アサルトヴァンプ ーAssault Vampー

@aiba_todome

1=9\(ナインエッジ)

AAアフターアポカリプス672年――

 煮えたぎる太陽の紅炎プロミネンスは、深々海の固着生物のように激しくうねり、その熱を受け止める大気はあまりにか弱い。広がるのは文明も自然も、等しく死に絶えた荒野である。

 土中の蟲でさえも狂い死にする宇宙線の驟雨の下を、一人の少女が歩いていた。

高性能の放射線防護繊維を圧縮した、つばの広い帽子と、同素材の膝まであるトレンチコート。分子接着処理を施された、継ぎ目のないブーツ。どれもが日に焼けて、表面の劣化が見て取れる。


 そのくすんだ佇まいを見れば、彼女の旅がただならぬほど長いものだと分かるだろう。小娘が思い付きで飛び出せる環境は、既に星の表層から失われて久しい。使命が彼女を進ませていた。

 その使命は、彼女の左手の先に葬られているものである。喩えの類いでなく、事実棺に納められていた。


 頂点を上に取り、左右下の二辺を伸ばした五角形。地下シェルターから切り出してきたかのような分厚い合金を焼結した、一体型の重厚な箱だった。

 地肌は周囲の退廃から隔絶された漆黒を保っている。遥か過去の幻像を切り取ってきたかのようだ。

 武骨な、文字通りとってつけたようなコの字の握りと、下の架台から伸び、持ち主に追随してせこまか動く機械肢が無ければ、人によって生み出されたとは到底信じられない。ふちに施された銀の象嵌の端さえかすれぬ、天然自然を押しとどめるような静けさ。一種の偶像のような高貴さであった。


 目印など地平線の彼方に至るまで存在しなかったが、少女の足取りに迷いはない。目に映らずとも、重力は嘘をつかないのだから。ほんのわずかに、一定の方向に傾いた道。彼女はずっと、その下方へ向けて歩を進めているのだ。

 長い長い、緩やかな坂道。少しずつ、吹き飛ばされずに残っていた破片が増えてくる。ほぼ地面に埋もれているが、注視すれば生活の名残が見える。建材の切れ端。ひび割れた文字型の看板。強力な太陽からの放射光により、有機分を分解され尽くした、されこうべの欠片。


 誰が想像できよう。かつてこのなだらかな坂に、決して小さいとは言えぬ、数百規模の家屋が立ち並んでいたなどと。少女が下っているのは、巨大なすり鉢状のクレーターだった。

 少女は爆心地グラウンド・ゼロへと向かっていた。それが使命なのだ。




 まわりにはくずが頭につく鉄やプラスチックの破片が転がるのみであったが、原形が想像できるものがあった。クレーターの中心、人が腰かけられるくらいの、直角に曲がった強化樹脂の欠片。

 木材のような質感を持つそれは、かつては屋根だったはずの物体だ。

 まだ距離があるのに、なぜそれほど具体的に大きさを測れたか。もちろん人が座っていたからだった。


 怪物や悪魔ではない。殺伐とした目をしてはいるが、どこにでもいそうな中年男だ。少女と同じく、その手に棺を持っていることを除けば。

 砂嵐に表面を削られた、金属製の棺桶。その中に入っているのは紛れもない怪物であり、悪魔だった。たった一つで町一つを揉み消せるほどの。


JST・1-0-0-4ジェスティ・ハンドレッド-フォー。棺守り。王国所属であったが、戦線を放棄して逃亡。その後現在地村・11-5-2-3ビレッジ・イレブン-ウアサンにおいて捕捉。村は報告の後、通信途絶。原因は、まあ見ての通りか。抗弁することはある?」


「いや。だいたいそんなところだ。ちょいと弾薬に入れる血の量を間違ってな。良く調べてる。お使いがうまいね、お嬢ちゃん」


 安い挑発に、少女は乗らない。ただ冷然と、男の一挙手一投足を観察する。

 馬鹿にした口ぶりの男にしても、決して油断はしていない。特に少女の空いた右手、そして腰に下げた拳銃を注視している。

 彼女らの戦いにおいて、腕力や年齢は重要視されない。必要なのは速さ、そして単純で冷徹な数式だ。


 少女は最後通告を言い渡す。もとより村を一つ滅ぼした相手、酌量の余地はなかった。


「JST・1‐0‐0‐4。あなたの行いは仕える者として恥ずべきことであり、守る者として許しがたい。この罪は死罪に相当するものと判断し、我が名において処断する」


 男は笑い出した。


「ふ、ふはっ!ふへへへはははは!大きく出たなお嬢ちゃん!誰が裁くって?誰が裁けるんだ棺守りを!俺たちが運ぶモノ・・をだれが裁くんだ!?」


 当然のことのように、少女はいらう。


「私よ。当然のこと。私が棺守り裁き、私だけが裁ける」


「じゃ試してみるか!」


 互いの右手は同時に動いた。ジェスティはマントを打ち飛ばし、すぐさま撃鉄を起こす。いかなる酷環境下でも作動する、シングルアクションのリボルバー。

 考える前に腕が動く。数十年続けてきた動作に遅滞は無い。ホルダーから銃を抜き放ち、筋肉の収縮は、狙いを定めるのと同期して引き金を絞った。

 着火。激発。弾頭は音速で目標の心臓へと運ばれる。


 男の持つ棺に穴が開いた。運び手が撃った弾丸は、その中身の肉体に、牙よりも速く血液を送り込む。

 まるで連鎖爆発のように、今度は棺の蓋がはじけ飛んだ。恐ろしい速さ。それを穿った音が広がるより先に走り出す。

 赤い目。口からはみ出るほど発達した犬歯。死人の色の肌。それは鬼の、血液を糧とする人ならざる者の特徴だった。

 本来は理知的なはずの相貌からは、一切の抑制が失われている。瞳は裏返り、口からは赤い泡が噴き出す。喉には杭を打たれて、その名の由来である吸血を不可能にしていた。

 知性と本能をそぎ落とされて、暴威のみを残された怪物。兵器として改造された、かつての夜の主人。吸血鬼だった。


 それは日光の下では長時間生存できない。注入された血液を消費し尽くせば、あっという間に燃え尽きる。その間0,25秒。周辺5kmを焦土にするには十分すぎる時間だ。

 思考加速器で停滞する認識の中で、男は勝利を確信する。相手の棺はまだ開いていない。拳銃弾が発射されて着弾するまでより、棺から出た吸血鬼が敵の首を細断する時間の方が短いのだ。あの間抜けな小娘は死ぬ。そして黒い棺桶は中身ごと粉々に、それこそ、この荒れ野の砂よりも微塵に砕かれてお終いだ。


 認知能を拡大しても、生理的限界で影にしか見えない彼の使い魔は、あと一歩で娘の頭を潰せる所に来ていた。

 扉が開いたのはその時である。


 ジェスティには、この傲岸でいて臆病者の棺守りには見えていなかった。彼が抜き撃つより一拍子早く、少女が撃っていたことも。四発入りの、十字にも花弁にも見える回転弾倉の形も。敵は動けないのではなく、ただ待ち受けていただけという事実も。


 もっとも、全てが見えていたとして、彼には呆けることしかできなかっただろう。

 誰もが見惚れる、美しい鬼が現れたのだ。


 まるで舞台に上がっていく道化のように。あるいは世界をかき抱こうとする狂人のように。両腕を広げ、足を高く振り上げて行進する。それは狂ってはいても、知性を失ったものの動作ではない。

 獣のように跳びかかる敵を、長い黒髪の吸血鬼は止めようとはしない。そも、その視線は相手を撫でてさえいなかった。

 磨りガラスのような透明感の白い肌。ピジョンブラッドの瞳を下弦の形に歪め、殺意の手をふわりと受ける。


 肉食獣のごとく盛り上がった前腕が、その些細な包容によってはじけ飛んだ。続く一撃。左の手がほこりを払うように動くと、魂を切除された哀れな吸血鬼は、やはり埃が散るように血の霧と化した。

 二撃である。時間にすれば50ミリ秒。そのほとんどは、劇的な登場のために費やされた。ただ殺すだけならマイクロ単位の時間で可能だっただろう。


「そんな」


 己の武器を塵にされ、間抜けに立ち尽くすジェスティ。あまりに隔絶した力の差。その結果は彼にとって予想外だっただろうか?

 一面においてはそうである。男は自分の勝利を疑っていなかった。万が一敗北するとしても、その後には百年刻まれる激戦の跡が横たわるだろうと思っていた。

 だが、彼はあの吸血鬼を知っている。あの流れる墨の川のような黒髪、宝玉の瞳、空想上の少女じみた美貌を持つ悪魔を。あれ・・そう・・だというのなら、負けるのは当然すぎるほど当然だった。


 あれこそは魔の中の魔。破壊者にして創成主。この世界と、そこに住まうものどもの造り主なのだから。


「そんな、そんなはずはねえ。お前がここにいるわけがねえんだ!!!」


 心からの恐怖がジェスティを叫ばせた。男はもう赤子も同然だった。


「いるはずがない?」


 軽やかな声。少年にしては高いが、少女にしては低く、そしてどこか老成した、諧謔的な響きがある。魔王に似つかわしくない早口だった。


「君は、もしかして私にそう言っているのかな?君にこの私の存在位置を規定できる権限があると?人類史上、ただ一人にしかできなかったことが君にできると言うのかい?私に、この私、」


 最後の一声は、JST・1‐0‐0‐4によって遮られた。それが名だった。


AR・9\アール・ナインエッジ!!!」



 

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