7.探偵と暗殺者

 夜の公道を無数の車が駆け抜ける中、一際目を引く黒い車両が一台。

 多目的動力車両ウニモグ。高い汎用性と不整地走破能力を有し、荷台の改造次第では各種物資や機材の運搬、迫撃砲などの重火器も搭載可能な大型車だ。民間から軍用まで幅広く活躍している。

 クロガネが乗っているウニモグの荷台には屋根が設けられ、キャンピングカーのような広い空間と居住性に、様々な電子機材が並ぶ特殊部隊の指令車もかくやな内装が施されてあった。

「この車、ゼロナンバーの備品か?」

 後付けの後部座席に着いたクロガネが、機材の調整をしていた出嶋に訊ねる。

「――いや、僕の私物だ。元は普通のウニモグを僕の趣味で改造したのさ」

 元々高価なウニモグにつぎ込んだ改造費は一体幾らなのだろう? 貧乏探偵は怖くて訊けない。

「ていうか、運転は?」

 万一に備えて医者も居た方が良い、と言って付いてきた真奈が運転席の方を見る。

 荷台側のスペースにはクロガネ、真奈、出嶋の全員が揃っていた。

「――AI制御による自動運転だ。念のため、運転席には別の『端末』が居るから安心してよ」

 さらりと物凄いことを言う出嶋。真奈はクロガネに小声で話し掛ける。

(……今更だけど、この人は複数の機械人形オートマタを同時に制御できるの?)

(そうだけど?)

 クロガネ曰く、獅子堂家を守護するゼロナンバーとは、人間離れした専門技術や技能を有する奇人変人達人超人魔人狂人の集団である。〈ドールメーカー〉のコードネームが示す通り、出嶋はオートマタの専門家であり、その精通度は常人の理解を遥かに超越しているのだ。

(……信じられない、一体何者なのよ)

(何者って、出嶋……〈デルタゼロ/ドールメーカー〉は『狂人』だよ。美優の義体からだを造った時点でお察しだろ)

(あっ、それもそうか)

「――納得したかい?」

 聞こえていた。

「――現時点での交通状況から見て、あと二〇分ほどで目的地に到着する。装備の確認をしておこうか。スーツの着心地はどうだい?」

「悪くない。サイズもピッタリだ」

 移動中、クロガネは車内で出嶋から手渡された黒いスーツ――ゼロナンバーの制服に着替えていた。

「――そのスーツの表地と裏地の間には、最新式のボディアーマーを縫い込んである。セラミックス複合材と炭化ケイ素を重ね合わせたもので銃弾は貫通しない。とはいえ」

 出嶋は胸に手を当ててしかめっ面を見せた。

「――当たれば激痛が」

「だろうな」

 神妙に頷くと、出嶋は手近にあったガンケースを取り出し、蓋を開ける。中身は黒光りする鉄の凶器――拳銃だ。

「――45口径、キンバー1911……

 かつての同僚から愛銃を受け取る。二年の空白があったのにも拘わらず、しっくりと馴染むその感触に思わず苦笑した。

「……もう手にすることはないと思っていたんだけどな」

「――今は必要な力だ。これもね」

 鞘に収まったトレンチナイフを受け取る。

「――美優に預けていたものと同型のナイフだ。使い慣れたものが良いだろうと思って持ってきた」

 クロガネは呆れたように溜息をつく。

「……このスーツといい武器といい、随分と用意が良いじゃないか。まるで俺が殴り込むのを前提としていた周到さだな」

「――まるでも何も確信犯さ。僕の端末は玲雄坊ちゃんの方監視していたからね」

 つまりはクロガネの方も監視していたのだろう。美優の預け先がかつての仲間といえど、鋼和市屈指のトラブルメーカーとあっては開発者父親としても心配になるのも当然か。

「それならいつでも獅子堂玲雄を止めることが出来たんじゃないのか?」

「――個人的に坊ちゃんには、多少痛い目に遭って貰いたかったからね。あえて見逃していたんだよ」

「つまり、雇い主の息子を痛めつける口実欲しさに、俺と美優を利用したと?」

「――結果的にそうなるね」

 クロガネは再び溜息をついた。自身は介入せず、目的のためなら手段を選ばず、身内すら徹底的に利用する出嶋は、他の仲間からひどく嫌われている。

「……相変わらずだな、お前は」

「――照れる」

「間違っても褒めてねぇよ。それで、今どこに向かっているんだ?」

「――東区にある高級ホテル『バベル』だ」

 冷静に切り替えたクロガネの問いに、出嶋がそう答えた。

「――その最上階、スイートルームに玲雄坊ちゃんと美優が居る」

 出嶋はPIDを取り出し、鋼和市の立体地図を宙に展開させる。地図の一部が赤く点滅し、その場所を拡大。高さ約二五五メートル、地上五二階の高層ホテルだ。

「――獅子堂重工傘下のホテルゆえに、従業員全員が獅子堂の関係者。早い話が獅子堂玲雄を城主とする彼の根城だ。ここ数日はこのホテルを丸ごと貸し切っているため、ここに居る者全員が敵と言っていい」

 次にホテル全体と各階の見取り図を投影し、防犯カメラの設置場所と視界も解りやすくマーキングされている。

「ホテル貸し切って何してるの? 資金目的のパーティーとか?」

「――ああ、乱交パーティーだよ」

「ら……ッ!?」

 予想だにしなかった返答に、訊ねた真奈が絶句する。

 出嶋曰く、獅子堂玲雄は女子供を嬲る変態らしい。表向きは資産家らしく病院や教会、保育施設などに多額の寄付金を贈って恩を売りつけ、好みの女性を見つけては金の力に物を言わせて手籠めにしているという。

「――巡り合わせが悪かったら、ドクター真奈も坊ちゃんの毒牙にかかっていただろう」

「……笑えない冗談ね」

「――ああ、そうそう。これは先程、坊ちゃんが君たちの前に現れた頃にあった話でね、二日前から行方不明だった女子大生が飛び降り自殺を図ったそうだよ」

 突然、出嶋が痛ましい事件を語り出す。

「――そしてホテル『バベル』の宿泊記録によれば、坊ちゃんが借りているスイートルームに、その女子大生が二日間滞在していた」

「!?」真奈が息を呑んだ。

「――警察無線を傍受したところ、検死解剖の結果、自殺した女子大生の全身には特に性的暴力を受けた痕跡が見られたそうだ」

「そんな……」真奈が両手で口元を覆う。

「――我が子がそんな酷い目に遭っても、親は天下の獅子堂には逆らえない。むしろ大金を掴む方が利口として、黙って娘を差し出す親もいるくらいだ。警察もこれ以上は動かないだろうね」

「ひどい……それが、人間のすることなの?」

「……人間だからするんだろ。まして権力者だ、腐ったまま暴走し続けるから性質たちが悪い」

 真奈の悲痛な問いに、クロガネは冷淡に答えた。その眼差しは鋭く、怒気を帯びている。

「――腐っても獅子堂の跡取り息子だ。ホテル『バベル』で坊ちゃんを護るセキュリティはおよそ五〇人ほど、全員が拳銃で武装している。流石に屋内だからかライフル長物や爆発物は持ち込んでいない。脅威となり得るのはサブマシンガン程度だろう」

 出嶋は見取り図を回転させ、各階の防衛に就いているセキュリティ達の大まかな位置を赤いポイントで示した。

「――言うまでもないが、ポイントやマーカーはあくまで目安だ。くれぐれも過信するなよ。

 ――次に最大の障害となるゼロナンバーだが、坊ちゃんの護衛を務める〈〉……

 見取り図が消え、病院で遭遇した玲雄の側近――〈アルファゼロ/アサシン〉の顔写真が投影される。

 クロガネ――は、目を鋭くさせた。

「――彼は優秀な暗殺者だ。元々は民間軍事会社PMCの傭兵で過去に対サイボーグ戦を二度、対生物兵器BOW戦を一度経験し、四肢を欠損しながらも生還した。その辺の経歴を買われて獅子堂家に引き抜かれたらしいけど、実際は新しい義肢の被験者モルモットとして選ばれたのだろうな。

 ――両手足が軍用の機械義肢の上に、暗殺に特化したギミックを搭載している」

「ああ、身を以て知ってるよ」

 クロガネは義手で『指鉄砲』を作って軽く掲げる。

「――義肢は獅子堂重工製の高性能なものだ。機械化はギリギリ四割のデミ・サイボーグではあるが、性能面は五割越えのサイボーグと言っても過言ではない。くれぐれも気を付けてくれ」

 次に投影された映像は、オートマタ〈ヒトガタ〉だ。その名の通り人型のシルエットをしているが、出嶋や美優のような人間に酷似したアンドロイド/ガイノイドではなく、金属質のボディに丸いレンズ状の眼が二つと完全にロボット寄りの見た目である。〈ヒトガタ〉は世界中で最も売られている民間用オートマタの一種で、主に工事現場や炭鉱などの危険な場所での労働にこき使われている。

「――ホテル内には警備用の〈ヒトガタ〉が複数配備されている。本来は民間用だけど、獅子堂の人間を守るために殺人プログラムも実行できるターミネーターとして調整されている」

 クロガネは手にしていた拳銃を見る。対オートマタ用としては、少々火力不足だ。

「何かオススメの武器はないか? 威力と速射性に優れたやつが良い」

「――それなら、ベネリM4がオススメだ」

 出嶋は車内に積んであったペリカンケースから、イタリア製のセミオートショットガンを取り出す。狭い屋内でも取り回せるよう、銃身と銃床が切り詰められていた。

「――弾はスラッグの徹甲AP弾、至近距離ならオートマタの装甲も貫けるだろう」

 ショットガンを受け取ったクロガネは他に必要な装備を見繕い、美優の元に辿り着くまでの段取りを二人と打ち合わせた。


 やがて、目的地である東区の高級ホテル『バベル』に到着する。


「――ここだ。とりあえず、このまま通り過ぎて裏に回るよ」

 ホテル正面入口のガラス扉の外側と内側に二人ずつ見張りが立っているのを確認し、車はホテルの裏手へ回る。裏口も付近に見張りが二人、監視カメラもある。

「オートマタが見張りに出てないな」

「――獅子堂玲雄の近くに居るのだろう。彼は才能だけは一流だが、小心者だ」

 病院での一件を思い出す。武力が手元にある内は強気だが、それを失えば小物だった。駄目な意味で典型的な権力者と言っても良い。

 ハザードランプを点けて車を路肩に停める。

「――打ち合わせ通り、ホテルの明かりが消えたら警察と消防に通報しておくよ」

「ありがとう」

 クロガネの礼に、出嶋は少し間を置いてから口を開く。

「――幸運を。美優にもよろしく」

「気を付けてね」

「ああ、行ってくる」

 出嶋と真奈に見送られ、黒いコートを纏ったクロガネは車から降りてホテルを囲む高さ三メートルの塀に向かう。見張りの位置と監視カメラの死角は把握していた。

「ふっ!」

 三角飛びで近くにあった電柱を蹴り、塀の縁に手を掛けてよじ登ると難なくホテルの敷地内に侵入する。

「さて、ミッションスタートだ」

 掛けていた多機能眼鏡の位置を直し、機巧探偵は音もなく駆け出した。



「――ありがとう、ね。いやはや、本当に素直になったものだね」

 塀の向こう側に消えたクロガネを車内から見送り、出嶋は通報の準備を行う。

「……ねぇ、昔の鉄哉ってどんな感じだったの?」

 真奈が興味本位で訊ねた。彼女が知る過去のクロガネは、片腕を失おうが一人の少女を守るために戦い、心臓をも捧げた超弩級のお人好しという印象だった。

「――そうだな、昔の彼はロボットよりもロボットらしい存在だったよ」

 出嶋は懐かしそうに目を細めた。その仕草はとても遠隔制御しているアンドロイド端末とは思えない。

「――およそ人間らしい感情を持ち合わせていないってくらい、誰よりも冷静で冷酷で、無慈悲な奴だった」

 真奈はごくりと唾を呑み込む。機械である筈の出嶋の身体が震えていたことに気付き、それだけかつてのクロガネが恐ろしい存在であることが窺え――

「――それが今では多額の借金を背負う貧乏探偵とか、プクク……マジウケる」

「台無しだよっ」

 震えていたのは笑いを堪えていたからのようだ。先程までのシリアスな雰囲気を返して欲しい。

「――冗談はさておき、人間らしい今の彼があるのは莉緒お嬢様の存在が大きいね。ご当主が彼女の護衛を任せたのは、彼にとって大きな転機となったようだ。勿論、ドクター真奈との出会いもね」

「私?」

 突然話題の矛先が向けられて戸惑う。

「――少し前まで裏社会に身を置いていた人間が表で生きていくには、そちら側の支えが必要さ。僕の見立てだと、彼と貴女の仲は人並みに良い関係だ」

「人並みって……随分と普通な評価ね」

「――彼は特殊な環境下で育ったからね。その『普通』の人間関係を構築できたのは、本来ならばありえないことだ」

 それ程までに、クロガネの昔と今のギャップが激しいらしい。

「――今は彼のことをよろしく頼むよ、ドクター真奈」

 真奈は眉をひそめる。

「……今は? それはどういう――ッ」

 遠くで爆発音が聞こえ、ホテル『バベル』の明かりが一斉に消えた。

 散発的に銃声と思しき乾いた音が聞こえる。

「――始まったか」出嶋はPIDを操作して警察と消防に通報し、

「鉄哉……」真奈は不安を押し隠すように両手を組み、クロガネと美優の無事を祈った。


 結局、真奈が出嶋の真意を問う機会は失われた。



 突然の停電に、落ち着きなくスイートルームをうろついていた玲雄の元へ側近の男―― 〈アルファゼロ/アサシン〉が現れる。

「遅いぞ! 一体何事だ!?」

「落ち着いてください若旦那、現在何者かの襲撃を受けています。安全が確認されるまで、この部屋で待機していてください」

「ここは獅子堂のホテルだぞ!? この俺が居るのに襲撃だと!?」

 男の進言を無視してまくし立てる玲雄。襲われる心当たりはあるだろうに。

「若旦那、冷静に。我々が付いてい、ま……す」

 何気なく周囲を見回すと、ベッド上に居た美優の姿に息を呑む。この暗闇の中、彼女は緑色の義眼を淡く光らせ、こちらを――厳密には玲雄を恨めしく見つめていた。その視線が玲雄を取り乱す一因になっているのだろうか。

『こちら一階ロビー! 聞こえますか!?』

 突然、無線機から切羽詰まった連絡が入り、その背後で銃声が聞こえた。

「どうした、何があった?」

『現在何者かの襲撃を受けています! 数は不明! 至急応援――』

 ブツリ、と通信が途絶えた。

「どうした?」玲雄が訊ねる。

「一階が制圧されたようです」

「何だと!?」

「これから迎撃に向かいます、若旦那はこの部屋から出ないように。入口前にを配置してください」

「わ、解った」

 冷静な指示を出すと素直に従う玲雄。男は部屋を出る直前に美優を見た。

 敵の目的は獅子堂玲雄か、安藤美優か。

 一瞬、殺した筈の探偵の顔が脳裏をよぎり、「何を馬鹿な」とかぶりを振る。

 ……切り替えよう。相手が何者であれ、仕事の時間だ。

 懐から拳銃を抜き、暗殺者は通路を走った。



 時限式のC4爆弾で地下にあったホテルの電源を破壊したクロガネは、停電と同時に奇襲を仕掛けて瞬く間に一階を制圧する。

 倒したセキュリティから無線機と拳銃を奪い、オープンチャンネルで応援を呼び掛けながら監視カメラを破壊していく。

 弾切れになった拳銃を捨てて自前の拳銃を抜くと、ドカドカと複数の足音が聞こえた。閃光手榴弾スタングレネードを取り出して口でピンを抜き、中央階段の踊り場に投擲する。

 強烈な閃光と轟音が炸裂し、新手五人が為す術もなく失神した。

「あとは警察に丸投げだな」

 一流ホテルには緊急時用の安全管理AIが別動力で備え付けられている。爆破した時点で消防と警察に通報している筈だ。仮に獅子堂玲雄の意向でその機能が止められていたとしても、出嶋の方で通報しているだろうから問題ない。

 あと十分も掛からず、このホテルは警察と消防によって包囲されるだろう。

 敵の退路を断ったクロガネは階段を使い、足早に上へ上へと目指す。

「一階が制圧された、敵の戦力は想像以上だ。エレベーターも使えない、階段を上って二階と合流する」

 努めて焦った演技をしながら無線にそう報告し、二階のセキュリティ達と遭遇する。

「無事か?」

「ああ、俺はな」

 暗闇も手伝って似たデザインのスーツから味方だと思い込んでいた敵の眉間に、容赦なく非殺傷性のゴム弾を撃ち込んだ。

「ガッ!」

「何をすゴフォ!」

 容赦なく撃ち倒した。

『――殺さないのかい?』

 戦闘の合間にモニターしている出嶋から通信が入る。

「俺は殺し屋じゃないし、美優の教育に悪いだろ」

 敵の拳銃を奪い取ってカメラを次々に破壊し、銃声で駆け付けた新手の懐に入り込み、速やかに無駄なく昏倒させていく。

 死角から飛び出してきた敵が拳銃を掴んだ瞬間、躊躇なく手放して喉仏に手刀、手首を返して鼻っ面に裏拳、鳩尾に正拳突き、トドメの一本背負いで床に叩き付ける。

 拳銃を拾ってコートの裾を掴み上げて顔を庇うのと、通路奥にいる二人が発砲したのが同時。防弾コートを盾に敵弾を防ぎつつ前進し、発砲。股間にゴム弾を喰らった一人がその場に崩れ落ち、もう一人にハイキックを見舞わせた。

 股間を押さえて悶絶している敵の頭にゴム弾を撃ち込み、周囲を警戒しつつ弾倉交換を行う。敵の拳銃が自身のものと同型であるのを見たクロガネは、昏倒させた敵の腰回りをまさぐり、実弾が詰まった弾倉を奪って空いたポーチに収めた。


 奪った無線から敵の情報が流れてくる。時折偽の連絡をして誘導し、撹乱し、立ちはだかる敵を薙ぎ払い、時には被弾に耐えつつ、上へ上へと駆け上る。


 最上階に近付くにつれて、オートマタが現れ始めた。

 拳銃をホルスターに収めてコート裏に吊るしていたショットガンを構え、安全装置を解除する。

 全力で駆け出すと同時に、クロガネは自身の脳から全身の神経を通って光が行き渡るようなイメージを思い描く。

 オートマタが手にしているのはサブマシンガンだ。それも二挺持ち。

 拳銃とは比べ物にならない連射速度で銃弾の群れが殺到した――瞬間、カチリと脳のスイッチが切り替わるような感覚と共に音が遠のき、クロガネの眼に映る世界が色褪せる。まるで水中にいるかのように全てが重く、遅くなった世界の中で、ゆっくりと無数の銃弾が迫ってくる。余裕で弾道を見切ったクロガネは、射線に重ならないように重心を落として姿勢を低くした。

 直後、世界が元の速さを取り戻し、銃弾の群れはクロガネの鼻先を素通りしていく。そのままスライディングで一気に間合いを詰め、〈ヒトガタ〉の頭に徹甲弾を二発撃ち込んで吹き飛ばす。すぐさま身を起こし、背中全体で首無し人形を支えると、別の〈ヒトガタ〉が放つ銃弾から身を護る盾代わりにした。

 やがて弾切れになったタイミングで飛び出し様にショットガンを発砲し、二体目も撃破する。

「ふぅ」呼吸を整え、軽い頭痛を振り払う。


 ――生存の引き金サバイブトリガー


 クロガネが便宜的にそう名付けた特殊能力だ。

 脳内のアドレナリン分泌量を増幅させ、視覚情報の処理能力を一時的に底上げし、目に映る全ての動きをスローモーションで捉える。人間なら誰しもが備え持つ『目前に迫る身の危険を回避する生存本能』を、クロガネはいつでも任意のタイミングで発動できるのだ。

 その上で的確な動作に素早く移行できるため、こと一瞬の判断が明暗を分ける戦闘では非常に強力な能力である。

 ただ、その反動として脳に掛かる負荷が大きく、常時発動していると凄まじい頭痛に見舞われ、まともに動けなくなる。反動を最小限に抑えるため一回の発動時間は体感で二秒程度と短く、使いこなせば強力だが使いどころの見極めが難しい能力ともいえた。

 ホルダーからショットシェルを取り出して装填――即座に中断し、拳銃を抜いて二連射。物陰から飛び出したセキュリティがその場に崩れ落ちる。

「あっぶね……」

 肝を冷やした。相手がオートマタだとゴム弾は通用しない。拳銃をホルスターに収めて落としたシェルを拾い、改めてショットガンに装填して先を目指す。


 通り過ぎた客室のドアを音もなく開けて現れたアルファゼロが、クロガネの背中に銃弾を三発撃ち込んだ。

「ぅぐッ!?」

 まともに被弾したクロガネはよろめき、激痛に耐えながらも振り向きざまにショットガンを発砲。

 寸前で客室に隠れたアルファゼロは難を逃れ、徹甲弾は開いたままのドアを破壊する。

「お前は……病院では世話になったな! 是非ともお返しを受け取ってくれ!」

 拳銃に切り替えるクロガネ。

「全力でお構いなく!」

 部屋から飛び出し、向かい側の物陰に滑り込むアルファゼロ。

 移動しながら両者は撃ち合い、互いの銃弾が標的を捉えぬまま背後の壁に無数の弾痕を生産した。

 背中合わせになる形で、二人は物陰に身を潜める。

「……まさか生きていたとは、ゾンビか貴様」

 口調を素にしたアルファゼロは、空になった弾倉を交換する。

「日頃の行いが良かったんだろ」

 クロガネも弾倉を交換し、後退していたスライドを閉じる。

「それはないだろ、トラブルメーカー」

「ぬかせ」

 再び同時に飛び出す。お互い義手で顔を庇いつつ、銃弾の応酬を繰り広げる。

 五秒も満たない短時間で弾倉一本分の弾丸を使い切り、先に膝を着いたのは――

「……く、そがッ」

 ――クロガネの方だった。

 義手で顔を護り、防弾仕様のスーツで一発たりとも貫通していないが、それは相手も同じこと。同じデミ・サイボーグでも機械化が二割と四割の差、耐久力は元より体調面、そして使用弾薬の違いが明暗を分けた。

「非殺傷性のゴム弾か……随分と甘いな」

「~~ッ、不意討ち、しておいて仕留め、損ねた奴に、言われたく、ないね」

 貫通していないとはいえ、着弾時の衝撃と激痛は相当なものだ。折れた肋骨にも響き、痛みに耐えながら皮肉をぶつける。

「……確かにな。今度は確実に仕留めよう」

 距離を置いて油断なく弾倉交換を行うアルファゼロ。クロガネは痛みを無視して立ち上がり、空になった弾倉を排出して蹴り飛ばす。

「なッ!?」

 予想外の攻撃に驚くも、アルファゼロは顔面に飛来してくる弾倉を避けてクロガネに銃口を向ける。

 その射線上に左手を突き出しながらクロガネは突っ込んだ。立て続けに吐き出された銃弾は全て、鋼鉄の義手によって阻まれる。

 アルファゼロは弾切れになった拳銃を捨て、両腕――義手のギミックを作動。手首に仕込まれたナイフが飛び出す。

 クロガネもトレンチナイフを抜いて突撃する。


 互いの得物が相手に届く間合いまで、あと一歩。

 

 ふと、アルファゼロは気付いた。

 クロガネの視線が僅かに逸れていることに。

 彼の口元に、小さな笑みが浮かんでいることに。

 そしてアルファゼロのすぐ背後で、何か重い物が落ちた音が聞こえた。

「――ッ!?」

 それは時間にして刹那にも満たない僅かな空白。

 一瞬とはいえ、眼前の敵から背後に意識を向けてしまったアルファゼロは。

 次の瞬間には、ボディに文字通りの鉄拳を喰らってしまった。

「ガハッ!?」

 身体をくの字に曲げつつも、指鉄砲をかたどった右手をクロガネに向ける。

 クロガネは突き出された二本の指――銃身を義手で掴んでへし折った。

「こ、のッ!」

 首筋目掛けて突き出した左手首のナイフはトレンチナイフの刃にいなされる。

 そして、柄に備わったナックルガードで左頬を打ち抜かれた。

 意識が断たれなかったのは不思議なくらいだ。殴り飛ばされてチカチカと火花が散るアルファゼロの視界に、床に転がったクロガネの拳銃が映る。

「……突撃した時、後ろ手に拳銃を投げていたのか」

 突き出した義手は銃弾から身を護る盾としてではなく、アルファゼロの視線と注意を引き付けるものだった。そして右手に持っていた拳銃を背中に回してアルファゼロの頭上を大きく超えるように投擲し、時間差で背後に落ちた拳銃に意識を逸らせて僅かな隙を作った。その成功率を少しでも上げるため視線による誘導と不敵な笑みも計算に入れて。

「まるで奇術師マジシャンだな。だが、私も負けていない」

 アルファゼロは指鉄砲をかたどった左手をクロガネに向けた途端、

「ッ!?」その指鉄砲が暴発した。

 銃身の役割を担う人差し指と中指が破裂し、親指と薬指があらぬ方向に曲がり、割れた関節部からは千切れた神経ケーブルがはみ出ている。

「タネが割れた手品を披露するのは、奇術師マジシャンとして失格だ」

 そう語るクロガネの手にはいつ抜いたのか、銃口から硝煙を吐き出している小型リボルバーがあった。ちなみに装填してあるのはゴム弾ではなく実弾、それも通常よりも火薬量を増やして威力を底上げした強装弾だ。

「……何をした?」

 クロガネは事もなげに種明かしをする。

「……は?」目が点になるアルファゼロ。

 彼は知る由もないが、指鉄砲を向けられた瞬間にクロガネは『生存の引き金』を発動させて体感時間を引き延ばし、指鉄砲の射線と重なるようにリボルバーを撃った。つまり、義手の指先に仕込んだ直径十ミリの小さな銃口を狙撃したのだ。

 人間離れした射撃技術は元より、『生存の引き金』による瞬間捕捉と精密動作があってこそ実現した芸当である。

「両手が壊れた以上、銃は使えない。お前の負けだ」

「……どうかな? 武器ならまだあるぞ」

 アルファゼロは両義足のギミックを作動。一瞬でズボンを裂き、脛の部分から刃渡り二〇センチ程の刃が飛び出す。

「シャッ!」

 仕込み刃と共に鋭く放たれたハイキックを、クロガネは紙一重で躱した。

「まだだ!」

 跳躍し、全身のバネをフルに使った回転蹴り。着地してから両手首の仕込みナイフを交えた怒涛の連続攻撃を繰り出すが、クロガネには掠りもしない。

 クロガネは突き出された右手首のナイフを義手で掴んで握り潰し、続いて突き出された左手首のナイフはリボルバーのグリップと義手の拳による変則的な白羽取りからへし折った。

 刃を仕込んだ義足キックを躱しつつ、回し蹴りを放つ。

 クロガネの踵を、アルファゼロは片手で防ぐも、

「ぬるいッ!」

 止められた足を軸にクロガネは身を捻り、全身を宙に浮かせて逆足での回し蹴りを放つ。回転で威力を上乗せされた踵が、今度こそアルファゼロの側頭部を捉えた。

「ガッ!」

 吹き飛ばされるも、蹴りを喰らうと同時に首を捻って衝撃を逃がしたアルファゼロの格闘センスも凄まじい。

 すぐに体勢を立て直そうとして――クロガネのリボルバーが二回、火を噴いた。

 両義足の仕込み刃が根元から撃ち抜かれる。

「隠し武器は一回限りの奇襲にしか効果がない。仕留める前に切り札を見せてしまったのは失敗だ」

 クロガネは武器を失ったアルファゼロの両鎖骨を狙い撃つ。防弾で貫通こそしないが、着弾の衝撃で骨折した。たまらず、アルファゼロはその場に崩れ落ちる。

「グッ……貴様、何者だ?」

 激痛で顔を歪ませ、戦意が揺らぐ目を向けて訊ねる。

 悠々とリロードを行いつつ、クロガネは答えた。

「俺は〉だよ、

「なッ!?」

 驚愕に目を見開く当代のアルファゼロを置いて、投擲した拳銃を回収し、新たな弾倉を装填。そして、アルファゼロの横を素通りして先に進もうとする。

「……私を殺さないのか?」

 戦う術を失った暗殺者を仕留めるには、またとない絶好の機会だ。

「戦意のない奴に無駄弾は使いたくないし、今の俺はただの探偵だ」

 探偵は暗殺者を見下ろして言った。

「じゃあな殺し屋、もう会いたくない」

「……私もだ、探偵」

 擦れ違い様に別れの挨拶を交わし、クロガネは先へ進む。

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