」

 俺の胸に刺さった短剣がずるりと引き抜かれ、崩れる男と共に床に転がる。一撃は確実に奴の方が速く、けれど、倒れたのは向こうだけ。


 理不尽と、呪わば呪え。


「俺たちのルーツは『魔界』だ。黄泉に行くのは、お前の方だ」

「ふっ……すま、な……」

 俺に腹を貫かれた男は、そのまま笑みを残して息絶えた。


「終わりか」

 長い歳月。

 気の遠くなるようなその年月、この森の奥地に君臨していた大妖怪の、あっけのない最期だった。


「……逆らわずにいれば、もっと長生きできたものを」

 俺は手に残る血を、その熱を、名残惜しむようにぺろりと舐め、その味に悠久の時を歩み続けてきた男の生涯を思う。

 降伏を勧めても一向に屈せず、今しがたも『人の世』などと奇妙な事を言っていたが……。

「何にせよこれで、この地は制圧」

「……ぁぁぁぁあああああああああっ!」

「ッ!?」


 そうしてさっと踵を返そうとした瞬間だった。

 突然、何もないはずの空間から響いた叫びに、思わず目を見開く。


「なっ、今までどこに!?」

「お前っ! お前えええええええっ!」

 目の前に現れたのは、一人の少女だ。

 場違いにセーラー服を着て、どこか古風な髪飾りを付けたセミロングで黒髪の、今泣きながらめちゃくちゃに刀を振り回す……。


 恐らくは、ただの人間。


「よくもっ! よくもおおおおっ!」

「……そういう訳か」

 この大妖怪が最後まで俺たちに降伏しなかったワケ。

 それが目の前のこの少女。


「あがっ!?」

「お前、あの男を愛したか?」

「ッ!」

 首根っこを掴みあげ、溢れるほどの涙を流すその瞳に、問いかける。

 その瞳から返ってきた途方もない悲しさと、そして、それすら焼き尽くしてしまうのではないかと思われる怒りの炎が、雄弁に語っていた。


 成程、俺達が裏の世界だけでなく、表の、人間の世界をも手中に収めようとするのに対し、奴は止めなければならなかったのだ。


 俺の手の中におさまった少女。

 奴の言う『人の世』を、守るために。


 ……ああ、恐らくこの瞳の奥で燃える火は、消えんな。


「うっ!?」

「悪いが、見せしめだ」

「ひっ!? このっ!」

 セーラー服を力任せに引き裂いて、そのまぶしい素肌をさらさせる。ただの人間の少女の抵抗など、俺達の前ではそれこそ児戯に等しい。


「お前なんかにっ! ぐっ!? あっ! ぎゃあああああああああああっ!」

 首筋に牙を突き立て、その血を思うままに貪っていく。


「あああっ、ああっ! あああああああああああっ!」


 ああ、清い血だ。


 怒りに沸騰し、けれどその熱い血潮の中に、これでもかとあの男への愛しさを込め……。


「ぐぶっ!?」

「あっ」

「おまえ……には、やら……ん」

 なん……だと!?


 一瞬。目の端に映る閃光。

 まさか、と、思うよりも速く。


 光は彼女を掴んでいる俺だけを、俺の首だけを、綺麗に通り抜け……。


「これ……さい、ご……」

 天地が、ひっくり返る。床が、俺をめがけて落ちてくる。視界の端に、同じく床に倒れ伏す大妖怪の男の笑みを見て。


 ゴトリと俺の首が落ちるのと、大妖怪が今度こそ力尽き崩れ落ちるのは、ほぼ同時だった。


「あ……あああっ! そん、な……さ、まっ……!」

 あとに残された少女は、首のない俺に首を掴まれたままで、力なく、嗚咽を漏らしている。全てが終わったのだと、本能的に悟ったのだ。


 もう死んだはずの体で、この大妖怪は、彼女の言葉に命を吹き込まれたように、最後に一閃を放った。

 目を離していたとはいえ、俺に気付かれることもなく、俺が掴んだ彼女を傷つけることすらなく。


 全く、俺は何度この男を称賛することになるのだろうか。


「あっ! くっ、うううっ、わ、たし……え?」

 そうしてある種尊敬の念すら抱きながら、俺は少女の目の前で、

「……なん、で」

 拾い上げた俺の頭を定位置に乗せ、ふうと一つ息を吐く。こうして息を吐けるのは、体と首がつながった証拠だ。


「なんでっ、あんた……死な、な……」

「絶望したか?」

 真っ青に青ざめた顔で、今も俺に首を掴まれる少女は、自分が勘違いをしていたと思いなおした。

 自分の愛した男の二度目の死すら、無駄だったのだと。


「水が切れないのと同じだ。上位の俺達は、血そのもの」

「あっ、がっ」

 そうして俺は、少女の首を掴む手に力を込め、最後に残った火を吹き消すように。


「ごっ!」

 少女の首を、へし折った。


 二、三度びくびくとその体を痙攣させ、やがて少女は、笑みを浮かべる。

 炎の揺らめきが消える瞬間、その瞳には、目の前の俺ではなく、俺の後ろに倒れている愛した男を映して。


「……最後は」

 俺は、死体となった彼女を放り捨てる。

 俺の後ろ、愛しい女を助けるために蘇った男の所へ。

「共に、いさせてやる」

 そうして今度こそ、俺はこの部屋を後にした。


――


「お見事でした、カイ様」

 部屋の入り口で、俺の側近と部下達が待っていた。


「他はどうなっている」

「全て制圧しました。捕らえた者の処遇はいかがいたしましょうか?」

「従う気のあるやつは生かせ。それ以外は殺せ」

 至極単純な、いつものやり取り。


「それと死体はそのままにしておけ。見せしめだ」

 今しがた、俺が殺した奴らを指して伝える。遠ざかる前、最後に一度だけ血の海になったその部屋を振り返って。


「かしこまりました。我らブルーダラクの名も、いえ、カイ様の勇名も裏の世界に一層轟くことでしょう。それにしても……」

 俺の側近、背の高い彼女はその赤い長髪をなびかせ、前を歩む俺に続きながらこぼす。


「無様な最期でしたね、あの大妖怪とやらも」

「……」

「カイ様に逆らうものにはおあつらえ向きの末路かと」

 美しく端正なその顔を歪めて、それでいて楽しそうに話す。裏の世界に生きる俺たちにとっては、ありふれた顔だ。


「勝算などあろうはずもないのに。おのれの力量も弁えぬ古物が。カイ様の手で葬ってもらえることを感謝してほしいものです」

 その言葉に、部下達からは同調の笑みが漏れる。


「ですが気に入らないのはあの娘です。あの古物の妖力で身を隠しておきながら、最後にカイ様のお手を煩わせるなど」

 突然何もない場所から現れたアレか。どうやらあの男の力だったようだ。

 ……きっと最後まで、隠れていることをあの男は望んでいただろうに。


「それにあまつさえカイ様の牙にかかるなど、光栄の極みに感謝の言葉すら残さずに死ぬなんて。やはりあの古物の抱える下劣な女、カイ様にはふさわしくありませんね」

 彼女はそう言って、俺に向けて笑みを浮かべる。先ほどの歪んだ笑みとは比べ物にならない、その美しさに見合う上品な笑みを。


「お口汚しでございました。いくら裏の世界にカイ様のお力を示すためとはいえ、あの程度の愚物、我らが蹴散らせればよかったのですが」

「構わん」

 あいつらが逆らった相手は俺なのだ。だから、俺が相手をするのが相応しい。どちらかといえばお前たちの手を汚させる方が心苦しい。


「お口直しを用意しております」

「カイ様」

 屋敷を出ると、夜の空気が肌を撫でる。都会とは違う澄んだ風が火照った体に心地よい。


 月夜の下、その光すら覆うほどの深い森の前。

 そこには大勢の部下たちと、そして、俺の従者の一人である少女が。


「どうぞ。私の血で、そのお体をお慰めください」


 そう言って、彼女は着ていたローブを脱ぎ捨てる。

 ショートカットの黒髪。幼さの抜けきらない、美しいその顔に笑みを浮かべて。それほど高くない背で、けれど豊かな曲線を描く、柔らかい白い肌をさらし。


 大勢の部下……男たちの前で、躊躇なく。生まれたままの姿に。


「……ああ」

 そんな姿を見せられては、嫌とは言えないだろう。


 ……正直、さっきの少女の余韻を消したくないのだが。


「あっ、ああっ……カイさ、まっ! んあっ!」

 牙を立てやすいようショートカットに揃えた彼女の黒髪が、ふわっと浮いて。

 顔を見なくても分かる。恍惚に彩られた嬌声をあげ、血を奪われているというのに、歓喜に震えるように体を預けてくる彼女が、今どんな顔をしているかが。

 押し潰された柔らかい胸が心臓の鼓動を刻む。他は何もしていないのに、彼女は勝手に盛り上がり、震えて、吐息を漏らす。


「あっ、あっ! んああっ! ああああっ!」

 トロトロに蕩けた顔で、感謝を述べようとして動いた唇が、力なく閉じる。まあ言わずとも思いは伝わっている。


 その血の味が、こんなにも『嬉しい』と訴えかけているのだから。

 ……今夜は胸焼けしそうだ。


「皆、よく聞け」

 ぐったりとした従者を治療のために預けてから、俺は俺を敬うように見つめる部下達に、呼びかける。


「これで、この国の裏の歴史が一つ幕を閉じた。我々の糧として、その役目を終えた。この血を以ていよいよ、日の当たる場所へと、我らは打って出る!」

「おお……カイ様っ! ついにっ!」

「おおおおっ!」


 先ほどの従者の少女と同じ、歓喜に満ちた声が、静かに、地鳴りのようにあたりを覆う。


「暗闇を忘れた人間どもに、我らの牙を存分に突き立てる時だ。各自その日に向け……備えよ!」


 地鳴りは、瞬く間に大合唱となって爆発した。

 それは静かに眠っていた森を土足で踏み荒らし、蹂躙するさまを見ているようだった。


 次にこうなるのは、そう、人間たちの世界だ。


 俺の名を声高に叫び続ける部下たちを尻目に、俺は用意されていた車に乗り込む。

 後部座席から、俺に向けて大歓声を送るのを止めない部下達と、そう、炎に包まれる屋敷を眺めて。


「よろしかったのですか? 火を放っても」

 一緒に乗り込んできた側近の彼女は、俺の表情を窺うように言葉をかける。

「これでは見せしめの死体も燃えてしまいますが」

「構わん」


 そもそも最初から、そんなつもりはなかった。


 ただ、それ以外に彼らを……あの二人を、静かに弔ってやる口実が見つからなかっただけだ。

 敵とはいえ、俺にもそれくらいの情けはある。


「まあ、あんな古物どもなど、見せしめにもなりませんものね」

 そう言って彼女は笑う。嘲るように。

「……そうだな」

 俺は、複雑な思いで燃える屋敷を眺めていた。


 彼女が侮るあの男は、誇り高き大妖怪という触書に相応しい男だった。

 人間と、俺達とは別の形で共存を目指し、そして、多くを取らず満足していただけだったのだろう。奴ならモンスターと人間の平和な未来を、或いは築くことができたかもしれない。


 だが、勝ったのは俺で、死んだのは奴。


 いまだ部下の態度や言動すら御しきれない俺が生き残ったのは、何とも言えない皮肉だ。本当に、勝者の位置にいるべきは……。


 ――そんな思いで屋敷を眺めていると、俺の思いをくみ取ったかのように、一瞬だけ、炎が不思議な光を放った気がした。


「……」

 敵対など、したくなかった。

 だが、俺達が進む以上、必ずどこかで立ちふさがるというのなら。


 始末しなければ、ならない。


「逆らわなければ、死なずに済んだものを」

 そう、俺達……。

「吸血鬼に逆らわなければな」

「ええ、本当に」

 彼女も、俺に倣うように燃える屋敷に目を向け、美しい横顔を見せながら言った。


「無能で愚かな連中です」

 ……彼女は、俺があのセーラー服の少女の血は美味かったと言ったら、少しは彼らを敬ってくれるだろうか。

 心の中に少しだけ寂しさを感じながら、この日、俺はこの国の歴史の一つを終わらせて帰路についたのだった。


 そう、次は人間どもの歴史に、幕を閉ざすつもりで。


 まさかこの一夜が、この世界の最後の一夜になるなどとは、つゆとも知らずに。



―――――――――――――――――――――――――――――――――――――


 人里離れた山奥に、その屋敷はあった。


「こいつっ!? なんて再生力っぐあああっ!」

「バカなっ! 切り飛ばした腕がっああ!」

「魔法がっ、妖術が、きか、な……」


 現代の文明の光も及ばぬ深い森の奥地。そこに彼らは住んでいた。

 この国の『妖』や『化け物』と呼ばれる、人間とは異なる姿かたちをした異形。


 怪物モンスターたちが住まう、その一角。


「お頭! どうか逃げて、ぐぶあっ!?」

「これが最後だ」

 俺は今しがた殺した烏天狗の副官を踏みにじり、慈悲も憐憫もなく問いかける。廊下を進む際に飛び掛かってきた奴らを束ねる、この館の最奥に鎮座する、目の前の男に。


「降伏する気はあるか」

「……恐ろしいやつよ。そのような年端も行かぬ姿でこの力。我ら日ノ本の妖とは一線を画すか。西洋の妖が、これほどまでとはな」

 奴は、この山奥の森を統べる大妖怪の男はそう言って立ち上がり、すらりと刀を抜く。それが奴の示した答えだった。


「そなたを放っておけば、いずれこの国の裏の世界が全てそなたの手に落ちる。いや、それだけでは済まぬであろう。そなたは表の……人の世までをも手にかける」

 黒髪を流すように後ろで一本に結んだ、見た目は年若く、背の高い美しい優男。そいつが古風な和服姿で、時代錯誤な刀を構えている。


 人の世との交わりをはるか古来で断ち、ずっと静かに暮らしてきただけの、けれど強大な力を持つ『人ではないモノ』。


「それだけは看過できぬでな」

 そんな男が決意の光を瞳に宿し、そうして俺に飛び掛かってきた。


「ふっ!」

 寸分の迷いもない、頭上から迫る見事な一太刀だ。

 奴の剣……鋭く速く、。それは空気によるロスがないことを意味している。この一刀だけで、コイツがどれほど凄まじい使い手か伝わってきた。


 その一撃が俺の髪を数本持っていく。バックステップでかわした刹那に交差する視線。その視線の先で、何故か男は薄く笑みを……。


「ぐっ!?」

「悪いが」


 気づいたときには、光が俺の胸に吸い込まれていた。


 先ほどの会心の一刀が……ああ、あれほどの一太刀が、単なる陽動に過ぎなかったと気づいたときには、流石に驚いたさ。


「二刀、流!」

「そなたの命、俺が貰い受けッ!?」

「……見事、だ」

 剣の達人が見れば、お前を称賛しただろう。


 太刀の一撃は、魂のこもった確かな一撃だった。本来、陽動などというつまらない小細工と片付けていいものではない。

 そして今の連撃は、そんな一撃を以てしても狩りとれないほどの強敵を屠るための技。まるで二つの魂を乗せたかのような、鮮やかすぎる連撃。ああ、そうだな。言葉をどれだけ尽くしても褒めたりないさ。


 俺の胸に深々と刺さった銀の短剣は、確実に俺の命を散らしていただろう。そう……。

 これが、俺以外なら。


「ば、かなッ……な、ぜ……死、なッ!」

「先ほどは西洋の妖、と俺を呼んでいたな」

 俺は、刺し違えるように突き出した右手を引き抜く。

 大妖怪の男の胸に深々と穴をあけた、血まみれのその手を。


 温かな血が、その熱が。命と一緒に、音を立てて零れゆく。


「生憎だが、そんな伝承など当てにはならん。我らのルーツも、別にある」

 世に知られているところのとは、俺たちは少し違う。

 銀の短剣では、俺は殺せないのさ。


「そ、うか……そな、た、黄泉、の……」

 俺の胸に刺さった短剣がずるりと引き抜かれ、崩れる男と共に床に転がる。一撃は確実に奴の方が速く、けれど、倒れたのは向こうだけ。


 理不尽と、呪わば呪え。


「俺たちのルーツは『魔界』だ。黄泉に行くのは、お前の方だ」

「ふっ……すま、な……」

 俺に腹を貫かれた男は、そのまま笑みを残して息絶えた。


「終わりか」

 長い歳月。

 気の遠くなるようなその年月、この森の奥地に君臨していた大妖怪の、あっけのない最期だった。


「……逆らわずにいれば、もっと長生きできたものを」

 俺は手に残る血を、その熱を、名残惜しむようにぺろりと舐め、その味に悠久の時を歩み続けてきた男の生涯を思う。

 降伏を勧めても一向に屈せず、今しがたも『人の世』などと奇妙な事を言っていたが……。

「何にせよこれで、この地は制圧」

「……ぁぁぁぁあああああああああっ!」

「ッ!?」


 そうしてさっと踵を返そうとした瞬間だった。

 突然、何もないはずの空間から響いた叫びに、思わず目を見開く。


「なっ、今までどこに!?」

「お前っ! お前えええええええっ!」

 目の前に現れたのは、一人の少女だ。

 場違いにセーラー服を着て、どこか古風な髪飾りを付けたセミロングで黒髪の、今泣きながらめちゃくちゃに刀を振り回す……。


 恐らくは、ただの人間。


「よくもっ! よくもおおおおっ!」

「……そういう訳か」

 この大妖怪が最後まで俺たちに降伏しなかったワケ。

 それが目の前のこの少女。


「あがっ!?」

「お前、あの男を愛したか?」

「ッ!」

 首根っこを掴みあげ、溢れるほどの涙を流すその瞳に、問いかける。

 その瞳から返ってきた途方もない悲しさと、そして、それすら焼き尽くしてしまうのではないかと思われる怒りの炎が、雄弁に語っていた。


 成程、俺達が裏の世界だけでなく、表の、人間の世界をも手中に収めようとするのに対し、奴は止めなければならなかったのだ。


 俺の手の中におさまった少女。

 奴の言う『人の世』を、守るために。


 ……ああ、恐らくこの瞳の奥で燃える火は、消えんな。


「うっ!?」

「悪いが、見せしめだ」

「ひっ!? このっ!」

 セーラー服を力任せに引き裂いて、そのまぶしい素肌をさらさせる。ただの人間の少女の抵抗など、俺達の前ではそれこそ児戯に等しい。


「お前なんかにっ! ぐっ!? あっ! ぎゃあああああああああああっ!」

 首筋に牙を突き立て、その血を思うままに貪っていく。


「あああっ、ああっ! あああああああああああっ!」


 ああ、清い血だ。


 怒りに沸騰し、けれどその熱い血潮の中に、これでもかとあの男への愛しさを込め……。


「ぐぶっ!?」

「あっ」

「おまえ……には、やら……ん」

 なん……だと!?


 一瞬。目の端に映る閃光。

 まさか、と、思うよりも速く。


 光は彼女を掴んでいる俺だけを、俺の首だけを、綺麗に通り抜け……。


「これ……さい、ご……」

 天地が、ひっくり返る。床が、俺をめがけて落ちてくる。視界の端に、同じく床に倒れ伏す大妖怪の男の笑みを見て。


 ゴトリと俺の首が落ちるのと、大妖怪が今度こそ力尽き崩れ落ちるのは、ほぼ同時だった。


「あ……あああっ! そん、な……さ、まっ……!」

 あとに残された少女は、首のない俺に首を掴まれたままで、力なく、嗚咽を漏らしている。全てが終わったのだと、本能的に悟ったのだ。


 もう死んだはずの体で、この大妖怪は、彼女の言葉に命を吹き込まれたように、最後に一閃を放った。

 目を離していたとはいえ、俺に気付かれることもなく、俺が掴んだ彼女を傷つけることすらなく。


 全く、俺は何度この男を称賛することになるのだろうか。


「あっ! くっ、うううっ、わ、たし……え?」

 そうしてある種尊敬の念すら抱きながら、俺は少女の目の前で、

「……なん、で」

 拾い上げた俺の頭を定位置に乗せ、ふうと一つ息を吐く。こうして息を吐けるのは、体と首がつながった証拠だ。


「なんでっ、あんた……死な、な……」

「絶望したか?」

 真っ青に青ざめた顔で、今も俺に首を掴まれる少女は、自分が勘違いをしていたと思いなおした。

 自分の愛した男の二度目の死すら、無駄だったのだと。


「水が切れないのと同じだ。上位の俺達は、血そのもの」

「あっ、がっ」

 そうして俺は、少女の首を掴む手に力を込め、最後に残った火を吹き消すように。


「ごっ!」

 少女の首を、へし折った。


 二、三度びくびくとその体を痙攣させ、やがて少女は、笑みを浮かべる。

 炎の揺らめきが消える瞬間、その瞳には、目の前の俺ではなく、俺の後ろに倒れている愛した男を映して。


「……最後は」

 俺は、死体となった彼女を放り捨てる。

 俺の後ろ、愛しい女を助けるために蘇った男の所へ。

「共に、いさせてやる」

 そうして今度こそ、俺はこの部屋を後にした。


――


「お見事でした、カイ様」

 部屋の入り口で、俺の側近と部下達が待っていた。


「他はどうなっている」

「全て制圧しました。捕らえた者の処遇はいかがいたしましょうか?」

「従う気のあるやつは生かせ。それ以外は殺せ」

 至極単純な、いつものやり取り。


「それと死体はそのままにしておけ。見せしめだ」

 今しがた、俺が殺した奴らを指して伝える。遠ざかる前、最後に一度だけ血の海になったその部屋を振り返って。


「かしこまりました。我らブルーダラクの名も、いえ、カイ様の勇名も裏の世界に一層轟くことでしょう。それにしても……」

 俺の側近、背の高い彼女はその赤い長髪をなびかせ、前を歩む俺に続きながらこぼす。


「無様な最期でしたね、あの大妖怪とやらも」

「……」

「カイ様に逆らうものにはおあつらえ向きの末路かと」

 美しく端正なその顔を歪めて、それでいて楽しそうに話す。裏の世界に生きる俺たちにとっては、ありふれた顔だ。


「勝算などあろうはずもないのに。おのれの力量も弁えぬ古物が。カイ様の手で葬ってもらえることを感謝してほしいものです」

 その言葉に、部下達からは同調の笑みが漏れる。


「ですが気に入らないのはあの娘です。あの古物の妖力で身を隠しておきながら、最後にカイ様のお手を煩わせるなど」

 突然何もない場所から現れたアレか。どうやらあの男の力だったようだ。

 ……きっと最後まで、隠れていることをあの男は望んでいただろうに。


「それにあまつさえカイ様の牙にかかるなど、光栄の極みに感謝の言葉すら残さずに死ぬなんて。やはりあの古物の抱える下劣な女、カイ様にはふさわしくありませんね」

 彼女はそう言って、俺に向けて笑みを浮かべる。先ほどの歪んだ笑みとは比べ物にならない、その美しさに見合う上品な笑みを。


「お口汚しでございました。いくら裏の世界にカイ様のお力を示すためとはいえ、あの程度の愚物、我らが蹴散らせればよかったのですが」

「構わん」

 あいつらが逆らった相手は俺なのだ。だから、俺が相手をするのが相応しい。どちらかといえばお前たちの手を汚させる方が心苦しい。


「お口直しを用意しております」

「カイ様」

 屋敷を出ると、夜の空気が肌を撫でる。都会とは違う澄んだ風が火照った体に心地よい。


 月夜の下、その光すら覆うほどの深い森の前。

 そこには大勢の部下たちと、そして、俺の従者の一人である少女が。


「どうぞ。私の血で、そのお体をお慰めください」


 そう言って、彼女は着ていたローブを脱ぎ捨てる。

 ショートカットの黒髪。幼さの抜けきらない、美しいその顔に笑みを浮かべて。それほど高くない背で、けれど豊かな曲線を描く、柔らかい白い肌をさらし。


 大勢の部下……男たちの前で、躊躇なく。生まれたままの姿に。


「……ああ」

 そんな姿を見せられては、嫌とは言えないだろう。


 ……正直、さっきの少女の余韻を消したくないのだが。


「あっ、ああっ……カイさ、まっ! んあっ!」

 牙を立てやすいようショートカットに揃えた彼女の黒髪が、ふわっと浮いて。

 顔を見なくても分かる。恍惚に彩られた嬌声をあげ、血を奪われているというのに、歓喜に震えるように体を預けてくる彼女が、今どんな顔をしているかが。

 押し潰された柔らかい胸が心臓の鼓動を刻む。他は何もしていないのに、彼女は勝手に盛り上がり、震えて、吐息を漏らす。


「あっ、あっ! んああっ! ああああっ!」

 トロトロに蕩けた顔で、感謝を述べようとして動いた唇が、力なく閉じる。まあ言わずとも思いは伝わっている。


 その血の味が、こんなにも『嬉しい』と訴えかけているのだから。

 ……今夜は胸焼けしそうだ。


「皆、よく聞け」

 ぐったりとした従者を治療のために預けてから、俺は俺を敬うように見つめる部下達に、呼びかける。


「これで、この国の裏の歴史が一つ幕を閉じた。我々の糧として、その役目を終えた。この血を以ていよいよ、日の当たる場所へと、我らは打って出る!」

「おお……カイ様っ! ついにっ!」

「おおおおっ!」


 先ほどの従者の少女と同じ、歓喜に満ちた声が、静かに、地鳴りのようにあたりを覆う。


「暗闇を忘れた人間どもに、我らの牙を存分に突き立てる時だ。各自その日に向け……備えよ!」


 地鳴りは、瞬く間に大合唱となって爆発した。

 それは静かに眠っていた森を土足で踏み荒らし、蹂躙するさまを見ているようだった。


 次にこうなるのは、そう、人間たちの世界だ。


 俺の名を声高に叫び続ける部下たちを尻目に、俺は用意されていた車に乗り込む。

 後部座席から、俺に向けて大歓声を送るのを止めない部下達と、そう、炎に包まれる屋敷を眺めて。


「よろしかったのですか? 火を放っても」

 一緒に乗り込んできた側近の彼女は、俺の表情を窺うように言葉をかける。

「これでは見せしめの死体も燃えてしまいますが」

「構わん」


 そもそも最初から、そんなつもりはなかった。


 ただ、それ以外に彼らを……あの二人を、静かに弔ってやる口実が見つからなかっただけだ。

 敵とはいえ、俺にもそれくらいの情けはある。


「まあ、あんな古物どもなど、見せしめにもなりませんものね」

 そう言って彼女は笑う。嘲るように。

「……そうだな」

 俺は、複雑な思いで燃える屋敷を眺めていた。


 彼女が侮るあの男は、誇り高き大妖怪という触書に相応しい男だった。

 人間と、俺達とは別の形で共存を目指し、そして、多くを取らず満足していただけだったのだろう。奴ならモンスターと人間の平和な未来を、或いは築くことができたかもしれない。


 だが、勝ったのは俺で、死んだのは奴。


 いまだ部下の態度や言動すら御しきれない俺が生き残ったのは、何とも言えない皮肉だ。本当に、勝者の位置にいるべきは……。


 ――そんな思いで屋敷を眺めていると、俺の思いをくみ取ったかのように、一瞬だけ、炎が不思議な光を放った気がした。


「……」

 敵対など、したくなかった。

 だが、俺達が進む以上、必ずどこかで立ちふさがるというのなら。


 始末しなければ、ならない。


「逆らわなければ、死なずに済んだものを」

 そう、俺達……。

「吸血鬼に逆らわなければな」

「ええ、本当に」

 彼女も、俺に倣うように燃える屋敷に目を向け、美しい横顔を見せながら言った。


「無能で愚かな連中です」

 ……彼女は、俺があのセーラー服の少女の血は美味かったと言ったら、少しは彼らを敬ってくれるだろうか。

 心の中に少しだけ寂しさを感じながら、この日、俺はこの国の歴史の一つを終わらせて帰路についたのだった。


 そう、次は人間どもの歴史に、幕を閉ざすつもりで。


 まさかこの一夜が、この世界の最後の一夜になるなどとは、つゆとも知らずに。


――


 ――朝だ。


 気持ちのいい朝というのは二種類ある。一つはまどろみの中で、日の出と共に迎える朝。


 吸血鬼なのに日の光を語るなんておかしいと思うかもしれないが、そもそもそれが誤解だ。確かに我ら吸血鬼は夜行性だが、日の光を浴びて灰になったり、極端に弱りはしない。


 そう、は。


「……」

 ベッドから起き上がり、薄暗い部屋を歩いて洗面所へ向かう。俺の部屋を薄暗くしているのは別に俺が日の光に弱いからではなく、俺がこういう静寂に閉ざされた朝も好きだからというだけだ。

 矛盾するようだが、まだ空が目覚めていない時間にこうして一人眠る地面を踏みしめるのも悪くないと思っている。


「……」

 洗面所で顔を洗い……ああそう、吸血鬼の弱点の話だったか。改めて言うが、吸血鬼の弱点というのは結構な部分で誤解されている。


 日の光に弱いだの、十字架を見せられたら怯えるだの、心臓に杭を打たれると……いや、最後のは普通の生物なら死ぬと思うのだが。

 そういったもろもろは、実はほとんどの吸血鬼には当てはまらない。俺は別に日の光を浴びても平気だし十字架を見せられても自分は神道だと答えるし、心臓に杭は……。


「……ん?」

 さて、今日は妙に静かだ。


 いつもならこのくらいで『おはようございます、我が君』と声がかかり、本日も麗しくとかそんな前置きで一日が始まるのだが、今日に限っては誰もいない。


 ……そういうわけでもう一つの気持ちのいい朝は『たまには一人でのんびりできる朝』だ。吸血鬼の当主なんてやっているから、予定は一日にたっぷりと詰まっている。これでも忙しい身なのだ。

 ふむ、一人でとりとめもない思考に時間を費やすのも久しぶりだ。今日はたまたま従者が寝坊でもしたのか。まあ、そんなことで怒りはしない。珍しく気持ちのいい朝になったのだから。


 折角だから話を続けようか。


 有名な弱点『日の光に弱い』吸血鬼なんていうのはほとんどいない。が、ややこしいことに、恐らく過去にはいたのだろう。

 ほとんどの吸血鬼は、と前置きしたのはこういう事情なのだ。これほど有名になった弱点だ。我々が本来夜行性というだけでは説明がつかない。

 だから過去、人間と接触した吸血鬼が、たまたま日光に極端に弱いという弱点を持っていたのだ。


 勘のいい者ならここで気づくだろう。

 そう。我ら吸血鬼は、一人一人弱点が皆違うのである。


「服……」

 伝承とはいい加減なものだ。

 日の光に弱い吸血鬼が一人いたならば、我ら吸血鬼を知らぬ人間は『全ての吸血鬼は日の光に弱い』などと誤解する。

 そうして吸血鬼と接触する度違う弱点が伝承されていくのだから、現代の吸血鬼はあれもダメこれもダメと随分とデリケートな生き物になってしまったのだ。

 中には流石に人間の創作なのではないかという弱点まであるが、真意のほどは我ら吸血鬼にも定かではない。実際いたかもしれないのだから。


 それに、俺達吸血鬼と『弱点』が切っても切り離せない関係なのは事実だからな。


「……」

 パジャマを脱いで白いシャツに袖を通す。アイロンの効いた、新品のようなまぶしい白さが肌を滑る感触が気持ちいい。

 すらっとしたズボンに、特注の、赤い装飾を施したベスト。我が家に代々伝わる宝玉をあしらったブローチタイを巻き、鏡の前に立つ。

 自前の銀色の髪が光り、白い肌に浮く赤い瞳がこちらを真っ直ぐに見つめる。


 そういえば鏡に映らないなんていう弱点もあったか。実際そんな弱点を抱えていたら、毎朝の髪のセットも大変だろうなと同情する。

 まあ、そんな弱点でも俺のと比べたらどっちがいいのか分からないがな。


「……さて」

 支度は終わった。

 益体のない話もここまでだ。

 また今日も忙しい一日が始まるだろう。


 俺は薄暗い、まだ眠る部屋のドアを開け、照明のついた廊下へと出て……。


「……え?」


 思わず、声が出た。

 目の前に何かがあった訳じゃない。そこはいつもの、絨毯の敷かれた見慣れた我が家の廊下。


 問題は、何もなかったことだ。


「……誰も、いない?」


 それは、明らかにおかしな光景だった。


 俺の部屋の前に普段からついている護衛がいない。俺を出迎える腹心の部下もいない。

 誰もいない。


 ここにきてようやく、俺は『何か』が起こったことに気付いたのだ。


「何、が」

 思わず神経を研ぎ澄まして周りを探ってみるが、誰の気配もない。聞こえてくるのは空調の音だけ。

 まるで人っ子一人いないような……。


「ッ!? まさかっ!」

 この突然の状況の一変、まさか、いつものが発動したのか?

 いや、そんな筈はない。いつもの感じはしなかった。それにアレが発動していたとしても関係なしに……これは異常事態だ!


「誰かッ! いないかーっ!」

 少し大きめに声を上げても、誰も答える者はいない。


 俺は不安の中駆けだした。

 俺の部屋がある七階から、六階、五階、廊下を一通り駆け回りながら降りていく。


「四階までもぬけの殻なのか!?」

 三階、二階ときて、とうとうロビーのある一階にたどり着いてしまった。

「何が、どうなっている?」

 俺は困惑するままに、玄関のドアに手をかける。

 ひょっとすると皆外にいる、そんな淡い期待で、ドアを開き……。


「……」


 ドアの向こう、そこは見慣れた、人間たちがせわしなく暮らす街ではなく。

 荒涼とした大地の広がる、別世界だった。


「……」

 一回ドアを閉める。

 で、開ける。

「……変わってないか」

 まあ、変わるわけないのだが。


「一体、なんだ、これは?」

 地平線の向こうまで続く渇いた大地と荒々しくそびえる山々。点々と背の低い草が生えた、やせこけた大地。見覚えのない、景色。


 空はまだ目覚めていない。今の俺の不安と重なるように薄暗く立ち込める空だが、もうすぐ目を覚ますように、地平線の向こうは白み始めている。


「これは……あれか」

 人間たちが我ら吸血鬼に侵略される前に自ら滅びたのか? ほら、核戦争とか第三次大戦とかなんかそういう。

「……笑えないな」

 現実逃避したがそれだとこの城に誰もいない説明がつかない。


 ここまで降りてくるのに誰とも会わなかった。それだけでなく、どこにも争った形跡すらない。どんなに取り繕おうとも、血の一滴でも漏れていれば吸血鬼の鼻はごまかせない。

 その血の匂いすらしなかったという事は……。


「何らかの形で……魔法や呪術で城ごと別の場所に転移? いや、それは不可能な筈……」

 俺がいる限り、そんなことはできる訳がない、のだが……。

「なんにせよ情報が足りない」

 俺は一度外から視線を切り、城の中を探索すべきかと踵を返そうとした。こういう時は悩んでいても仕方がない。何が起きているにせよまずは現状の……。


「ん? 何だ? 何か迫って……」

 視界を切る直前、地平線の方から何かがこちらにやってくるのが見えた。吸血鬼の視力でも細かい部分は見えないが、人型が、群れを成して迫ってきているように見える。


「人間、か……ん!? いや、あれは……」

 見慣れた人型のシルエットに自然と人間を連想したが、その予想を裏切るように徐々に大きくなっていくそいつらは……。


 揃いもそろって、皆灰色の肌をしていた。

 手にはその身の半分ほどの、こん棒、のようなものを担いで。


「……本当に、何処なんだここは?」

 あれなのか? 小説や漫画で流行の異世界というやつか? 妙にファンタジーな風貌の、いや、吸血鬼の俺が言うのもおかしいかもしれないが、物語に出てくるモンスター的な何かが闊歩している世界なのか?


 ……まあ、いい。


「情報が向こうからやってきてくれるとはな」

 別に、誰がいくらかかってこようと問題ではない。

 向こうに害意や悪意があるかは分からないが、あれは多少手荒なことになっても構わないという手合いだ。むしろ好都合というもの。


 なら、容赦なく……。


「ぐっ!?」

 そう、一歩踏み出そうとした。


「なっ!? く、まさかっ!? こんな時にっ!?」

 踏み出した足がぐらつく。

 視界が急にぼやけて、途端に力が入らなくなってくる。


「ま、ずっ、い、いま……はっ……!」

 部下達が誰もいない中、マズいと思いつつもどうしようもなく。

 襲い来る、強烈なソレに、俺は抗う事などできない。


 ――吸血鬼には、それぞれ固有の弱点がある。


 かつてあるものは日光を恐れ、あるものは川を渡れないと嘆き、あるものは鏡にも映らなかったという。

 全てがそうなっているとは言えないが、その強さに比例するように、弱点もまた大きく重いモノになっていく傾向がある。


 俺はたった16歳の身で吸血鬼達の頂点に立ち、尊敬と羨望を欲しいままにしてきた。

 家名と、そしてこの身の丈に合わない『圧倒的な強さ』によって。


 そんな俺の弱点は、融通の利かない、そして何とも分かりやすく……厄介なものだった。


「せ、めて……ドア……閉め」


 膝が崩れて、意識が遠のく。

 あれこれ考えようとしてももう何もやる気が起きない。


 とどめに、


「お……やす……さい」


 『強制睡眠』。

 突然降りかかる、抗えない眠気の前に力は屈する。

 そう、俺は最強ではあっても、無敵では、な……い……。


 光が空を満たし、朝日が昇る。


 俺はあの時、見知らぬ世界の扉を開き、一歩を踏み出した。そう、踏み出したのだ。

 その一歩の先にはどんな世界が待っているのか、それは分からない。だが、確実に一つ、言えることがある。


 俺の第一歩は、どうやら足踏みで止まってしまったらしい。


 今日もまた、一人深く暗い夢の中へと沈みゆく。

 そうして俺は、人間どもの支配を目前にして、全てを白紙に戻されて。


 ――物語が始まるのは、それからおよそ90日後である……。



<現在の勢力状況>

部下:???

従者:???

同盟:???

従属:???

備考:カイの弱点『強制睡眠』が発動中





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