第3話 過去-2

過去-2

 

 

2014/07/03

 

 四日連続で雨。

 今は七月の頭だが、ようやく遅い梅雨が始まった。

 勿論、その間屋上で飯は食べられない。

 そして、中原ともこの四日間会っていなかった。

 中原と屋上で飯を食べるようになって、今まで雨だった日はあるが、ここまで続いたことはなかった。

 それに、これは偶然だろうが、この四日間、廊下など、他の場所で会う事もなかった。

 ……会いたければ、こちらから会いに行けばいい。

 でも、なぜか会いに行こうとは思わなかった。

 自分でも自分の気持ちがよくわからないが、多分怖いのだろう。

 動く事で、何かが変わってしまうかもしれないから。

 

「……」

 

 机に頬杖を突き、窓の外の雨を眺める。

 雨は当分止みそうにない。

 

 

「起立、礼、着席」

 

 四限目の終わり、日直の声が響く。

 雨は降り続けている。

 

「……」

 

 今日の昼飯は、コンビニのパン……ではない。

 今日は朝から土砂降りだったから、昼からでも晴れる……とは期待していなかった。なので、コンビニで飯を買わずに学校に来た。

 隣の席をチラリと見る。

 ……たまには、こういうのも良いか。この前、こいつからの誘い蹴ったし。

 

「おい杉原。お前、確か昼飯は食堂だったよな?」

 

「……上谷君から、話しかけてくる、だと…………?」

 

 杉原は戦慄く。こんなことで。

 

「変なところで突っかかるな」

 

 ……というか、杉原に言われて気付いたが、俺からこいつに話しかけたの、初めてかもしれない。

 

「お前、昼飯は学食だったよな?」

 

「うん。そうだよ」

 

「今日は俺も食堂なんだ。一緒に食わないか?」

 

「……」

 

 杉原は体を固めるが、それも一瞬のことだった。

 

「おお!いいとも!」

 

 杉原は俺の肩をガシッと掴む。暑苦しい。

 

「食堂は混む。早く行こう!!」

 

「……耳元で叫ぶな。頭突きしたくなるだろうが」

 

 鼓膜が痛い。比喩じゃなくて、物理的に。

 

 

「ふあぁ……」

 

 授業HR全部終わって、放課後。

 今日は比較的授業を寝ずに聞いていたから、今かなり眠い。

 それに比べて隣のヤツは

 

「……ッ」

 

 帰りの号令がかかるやいなや、教室を全速力で飛び出して行った。元気だ。

 ……杉原の奴、確か陸上部で、いつもは部活にすぐにでも参加したいがために、教室から走って出て行ってるんだよな。

 今日は雨なのだが、どうするつもりなのだろう。

 ……筋トレか、筋トレだな。

 俺は杉原のキャラ性で、勝手に杉原の予定を決め付けながら、帰ろうとする。

 

「ちょっと、上谷君。どこ行こうとしてるの」

 

「……あ?」

 

 知らない女子(多分クラスメイト)に俺の行き先を聞かれた。

 

「どこって、そりゃあ……」

 

「今日、上谷君、掃除当番なんだけど」

 

『自分の家だが』と答えようとしたら、その女子がセリフを上から被せてきた。

 

「あー……」

 

 クラスの連中と会話するようになってからは、今まで学校ごとサボっていた掃除当番に参加するようにしていた……のだが、今日は素で忘れていた。

 

「悪い。うっかり忘れてた」

 

「ふん。どうだか」

 

「あ?」

 

 女は言いたいだけ言うと、さっさとどっか行きやがった。

 ……まぁ、どうでもいいか。

 

 

「……」

 

 掃除が終わった。

 さっさと家に帰って寝よう。

 廊下に出る。

 すると、何だか騒々しい複数の男の声が聞こえてきた。

 なんだか、粘つくような卑しさを含んだ声だった。

 俺はそちらの方に視線を向ける。

 そこには、複数の男に絡まれて、困っている様子の女がいた。

 というか中原だった。

 

「……」

 

 あいつ、モテるだろうとは思っていたけど、学校内でこんな目に遭っているとは思っていなかった。

 会話は、ここからでも少しは聞こえるが、『俺達と一緒に遊ばね?』『お断りします』『そう言わずにさぁ』といった内容だった。

 中原が敬語を使っているところからもわかるが、男達のエンブレムを見ると、相手は上級生。その上ガタイもそこそこ良い。

 だから、周りの生徒達は注意できず、遠巻きに見ているだけなのだろう。

 しかも、その連中は中原を囲うようにしてるため、中原はそいつらを押しのけなければ、抜け出せない状況だ。

 

「……」

 

 俺は中原のところに向かって歩く。

 中原を囲っているうちの一人がこちらに気付いた。

 

「あ、そこのお前。ちょっと今ここは……」

 

「邪魔」

 

 言葉を無視し、小煩いソイツを突き飛ばす。

 そして、穴が空いた気持ち悪い男達の輪の中に、俺も入る。

 

「上谷君……?」

 

 そこに、驚いた顔をしている中原がいた。

 

「なぁ、中原。こいつら、お前の知り合いか?」

 

 周りで盛った猿のように騒ぎ出した奴らを指でさしながら中原に問う。

 

「……いや、誰一人知り合いじゃない」

 

「あ、そ」

 

 俺は中原の手を掴む。

 

「え」

 

「じゃあ、一緒に帰ろうぜ」

 

 周りの男達を無視して、中原に普段の調子で誘う。

 

「……」

 

 中原は、沈黙してこっちをジッと見てる。

 

「なんだ。なんか予定でもあるのか?」

 

 俺は首を軽く傾げ、中原に問いかける。

 

「……いや、何も予定ない。一緒に帰れる」

 

「そうか、良かった。じゃあ行こうぜ」

 

「うん」

 

 中原は笑顔で頷く。

 俺は中原の手を引っ張り、男達の輪から抜けようとし、律儀に穴埋めに戻った男をもう一度突き飛ばし、その穴から抜けようとする。

 

「ちょっと、待てよっ」

 

 今まで、俺と中原は完璧に連中の言葉を無視していたが、その言葉と共に、中原に伸ばされた手は無視できなかった。

 俺はその手を掴む。

 

「あ!?」

 

 俺が手を掴んだ男は、俺を威嚇するように大声を出す。

 だが、何も怖くない。

 こいつらが、強硬手段を取らないのはわかっていた。

 こいつらもこの県有数の進学校の生徒だ。

 つまり、この学校の中ではクズだろうと、世間的には優等生の部類であり、失うものがある連中ということだ。

 失うものが何もない連中だったらともかく、この学校に所属してる奴らが、こんな色んな生徒が見てる衆人環境で、大事を起こすとは考え辛かった。

 ……まぁ、これは単なる俺が思い描いた勝手な理屈。

 俺の本心は、

 

「……その汚い手で触るなよ」

 

 大人数じゃなきゃ女を誘うこともできない上、人の迷惑を考えられないクソ野郎に、わずかでも中原に害が及ぼされるのが、無性に嫌だっただけだ。

 男の手を握る力を強める。

 

「イテェ!」

 

 男が痛みのあまり、叫ぶ。

 ……もう良いか。

 それに、これ以上続けると、お互い引っ込みがつかなくなるかもしれない。

 手を離す。

 ソイツは手をさすりながら

 

「お前、先輩である俺らになんて態度を……」

 

「行こうぜ、中原」

 

 俺はその言葉を無視し、中原との歩みを再開する……が、今度は手を伸ばしてくる者はいなかった。

 そもそもこの先輩達とやらは、遊び半分……というより遊び100%で中原に絡んでいたのだろう。

 俺というめんどくさい人間が出てきてまで、関わり続けようとするほどでもないはずだ。

 ただ、後ろから声はまだ続いていた。

 

「一年の不良が、中原に飼われているって噂は本当だったんだな」

 

 無視する。

 

「中原の犬が、ご主人様のご機嫌取りで大変そうだな」

 

 無視……しようとするが、動きが止まった。

 正確には俺ではなく、俺と手を繋いでいる中原が。

 

「中原……?」

 

 中原は俯いているため、表情が見れない。

 中原、いきなり後ろに振り返り、男達の方に体を向ける。

 俺は中原の後ろ姿しか見えない。

 

「……貴様ら」

 

 ……ん?『貴様』?

 今の、中原の声だったよな……?

 中原の顔を覗き見る。

 

「今、優夜になんと言った……?」

 

 怒りに燃えている中原がいた。

 中原は男達を睨みつける。

 

「あ、あ?」

 

 男達は、怯む。

 中原はなまじ美人のため、怒りの表情の迫力がすごい。

 

「ああ、別に本当に聞き返しているわけじゃない」

 

 中原は一番近い男に、更に距離を詰める。

 

「ただ、優夜に対する侮辱の言葉を撤回しろ」

 

「あ?」

 

「聞こえかったのか?」

 

 中原は男の襟首を掴んで、男の頭を引き寄せる。

 

「うおっ」

 

 その際、男はバランスを崩れ、転びそうになる。

 ……中原は女にしては背が高い方とはいえ、こんな大男を片腕で好きに動かせるって、こいつ、どんな腕力しているんだ…………?

 そんな俺の考えを他所に、事態は進む。

 中原は引き寄せた男の耳に向けて、

 

「優夜は私の友達だ。彼に向かって謝罪しろ、って私は言ったんだ」

 

 そう言う。

 男達、いや俺や野次馬も含め、その場の全員が中原の感情の発露に気圧され、その場を動けない。

 中原は掴んでいた男を前に突き飛ばす。

 

「何すん……」

 

 男は抗議の声を出そうとしたが、中原が刃物のような鋭さの視線を向けると、口を閉じた。

 

「……わ、悪かったな」

 

 そうすると、別の男が前に出てきて、そう謝ってきた。

 学校の廊下で、ヘタクソなナンパをする連中だ。こんな明らかな揉め事になるとは考えもしなかったのだろう。

 人も大分集まってきた。そろそろ教師も来るかもしれない。

 

「じゃあ、俺達どっか行くから」

 

 そう言い、男達は足早にその場を去る。

 ……

 

「……ふん」

 

 逃げた男達を見て、中原は鼻を軽く鳴らす。

 ……こいつ、こんな一面があったんだなぁ。

 ズレた感想だと自分でも思うが、変な感心をしてしまう。

 ただ、ずっと放心しているわけにもいかない。

 

「おい、中原」

 

 中原は俺の声に反応して、ハッとする。

 

「……すまん。見苦しい所を見せてしまった」

 

「いや、自分のために怒ってくれた奴を見苦しいと思うわけないと思うが……」

 

 ただ、今はそんなことより

 

「さっさと帰ろうぜ」

 

 俺は顎で周りを示す。

 そこには多くのギャラリーがいた。

 

「……ああ。そうだな」

 

「じゃ、行こうぜ」

 

 俺と中原は昇降口に向かって歩き出す。

 俺達に声をかけてくる者は、一人もいなかった。

 

 

「お、雨が止んでる」

 

 昇降口から外に出ると、あれだけ降っていた雨が止んでいた。

 厚い雲があるのは相変わらずなので、一時的なものだろう。

 

「それにしてもお前、災難だったな。あんなのに絡まれて」

 

「確かに、あれは災難だった」

 

 そこで、中原は「あ」と短くこぼす。

 

「ん、どうした?」

 

「つい、礼を言うのをすっかり忘れていた」

 

 中原は綺麗な瞳をしっかりと俺の眼に合わせる。

 

「さっきは、助けてくれてありがとう」

 

「……全然助けたどころか、あの場を引っ掻き回しただけのような気もするがな」

 

 こいつだけだったら、もっと上手く切り抜けられたのではないか。

 俺は足を引っ張っただけではないかと、そういう風に考えてしまう。

 

「そんなこと、知るか」

 

「は、はぁ?」

 

「上谷君が、私を助けようとして手を掴んでくれた。それだけで、十分嬉しい」

 

 中原の奴はニッコリと笑いながらそんなことを言うもんだから、俺としては顔を背けるしかない。

 

「……そうかよ」

 

「しかも、その上、あそこから脱出して、今二人で居られているからな。ものすごく助かった」

 

「……そいつは、良かったな」

 

 俺は意識的に他人事のように小さく呟く。

 というか、

 

「お前、さっき廊下で俺のことを優夜って呼んでなかったか?」

 

 先程意外で印象的だったのだが、今はもう『上谷君』と元に戻っていた。

 

「あぁ」

 

 中原は頷き、なぜかそこで少し不安なそうな顔をした。

 

「……嫌だったか?」

 

「……全くそんなことないが、どうしてだ?」

 

「だって、君、自分の名前好きじゃないって言っていたから」

 

 ああ、なるほど。

 

「別に気にしてないし、上と下、どっちで呼んでも構わない」

 

「そうなのか?」

 

「下の名前、馬鹿にして呼ばれるのだったら嫌だが、お前は違うだろ」

 

 ……前、俺の名前を好きだと言ってくれたし。

 

「だから、お前なら問題ない。好きにしろ」

 

「そうか」

 

 中原は不安そうな顔から、笑顔に戻る。

 

「じゃあ、そうさせてもらう。優夜」

 

「おう」

 

 俺はその呼び名で返事をする。

 

「そうだ。俺もお前のことを夕(ゆう)って呼んで良いか?」

 

 俺は中原の方を見ながら問いかける。

 

「ん。全然良いぞ」

 

「そんじゃ、夕。さっきは俺のことで怒ってくれて、ありがとな」

 

 俺はそのまま先程のことを礼を言う。

 正直に言うと、あの時少し嬉しかったから。

 

「……あまり、さっきの事を言うな。少し恥ずかしい」

 

 中原……夕は目を逸らす。

 

「……それに、あれは単に堪忍袋の尾が切れただけだ」

 

「まぁ、あんなウザい絡み方されたらなぁ……」

 

「それもあるが、そうじゃない」

 

 夕は真面目な顔をして、こちらを見る。

 

「優夜は、優夜と私が周りにどう言われてるか、知ってるか?」

 

「……」

 

 ……ああ。こいつにも、届いていたんだな。

 一部の、だけど確実にある悪意の声が。

 

「その感じだと、知っているみたいだな」

 

「……ああ」

 

 犬。

 あの上級生の連中も言っていた、その言葉。

 

「……ごめん」

 

「あ?なんでお前が今謝ってるんだ?」

 

「だって、私が君と関わったせいで、君はそんな風に呼ばれている」

 

 なるほど、夕はそう考えているのか。

 

「だから、ごめん」

 

 夕はシュンとしてる。

 先程の激しい怒りからは、想像も付かない夕の姿。

 

「……お前、バカだなぁ」

 

「え?」

 

「悪いのは、陰口を叩いてる奴だろ」

 

 だから

 

「お前は何にも悪くない。そんなの当たり前だろうが」

 

 夕は何にも悪くない。

 こんなことは、本来話す話題でもない。

 なのにこいつは……

 

「お前、一応言っとくが『迷惑だから、関わるのやめないか?』とか言い出すなよ。それは流石に腹が立つ」

 

「……安心しろ」

 

 夕は声を小さくする。

 

「それは言わないさ。絶対」

 

「……」

 

 それは、どういう意味なのだろう。

 

「……女々しいこと言って、すまなかった。忘れてくれ」

 

「お前は女なんだから、少しぐらい別に良いだろ」

 

 夕は一瞬キョトンとした顔をする。

 

「ふふ。確かにそうだな」

 

 夕は俺の言い草が面白かったのか、クスクスと笑う。

 二人で一緒にのんびり帰る。

 先程の騒ぎとは違って、穏やかな時間だった。

 

 

 2014/07/04

 

「ふあぁ……」

 

 欠伸しながら、ローファーから上履きに履き替える。

 朝のHRまであと10分。

 いつもはギリギリだが、今日は余裕を持って、ゆっくりと廊下を歩く。

 ……そういえば、昨日ここでちょっとした騒ぎ起こしちゃったんだよな。

 

「……」

 

 教師に呼び出されたりするのだろうか。

 一ヶ月前までだったら、例え呼び出されようと完全にシカトを決め込むところだが、今はそういう訳にもいくまい。

 

「はぁ……」

 

 ついため息をついてしまう。

 教室の扉の前に辿り着いた。

 クラスメイトの連中の談笑の声が廊下まで漏れている。

 『入った途端に、ゴミとか投げつけられないと良いなぁ』と超卑屈な思考を働かせながら、教室の扉を開ける。

 

『……』

 

 さっきまで賑わっていた教室が、一気に静かになり、ほとんどの生徒がこちらを見る。

 

「……」

 

 俺も無言のまま、自分の席に向かおうとするが、

 

「なぁ」

 

 その前に声をかけられた。

 俺は声の方向に顔を向ける。

 声をかけて来たのは、杉原と関わるようになってから、度々俺に声をかけてきたクラスメイトの内の一人、今村秀(いまむらしゅう)だった。

 

「昨日のあれさ」

 

 俺は視線を向けながらも、脚は止めない。

 今村は俺についてくる。

 

「すっげぇ、面白かった!」

 

「……あ?」

 

 俺はつい足を止める。

 ……もしかしなくても、昨日の上級生とのいざこざについて言っているのだろう……が、あれが面白い?

 引いたの間違いではなく?

 

「そうそう」

 

 気付いたら、今村の横にもう一人クラスメイトが立っていた。

 

「あの上級生達、追っ払ってくれたのには、胸がスッとした」

 

 田原才人(たはらさいと)。

 野球部でもないくせに丸刈りのメガネは、今村の横でウンウンと頷いている。

 

「というか、怖くなかったのか、上谷?」

 

 今村はそう疑問を発する。

 

「怖いって、あいつらがか?」

 

 俺は疑問に対して疑問で返しながら、周りを見渡す。

 

「そうだよ。だって、あんなにガタイが良い上級生が複数だぜ?普通関わろうとなんてしないって」

 

「まぁ、そうだろうな」

 

 ――周りから俺を見る目は、俺の予想とは反し、好意的だったようだ。

 ――というより、明らかに面白がっていた。

 

「じゃあ、なんで自分から割り込むようなことを……って聞くのは愚問か」

 

 ――コイツら二人のように。

 田原は眼鏡をクイっとさせる。

 

「あ?」

 

「そりゃあ、ねぇ」

 

「そりゃあ、なぁ」

 

 今村と田原はニヤニヤ笑いを交差し合う。

 

「……なんか、気持ち悪いんだけど。お前ら」

 

「「いや、そういうのじゃないから!」」

 

 怖いぐらい息ピッタリだな、コイツら。

 というか、そもそも『そういうの』ってなんだよ。

 ……聞き耳を立ててた連中がクスクス笑っているのが聴こえてくる。

 ……もう今更かもしれないが、あまり目立ちたくない。

 さっさと自分の席に座る。

 ……?

 何か、変なものが視界に入ったような気がする。

 隣の席を見る。

 そこには机に額を付けて潰れている杉原がいた。

 

「……大丈夫か?」

 

 少し心配になり、声をかける。

 

「ッッッ!!」

 

 杉原はいきなりガバリと起き上がる。

 

「上谷君!」

 

「お、おう」

 

「君は君はぁぁぁぁ…………」

 

 それだけ言うと、また杉原は頭を机に付ける。

 え、何こいつ。昨日の上級生なんかとは比べ物にならないぐらい怖いんだけど。

 

「ま、杉原にも色々あるということさ」

 

 なぜか訳知り顔で今村は佇んでいる。

 ってか、さっさと自分の席に戻れ。

 

「何があるんだ?」

 

 追い払う前に、一応聞く。

 

「それは、答えられないな」

 

 今村はニヤリと笑う。

 

「……」

 

 勿体ぶった言い方しやがって、このヤロウ。

 ただ、今村のセリフにはまだ続きがあった。

 

「特にお前にはな」

 

「……それって」

 

『それってどういう意味だ』と聞こうとしたら、丁度担任が教室に入ってきた。

 

「あ、やべ、席に戻らないと」

 

 今村は急いで自分の席に早足で向かう(田原はとっくに自分の席に着席している)。

 担任が連絡事項をダラダラと述べている。

 いつもは右から左へ聞き流すが、今日は一応自分の名前が出てるかどうか、注意を向ける。

 自分の名前が担任の口から出ることは最後までなかった。

 

 

「なぁ、夕(ゆう)。昨日の騒ぎのことについて、クラスの連中に何か言われたか?」

 

 昨日とは打って変わって、晴天の下。

 いつもの屋上での、夕との昼食タイム。

 そこで俺は夕の教室の様子が気になり、そう切り出した。

 

「……うーん、私は特に何も無かったぞ。優夜の方は何か言われたのか?」

 

 夕は少し心配そうな顔をする。

 

「……俺の方は思いっきり面白がられたよ」

 

 俺は呆れ笑いをこぼす。

 

「あいつら、あんなのでもエンタメの内に入れるって、どんだけ娯楽に飢えてんだ」

 

「ふふ。それだけあの時の優夜がカッコ良かったってことだろ」

 

 俺が呆れ笑いなのに対し、夕は楽しそうに笑う。

 

「カッコ良かったって……」

 

「ま、それは私から見ての話だが、周りからもそう見えていた、ってことなんだろ」

 

「……」

 

 俺から言わせれば、怒った夕の方がカッコ良かった、って言いたかったが、それを言っても夕は喜ぶどころか嫌がるだろうと思い、口を噤む。

 とにかく、夕が周りから疎まれるという事態になってなさそうで良かった。

 

「そうだ。今日、優夜は放課後に何か予定あるか?」

 

「いや、無いが」

 

「じゃあ、一緒に帰らないか?昨日のあいつらがまた現れても困るからな」

 

「……別に良いけど」

 

 ナンパ避けか……

 

「……ま、本当の理由は、昨日、優夜と一緒の帰り道が、居心地良かったからだがな」

 

「おまっ、そういうのはわざわざ口に出すなよ……」

 

 恥ずかしいだろうが……

 

「私が照れ隠しで『ナンパ避け』を理由にしたら、君が嫌そうな顔したんじゃないか」

 

「そんな顔してない」

 

「してた」

 

 ……してたかもしれない。

 

「でも、良かった」

 

「何が」

 

「優夜の顔が、嫌そうじゃなくなって」

 

「だーかーら!そういうことをわざわざ言うなって言ってるだろうがぁ……」

 

「そうか。肝に銘じておこう」

 

 夕は余裕の笑みを浮かべてる。

 絶対元のまんまだぞ、こいつ。

 

 

 放課後。

 今日は掃除当番ではない。いつもなら、廊下に出て、真っ直ぐ昇降口に向かうとこだが、今日は違う。

 今日は、夕と一緒に帰る約束をしていた。

 廊下に出て、顔を左右にやる。

 ……夕は来ていないようだった。

 じゃ、こちらから迎えに行くか。

 夕のクラス、D組に向かう。

 俺のクラスのA組からは比較的遠い……とはいえ、同じ学年。

 すぐ目の前にはD組の文字が。

 扉の小さい窓から中を覗いていみる。

 D組の担任が何かを喋っている。まだ、HRの最中のようだ。

 壁によりかかり、HRを終わるのを待とう……としたのとほぼ同時に教室内から、HR終了の号令と数十人の生徒が立ち上がる音が聞こえてきた。

 俺は壁に寄りかかりながら、ドアの方を見る。

 ドアから出てきた生徒達がまばらに出てくる。

 その内何人かは、こちらの方を見るが、特に何の反応を示さず、去っていく。

 

「なぁ、お前」

 

 と思っていたら、一人の男子生徒に声をかけられた。

 

「なんだよ」

 

「もしかして、中原待ち?」

 

「ああ。そうだけど」

 

「へぇー」

 

 それだけ言うと、男は去って行った。

 ……なんだったのだろうか。

 まぁ、ただの興味本位だろう。

 

「あ、優夜」

 

 夕が教室に出るのと同時に、目が合った。

 

「待ったか?」

 

「いや、全然」

 

「そうか、良かった」

 

 夕は人差し指を立て、それを昇降口の方向へ向ける。

 

「じゃあ、帰ろうか」

 

「ああ」

 

 

「お」

 

 帰り道の最中、面白いものを見つけた。

 

「ん、どうした?」

 

「あれ」

 

 俺が指差す。

 その先には……

 

「猫か」

 

 白と黒の縞々の猫が居た。

 

「最近この辺、ウロウロしてるよな」

 

 俺はその猫に向かって近付き、しゃがむ。

 

「私も今朝この猫を見かけた」

 

 夕がその後に続く。

 

「優夜は猫が好きなのか?」

 

「まあまあ、な」

 

 この白黒の猫は、俺達が近付いても逃げる素振りすら見せない。

 人に慣れているのだろう。

 猫の顎下を撫でる。

 猫は気持ち良さそうに喉を鳴らす。

 

「夕も触ってみるか」

 

「……じゃあ」

 

 夕は恐る恐るといった感じで手を伸ばす。

 

「……どうやるのが良いんだ?」

 

「さっき俺がやったみたいに、顎の下を撫でて」

 

「こうか?」

 

 夕は猫の顎下を掻くように撫でる。

 

「そうそう、そんな感じ」

 

 猫は気持ち良さそうに目を細める。

 

「ちょっと、楽しいな。これ」

 

「そうだろ」

 

 ……

 俺は携帯電話を取り出し、カメラを猫の方に向ける。

 カシャ

 撮れた写真を確認する。

 ……よし、上手く撮れた。

 

「……」

 

 夕は猫を撫でる手を止め、こちらをジッと見る。

 正確には俺の手の携帯を。

 まるで、現代の都会で原始人を発見したかのような目で。

 

「どうした?」

 

「優夜、君、携帯なんて持っていたのか……?」

 

「逆に聞くが、お前は俺をどう思ってるんだ?」

 

 原始人か?原始人なのか?

 

「……正直に言うと、優夜がコミュニケーションのためのツールを持っているとは、思っていなかった…………」

 

「……」

 

 夕の言い分は大体当たってる。

 メールは迷惑メールしか来てなく、送信ボックスは空。着信履歴はゼロ。電話帳登録は自分と父親のみ。

 SNSなど勿論やっていない。

 写真のフォルダだけは、風景と動物の写真でそこそこ埋まっている。

 コミュニケーションツールとしては何一つ使っていなかった。

 

「……まぁ、写真を撮るためにしか使ってないな、これ」

 

「そうなのか」

 

「連絡するような相手なんて居なかったしな」

 

 父親とだって、連絡を取ったことは無い。

 

「……」

 

「そうだ、夕。お前、携帯持ってるか?」

 

「……普通の高校生は大体持ってると思うぞ」

 

「そうか」

 

 俺は顎に手を当て頷く。

 

「そういや、携帯って相手の連絡先を登録する機能あるよな?」

 

「それって、携帯の根本の機能の一つじゃないか……?」

 

「そうなのか。使ったことなぞないから、忘れてた」

 

「えー……」

 

 夕は苦笑する。

 

「だから、まぁ、今まで忘れてたんだけど、連絡先、交換しないか?」

 

「……うん。良いぞ」

 

 夕は小さく笑い、鞄から携帯を取り出す。

 

「あー……、提案しといてすまないが、俺の方の操作、夕がやってくれないか?やり方がわからん」

 

 全然使ったことないから、連絡先の登録の仕方などわからなかった。

 そしたら、夕はなぜか困った顔をして

 

「……すまん。私もわからない」

 

「おい」

 

「実は、私もあんまり使わないんだ」

 

「人を原始人扱いしておいてそれか?」

 

「優夜を原始人扱いしたことなんて、ないんだが……?」

 

 俺と夕は二人であーでもないこーでもないと悪戦苦闘しながら、結局20分かけて連絡先を登録した。

 

 

2014/07/08

 

「……君、今日の午前の授業サボっただろ」

 

 昼飯を食べようとしたら、夕はそんな疑いをかけてきやがった。

 

「あ?なんでわかったんだ?」

 

 まぁ、正しいのだが。

 午前中、俺に用でもあって、教室に訪ねて来たりしたのだろうか。

 

「それ」

 

 夕が俺の昼飯――大量のアイスが入ってる袋を指差す。

 

「あー、なるほど」

 

 一限から持って来ていたら、アイスは溶けてしまう。

 

「普段だったら、そんなに気にしないが、あと一週間で期末テストだぞ。大丈夫なのか?」

 

「赤点さえ取らなきゃ、なんでもいい」

 

「確かに、君が赤点を取ることはないだろうが……」

 

 ……今の夕の台詞に少し引っかかる。

 その言い方じゃ、まるで

 

「夕、俺の成績、知っているのか?」

 

「うん。だって、前回の成績上位者の張り出しに載っていたじゃないか、君」

 

 ……そんなものも張り出されてたのは知っていたが、自分が載っていたとは思わなかった。

 

「……もしかして知らなかったのか?」

 

「ああ」

 

「興味ないことにはトコトン興味ないんだな、優夜は」

 

「まぁな」

 

「なぜそこでちょっと胸を張る……?」

 

 夕は首を傾げた……かと思うと、今度はふるふると首を横に振った。

 

「違う。そうじゃない」

 

「違う、って何が」

 

「話したいのは、前のテストじゃなくて、次の期末テストの話だ。君、大丈夫なのか?」

 

「さっきも言ったが、赤点とかにならない限りはどっちでも良い」

 

 正直、留年や退学にならない限り、気にもならない。

 

「じゃあ、前のテストで成績上位だったのは、テスト意識してたわけじゃないのか?」

 

「ああ」

 

「それは、すごいな」

 

「勉強はしていた、ってだけだよ」

 

「まぁ、そうだろうな。君、出席した授業はちゃんと聞いてるみたいだし」

 

「……なんで、わかるんだよ」

 

「授業ちゃんと聞いてなきゃ、どの先生の教え方が上手いとか下手とかの話はできないだろ」

 

 ……そういや、そんな話をしたことあるな。

 

「でも、どうせなら良い点取ってみたいとは思わないか?」

 

「なんで」

 

「なんでって、その方が気分良いだろ。なんとなく」

 

「……」

 

 すごく子供っぽい理由だと思ったが、世の中そんなものかもしれない。

 気分が良いからやる。

 確かに。

 

「はは」

 

「何がおかしい」

 

「いや、確かにそりゃそうだな、って思っただけだ」

 

 俺はアイスを口咥える。

 

「別に他にやりたいことがあるわけでもないしな。今回はテスト勉強、ちゃんとしようかな」

 

「ふふ。そうか、良かった」

 

「?良かったって何がだ?」

 

「え?」

 

「ってか、そもそもなんでお前は俺にテスト勉強させようとしてたんだ?」

 

「……」

 

 夕は口を止め、考えるかのように顎に手を当てる。

 ……

 無理に答えなくても良いぞ、って声を掛けようとしたら、夕の方が先に口を開いた。

 

「……自分でも聞かれるまで気付かなかったが、多分、寂しかったからだと思う」

 

「寂しかった?」

 

「……うん」

 

「???」

 

 どういことなのか、イマイチわからない。

 

「……気にしないでくれると助かる」

 

「そうか」

 

 夕自身、上手く飲み込めてないみたいだし、これ以上この話題を続けるのはやめておこう。

 それに

 

「……アイス、溶けそうだぞ」

 

「うわ、やべ」

 

 早く食べないと、昼飯が消失する。

 

 

 放課後。

 俺のクラスの方が早くHRが終わり、廊下で夕が出てくるのを待つ。

 

「あ、優夜。来てくれたか」

 

「おう。もう、帰れるか?」

 

「ああ。特にやらなきゃいけないことは無い」

 

「じゃあ、帰るか」

 

「ああ」

 

 そもそもの約束では、一日だけだったと思うが、一緒に帰ったあの日から、俺と夕は毎日一緒に帰るようになった。

 正確には、夕に用が無い時は、だが。

 俺の方に予定があることはまず無い。

 だが、夕はクラス委員だ。

 担任の手伝いとか、クラスのこととかで、放課後予定がある時があるようだ。

 頻度としては、ここ数日では一回だけだが、それでも面倒くさい……と、俺だったら思う。

 それなのにちゃんとやってるコイツは、偉いなと思う。

 

「そうだ」

 

 物思いに耽っていたが、夕に声をかけられ、俺は意識を覚まし、夕の方に目を向ける。

 

「もし良かったら、この後、図書館で勉強しないか?」

 

 勉強……昼間話したテスト勉強のことだろう。

 

「ああ。良いぞ」

 

「急に悪いな」

 

「全然問題ない」

 

 さて、何勉強しようか……

 

 

「はうぁ……」

 

 自室の床に学生鞄を放り投げる。

 今日は夕と図書館で勉強したから、いつもより疲労感が強い。

 基本、授業でやったところの復習と、応用問題をひたすら解いてただけだ。

 授業でわからないとこは元々ない。

 それは普段の勉強で解消してる。

 何に対しても興味がなく、それ故に周りから不良って思われている俺だが、勉強はちゃんとしている。

 どうせ何に対してもやる気が出ないのだから、かつて母親が俺にやらせたがってたことをやっておこうと思ってのことだ。

 そのおかげで基礎学力は問題無いと思うのだが、やはり『気持ちの良い点数』を取るには、それだけでは足りない。

 夕曰く、俺は前回の貼り出しに載ったらしいが、どうせその中では下の方かつ、載ったのも運が大きいだろう。

 時山高校は県有数の進学校だ。スポーツ推薦の奴ら以外は、ちゃんと勉強してる奴がほとんど……と考えると、今回は貼り出しに載ることすら難しいかもしれない。

 だが、だからと言って、テストの点を上げるためにやる事は変わらない。

 勉強するだけ。

 授業の板書のノートを見れば、教師がどこを熱心に取り組んでいるかわかる。

 そこを中心に、基礎ではなく、難解な応用問題を解いていた。

 夕は学年で5番以内の学力の持ち主だ。

 俺では解説見てもわからないところでも、夕に聞けばわかると思ったのだ。

 ……ちょっと夕に申し訳ないと思ったが、夕に聞いてみたら、やはり夕の解説はわかりやすく、大変ありがたかった。

 ただ意外なのは、夕の方にもわからない問題があったことだ。

 その問題の答えを聞かれたときは、俺なんかが答えられるか大分不安だったが、夕が聞いてきたのは、俺の得意な数学で、ギリギリ理解できてるところだった。

 ……そんな感じで、二人で勉強を頑張って、今家に着いたのは二十時。

 夏とはいえ、流石に外はもう暗い。

 そして、眠くなって来た。

 

「はうあ……」

 

 欠伸をもう一度する。

 ……風呂にでも入ってこよ。

 

 

「……ふぅ」

 

 風呂も夕飯も済ませた。

 あとは、今日の復習でもして寝よう。

 鞄からノートを複数取り出す……と、一冊見慣れないノートが混ざっていた。

 これは……

 

「夕のノートだ……」

 

 帰りに片付けるときに、混ざってしまったらしい。

 ……悪い事をした。

 明日、朝一で夕に返そう。

 それと、夕に連絡。

 携帯を開き、電話帳から夕宛てのメールを作成する。

 ……夕の連絡先が電話帳に載ってるのが嬉しくて、自分でもキモいと思うがついニヤついてしまう。

 ……

 ……さっさとメールを打とう。

 内容は、ノートを間違って持って帰ったことの謝罪と明日の朝それを教室に持っていく事。

 書いたメールを何度も読み返して確認してから、送信する。

 ……というか、地味に初めてメールを打った。

 とりあえず、返信を待とう。

 ……

 ブルル

 お、返信が来た。

 こちらがメール送ってから10分後くらいだろうか、夕から返信のメールが送られてきた。

 文面は『わかった』という非常にシンプルなものだった。

 ……さて、さっさと寝るか…………

 

 

2014/07/09

 

 今日はいつもより、早く学校に来た。

 夕にノートを返すためだ。

 夕がいるD組の教室のドアを開けると、教室のあちこちで生徒達が固まって雑談をしていた。

 それらの中から、夕の姿を探す。

 夕はすぐに見つかった。

 教室の真ん中にある席に、無表情で座っている。

 ……?

 何か少しだけ、違和感を感じた。

 なんだろう……

 夕の方をジッと見つめていたら、夕がこちらに気付き、笑みを浮かべる。

 そのまま、夕は立ち上がり、教室のドアにいる俺の方に歩いてきた。

 

「優夜。わざわざノートを届けてくれて、ありがとう」

 

「いや、間違って持って帰っちゃったのは、俺だから……」

 

 俺のミスが原因なのに、礼を言われるとちょっと困る。

 俺は両手を合わせる。

 

「勝手に持って帰って、すまん」

 

「問題ない。気にするな」

 

 夕は片手を軽く横に振る。

 

「……でも、そのせいで、昨日復習できなかっただろ、お前」

 

 夕は少し目を見開く。

 

「確かにそうだったが……そんなことまで、気にしなくても良いぞ?大した問題じゃない」

 

「そうか……?」

 

 ちなみに、俺が夕の立場だったら、全く気にしない。

 だが、夕が俺なんかより勤勉家なのは、なんとなくわかる。

 そのことを考えると、夕にとっては、俺が想像するより迷惑な事態なのではないかと考えてたのだが、夕は本当に気にしていない様子だ。

 

「ああ。流石にテストの前日だったら困るがな」

 

 夕はクスリと笑う。

 

「……悪いな」

 

「うん。これ以上は気にするな」

 

 ……この話を続けても鬱陶しいだけだろう。

 

「じゃ、俺教室に戻るから」

 

「そうか」

 

「また、昼休みでな」

 

「ああ」

 

 

「上谷君。君に話があるんだ」

 

「あ?」

 

 教室に戻ると、杉原はなぜか改まって、俺にそう話しかけてきた。

 

「なんだよ?」

 

「上谷君、よく中原さんと一緒にいるとこ見かけるけど、中原さんと付き合っているのかい?」

 

「……」

 

 杉原は気を遣っているのが、普段はうるさいくせに、声量を抑えている。

 ……

 

「俺と夕は、付き合っていない」

 

 短い答えだが、返答するのに20秒かかった。

 

「じゃあ、ただの友達?」

 

「……ああ。俺と夕は友達だ」

 

「そうか、良かった」

 

 ……良かった?

 それは――

 

「上谷君。一つお願いがあるんだ」

 

「なんだ」

 

「中原さんを僕に紹介してくれないか?」

 

 ……

 なるほど。

 コイツ、思ったより頭回すタイプだったんだな。

 ……杉原と初めて会話した時のことを思い出す。

 最初声掛けてきた時、バカみたいな声だったのは、もしかしたらと思っていたが、周りの連中に聞かさせるためだったのだ。

 では、なぜ?

 それは俺がこのクラスに溶け込めやすくするためだろう。

 実際あの時のことがきっかけで、クラスメイトとそこそこ関わるようになった。

 では、なぜ?

 それで俺に恩を売りたかったからだろう。

 実際、俺は僅かとはいえ、前よりは居心地良く感じている。

 では、なぜ?

 ――この状況に持ってくるためだ。

 これらのピース、どれか一つでも落ちてたら、俺は話を聞くことすら怪しかっただろう。

 なら、全部偶然と考えるより、一つの目的を持って最初から行動してると考えた方が自然だ。

 ……実際は違うかもしれない。善意で声をかけてくれたのかもしれない。俺の予想は見当違いで、全部偶然なのかもしれない。

 例え、どこがでコイツの下心が混ざっていても、ほとんどは偶然ということもあるかもしれない。

 だが、実際杉原は現実として、夕を紹介してもらう事を望んでいる。

 それに対し俺は、杉原の想定外もしくは偶然外であろう返答をする。

 

「断る」

 

 キッパリと、杉原の目を見て、明確に言い切った。

 

「……君と中原さんはただの友達なんだろう?」

 

「ああ、そうだ。俺と夕は友達だ」

 

「じゃあ、なぜ?」

 

「そりゃあ、夕のことが好きだからに決まってるだろ」

 

 ……俺は夕に対して、どんな好意を持っているのか、自分でもよくわからない。

 でも、自分の好きな女を、他の男に紹介する奴なんて居るわけないだろう。

 俺は視線を杉原から逸らす。

 ……会話の流れ上仕方なくとはいえ、なんでコイツにこんなことを言わなきゃいけないのだろう。

 

「……上谷君は、そういうことを照れて言わないもんだと思ってたよ」

 

「なんでお前なんかに照れなきゃいけないんだよ」

 

「……やっぱり、そのことを中原さんには?」

 

「言ってない」

 

 そう。俺は夕に自分の気持ちを伝えていない。

 行動を起こすことで、悪い方に事態が転ぶのが、怖かった。

 俺には勇気が、無かった。

 

「ま、俺からお前に協力はしない。諦めろ」

 

「……そうみたいだね」

 

 杉原は肩を落とす。

 

「そういえば、一つよくわからないことがある」

 

 今度は俺から杉原に質問する。

 

「なんだい?」

 

「お前、なんでD組の奴じゃなくて、俺を仲介役に選んだんだ?」

 

 別に俺でも良いだろうが、D組の人達の方が、話がスムーズに済みそうなものなのに。

 

「……実はもう既に何人かには頼んだんだ」

 

 へぇ。

 それでも、結局俺のところに来たということはつまり

 

「でも、断られたんだよ。全員」

 

「……理由はなんて?」

 

「『ごめん、無理』『すまん、それは難しい』ぐらいしか言ってくれなかった……」

 

「ふーん……」

 

 そいつら、全員夕に惚れているのだろうか……

 そう考えると、少し気が重くなった。

 

 

「……優夜、何か悩みがあるのか?」

 

 昼飯を食べているときに、夕は急にそんなことを言ってきた。

 

「……そんなこと無いが、どうして」

 

「何か、優夜が困っているように見えた」

 

「……」

 

 俺は気にしていないつもりでいた。

 朝、杉原に言われたこと。

 それで俺は、夕はやはりというか何というか、モテてるということを実感した。

 違うクラスの杉原さえああだったのだ。同じクラスなら、もっとだろう。

 だから、俺が知らないだけで、夕のことを好きで、仲良い(勿論恋愛的な意味でだ)男子がいるのではないか、と思ってしまう。

 それに、初めてここで会ったとき。

 こいつが何で泣いていたのか、俺は知らない。

 俺は聞かなかった。聞いて欲しくないのは、明らかだったから。

 だから、俺は怖いんだ。

 夕には、もう既に好きな人がいるのかもしれないという事に。

 今まで、それを考えていなかった、ということはない。

 だけど、それはほんの小さなもので、普段は胸の奥底にしまっていた。

 だけど、杉原の話を聞いて、その不安が表に上がってきた……のだろう。

 だから、俺は悩んだような顔をしていて、夕はそれを心配そうに見ている。

 どうするか……

 ……

 

「なぁ、夕ってやっぱりクラスでモテるのか?」

 

 ド直球で聞いた。今まで、うだうだ悩んだり、怯えてたりしていたくせに。

 ……夕に悩んでること自体はバレてるのに、その中身を隠すのは、急にバカらしく感じた。

 これからずっと夕の前で挙動不審を続けるのか?

 そんなの、バカげてる。

 

「……いきなり、どうした?」

 

 だが、確かに夕から見れば急な話だ。驚くのも無理はない。

 

「……俺のクラスメイトから、そういう話を聞いてな。ちょっと気になった」

 

 ……本当のことを言っているわけでもないが、嘘というほどでもない。

 

「ふーん……」

 

 夕は無表情だ。

 訝しんでるようにも、納得してるようにも見える。

 

「で、どうなんだよ」

 

「……優夜。その質問で、実態はどうであれ、肯定する人なんてそんなに居ないと思うぞ?」

 

「……」

 

 確かに。

 

「だが、その質問を、『クラスの男子に言い寄られたことはあるか?』って具体的に置き換えるとするなら、私の答えは『一度も無い』だ」

 

 ……え?

 

「は?そんなわけないだろ」

 

「?なんで、そんなわけないんだ?」

 

「だって、そりゃあ、夕、お前って、かわ……」

 

 ……『お前って、可愛いじゃん。性格も見た目も』って勢いで口走りそうになるのを、なんとかギリギリ止めたが、しどろもどろするのは抑えられなかった。

 ……二週間ぐらい前にも似たようなことがあったなと、ボンヤリ思い出す。

 ただ、あの時と違うことが一つ。

 あの時、夕は俺が何を言おうとしたか、理解できていなかった。

 だけど、今は

 

「……」

 

 夕はまるで空に何かを見つけたかのように、顔を斜め上に逸らす。

 こちらからでは、夕の顔は髪で少し隠れているが、それでも夕の頰が赤くなっているのがわかった。

 ……俺が何を言いかけたのか、悟られた…………!

 やばい。恥ずかしい。

 俺の頰が熱を持つ。

 夕は明後日の方に顔向けたまま、小さく深呼吸する。

 そして、やたらキリッとした顔をこちらに向けてきた。

 

「話を続けても良いか?」

 

 夕の声も体も、いつもより明らかに硬い。

 しかも、頰もまだ少し赤いままだ。

 

「……どうぞ」

 

 俺は目を逸らしたい衝動に駆られたが、夕の視線から逃げるのは、何かダメな気がした。

……なんの睨めっこだ、これ。

 

「……えっと、続けると言ったが、そもそも何の話だったっけ、これ」

 

「……夕がクラスの男共にモテるかどうか、って話」

 

「ああ、そうだったな」

 

 夕は頷いている。

 

「結論から先に言うが、そんなことはあり得ない」

 

「……なんでだよ」

 

「それを答える前に、一つ質問していいか?」

 

「良いぞ」

 

「優夜って、私のことを、『クラスの人気者』とか思ってたりしてないか?」

 

「ああ」

 

 そもそも、それで有名だったはずだ、こいつは。

 

「やっぱり、そうか。そんな気がしていた」

 

 夕は笑っている。

 そして、そのままこう続けた。

 

「それは絶対に違うぞ」

 

「そりゃあ、『お前は人気者か?』と聞かれて……」

 

「違う。もっと根本的な意味でだ」

 

 夕は俺のセリフに重ねてまで、否定する。

 この様子だと、謙虚とかの類いではないのは明らかだった。

 

「……どういう意味だ?」

 

 だから、俺は意味を問う。

 

「だって」

 

 夕はゆっくりと答えを口に出した。

 

「私、クラスに友達が一人も居ないから」

 

「あ?」

 

「友達が一人も居ない奴が、人気者なわけないだろ」

 

 ……何?

 

「君に『友達作った方が良いぞ』とか、偉そうに言っておいて、ごめん」

 

 夕は頭を小さく下げる。

 いや、でもおかしい。

 だって

 

「お前、クラスの連中から頼られたり……」

 

 ……あ?

 もしかして、そういうことか?

 

「そうだな。頼られてはいると思うし、慕われているとは思う」

 

 自分で言うのもなんだがな、と夕は小さく笑う。

 

「でも、私と仲の良い人は一人もいない」

 

 ……そうだ。それが俺が朝、夕の教室で感じた違和感の正体だ。

 クラス中が楽しそうに談笑している中、こいつだけが誰とも会話していなかった。

 そして、思い返してみると、それは今日が初めてではない。

 夕が誰かに頼られているのは、何度も見たことある。

 でも、夕が誰かと仲良く喋っている姿を、一度も見たことがない――

 

「……どうして、そうなった?」

 

「私がそうなるように行動したからだ」

 

「……どういうことだ」

 

「私は、誰とも関わりたくなかったんだよ」

 

 そのセリフを聞いて、俺はドキッとした。

 それはいつも俺が思っていたことで――

 

「ほら、私、目が鋭い……というか、威圧感すごいだろ?」

 

 ……俺は綺麗な目だと、常々思っているが、それを今言ったら話の腰を折るだけだ。

 続きの言葉を待つ。

 

「だから、それを適当に周りを振り撒けば、自然と私に無意味に近寄ろうとする人も減る」

 

「……じゃあ、なんでお前は」

 

「クラスの色んな仕事を引き受けていたんだ……か?」

 

 俺は頷く。

 人を自分から遠ざけたはずなのに、なんで、人から頼られる立ち位置、そしてクラス委員に立とうとしたのだろう。

 

「それは、敵対関係にすらならないためだよ」

 

「敵対関係?」

 

「周りを威圧しまくってるだけだと、周りから反感買うだろ。だから、進んで色んな人の手助けをしていた」

 

 ……そうだ。俺は自分にかけてくる言葉を全部無視することで、周りとの人間の関係を断とうとしていた。

 実際それで、ある程度は上手く行っていたが、陰口は叩かれてはいた。

 夕はそれすらも起こさないようにした、ということなのだろう。

 

「人助けをするのは気分良いしな。丁度良かったんだ」

 

 そして、夕は友好も敵対心も向けられない存在となった。

 感謝はされるが、良い意味でも悪い意味でも心の距離は遠い存在。

 だから、誰からも好意を向けられない……俺の元々の質問である『夕ってクラスでモテるのか?』に対する答えは、『そんなことはあり得ない』となる。

 ……

 ……ん?

 夕の顔をジッと見る。

 なんか――

 

「夕、大丈夫か?」

 

「え?」

 

 夕は俺の言葉に驚いた顔をする。

 ――不安を押し殺したような雰囲気纏ったまま。

 

「すまん、なんか俺、お前に無理させたか?」

 

 ――いや、無理させたに決まっている。

 こいつは俺の質問に、真剣に答えてくれた。

 そして、『人と関わりたくない』という夕の暗い内心を話してくれた。

 そんな話、人に話したい内容のわけないのに。

 俺だって、そうなのに。

 

「……いや、無理なんてしてない」

 

 夕は否定する。

 ただ、不安の色はそのままだった。

 ……

 

「夕」

 

 俺は夕の目を真っ直ぐ見て、微笑む。

 優しく。俺なんかには全然似合わないけど、それでも出来る限り優しく。

 ……口に出すべき言葉は何もわからない。

 どうすれば夕の顔が晴れるか、俺にはわからない。

 だから、俺は

 

「俺の質問に答えてくれて、ありがとう」

 

 礼を言った。

 それしか、言葉が思い付かなかった。

 

「……」

 

 夕は返事をせず、俺の方をジッと見ている。

 ……10秒ぐらい経っただろうか。夕がゆっくりと口を開く。

 

「……優夜は、こんな私でも、失望しないのか?」

 

「失望って何が」

 

「……こんな非社交的で、自分勝手な私をだ」

 

「なんだそりゃ。そんなわけないだろ」

 

 即答だった。

 

「確かに意外だけど、そんなの、お前を失望する理由にならない」

 

 こいつが人気者だから、周りから好かれているから、俺は夕を好きになったわけではないのだから。

 ――この屋上で初めて会った時。

 こいつは泣いていた。

 そして、すぐに完璧な仮面でそれを隠した。

 それが、俺にはすごく羨ましく思えたんだ。

 弱いのに、強くあろうとする在り方が。

 それは、昔、俺がしようとして、失敗した在り方だ。

 その時の感情が、俺からこいつへの好意のキッカケ。

 そう、それでもそれは、あくまでキッカケ。

 そこから、夕と色々関わっていて、ますます好きになっていった。

 コロコロ表情が変わるところとか。ストレートな物言いとか。怒ったときがカッコイイところとか。それでいて、笑顔が可愛いところとか。

 夕のことを知れば知るほど好きになった。

 そして、それは今も。

 ……ああ、そうか。

 そういうことか。

 夕のことを好き、とか言いながら、俺は今まで自分の気持ちの本質がわかっていなかった。

 やっと、わかった。

 

 

 俺は、夕に、恋している。

 

 

 ここまで考えて、俺は今初めて自覚した。

 俺が夕に抱いてる感情は、ただの好意ではなくて、恋心なんだと。

 でも、それは、まだ

 

「それに、失望ってなんだ?その言い方だと、まるで、俺がお前に何か損得感情で付き合ってるみたいじゃねぇか」

 

 言えない。

 自分の気持ちを伝える勇気が、俺には無い。

 だから、今は。

 

「俺はお前のことを大切な友達だと思ってる。そんなお前の意外な一面を知ったからって、失望することなんかあり得ねぇよ。バカにしてんのか、お前」

 

 ……慰めるつもりが、半ギレみたいになってしまった。

 こんなつもりじゃなかったのだが。

 でも、夕は

 

「……ふふ」

 

「あ?」

 

「そうか、あり得ないか。ふふ」

 

 笑っていた。

 夕の顔は、もう不安を纏っていない。

 晴れている。

 晴れて、くれた。

 

「優夜。変なこと言って、ごめん」

 

 夕は笑いながら、謝る。

 その笑顔は――

 

「それで、ありがとう」

 

 …………

 

「そうか」

 

 俺は何食わぬ顔で、昼飯を食べるのを再開する。

 ただ、胸からの音がうるさくて、少々食べ辛かった。

 夕の笑顔が、すごく眩しかったから。

 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る