15:門出

 次の日の放課後、舞莉が音楽室に行くと、朝から出しっぱなしの椅子が出迎えてくれていた。


「今日も合奏か。」


 黒板には『5時までパート練』『5時から合奏』と書いてある。


『吹部だけ部活あり、とか最悪。』


 窓から校庭を見下ろしても誰もいない。他の部の人たちはみんな下校しているのだ。吹部だけ、スイメイモールでの発表のために居残っている、というわけだ。


「やらかした分の取り返しかなぁ!」

といじってくる陸上部の男子を華麗にスルーして、音楽室に来た。



 ほぼやることのなかったパート練が終わり、低音パートは隣の音楽室に移動する。


「今日からスイメイモールバージョンにするから……、司会はこことここの言葉を変えればいいかな。」


 今日使った司会の原稿に、ボールペンで書きこんでいる高松先輩。


 合奏が始まった。どうやら顧問の森本先生は来ないようだ。


「まず、スイメイモールでは『ポカリ』吹きません。時間の都合上。」


 なるほど、『ポカリ』抜いてきたか。確かに、スイメイモールのお客さんは若者だけじゃないしね。いいチョイス。


「『若者』とか13歳のお前が言うなよ。ババくせぇ。」

と、年齢不詳の精霊・カッション。


『うそ、聞こえてた?』

「独り言と俺らに伝える念、使い分けろって。」

『はぁい。』


 独り言にちょっと気持ちが乗っかっちゃうと、2人に届いちゃうのかな……。まぁ、いいや。


「あと、今日やってみた感じ、『全力少年』を吹いてる時って何もダンスとかしないじゃん。だから何かパフォーマンスを入れようと思っててさ。」


 そういえばそうだった。ポップスの曲では、『キミの夢は、ボクの夢。』は『ポカリガチダンス』があったし、『Under The Sea』はダンスパフォーマンス、『前前前世』は寸劇があったもんね。


「だから、誰かに歌ってもらおうかなって。」


 う、歌!?


「うちらじゃ低すぎて歌えないから、パーカスの男子2人、どっちかで歌える人いない?」

「俺ドラムなんだけど……。」

 大島先輩が自分を指さして訴える。


「じゃあ司くんで。」

「えぇっ、俺ですか⁉︎」

「歌詞分かる?」

「と、途中までしか。」

「本番は明後日だけど、頑張って覚えてきて。覚えられなかったら歌詞見ながらでもいいから。」


 舞莉には、『先輩』という特権を使って、後輩に半ば強制させているようにしか思えなかった。


「それは、いくらなんでも無理があると思うんですけど。」

 腕を組み、舞莉はボソッと言った――つもりだった。


「えっ? 無理かな。」


 高松先輩がこちらを向いている。き、聞こえちゃった⁉︎

 聞こえちゃったんなら、とぼけられないな。しょうがない。


「あの……本番まであと2日なのに、まだ歌詞も分からない状態じゃキツすぎます。歌は楽器より、うまいヘタが分かりやすいと思うんですよ。司がヘタだっていうわけじゃないですが、変声期の声じゃ安定しませんし、やらない方がいい気がします。」


 それっぽいこと言えたかな。あっ、これもつけ足そ。


「それに、1曲くらい何もパフォーマンスなしで、私たちの演奏を聴いてもらってもいいんじゃないですか。」


 高松先輩からは何も言葉は帰ってこない。

 やべ、ぐうの音も出てない。言いすぎたかな。


「す、すみません。出しゃばりすぎました。」


「確かに、ひばるんの言う通りかもな、高松。」

 テナーの浅木先輩がうなずいている。


「やめた方がいい?」

 部員全員をキョロキョロ見ながら尋ねる高松先輩。


「うん。」

「歌いらないかもね。」

「いらない、いらない。」


 ど、同意してくれてる!


「じゃあ、この話はなしで。ごめんね、司くん。」

 高松先輩は手を合わせて謝る。


「やるじゃん、お前。」

 3頭身のカッションが、舞莉のほほをプニプニつついている。


「舞莉も、言う時はちゃんと言うんだね。」

 首元からのバリトンの声。


「舞莉は、ダメだと思ったことにはちゃんと言える性格だからな。」

「そうなの?」

「ああいう言葉に、俺は救われた。客観的に考えられてる。まぁ、舞莉は立ち位置がコロコロ変わるから、何考えてるのか分からねぇのが面白いんだけどな。」


 主体的に考えて相手に寄り添い、客観的に考えて物事に向き合う。


 そうは言っても、自身の問題と直面すると、その思考ができなくなるのが舞莉である。



「羽後ー!」


 廊下で楽器をしまった舞莉がケースを持って準備室に入ると、司から呼ばれた。


「さっきは助かった。もう、公開処刑になるところだった。ありがとう。」

 司は胸を撫で下ろしている。


「あ、うん。独り言で言ったつもりだったんだけど、聞かれちゃったみたいで。」


 持ってきたケースを、古崎先輩のケースの隣に滑らせるようにして入れこむ。


「そうだったんか! ホントに助かったよ。」

「まぁ、あの要求は無茶すぎたからね。」


 ため息混じりで舞莉は言った。


「カギ閉めるよー!」

 音楽室から部長の急かす声が聞こえた。


「やべっ、閉められる。じゃ。」

「うん、また明日ねー!」


 互いに手を少し振ると、別々の扉から準備室をあとにした。


 ――堤防決壊まであと6日――



 2日後、スイメイモールでの発表 本番。


 楽器をトラックに積みこみ、歩いてスイメイモールへと向かった。

 今日は午前と午後の2回の演奏がある。


「スイメイモールの裏側ってこんな感じなんだ。」


 水明駅と歩道橋でつながっている、まさに駅前のショッピングモール。舞莉も小さいころからよく来ているところだ。

『関係者以外立入禁止』のドアの向こうに、舞莉たちは入っていった。


 持ち運びができる人はトラックに積まず、ケースを持つなり担ぐなりしてここに来ている。舞莉のバリサクは、当然持ち運びできるものではない。


 重たく大きい楽器たちをトラックから下ろすと、舞莉は管楽器の人についていかず、またトラックの中へと入る。


「手伝うよ。」


 司がシロフォンに手をかけている。


「大丈夫。羽後は楽器置きに行っていいから。」

「人手不足でしょ?」

「……よろしく。」


 舞莉は司とは反対側を持ち、司の「せーの」の合図でシロフォンを持ち上げる。トラックと搬入口の床との段差を越えると、ゆっくり下ろした。


「ありがとな。」

「いいえ。他はない?」

「あとは1人でも持っていける。」

「わかった。」


 舞莉は、そこに置いてあった自分のケースを持つ。


「羽後、手伝ってくれたのか!」


 向こうから、ドラムを置きに行った大島先輩がトラックに戻ってきた。


「シロフォンだけですけどね。」

「いやぁ、ありがとう。」


 会釈をすると、舞莉は重たそうにバリサクのケースを持って暗がりへと消えた。



 楽器置き場にケースを置き、他の人より遅れて控え室に入った。外に出て喋っている人も多いが、何せ舞莉は精霊以外に話す人がいない。


 狭い6畳くらいの部屋の奥に長机が置かれてあり、机に埋めるようにして細川先輩が座っていた。


「志代、大丈夫?」


 数人の先輩は細川先輩を心配しているようだが、ほとんどの先輩は見向きもしない。

 細川先輩が顔を上げる。顔は青白く、とてもこれから演奏できそうではない。


 舞莉は声をかけようとした、が。


「パーカスにいらないから。」


 まさにその本人から言われたことが頭をよぎり、舞莉の歩みが止まる。


「……。」


 誤魔化すように壁に寄りかかった。


『散々私をいじめてきて、私がパートを移動したとたんに休み始めて。……なんなんだろ。』


 そう舞莉の声が聞こえても、スティックに宿るカッションとストラップに宿るバリトンは、バッグの中に閉じこめられているので状況が分かっていない。


 精霊たちの声は聞こえてこなかった。


 時間になり、舞莉たちは楽器置き場に戻って、音出しを始めた。



『関係者以外立入禁止』から、吹奏楽部員たちがゾロゾロと出てきた。すでに用意されている椅子に座り、位置の微調整をする。


「舞莉、今日もやっていいのか?」


 必死に楽器を温めている舞莉に、弾んだ声が聞こえてきた。


『いいよ、カッション。だけど……細川先輩にだけ、耳に届く音をちっちゃくできるかな? 無理して来たっぽいから。』

「……おう、わかった。やってみる。」


 等身大のカッションは、ちらりとパーカスの方を見やってうなずく。


『あ、バリは佐和田先輩のフォローよろしく。』

「うん。オッケー。」


 バリトンはスっとストラップから離れて、片足を立ててしゃがんだ。カッションはパーカスの方に移動した。


 目の前の客席は満席、その後ろには分厚い人垣、2階からもこちらも見下ろしている人がたくさんいる。

 そして、客席の1番前に高良先輩の姿が。


『宣言通りに、高良先輩いるね。』


 スタッフの人が、森本先生にどうぞと促した。


 カッションは両腕を交差させて浮き上がり、バリトンは霧状になって姿を消す。精霊たちの準備もできた。


 舞莉たちの演奏が始まった。

 初っ端から、叩いてもいないのにシロフォンの音が鳴り、メロディとともにグロッケンの音も鳴り始めた。


 今日もトランペットのソロは成功し、とりあえず出だしの調子が狂うことはなかった。


「みなさん、こんにちは! 南中学校吹奏楽部です。」


「今年もまた、スイメイモールさんで演奏させていただけること、部員一同 心より感謝申し上げます。」


「ただいまお送りした曲は、矢藤学 作曲の『マーチ・スカイブルー・ドリーム』でした。」


 この後、お決まりの司会の自己紹介があり、「どうぞ、よろしくお願いします!」の言葉で拍手が起こる。


「さっそくですが、ここで超イントロクイズ!」

「「「イエーーーーイ!」」」


「これから、次の曲の最初の部分だけを吹きます。何の曲か分かった人はーー」

「「「ハイっ!」」」

「ーーと手を上げてください。それではスタート!」


 冒頭は伴奏なしのクラリネットだけのメロディ。イントロの始めの4音だけ吹いた。


「分かった人、いますか?」


 お客さんがガヤガヤしだす。誰の手も挙がっていない。


「これでは分かりませんよね。それではもう1度!」


 今度は最初の2小節を吹いた。


「分かった人、いますか?」


 お客さんがまたもやガヤガヤしだす。どこからか「あー、何だっけ?」という声も聞こえた。

 すると、客席で聴いていた小学校低学年くらいの女の子が手を挙げた。


 高松先輩は無線の方のマイクを持って、駆け寄った。女の子は少し恥ずかしそうに言った。


「『アンダー・ザ・シー』。」


「おおっ、正解です! おめでとうございます!」

「「「イエーーーーイ!」」」


 でも、あめ1つもあげられないんだけどね。


 司会以外の部員たちは、フェルト製の、魚のヒレつきポンチョを頭からかぶった。舞莉のはフランダーを模した、水色の背びれがついた黄色いポンチョである。


「それでは、次の曲、映画『リトル・マーメイド』で有名な『Under The Sea』です。映画に出てくるキャラクターをイメージした衣装にも、ぜひご注目ください。」


と言っても、舞莉はその映画をしっかりと観たことはないのだが。


 耳栓をした細川先輩は、スティックを打ち鳴らしてテンポを示した。


 曲が始まり、5小節目からカッションのシロフォンが入ってきた。


 2番に入ると、まずはトランペットとトロンボーンが席を立ってステージから下りた。次にホルンとユーフォニアムが、その次にクラリネットのセカンド・サードとバスクラリネットとサックスと低音が、最後にフルートとクラリネットのファーストが、客席を囲むように移動した。


 三送会の時より移動距離は短い。舞莉は客席と人垣との間に歩いていく。


 ちなみにチューバは移動せず、座ったまま吹いているのて、踊っている人の中ではバリサクが1番重い楽器である。


 舞莉のバリサクを見た人が、「おぉ、デカい。」とつぶやいた声が聞こえた。


 人や床、客席の椅子にぶつけないように、舞莉は吹きながら踊れる極限のダンスをした。デカい楽器を吹きながら大きく踊っていたら、それはそれは見応えがあるだろう。


「すごい。」


 舞莉がバリサクを持ち上げてベルアップをすると、後ろの人垣からため息混じりの驚嘆の声がした。


 吹き終わると、舞莉は後ろを振り返る。溢れんばかりの拍手をもらい、会釈をして元の席に戻った。


「次の曲は、スキマスイッチの『全力少年』です。ここにいるみなさんに、全力でエールを届けます!」


 あの時私が言わなければ、ここで司は歌わなければいけなかった。

 あの時私が吹かなければ、今も間違ったリズムで吹いていたかもしれない。


 まぁ、どれもちっちゃなことだけど。


 今度のカッションの担当は、ボンゴとカスタネット(いずれも持ってきていない)だ。


「メロディもあるし、低音もつまらなすぎず難しすぎない、この編曲、僕は好きなんだよね。」

 なんて、バリが言ってたっけ。曲数吹いてない私には分からない。


 舞莉が指摘したところの楽譜は、低音パートのみんなが蛍光ペンで色をつけている。

 しかし、もう正しいリズムの方で吹き慣れたので問題ない。しっかり難所を突破した。


 大島先輩のドラムはどこか危なげな感じだが、三送会の時よりテンポが安定してきている。それでもテンポがだいぶ走りやすいのだが。


 要注意のアーティキュレーションも、体にすりこませたおかげで低音パートがひとつにまとまっていた。


 フェルマータののばしは、特にピッチに注意し、大島先輩のドラムの合図で吹ききった。


 明石先輩と大島先輩が舞台裏へと消える。


「最後の曲は『前前前世』です。この曲の途中で――」


 部員たちは手拍子しながらCメロの部分を歌う。

「「「オー、オオオーオー、オーオオオーオーオー」」」

「……というふうに歌ってもらえると嬉しいです。それでは、どうぞ。」


『君の名は。』のCMから引用した、瀧のセリフを佐和田先輩が、三葉のセリフをクラの先輩が読み上げた。


 司のスティックの合図――インテンポより少し速めになってしまった――で、吹き始めた。


 細川先輩はずっとグロッケンやシロフォンを叩いている。大島先輩がいなくなってしまえば、タンバリンでさえやる人がいない。


 今度は、ティンパニ(持ってきていない)、タンバリン、トライアングル(持ってきていない)、カウベルの4つを、カッション1人で奏でている。


 ドラムの細かいリズムは、司が叩ける範囲で簡略化しているらしい。無理に叩こうとしてテンポが乱れるよりはいい。


 大サビに入る前に演奏を止めた。


 ここで寸劇が始まる。

 瀧役が大島先輩で、三葉役が明石先輩。瀧の声役が佐和田先輩で、三葉の声役がクラの先輩である。


 映画の中の、『カタワレ時』にやっと出会えた2人の場面を、小説から引用・朗読する。それに合わせて大島先輩や明石先輩が演じるわけだ。


「あなたの名前は……!」

「俺の名前は、た、た……思い出せない!」

 大島先輩(瀧)は頭を抱える。


「吹部のみんななら知ってるかも!」

 明石先輩(三葉)は後ろを向いて両腕を広げる。


「「「瀧くーーーーん!」」」

「そうだ、思い出した! 吹部のみんな、ありがとう!」


 部員全員から呼ばれた大島先輩(瀧)は、調子に乗り始める。


「やっぱ、俺って人気者だよなぁ。今日ここに来てくれたみなさん、俺のためにきてくれてありがとう!」


「待って、あなたは瀧くんじゃない!」

 ここで、三葉(明石先輩)は自分の知る瀧と違うことに気づく。


「イェェェェエエイ!!」

 一呼吸置き、大島先輩はお客さん側を向いて足を肩幅に開いて大声を出した。その場で制服を脱ぎ、下に着ていた体育着の格好になる。


「瀧くん、どこにいるの? 瀧くーん!」

 明石先輩(三葉)は走って、本当の『瀧』を探しに行った。


「空前絶後のぉぉぉぉおお! 超絶怒涛の牛乳好きぃぃぃぃいい!」


 大島先輩は『あの自己紹介』を自分流のアレンジで、のどが枯れる勢いで叫ぶ。


「牛乳を愛し、牛乳に愛された男ぉぉぉぉおおー!」


 お客さんから笑いが起こる。


「成分調整牛乳、加工乳、乳飲料! すーべての牛乳の生みの親ぁぁぁぁああ!」


 直前まで何を言おうか迷った、牛乳三段活用を駆使する。


「そう、わーれこそはぁぁぁぁああ!」


「サンシャイーーーーン お・お・ボコッ・し・ま」


 大島先輩は体を仰け反らせる。


「イェェェェエエイ!! ジャァスティース!!」


 起き上がって例の決めポーズをすると、客席からも人垣からも2階からも拍手喝采が起きた。


 大サビから演奏を再開し、最後まで演奏が終わった。全員が立ち上がる。


「ありがとうございました!」

「「「ありがとうございました!」」」


「アンコール、アンコール!」

 1番前にいる、高良先輩がアンコールの先陣を切った。


「アンコール、ありがとうございます!」

 いつものセリフで司会が進行し、『ユーロビート』の演奏が始まった。


 細川先輩がドラム、制服に着替えた大島先輩がシェーカー、司がヴィブラスラップとトライアングルを演奏している。

 カッションの担当は水明祭よりパワーアップして、それ以外のティンバレス(持っていない)、タンバリン、グロッケン、マリンバ(持っていない)、シロフォンだ。


 これには吹奏楽経験者であろう、お客さんの数人が反応している。

 そして、1番前でよく見える高良先輩も。


『ああ、混乱してる、してる。』


 とてもパーカス3人とは思えないにぎやかさに、舞台裏で待機していた森本先生までも出てきた。


 最後まで演奏が終わった。


「これからも、南中吹奏楽部をよろしくお願いします!」

「「「お願いします!」」」


 そういえば、カッションが奏でた音って、スマホとかビデオに録音されないんだっけ。

 生でしか聴けない音、か。


「!」


 うっ……お腹が空いて……胃が痛い……! ……我慢、我慢。くっ……!


 舞莉はお客さんに背を向け、下を向いて歯を食いしばる。演奏して踊ったからか胃痛のせいか、汗だくで前髪が張りついている。


 ――堤防決壊まであと4日――



 次の週の水曜日、三送会からちょうど1週間後の3月15日。3年生は卒業式を迎えた。


 カッションとバリトンは、吹部バッグの中でおやすみ中。2人なしで、舞莉は退屈の極みである卒業式を乗り越えられるはずがない。


 2年生は、門出式の時にBGMとして演奏する。昨日はその練習に関係ない1年生までも居残りさせられ、おかげで舞莉は寝不足である。

 

 寝不足でない時であっても、このような静かで退屈な式ではウトウトしてしまうだろう。それに寝不足が重なって相乗効果を作ってしまっている。

 今の舞莉は、水泳の授業でめいいっぱい泳いだ後の、国語の授業並のだるさであった。


「卒業生が入場します。拍手でお迎えください。」

 これは自分の手が動いているので、まだ耐えられる。


 国歌斉唱や校歌合唱(この学校は珍しく合唱)も、立ち上がって自分が歌うため、平気だ。


「卒業証書 授与。」


 第1の難関がやってきた。ここから30分ほどは在校生の出番がないので座りっぱなし。退屈なのだ。


『起きないと。寝ちゃだめ。』


 何とか1組が終わるまでは耐えきったが、2組からはきつかった。


 舞莉のまぶたが重くなる。気づくと目が閉じていた。

 しかし、名前を読み上げる声はしっかり聞こえていた。目を開けようとするが、開かない。


 声も途切れる。


 ハッ……


 寝落ちた感覚に自らが驚き、一気に目が覚める。


 それが幾度となく繰り返された。


 金縛りとは逆で、目を開けたいのに開けられない。寝落ちしないと目が開かない。


 クラスの奴らが見てる。ルイザが監視してる。また言われる。今日もまた寝てたって……。


「校長式辞。」


 第2の関門がやってきた。この後立て続けに『お偉いさん』の話を聞かなければならない。自分たちにはほとんど関係のない話など、ただの子守歌になってしまう。


 卒業証書授与の時点でウトウトしていた舞莉は、校長先生の話から限界を迎えつつあった。


「卒業生、起立。」


 その声に目を覚ます。

 話を聞く、寝る、目を覚ます。もう話し終わっている。


『もうダメだ……。』


 さっきから続く胃の痛みが、腹部へと広がった。痛みが増しても眠気が勝り、また意識が飛んでいく。

 起きても朦朧とする意識で、3年生の合唱が聴こえた。



 卒業式が終わった。ひたすら自分との闘いだった。

 卒業生と保護者が退場すると、在校生は一気におしゃべりモード全開になった。


「あー、くっそ眠いー!」

「校長の話、長すぎて寝ちゃったよ。」

「それな! 私も寝ちゃった。」


 疲れ果てた舞莉だが、地獄耳は健在である。

 なんだ、他の人も寝てんじゃん。……それなら大丈夫だよね。



 3年生の教室から昇降口までの道を、在校生や先生たちが両端に並び、卒業生を見送る。


 特に思い入れのある先輩はいないので、舞莉はただ拍手して見送っただけだった。

 他の人は手紙を渡したり、ハイタッチしている人もいたが。


 給食を食べ、清掃と帰りの会をして部活に行った。

 楽器の用意をしようと、舞莉が準備室に入った時だった。


 そこにはまるで待ち構えていたかのように、ルイザがいた。


「ねぇ。」

 低い声とともに、ガンを飛ばしてくるルイザ。


「何で卒業式の最中に寝てた?」

「何でって……。」

「あんだけ『寝るな』って散々言ったのに、まだ分からない?」


 怒鳴り声を聞いたのか、向こうに置いてある吹部バッグから、3頭身のカッションとバリトンが出てきた。


「保護者とか先生が見てる卒業式で、何で寝てたんだか聞いてるんだよ!!」


 至近距離で詰め寄られ、息が止まる勢いである。


「……分からない。必死に起きてようとしたけど、ダメだった。」

「寝不足なんでしょ! それなら帰って寝たら? 部活中寝られるとこっちの迷惑なんだけど。」


 舞莉は、言い返そうとしていた言葉を飲みこんだ。


「ま、前にも言ったけど、部活やってる限りは……。」

「だったら、部活辞めれば? そうしたら治るんでしょ。そしたら授業中も寝なくて、クラスの人にあれこれ言われなくなるんじゃない?」

「!」


 確かに、そうかもしれない。

 でも……部活は辞めたくない。


「ルイザの言いたいことは分かるけど、じゃあ、何でクラスの人たちは私にうるさく言ってくるの?」


 国語の授業とかは、特に寝てる人多いのに。何で私ばかり。


「さぁ? 私は舞莉が寝てると目障りだから、集中できないんだよね。」

「他の人は? 他にも授業中寝てる人いるじゃん!」

「あのさ……他の人のことじゃなくて、舞莉のことを話してんの!」


 無意識に後ずさりする舞莉。


「部活で疲れてる、は言い訳にならないからね! 部活やって疲れてるのはみんな一緒。その後塾行ってる人もいるんだから、舞莉より忙しい人だっているんだよ! そうじゃないんでしょ? だったらできるよね。」


 どうにも分かってもらえず、話も聞いてもらえず、涙があふれ出す。


「そんなにひどいなら、病院行けば?」

「いつもいつも部活あるのに、行けないよ!」

「休めばいいじゃん。」

「ただでさえみんなより遅れをとってるのに、休めるわけないでしょ!」


 舞莉は体調を崩さない限り、学校や部活を休むことに極度な抵抗を感じていた。


 すると、部長が準備室に入ってきた。が、ルイザはきまりが悪そうに、無言で準備室からチューバを持って立ち去る。


「どうしたの?」

 そう聞かれても、今の舞莉には誰も信じられなくなっていた。


「……何でもないです。」


 どうせ部長も、向こうの味方。


「ひばるん、気にしなくていいよ。私もよく寝ちゃうし。」

 浅木先輩の励ましの言葉も、今の舞莉には届かない。


 2人の精霊は卒業式に出ていないため、舞莉を援護するすべがなかった。

 しかし、これを見た精霊たちは、舞莉が2人に話さず隠していた『本当のこと』を目の当たりにしたのだった。



 その夜、舞莉はついに隠しきれなかった。


 何事にも笑えなくなっていた。テレビを見ても、何も感じなくなった。

 お腹は空いているはずだが、炊飯器から立ち上るご飯の匂いだけで吐き気をもよおした。


「ご飯、後で食べる。」


 自分の部屋に行っても、吹部バッグを見るだけで過呼吸になりかけた。

 明日のことを考えるだけでもつらい。


 舞莉は倒れこむようにベッドに寝転がる。


「舞莉、大丈夫か……?」

 話しかけたカッションの言葉にも、どこかうわの空である。


「バリ……。どうしたら……。」

 助けを求められたバリトンだが、首を振った。


「僕にはどうしようもできない。専門外だし、舞莉がクラスの人からも言われてるのは知らなかった。」


 カッションにもバリトンにも心配をかけさせた罪悪感が、重くのしかかる。それ以上心配をかけさせないために隠していたことが仇となった。


「ごめん……カッション、バリ。私、もう無理。」


 高良先輩や細川先輩からいじめられた時は、「部活に行きたくない」だった。しかし、今回は「部活に行きたくない」を通り越して、「生きるのがつらい」になっている。そう、カッションは感じていた。


 舞莉は胸をさすってトイレに駆けこんだ。

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