「アンちゃん、センセイの目の前……それも視点がちょうど収まり良さそうな四列目のど真ん中で爆睡するのは流石にまずいよぅ……」

　二限は実習なので流石に寝まい……とやや安堵しつつも、きゃいきゃい騒がしい女子更衣室のすみっこでのろのろと学校指定のド派手なオレンジ色のつなぎに着替えていたら、そんな遠慮がちな声が背中からかかったのだけれど。

　いやぁ週初めの初っ端からあの最大級誘眠系呪文のような言葉の羅列を、あの射程距離でぶつけられてごらんよ……みたいな言葉を返す私のうしろには、焦げ茶色の綺麗な髪を両サイドで三つ編みにまとめた、気弱そうな眼鏡っ子……私の友達、エッコがもう着替えてこちらをおどおどと見ているのだけど。

「アンちゃん聞いた？　なんかカッコいい実習生が来てるって噂……次の授業、補助でつくみたいだよ……」

　おっと。私とエッコは同じ波長の陰キャラ同士なれど、ちょっとその辺りのベクトルは異なっているんだよね……恋だとか、愛だとか、私はそうゆうの疎（ウト）い系なんだけど、彼女はおとなしそうな見た目やら言動挙動やらからはあにはからんや、そういう乙女チックなものに結構食いついちゃう、まあ健全っちゃあ健全なメンタルの持ち主なわけで。

　いやまあ、私もまったく気にならないというわけでもないけど。

　私の通う此処、「都立インダストリア工業高校」は、……うん、わかる。けったいな校名（ネーミング）だということわ……どっかの言葉で「工業」を表すそうだけど、それなら「都立工業工業高校」になるよね……創立者のセンスを疑うこととめどないけれど、名前に反して、レベルは高い。男女率は珍しく１：１くらい。そして私の目指す「目標（ゆめ）」には、実は最も近い学校なのである……(それに家からいちばん近い)

　だもんで、授業はともかく「実習」はきちんと受けておかないと、という思いはある。それにプラスして男前（イケメン）が指導してくれるなんていうオプションがつくのであれば、やる気は否応増すってもんだわぁぁぁ……だって同じクラスの男子たちってどうにも冴えない各地区代表を取りそろえた感があるほどのテンプレ的なイモさを誰もが有しているのだものぉぉぉ……

　いまや完全に眠気は去り、私は自分の工具箱をよいしょと携えてエッコと一緒に教室のある棟と渡り廊下で繋がれた「別棟」へ向かう。でもふと感じた外気はやっぱり心地よいふんわり陽気で、ああ、校庭脇の芝生に寝転んで昼寝でも出来たらなあ……とか、また最大欲求のひとつが明らかに突出していると思われる私はそんなことを思い浮かべてしまうのだけれど。

　別棟一階の東側は、吹き抜けの巨大なホールになっている。ま、「ホール」と言っても「仕切りの無い大空間」的な意味合いであって、打ちっぱなしの灰色がどんより澱む、色気も何もないところだ。

「……本日は『自動車』の駆動システムについて、実際に体験しながら学んでもらうっ。今回から５回っ、こちらのツクマ先生にお手伝いをお願いしているので、粗相の無いようにっ」

　いかにもな体育会系教師、ゴリカワのいかにもなガラガラ声に辟易としながらも、私を含めた女子ら全員の視線は、その隣にしゅらりと立つ、一人の涼やかな「青年」に一点収束しつつあったのであった……

　身に着けているのは平凡なスーツであったものの、それがかえって着ている人の個性を際立たせているかのようで。猿人（ゴリカワ）とは種族が違うんじゃないかと思わせるくらいの彫りの深さ、それに体躯……ゆるやかなウェーブを描く肩くらいまでかかる黒い長髪が、決して鬱陶しさを感じさせない……いや逆に涼しげな風をこちらに運んで来るかのような……そして常に優しさを含ませたかのような微笑をそのつるりとした顔に湛えている……

「はじめまして。都立中央大、工学部機械システム学科を専攻してます、学部四年の『ツクマ＝シューイチ』と言います。どうぞよろしく」

　型通りの挨拶が、これほどまでこちらの心の琴線を震わしてくるとは……甘く、落ち着いた声（イケボ）が、殺風景なこの空間に色とりどりの花を咲かせていく……

　まるで創作（フィクション）の中から飛び出してきたかのようなその佇まいに、私は図らずも、きゅんとなってしまうのだけれど。いけないいけない。実習大事、実習大事。

「……」

　うんでもやっぱりエッコ、ドはまりするよね……よくそういう本とか読んでるもんね……傍らで愛しさと切なさと心苦しさを等量くらいに滲ませている友の横顔を見ながら、私はその「ツクマ」と紹介された美男子（イケメン）に焦点を固定（ロック）させたまま、どうやったら他の者どもを出し抜けるか、そのことだけを脳内に緻密に展開させ始めている。

　いや本末。でも少しでもお近づきになりたひ……心からの叫びが、思わず鼻の穴から抜け出ていってしまうかのように感じて、私は一旦鼻から強く息を抜き出させる。

　本物の「クルマ」がその内部構造をさらけ出しているという興味深いことこの上ない状況にも関わらず、私はうまく集中できないままでいるのだけれど。いかんいかぁん、集中―っ。