タイム

丸 子

あのときの母さん

母さんが死んで、もう七年になるか。

肺に癌が見つかってからは、あっという間だった。

六十五歳、まだ若かったよ。

特にバイタリティ溢れる人だったから年齢よりも若く見えたし、生命力故に簡単には死らないだろうなんて思っていてな。

苦しんで息を引き取ったけど、死顔はやけに綺麗で、化粧なんて必要ないほどだった。

息子の俺が見ても美しかったよ。

「母さんて、こんなに綺麗だったんだ」なんて蝋燭に火を灯しながら驚いた。


俺が今でも心残りしてることが一つあってさ。

まぁ、数え始めれば止め処なく出てくるんだけどさ、よく思い出すのが一つあるんだ。

それが寿司を食いたがってたこと。

なんかの機会で二人で晩飯を食うことになって、母さんが珍しくリクエストしたんだよ。

「お寿司が食べたい」って。

いつもは「何食べたい? お前の食べたいものでいいよ」って言うのにさ。

それで、俺は違うものが食いたかったわけ。

外に出るのも億劫だったし。

家にある残り物で晩飯を作ってもらって食ったんだ。

別にどうしても食べたかったものじゃないし、外へだって絶対に出たくなかったわけじゃない。

ただ、何となく、面倒だっただけ。

あのときの母さんの残念そうな顔が忘れられなくてさ、今でも思い出すんだよ。

「連れてってやれば良かったな」「せっかくなら回る寿司じゃなく、ちゃんとしたカウンターで旨い寿司を食わせてやれば良かった」。


入院してからも、もう悪くなって弱ってきた時だった、見舞って帰ろうとしたら「帰らないで」って言ったんだ。

驚いたさ。

自分の要望をするような人じゃなかったからな。

「え?」って聞き返したよ。

そしたら申し訳なさそうな顔して首を横に振るんだ。

俺も「娘の面倒見なくちゃいけないから帰るよ」って、弁解じみたこと言ったさ。

あの時も、一晩くらい嫁に任せて、泊まってやりゃよかったって今になって思うよ、何度も。



もし、巻き戻せるなら。

やり直しがきくんなら。

寿司を食いたがってた晩に戻りたいね。

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