第43話

「〈オリハルコン〉を持ったまま、柳瀬さんと手を繋いで」

 真紀は放心しそうになる気持ちを繋ぎ止め、柳瀬に腕を伸ばした。握り返されると、再び〈オリハルコン〉が熱を規則的に発する。いつの間にか、反対側の手は夏希の掌が重なっていた。

 三人の呼吸が、自然と揃ってくる。戦闘の気配を背中に感じているのに、柳瀬の柔らかい指先と夏希の滑らかな肌が真紀の心を穏やかにしていく。


 未来を与える力とは、こういうことなのかもしれない、と真紀は唐突に思い至った。誰かと繋がり、そして想いを広げていくことで、昨日までなかったものが生まれるのだ。それは時に人をも超越する力となって、運命や潮流と同義の畏怖を人に与える。

「いくよ。目を閉じて」


 夏希の言葉が掌を伝わり、真紀の体に入ってくる。心臓を通り過ぎ、〈オリハルコン〉を握る手に到達したそれが、〈オリハルコン〉を脈打たせる。その脈動は皮膚を介して柳瀬に伝わる。体を駆け抜ける夏希のマインド・リアクターが、柳瀬と繋がるのを真紀は感じた。


『拘束網発射!』

 と恵庭の声が鼓膜に届く。それと同時に、〈オリハルコン〉の熱量が再び上がった。中央に立つ真紀を媒介に、夏希のマインド・リアクターと柳瀬のグラビティー・ウォールが共鳴し、強い指向性を持つ思念となってどこかへ飛んでいく。意識を拡散させ、人心をも掌握する力を持つ夏希の力は、この場合遠隔操作を可能にしているようだ。


 真紀は、拡大した視野でその行く先を追った。恵庭たちがいる前線、そのやや後方に控えた歩兵部隊が抱える筒状の兵器に力が注がれていた。たちまち筒の前後から爆発の煙が上がり、砲弾が射出されるのを真紀は見た。緩やかな放物線を描き、猛スピードで猪突する砲弾は、ドラゴンのひしめく一帯の手前でその殻を破り、中からネット状の拘束具を展開した。柳瀬の力で重力加速度を増した網が急速に降下していく。ドラゴンがしきりに翼を動かし回避行動をとろうとしているが、周囲に展開する攻撃ヘリが機銃を向け、迂闊に動くのを妨げていた。


 真紀はその瞬間まで作戦の成功を確信していた。密集したドラゴンは一網打尽となり、自分たちが勝利を手にする。その光景が今まさに目の前に現れる、その片鱗を掴もうとしたその時、一陣の風が巻き起こった。

 拡張された視野が歪む。砂塵が視界を遮り、断線するように真紀は実景に引き戻された。その一瞬手前、爆発的に吹き上げた風に煽られる装甲車の姿が視野の片隅をよぎった気がした。


「先輩、大丈夫ですか?」

 真紀は夢中で呼びかけた。無線機を介して、恵庭の苦悶の声が聞こえた。恵庭の答えを待たず、『一頭のドラゴンが急速に上昇、捕捉できません』と悲鳴にも似た報告が入り、真紀は戦慄した。

 そのドラゴンを誰が操っているのか、考えるまでもなかった。


『五十嵐、そっちで何か見えるか?』

 前線に目を凝らす。けれど、砂煙と爆煙の区別さえあやふやな霞が立ち込めるばかりで、状況の把握は困難だった。

「いえ、煙しか……」そう報告を上げようとする真紀の手を、夏希が強く引く。「待ってください」と言葉を遮り、夏希の顔を見た。夏希は焦点の定まらない目で中空を睨んだまま、「鳥飼先輩が、こっちに——」と呟いた。


 その視線の先を追うと、空高くに、三角形のシルエットが見えた。雲を背後に引いたその姿が、急速に近づく。

「アビー、行くよ」

 それまでじっと事態を見守るように後ろに控えていたアリスの声がした。はっとして振り返ると、アリスの肩に乗っていたアビーが身震いをし、旋回するやいなや体を巨大化させ、アリスを背中に乗せた。そのまま上昇したアビーが口から炎を吐き出した。


 鳥飼の近傍まで達した炎が、そこで爆散した。鳥飼の操るドラゴンが結界で火球を弾き飛ばしたのだ。散り散りになった火球の残滓がテントの周囲に飛来する。爆発の炎がそこかしこで上がり、真紀の視界が真っ赤に染まった。炎に焼かれる自分を想像し、恐怖が喉元をせり上がってくる。心臓が飛び上がるように早鐘を打ち、最初は自分が空に飛び上がっていることさえわからなかった。


「真紀、手を離さないでよ」

 夏希の声が景色を連れてきた。疾走するように空を飛ぶドラゴンの背中に捕まり、こちらに腕を伸ばす夏希の真剣な眼差しに、真紀は小さく頷いた。

「ここからが本番だよ」


 夏希の目が怪しく光る。

「ニプラツカ……? いつからいたの?」

 夏希の向こう、首のあたりから柳瀬が問いかけた。

「最初からですよ。森の中に隠れてもらってました」

「あなた、わかってたの?」


「そんなことないですよ。備えあれば憂いなしって言うじゃないですか」

 真紀は二人のやりとりを聞きながら、自分の体勢を整えた。話の内容から察するに、ニプラツカというのはこのドラゴンの名前だろう。翼の付け根に手を絡め、どうにか体を安定させる。アビーより一回りは大きい体は、三人の人間を乗せてもまだ余裕がありそうだった。


「夏希ちゃん、これも作戦なの?」

「これは、プランBかな。こうなったら、力尽くで止めるしかない。でも、魔法の制御も効果なし……。なかなか強敵」

 夏希は涼しい声を出す。そうしている間にも、ニプラツカは空と大地の間を滑り、螺旋の軌道で鳥飼に追いすがる。先行するアビーの陰に入るや、攻撃魔法を展開し、鳥飼の駆るドラゴンへと青色の光線を飛ばす。その度に空が青白く光り、遠くの山肌を光線が擦過していく。


 雷のような光線をかわしたドラゴンが、首を回し、こちらに咆哮を放った。鋭い歯が並んだ顎が遠目にもはっきりとわかった。

 アビーが小型車、ニプラツカがミニバンとしたら、鳥飼の操るドラゴンはまるでダンプカーだ。翼長は優に五十メートルを超え、すれ違いざまの翼の一振りが引き起こす旋風がアビーを翻弄する。


「アリス!」

 錐揉みする体躯を軋ませながら、アビーが降下する。地面に激突するわずか手前で翼を広げ、再び上昇に転じる姿に安堵したのもつかの間、そのまま後ろに回り込んだドラゴンの雷撃がニプラツカの近傍を掠めた。とっさに翼で真紀と夏希をガードしたニプラツカが苦悶の声を上げる。


 翼に穴が空いていた。ハンドボール程度の大きさのそこから血が溢れ、丸い粒となって後方へ流れていく。

「ニプ、もう少しだから、頑張って」

 夏希がその首元に手を当てて呟いた。ニプラツカは首をわずかに擡げ、夏希の目を見た。虹色に輝く虹彩が揺れ、その真意を探ろうとしているように見えた。

「もう少しって、何か作戦が?」


「すいません。まだ言えないんです。鳥飼先輩のマインド・リアクターが健在な今、作戦を漏洩させることはできません。実は、私も防戦一方なんです」

 美鈴も夏希も、ドラゴンを駆りながら精神攻撃の応酬をしているらしい。〈オリハルコン〉は今も熱を帯びている。その力を借りてもなお、美鈴の力の方が強いのだ。美鈴の夢の中で対峙した時は、相手の油断の隙をついたと言っていた。今の美鈴には付け入る隙もなく、おそらく自分の持つこの〈オリハルコン〉だけを狙っている——。


 夏希は柳瀬から視線を外し、再びニプラツカの首筋を探っている。電撃が首にもダメージを与えたのかもしれない。

 自分がここにいるから、こうして夏希もアリスも柳瀬も、危険に晒されているのだ。

「夏希ちゃん……」美鈴を止めるには、〈オリハルコン〉を渡すしかない。未来が奪われても、夏希やアリスがいない未来なら、どちらにしても同じだ。一般人の自分は、所詮は——。


「真紀、そんな風に思っちゃダメだよ。そんな未来は、誰も望まない。私も、アリスも、恵庭先輩も——」

 夏希の言葉が宙を舞った。鳥飼のドラゴンが今度は炎を吐き出した。巨大なガスバーナーのような炎の塊が猪突するのを間一髪で避け、ニプラツカが急上昇する。

「でも、こんな状態じゃあ、いつか……」


 真紀は迫る美鈴に視線を向けた。ニプラツカの背後にぴったりと張り付いたドラゴンの側方からアビーが急接近し、炎を吐き出すのが見えたが、その体格差は如何ともし難く、まるで鷹と雀のように、全く相手にされない。気まぐれに繰り出される爪をまともに受ければ、簡単に四肢を裂かれてしまうだろう。


 ドラゴンが体をわずかに反らし、翼をアビーに向かって振り下ろした。強力な下降気流がアビーに襲いかかる。再び錐揉み状態に陥ったアビーを助けることもできず、繰り出される電撃を左右にいなしながら、ニプラツカは空を駆けた。

『奥寺、状況は?』

 恵庭の声が、そこで耳朶を打った。

「さすがに、やばいですね」


『引き付けろ。もう少しで有効射程内に入る』

 三百六十度、見渡す限り空と荒野が続く世界にあって、一台の車両が砂煙をあげて近づいてくるのが見えた。

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