第17話 過去-8

過去-8

 

 

2017/10/11


夕暮れと夜の境い目の空模様の中、俺は一人で大学からの帰り道を歩く。


「……」

 

 本当はもっと早く帰れるはずだったが、授業での実験が失敗してやり直しになったため、遅くまで時間がかかってしまった。

 だから、課題をやりながら俺を待っててくれた夕に『先に帰っててくれ』ってメッセージを送ったのだが、やり直しはスムーズに終わったため、遅くなったとはいえ思ったよりは遅くはならなかった。

 これなら、一緒に帰れたかもしれないと、少し後悔。

 今日は授業の履修上、俺と夕の起きる時間がズレたこともあって、今日は夕と顔を合わせていない。

 

「……はぁ」

 

 首にかけてあるネックレスのチェーンをさする。

 最近付いた手癖なのだが、これが『夕と一緒にいれなくて寂しいときによくやるな』って自分で気付いたときには、自分で笑いそうだった。

 でも、仕方ない。

 好きなんだから。

 ……

 ポケットの中に手を突っ込み、『あれ』を握りしめる。

 

「……はぁ」

 

 結局、まだ言えず仕舞いだ。

 ポケットの中にあるものを取り出し、上に軽く放り投げてはキャッチを繰り返す。

 ……本当どうしよう。

 そんなことを考えながら歩いていると、前の方から女の人が向かってきた。

 

「うおっ」

 

 俺は横に避ける。

 その人はこっちの方を見向きもせず、そのままスタスタ歩いていった。

 胸があったし、女の人だろう。

 なぜ『だろう』なんて言い方になるのかというと、全身黒づくめで、ニット帽とマスクまで付けてるもので特徴がイマイチわからなかった。

 というか、不審者全開だった。

 

「……ん?」

 

 なんだかオレンジの香りがする。今の怪しい女の人の香水だろうか?

 

「まぁ、どうでもいっか……」

 

 夕に話すネタが一つできたと思いながら、歩みを再開する。

 俺は手をポケットに手を突っ込み歩く。

 ……

 ……ん?

 日が落ちた直後の月明かりの中、道の端で誰かが倒れているのが見えた。

 

 ――そんなはずはない。あいつのはずがない。

 

 刺されたのだろうか、かなり血が出てる。

 早く近付いて、救急車に電話をかけないと。

 

 ――服に見覚えがあるのは気のせいだ。

 

 こういう事態に遭遇したことないから、少しだが慌ててしまう。

 

 ――あの綺麗な黒髪に見覚えがあるのも気のせい――――

 

 

「夕!????」

 

 

 俺は叫びながら、腹から血を流してる女――夕の元に駆け寄る。

 

「おい!しっかりしろ、おい!!!!」

 

 俺は上着を脱いで、これ以上夕の血が流れないよう腹に布を当てる。

 

「……ん?ああ、優夜か……」

 

 夕はまるで寝起きみたいな反応をする。

 良かった、意識はあるようだ。

 俺はそれを確認すると服を片手で押さえ、もう片方の手で病院に電話をかける。

 ……

 

『はい、119番です。どうされましたか?』

 

「夕が、人が刺された!早く救急車を寄越してくれ!」

 

『場所はどこですか?』

 

「場所!?この携帯がある場所だ、んなもんそっちからわかんねぇのかよ!」

 

『すみません、こちらからそちらの場所を調べることができません』

 

「クソ!」

 

 俺は混乱した頭で、ここから一番近くの信号の名前を思い出す。

 

「南赤橋って信号のすぐそばの、人しか通れないような小道を数分歩いたところだ!その小道は赤橋大学の東門に続いてるヤツ!」

 

 混乱した頭でも、奇跡的にスラスラと説明できた。

 

『はい、わかりました。すぐに向かわせますが、待ってる間は出血箇所に綺麗な布を押し当てててください』

 

「ああ、わかった。ありがとう」

 

 俺はスマホを切って、道に投げ捨てる。

 

「夕、救急車がもうすぐ来るからな、大丈夫だからな」

 

 俺は出血を上着で押さえながら、夕に呼びかける。

 ――でも。

 

「そうか、良かった」

 

 夕はニッコリと微笑む。

 ――血が止まらない――――

 

「……夕、こんなことしたヤツの特徴を言え」

 

「……全身黒づくめの、多分女だったと思う。後ろから抱きつかられるようにして刺された」

 

 そこで俺は気付いた。

 夕から微かにオレンジの香りがする。

 少し前に嗅いだ匂いだった。

 ……さっきの黒づくめの野郎かっっっっっ!!!!

 俺は憎悪が爆発しそうになるが、ここから離れるわけにはいかない。

 今ここから離れたら、出血がさらに酷くなって、夕が■んでしまう――

 

「優夜、君から貰ったネックレス、取られてしまった」

 

 夕は悲しそうにそう言う。

 俺は夕の首元を見る。

 確かに卒業の日に買ったネックレスが無くなっていた。

 あの野郎、夕のネックレスを……

 

「新しいのを何個でも買ってやるし、アレも絶対に取り返す。だから、安心しろ」

 

「そうか。君がそう言うなら、安心だな」

 

 その言葉通り、夕は穏やかな笑顔を浮かべる。

 

「……優夜」

 

 夕はゆっくりと俺の名前を呼ぶ。

 

「なんだ?」

 

 それに、俺は夕が安心できるよう、なるべく優しい顔で聞き返す。

 

「私は多分死ぬ」

 

「何言ってるのか、聞こえねぇ」

 

「だから、その前に伝えたいことがある」

 

「聞こえねぇつってんだろ!!!!」

 

 俺は叫ぶ。

 夕の血が全然止まらないことも、夕の顔がみるみる青くなっていることを無視して、叫ぶ。

 

「お前は死なねぇ。絶対に死なせない。だから、そんなふざけたことを言うんじゃねぇ!!」

 

「ふふ。優夜はわがままだなぁ」

 

「そんなの、いつものことだろうが」

 

 夕が笑うから、俺も笑顔で返す。

 

「でも、君も知ってるだろ?私もわがままなんだ。だから、『仮』の話として、どうしても言いたい」

 

「……仮?」

 

「……『私が死んだら』という仮定だ。勿論今は死なないぞ?優夜が死なせないって言うからな」

 

 夕は澄ました顔で笑う。

 

「……そうか。じゃあ、聞いてやる」

 

「じゃあ、まず一つ。私の父さんと母さんに伝えて欲しい。『色々迷惑かけてしまったけど、二人の娘で幸せだった。ありがとう』って」

 

「ああ。わかった」

 

 夕は笑顔だ。

 いつもの明るい笑顔。

 

「じゃあ、二つ目。君、私が居なくてもちゃんとご飯食べるんだぞ?アイスだけで一日過ごすことなんてしちゃ、ダメだぞ?」

 

「ああ。わかった」

 

「本当か?それやったら、体壊すぞ?」

 

「だから、わかってるって」

 

「次は、君、ちゃんと部屋の片付けをするんだぞ?君の掃除かなり雑だからだなぁ」

 

「おい、それ初めて聞いたぞ」

 

「そうだろうな。今初めて言ったから。いつも君が掃除した後に私が掃除してた。一人でもちゃんとするんだぞ?」

 

「ああ。わかった」

 

「じゃあ、次で最後なんだが、私の事はなるべく早く忘れて欲しい」

 

「……あ?何を言ってるんだ?」

 

「だから、私が死んだら他の女を作れって言っているんだ。たまにいるだろ、死んだ女を忘れられなくて、孤独死する男の人。私は優夜には幸せになって欲しいから、キチンと家庭を築いて欲しい」

 

 ……

 

「……そうか。わかった」

 

「ああ。良かった」

 

「嘘だよ、バーカ」

 

「……え?」

 

「お前、何考えてるんだ?俺がお前のことを忘れるなんて、できるわけないだろ」

 

「だから、そうするなって私は……」

 

「それにさ」

 

 俺は夕の言葉を遮る。

 

「お前、さっきどんな表情してるか気付いてたか?」

 

「……え?笑顔だったと思うが」

 

「違うよ」

 

 夕は悲しみを完璧な笑顔で隠すことができる。

 だけど

 

「今にも泣き出しそうな顔してたよ、お前」

 

 その前までは明るい笑顔だったのに。

 夕は完璧な笑みを浮かべれる人間なのに。

 さっきの『他の女を作れ』って言ったときの笑顔は、今にも崩れそうな、泣き出しそうな顔だった。

 

「お前、ポーカーフェイスが上手いんだろうが。そのお前がポーカーフェイスができないくらい辛いんだったら、そんなふざけたことを言うんじゃねぇ」

 

「でも、そうしないと優夜が幸せになれない」

 

 泣きそうな顔で、夕はそう言う。

 ……ああ。

 こいつは今、自分の願望と俺の幸せを天秤にかけ、後者を取ったつもりなのか。

 的外れも甚だしい。

 俺の気持ちをこいつは全然わかっていない。

 でもそれは当たり前だ。

 俺は夕にちゃんと伝えてないんだから、わからないのは当然だ。

 だから、俺は伝えたくなった。

 俺のこの想いを。

 

「夕、お前は激しい勘違いしている」

 

「勘違い……?」

 

「ああ」

 

 俺は強く頷く。

 

「俺はお前と一緒だから幸せなんだ。それは他のもので代替できない、たった一つの大切なものだ」

 

「だから、それでも……」

 

「無理だよ。絶対無理だ。お前より好きな奴なんて、いや、お前以外に好きな奴なんて、どこにだって居やしない」

 

 そうだ。

 俺の恋は、俺の愛は

 

「俺はお前だけのものだ。俺はお前の虜になっちまったんだ。お前のせいだ。だから、他の女のものになれなんて無責任なことを言うな」

 

「……無責任なんて言うな」

 

「あ?」

 

「私だって、優夜とずっと一緒にいたい!優夜にずっと好きでいてもらいたい!でも、それは優夜が辛いだけだろう!」

 

 夕は叫ぶ。

 

「私は優夜が好きだ。私は君を、愛している。……だけど、君もそれだと……」

 

「だから、それが勘違いだってんだ」

 

「え……?」

 

「俺がお前を好きでいるのが辛いってこと」

 

 俺は夕に優しく笑いかける。

 

「お前が死んだら悲しい。大声で泣くだろうな。心もぶっ壊れちまうだろう。でもさ、お前を好きな気持ちだけは、俺の中で絶対大切で、決して失いたくなくて、一番幸せな感情なんだよ」

 

 ――夕に伝えよう。

 

「俺は夕が好きだ。俺は夕を愛している」

 

 ――俺の夕への愛が永遠であることを。

 俺は片手をポケットに突っ込み、そこにあった箱を取り出す。

 

「俺は夕を永遠に愛する」

 

 片手で箱を開けるのは難しかったが、なんとか開ける。

 

「だから、夕さん」

 

 そこには

 

 

「僕と結婚してくれませんか?」

 

 

 小さい宝石が付いてる指輪があった。

 俺は夕を永遠に愛する。

 死が二人を分かつまで。じゃない。

 死が二人を分かつとも、俺は夕を永遠に愛し続ける。

 夕は俺の愛の形をジッと見つめる。

 長く、無言で見つめる。

 ……

 夕はゆっくりと口を開く。

 そして

 

 

「はい」

 

 

 夕は涙を流しながら、嬉しそうな笑みで頷いた。

 その笑顔はものすごく綺麗で。

 俺はこいつにプロポーズして良かったと心の底から思えた。

 ――そういえば、夕の涙を見るのは、初めて俺と夕が会った屋上以来だった。

 

 

「なぁ、その指輪、私の左手に着けてくれ」「お前、今俺片手しか使えないんだぞ」「優夜の手で着けてくれないと嫌だ」「ま、頑張るけどさ……。ほら、左手出して」「うん」「……なんとか、着けれたな」「……ありがとう。ずっと大事にする。一番の宝物だ」「喜んでくれたようで嬉しいよ」「ほら、次は優夜が付ける番だぞ」「俺?」「そうだ。優夜からのプロポーズを受けて、私と君はもう夫婦、家族なんだから、君も指輪を付けるべきだろう」「まぁ、そうか……」「私が着けてやる。渡せ」「えっと……ほい」「よし、付けるぞ……うん。よく似合ってる。私と一緒だ」「そうだな。こう並べて見ると良いものだな」「うん……ってか、私の指の大きさどうやって知ったんだ?」「夕が寝てる間に測った」「それって、引かれるヤツじゃないのか?」「え、夕引いたか?」「そんなことない。大好きだぞ」「そうか、俺も大好きだ、夕」「ふふ。やっぱり好きって言葉は何度言われても飽きないものだな」「言う方もな」

 

 ――遠くから、サイレンの音が聞こえてくる。

 

「というか、もしかして、バイトの金を貯めていたのって……」「そう、指輪のためだ」「ふふ。こんなに嬉しいサプライズは生まれて初めてだ」「そいつは、甲斐があった」「だけど、告白もプロポーズも両方とも優夜からしてくれた形になったな。それがとてつもなく嬉しくて、少し悔しい」「はは。なんで悔しいんだ」「だって、優夜はいつも私に色んな大切な言葉をくれるのに、私から君に何も送れてない。私も君をこんなにも愛しているのに」「十分貰ってるよ。だから、俺はお前にプロポーズしようと思えたんだ」

 

 ――ストレッチャーが近付く音が聞こえてくる。

 

「新婚旅行、どこにする?」「新婚旅行かぁ……ふふ」「笑ってないで、なんとか言ってくれよ」「いや、『新婚』って言葉が嬉しくてな。場所はどこでも良いぞ。君と一緒なら」「それは俺も同じだから、先に質問したんだよ」「ふふ。そうか」「……ハワイが良いんじゃないのか?定番だと思うし」「ああ、そうしよう。海、きっと綺麗だぞ」

 

 ――ストレッチャーと救急隊員がすぐそばに現れた。夕がストレッチャーの上に乗せられる。

 その時、俺と夕は何か話かけられたと思う。

 でも必要最低限答えたら、俺達はそれっきり視線を互いから外さなかった。

 俺と夕の目には、愛する相手しか映していなかった。

 

「婚姻届はいつ出すんだ?」「うーん……まぁ、学生結婚もちょいちょいあるし、俺としてはすぐで良いと思うけど、夕はそれで大丈夫か?」「うん、私も今すぐで大丈夫だ」「名字はどうする?」「え?私が上谷になるんじゃないのか?」「それが日本では一般的かもしれないけど、名字って今まで慣れ親しんできた名前の一部だろ?ちゃんと考えないと」「……君が私にプロポーズしたんだ。それを受け入れた私が、君の家族になる。だから私は、君の名字が欲しい」「良いのか?」「ああ。上谷夕。この私の名前、中々良い響きだと思わないか?」「ああ、そうだな」「だろ?あ、でも結婚のこと、両親にちゃんと言っとかないと」「ああ、それもそうだなぁ。夕のお母さんからは大丈夫そうだけど、お父さんからは怒られそうだなぁ」「大丈夫。父さん、君の前では口に出さないけど、結構君のこと気に入ってるから、最終的には祝福してくれるさ」「え、そうだったんだ。嫌われているのかと思ってた」「ま、これ、本当は口止めされてたんだけど、別に良いだろ」

 

 ――ストレッチャーが救急車に乗せられる。

 ――それでも、俺と夕は会話を続けていた。

 あの高校の屋上でしていたような、バカみたいで、幸せで、どうでもいい大切な会話を。

 

「子供はいつ作る?」「子供かぁ……いつかは絶対欲しいけど、まだ新婚気分は味わいたいかな」「俺もそんな感じだ。……じゃあ社会人になってからか?」「社会人も、一年目は大変だろ?二年目以降にしよう」「そうしようか」「それにしても、私と優夜の子供か……ふふ。きっと可愛いんだろうなぁ」「ぜってー、子煩悩になるよな、お前」「そんなの当たり前だろう」

 

 ――でも、それも。

 

「優夜、少し眠くなってきた」「何言ってんだ。俺は目が完全に覚めてるからな、まだまだ付き合ってもらうぞ」「もう、優夜は勝手だなぁ……」「そうだって言ってんだろ。それで俺は勝手に夕を好きになったんだ」「……ふふ。そうか。じゃあ、まだ起きてようかな」「そうしろ」「でも、今本当に眠いから、寝落ちしてしまうかもしれない。だから、一番言いたいことを、寝てしまう前に言っても良いか?」「ああ、いいぞ。俺はお前の言葉だったら、何でも聞きたい」「そうか、良かった」

 

 夕はこちらをジッと見る。

 

「優夜」

 

「なんだ?」

 

「大好きだ」

 

 いつもの眩しい笑顔を浮かべて。

 

「私は君を愛してる。誰よりも愛している」

 

 嬉しそうに。

 

「例え、君と離れ離れになろうとも」

 

 夕は告げる。

 

「君を永遠に愛してます」

 

 永遠の愛を。

 

「……ああ」

 

 そして、俺も

 

「俺もお前を永遠に愛してる」

 

 同じ事を告げた。

 ……

 

「……ふふ」

 

「……はは」

 

 俺と夕は声に出して笑う。

 

「優夜、あの、私さ」

 

 笑ってるからか、夕の声が途切れ途切れになる。

 

 

「君のおかげで、誰よりも幸せ者だ」

 

 

 ……

 

 

「それは俺のセリフだっての」

 

 

 ……………………

 そのまま、夕と話続けた。

 夕は眠いとか言っていたが、知ったことか。俺に付き合ってもらう。

 俺と夕はどうでもいい話をする。

 あの先生の授業は分かりづらいとか、道端の猫が可愛かったのか。

 どうでもいい話、だけど、互いにクスクス笑いながら話続ける。

 ただ、夕は眠気に勝てなかったようで、途中で眠ってしまった。

 それでも俺は声をかけ続ける。なぜか、俺の声が上擦んでいるがそれでも声を掛け続ける。

 夕はそれでも目覚めなくて。

 でも、夕は笑っていて。

 

 そして、夕は――上谷夕は死んだ。

 

 

 

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