君は天国を信じるか?

一崎トキ

第1話 過去-1

 ――マンガのような光景だった。

 今でも思い出すと笑いそうになる。

 いや、当時は笑えなかったか。

 だって、そうだろう?

 当時学校一の不良だった俺が、サボって屋上に出てみたら、女の子が静かに泣いてるだなんて。

 マンガのような出来事で。

 でも、笑うことはできなかった。

 この時点で、もう充分ファンタジーだが、そこから先もファンタジーそのものだった。

 あぁ、懐かしい。

 本当に懐かしい。

 あの時の記憶を、紐解く。

 

 

 

過去-1

 

 

2014/06/04

 

「お、ちょうどチャイムが鳴った」

 

 俺――上谷優夜(かみたにゆうや)は、校門をくぐったのと同時にそう呟いた。

 このチャイムは朝のHRの時刻を示すチャイム――ではない。

 昼休みが終わって、5時限目の始まりを知らせるチャイムだ。

 そう、大遅刻だった。

 だが、そもそも間に合わせるつもりもない。今日だって、本当はサボろうと思ったのだが、ふと昼飯を風通りの良い場所で食べたくなり、来ただけだ。

 

「はぁ……」

 

 昇降口で上履きに履き替える。

 この学校――時山高校は県でも有数の進学校。

 俺がここに入学した理由は、面倒くさい不良達がいない学校に行きたかったからだ。

 そうしたら、授業に遅刻どころか、学校さえまともに来ない俺は、学校一の不良扱いだ。

 ため息だか笑いだかが出てしまう。

 だからと言って、改善する気もない。

 心の底からどうでもいい。

 そもそも、この学校に入学してから二ヶ月、誰とも会話をしていない。

 教師生徒関係なく、話しかけられても全部無視した。

 誰とも、関わりたくなかった。

 

「はぁ……」

 

 最早口癖のようなため息をつきながら、階段を登る。

 

「だり……」

 

 何かをしていたわけではないのに、倦怠感が体を纏う。

 いつものことだ。

 何に対しても、やる気が出ない。

 辛さしかない。

 ……くだらないことを考えているうちに、屋上に続く扉に辿り着いた。

 屋上は良い。少々汚れている事に目を瞑れば、風通りが気持ち良いし、人も誰も来ないと良い事ばかりだ。

 誰も来ないということは、もしかしたら校則違反なのかもしれないが、そんなこと俺が知ったことではない。

 扉を開ける。

 そこには、いつもの広々とした青空と無人のアスファルト――は変わらずあったが、それだけではなかった。

 

 

 地べたに座って、泣いている女の子がいた。

 

 

「は?」

 

「え?」

 

 俺もそうだが、女の子の方も誰か来るとは思っていなかったのだろう。俺とその女の子は互いに素っ頓狂な声を出す。

 

「……」

 

「……」

 

 沈黙がその場を支配する。

 その沈黙の中、先に動いたのは女の子の方だった。

 涙を袖で拭き、その手でこちらを指差す。

 俺はその動作に軽く身構える。

 何を言うのか、またはするつもりなのか、全く想像がつかない。

 そして、女の子が口を開いた。

 

「君、屋上には入ったらダメだぞ。それに今は授業中だ」

 

「お前に言われたくねぇ!」

 

 突っ込みどころしかないセリフだった。

 ……というか、誰に対しても口を開くつもりなかったのに、つい開いてしまった。

 まぁ、拘りがあったわけでもないが。

 

「ふふ。それもそうだな」

 

 女は何が楽しいのか、クスクスと笑う。

 まるでほんの少し前に見た涙が嘘のように。

 そして、何を考えてか、女は俺を指差した腕をそのままに、手の形を変えて、手招きしてくる。

 

「……」

 

 俺はため息をつきたい気分だったが、抑えて女の方に歩みを進める。

 近付くと、女は隣の場所をポンポンと手を叩く。座れってことなのだろう。

 こんなよく知らない女の言う通りに動くのは癪だったが、断るほどの理由でもない。

 俺は女の隣に座る。

 

「君は、何しにここに来たんだ?」

 

 俺が座って顔を少しだけ女の方に向けると、女はまず、俺の目的を聞いた。

 

「飯を食いに来ただけ」

 

 手に持っているビニール袋を軽く掲げる。

 

「なるほど。私は今日初めて屋上に来たが、ここは風が気持ち良い。昼ご飯の場所に選ぶのもわかる」

 

 女は納得顔でウンウンと頷く。

 

「というか、君、普通に話してくれるんだな」

 

「は?どういうことだ?」

 

 俺は首を傾げる。

 

「だって、上谷君、誰とも口を利かないじゃないか」

 

「……俺、お前とは違うクラスだったよな?」

 

「そうだが、生徒にも先生にも口を開こうともしない不良というのは、この学校ではとても珍しい。有名になっても仕方ないと思うぞ?」

 

「そうかよ……」

 

「それにしても、君、クラスメイトの顔をちゃんと覚えているのか?」

 

「覚えてるわけないだろ」

 

 誰一人まともに覚えていない。

 ただその答えを受けた女は、不思議そうに首を傾げた。

 

「なんだ、悪いかよ」

 

「なんで、私が君のクラスメイトではないとわかったんだ?」

 

 ああ、そういうことか。

 

「それは、俺もお前のことを知っていたからだよ。中原(なかはら)」

 

 俺は改めて女――中原の方を見る。

 黒の長髪に、座っててもわかるすらっとした体つき。更に、黒く大きな瞳を持つ、凛々しい顔立ち。

 有り体に言って、中原は美人だった。

 その上、成績は学年の中でもトップ5に入るほどの学力の持ち主かつクラスを引っ張るクラス委員長。

 これで、目立たないわけがなかった。

 

「お前、目立ち過ぎなんだよ。俺なんかが知っているって相当なモンだぞ」

 

 この学校で知らない人は居ないとか、そういうレベルではないだろうか。

 

「そうだったか?あんまり目立つのは好きじゃないが、せめて、悪くない方だとありがたいとこだな」

 

 自覚無いのかよ。

 ……というか、こいつ、こんなに清々しい喋り方をするヤツだったんだな。

 人と会話するのは、随分と久し振りだが、悪い気分ではなかった。

 

「話を戻して良いか?」

 

「……戻すような話なんてあったか?」

 

 俺は首を捻る。

 

「あったぞ。この短時間に忘れるな」

 

 中原は呆れたように笑う。

 

「君、なんで返事してくれたんだ?」

 

「あ?」

 

「正直、無視されると思ってたし、こっちに来てくれるなんて、思ってもいなかった」

 

「思ってなかったのに、手招きしたのかよ」

 

 つい、ツッコむ。

 

「ものは試し、というヤツだ」

 

 成功してよかった、と中原は笑う。

 

「というか、また話を逸らしたな」

 

「そういうつもりじゃねぇ……」

 

 ……いや、本当はそうだったかもしれない。

 あまり答えたい内容ではなかった。

 

「じゃあ、もう一度聞くが、なんで返事してくれたんだ?」

 

「……」

 

 ……こんなド直球に聞かれたら、答えるしかないか。

 

「……お前が、泣いてるように見えたから」

 

「え?」

 

 中原は本気で不思議そうな顔をする。

 

「……泣いてるヤツの言葉を、無視するわけにはいかないだろ」

 

 正直、泣いていたのは、見間違いだったかもしれない。

 でも、俺は素直に答えていた。

 それを聞いて中原は

 

「……私は泣いてなんかいないが、どうした?」

 

 と笑顔を浮かべながら答えた。

 その笑顔を見て、俺は先程の中原の涙は見間違いじゃないと確信した。

 中原の完璧な笑顔。綻びなど全く見つからない。

 だが、その笑顔が、悲しみを隠す仮面だとわかった。

 俺も、昔付けていたから。

 

「そうだったか。見間違えた」

 

 俺は適当に答える。

 本人が隠したいのなら、わざわざ暴く必要などない。

 ……

 ……はぁ。

 

「なぁ、今日は暑いよな」

 

「?確かに少し暑いが、それがどうした?」

 

「……」

 

 俺は手元のビニール袋から、先程買った品物を取り出す。

 二本一組のアイス。

 それを袋から取り出して、一本ずつに切り分け、そのうち一本を中原に差し出す。

 

「食うか?」

 

「……」

 

 中原は、キョトンとしている。

 

「……二本も同じの食べたら飽きるだろ。だから、もう一本は余分なんだよ」

 

 ……下手くそ過ぎて、逆に俺が泣きそうだ。

 人とまともに話さなかった弊害が、こんなところで出てくるとは。

 ほら、中原のヤツだって、唖然としている。

 

「ふふ」

 

「あ?」

 

「ははは」

 

 ちょっと待て、コイツ、

 

「ふはははははは!!!!」

 

 大きな声で、笑い出しやがった。

 

「なんだよ、もう……」

 

 俺は視線を横にずらす。

 そうしたら、中原の方から笑い声が止まった。

 ただ、それも一瞬のことだった。

 

「あはははははは!!!!」

 

「もう好きなだけ笑え……」

 

 中原は、大きな声で、それこそ教室の連中にも聞こえるんじゃないか、って勢いで笑い続ける。

 先程の完璧な笑顔とは違って。

 心底楽しそうに。

 

 

「あー、久しぶりにこんなに笑った」

 

 中原は笑い過ぎで出た涙を拭いている。

 

「そうかよ。良かったな」

 

 俺は不貞腐れたように答え、アイスを口に咥える。

 

「ほら」

 

 口に咥えたまま、残ったもう一本を中原に差し出す。

 

「ありがとう」

 

 中原は、今度は大笑いすることはなく、受け取る(顔は笑ったまんまだが)。

 中原は、

 

「アイス、あまり食べないんだが、久し振りに食べると美味いものだな」

 

 アイスを口に入れながらそう言う。

 

「そうなのか?俺はしょっちゅうアイス食うなぁ。この袋の中も全部アイスだし」

 

「え?」

 

 中原は驚いたような顔をする。

 

「あ?どうした?」

 

「……その袋の中身って、昼ごはんじゃなかったのか?」

 

 中原は俺が持っているビニール袋を指差す。

 

「昼ごはんだぞ。中身は全部アイスだが」

 

「……本気か?」

 

「美味いんだから、いいだろ」

 

「どう考えても体に悪いだろ、それ……」

 

 中原は、呆れ半分心配半分の視線を寄越す。

 

「別にどうでもいい」

 

 俺は次のアイスを袋から取り出す。

 

「もし私の弁当があったら、分けたのだが……」

 

「要らん」

 

 手に取ったアイスを咥えながら、適当に答える。

 

「それに、いつもアイスだけってわけじゃない」

 

「本当か……?」

 

「本当」

 

 半分くらいはアイスだけで済ませるが。

 

「そう言うお前は、学食とかは使わないんだな」

 

「ああ」

 

 中原は、アイスを咥えながら頷く。

 

「私、料理が趣味でな。自分で弁当作ってるんだ」

 

 中原は心無しか、少し自慢気だ。

 

「それはすごいな」

 

 俺にはできないことだ。

 というより、ちょっと自慢気なのが、しっかり者っぽい中原には似合わず、子供っぽくて可愛らしいと思った。

 

「お前、勉強もできて、料理もできてって、色々できるんだな」

 

「色々って……」

 

 中原は苦笑する。

 

「そういえば、今の時間、お前のクラスでは何の授業をやっている?」

 

 ふと、気になった。

 

「授業?確か英語だったと思うが、それがどうした?」

 

「授業に出ないと折角の良い成績が下がるんだぞ、不良」

 

「君がそれを言うのか、大不良さん」

 

「なんだ、大不良って」

 

「今だけ授業をサボっている私が不良なら、常にサボってる不良の君はさらに大きな不良、つまり大不良だ」

 

「なんだそりゃ」

 

 俺は苦笑する。

 くだらない会話だ。

 俺と中原はそのまま、どうでもいい会話をずっと続けていた。

 有意義な時間とは到底言えない。

 でも、なぜか倦怠感は消えていた。

 

 

「そういえば、君、名前なんて言うんだ」

 

 5時限目の時間もそろそろ終わる頃、中原はそう聞いてきた。

 

「お前、俺のことを上谷って呼んでただろ」

 

「違う違う」

 

 中原は手をパタパタと振る。

 

「上谷君の下の名前のことだ」

 

「ああ、そういうことか」

 

 納得した。

 

「優夜。優しい夜って書いて優夜だ」

 

「なんだかホストみたいな名前だな」

 

「うるせぇ」

 

 自覚はあった。

 だからか、俺はあまり自分の名前を好きではなかった。

 

「でも、良い名前だと思うぞ」

 

 中原は笑いながら、そんなことを言う。

 

「……ホストみたいな名前なんだろ」

 

「ホストみたいな名前かつ、良い名前だ。優しい夜だなんて、ロマンチックな響きじゃないか。私は好きだぞ」

 

「そうかよ」

 

 俺の名前の感想、ってだけだろうが、少しドキリとした。

 

「じゃ、お前の下の名前は何だ?俺もお前のフルネームは知らん」

 

 同じ質問を中原に返す。

 

「私の名前か?私の名前は中原夕(ゆう)だ。中の原っぱに、夕焼けの夕」

 

 中原は、空中に『夕』と指で文字を書く。

 

「へぇ。なんだか良い感じだな。夕焼けって綺麗だし」

 

 浅い感想しか出て来ない。

 ま、名前の感想なんてそんなものかもしれないが。

 

「そうか?ありがとう」

 

 中原はこんなのにもちゃんと礼を言う、気の良い奴みたいだ。

 俺とは違って。

 

「さて、そろそろ戻ろうか」

 

 中原は、立ち上がって、スカートをはたく。

 

「お前、次の授業は出るのか?」

 

「ああ。次は数学なんだ。あまりサボりたくない」

 

「なんだ、数学とか好きなのかお前」

 

「好き、ってほどでもないが、嫌いでもないな」

 

「じゃあ、どうして」

 

「しないと成績が下がるって君もさっき言っただろ」

 

「……確かに言ったな」

 

『じゃあなんで成績上げたいんだ?』って聞こうとも思ったが、あまりにも質問が子供っぽいから聞くのをやめた。

 俺達は学生なんだ。成績を上げたい理由なんていくらでもあるだろう。

 

「上谷君はどうする?」

 

「俺?」

 

「君、次の授業どうするつもりだ?」

 

 ……授業か。

 俺は前述の通りかなりサボっているが、全部ってわけではない(もしそうだったら、留年する)。たまには、出席している。

 

「……もののついでだ。俺も次の授業は出るか」

 

 今日がその『たま』の日ってことにしよう。

 俺もその場から立ち上がる。

 

「そうか」

 

 中原は、なぜか満足げに頷いている。

 

「じゃ、行こうか」

 

「ああ」

 

 階段に続く扉に向かって歩く中原の後ろを、俺は同じ速度で付いていった。

 

 

「じゃ、私の教室はこっちだから」

 

 中原は俺の教室と反対側を指差す。

 

「そうか」

 

 俺はそのまま中原に背を向け、自分の教室に向かおうとするが、

 

「また、明日な」

 

 中原から、そう声をかけられた。

 

「……それは普段、学校に来ない俺に対する皮肉か?」

 

 俺は振り返る。

 

「そんなわけあるか」

 

 中原が呆れたような顔をする。

 

「これはただの私の願望だ」

 

「願望?」

 

「今日の上谷君とのお喋り、楽しかったからな。また明日もお喋りしたいと思っただけだ」

 

「……」

 

 そんなこと、言われるとは、思わなかった。

 楽しいと感じていたのは――

 

「私の勝手な願いだ。気にしてもらわなくて構わない」

 

「いや……」

 

 こいつと会ってから、慣れないことばかりだ。

 調子が狂う。

 

「チャイムが鳴ったな」

 

「ああ、もうそんな時間か」

 

「もう廊下も混み出す。教室に戻ろう」

 

 中原は、そう言い、そのまま背を向けようとする。

 ……

 狂いついでだ。

 

「中原」

 

「ん?なんだ」

 

「……また、明日な」

 

 中原が軽く目を見開く。

 そして、

 

「ああ」

 

 小さく、笑った。

 

 

 そんなやり取りをした日の放課後の下駄箱にて。

 

「「あ」」

 

 俺と中原の声が重なる。

 同じ学校の同じ学年だ。帰りに会うのなんて、全然あり得ることだった。

 

「……ふふ」

 

 まず、中原が笑い出す。

 

「……はは」

 

 それに釣られたかのように、俺も笑う。

 あんな風に意味有りげに別れた割には、その日のうちに会うのが、なんだかおかしくて、俺達はその場でくすくすと笑いあった。

 マンガみたいだなんだと言っても、まぁ現実なんてこんなもんだ。

 

 

2014/06/05

 

「……眠い」

 

 朝、学校に続く道を歩きながら、呟く。

 朝から学校に行くことなど、ほとんどないため、早朝に起きる習慣など勿論ない。

 

「だり……」

 

 そう一人でブツブツ不満を呟きながら、歩いていると、昇降口に辿り着いた。

 いつもは一人きりでの登校だが、今日は本来の登校時間に来たため、他の生徒もかなりいる。

 まともに学校に来ることすらない俺には、その光景が珍しく感じた。

 無論褒められたことではないが。

 

「……」

 

 下駄箱で上履きに履き替える。

 朝の喧騒の中、俺は誰とも話すことなく教室を目指す。

 

「……」

 

 一年生のエリアになると、俺をチラリと見る視線を何度か感じた。

 登校することすらまともにできない奴の、朝からの登校は珍しいのだろう。

 

「……」

 

 別にどうでもいい。

 あと、もうちょっとで教室に辿り着く。

 その時だった。

 

「上谷君、おはよう」

 

 俺のすぐ側で挨拶をする声が聞こえた。

 近くに友達がいるのだろう。

 ……

 ……いや、今俺の名前を呼ばなかったか?

 俺はゆっくりと顔の向きを変える。

 そこには、俺なんかに笑顔で挨拶する女――中原がいた。

 

「……」

 

「どうした、ボンヤリとして。もしかして寝ぼけているのか?」

 

 中原は首を僅かに傾ける。

 

「……まぁな。朝は苦手だ」

 

 俺が声を発すると、近くにいた連中のギョッとした表情がチラホラ視界に入るが、無視する。

 

「そうなのか」

 

 中原も、まるで周りの反応に気付いてないかのように、会話を続ける。

 

「ああ」

 

 俺は頷く。

 

「というか、そうじゃなかったら、学校に、もっとちゃんと来てる」

 

「……もしかして、君、学校に来ないのは、朝起きれないからか?」

 

 中原が少し呆れたような顔を見せる。

 

「……」

 

 そんなこと、自分では考えたことなかったが、そうなのかもしれない。

 

「……そうかもな」

 

「ダメだぞ、ちゃんと朝は起きないと。体にも悪い」

 

「そうかよ……」

 

 俺は適当に流す。

 

「それにしても、来てくれたんだな」

 

 中原は表情を、呆れから元の笑みに戻す。

 表情がコロコロ変わる奴だ。

 

「あ?」

 

「ほら、昨日の約束」

 

 ……『また、明日』ってヤツか。

 

「ただの気まぐれだよ」

 

「そうか」

 

 中原は何が嬉しいのか、笑みを強くする。

 

「……というか、そろそろ、朝のHRが始まらないか?」

 

「もうそんな時間か?」

 

 中原は腕時計を見る。

 

「……あと三分しかない」

 

「やっぱりそうか」

 

 どうりで、周りに生徒がいなくなるわけだ。

 気まぐれとはいえ、折角早い時間に来たんだ。ここまで来て、遅刻などしたくない。

 

「もう、教室行くぞ」

 

「そうだな。これ以上立ち話してたら遅れてしまう」

 

「ああ」

 

 俺は教室に向かって歩き出そうとし……最後に小さく呟いた。

 

「言い忘れてたけど、おはよう」

 

 ……なんだか、昨日も同じようなことをした気がする。

 中原もまた、綺麗な眼をパチクリとさせてるし。

 そして、やはりあの時の同じように中原は笑みを浮かべた。

 

「君って、昨日から思ってたが、結構律儀なんだな」

 

 うるさい。

 

 

 四限目のチャイムが鳴った。

 周りの生徒達の大多数は購買か学食に足早に向かう。

 何人かは、周りの慌ただしさを無視し、弁当を広げる。

 俺は、学生カバンからコンビニのビニール袋を取り出し、教室を出る。

 

「……」

 

 どこで食べるのか。

 それは、学校に来る前から決めていた。

 

 

「……」

 

 屋上に出る。

 そこは、誰一人も居ない無人で広々とした空間だった。

 

「……」

 

 何かを期待していなかった、と言ったら嘘になる。

 中原は、昨日のお喋りを楽しいと言っていたが、人気者のあいつにとっては、それはよくある日常の一コマに過ぎないのだろう。

 

「……」

 

 アスファルトの地べたに座り、ビニール袋から焼きそばパンを取り出す。

 それを包装袋から取り出そうとしたときだった。

 

「お。上谷君もここに来てたんだな」

 

 片手に弁当袋をぶら下げた中原が、扉の向こうから現れた。

 

「おう」

 

 俺は何事もないかのように手を上げながら返事をする。

 そして、そのまま、その手の平を上にして、クイックイッと中原を手招きする。

 

「……なんだか、それ、喧嘩を売っているみたいだぞ」

 

「最初は普通に手招きしようと思ったが、それじゃまるっきり、昨日のお前の仕草と気付いてな。なんか癪だった」

 

「癪に感じることか、それ……?」

 

 中原は呆れた声を出しながら、俺の隣に座る。

 

「久し振りの、一限からの学校はどうだ?」

 

「どうもこうも、眠い、ダルいとしか言いようがない」

 

「そうか。まぁ、授業なんてそんなものか」

 

 中原は喋りながら、弁当を広げている。

 

「お前は、どうなんだ」

 

「ん?私か?」

 

「お前、普段学校をどう思ってるんだ?」

 

「うーん……」

 

 中原は丁寧に顎に手を当てて、考え始めた。

 

「……別に真面目に答えなくても良いぞ」

 

「いや、考えてみると案外難しくてな」

 

 中原は首を少し傾ける。

 二十秒ぐらい経った頃だろうか。中原が口を開く。

 

「……やっぱり勉強する場所、かな」

 

「一番つまらない答えじゃないか、それ」

 

「面白みがないのは、私自身わかってるが、そうなのだから仕方ないだろう。それに勉強する場所というのは間違いではないはずだ」

 

 中原は胸に手を当て主張する。

 

「間違いではないけどさぁ……」

 

「まぁ、少なくとも上谷君の『ダルい』よりはマシだ」

 

「言うじゃないか、お前」

 

 確かに俺のに比べると遥かに真っ当ではあるが。

 

「それに、これから他の、学校の意味を見つけるさ」

 

「意味を見つける?」

 

 むしろ、そのセリフの意味がわからない。

 

「伝わりにくかったかな。要は学生生活の楽しみ方をこれから色々見つけたい、ということだ」

 

「ふーん……」

 

 俺は手の中の焼きそばパンを齧る。

 

「……この屋上で飯を食べるのも、その一環だったりするのか?」

 

「ふふ。そうかもな」

 

 中原はそれこそ、楽しそうに笑う。

 

「君、今日のお昼ご飯は、アイスじゃないんだな」

 

 中原が自分の弁当に手を付けながら、俺の飯について聞いてきた。

 

「ああ。本当はアイスにしたかったんだが、コンビニのレジで、朝買ったら、昼には溶けることに気付いてな……」

 

 俺は遠い目をする。

 

「あー、なるほど……」

 

「だから、今日はパン」

 

 俺は焼きそばパンを、ヤケクソ気味に口に突っ込む。

 それを見た中原は、

 

「健康を考えるのならパンの方が良いだろうが、好物を食べれなかったのは残念だったな」

 

「ああ」

 

 中原は学校で楽しみ方を探すと言っていたが、俺にとっては、少なくとも、これは時間通りに登校したデメリットの一つだった。

 

 

「……その、昨日はすまなかった」

 

 中原は、昼食を食べ終わる頃、そんなことを言い出した。

 

「は?何が」

 

 俺はなんのことだか分からず、聞き返す。

 

「昨日、私が大笑いしたことだ」

 

「……ああ」

 

 昨日の中原の楽しそうな笑顔を思い出す。

 

「後になってから、あれは大変失礼なことじゃないかと気付いてな。謝りたかった」

 

 別に中原が笑っていたことなど、俺は気にしていない。

 なのに、中原は神妙な顔をしている。

 

「ごめん」

 

 中原はその表情のまま、頭を下げる。

 それがなんだかおかしくて、

 

「ははは」

 

 俺はつい笑ってしまった。

 

「人が謝っているのに、笑うな……」

 

 中原が拗ねた表情を見せる。

 

「悪い。正直、全く気にしてなかったからな」

 

 あの時の俺の言動に関しては思い出したくもないが。

 

「じゃ、これでチャラだな」

 

「え?」

 

「だから、お前が昨日笑った分を、今俺が笑ったってことだよ」

 

「……そういうものか?」

 

「そういうもの、ってことにしとこうぜ」

 

 もう、昼休みも終わる時間だ。

 俺は立ち上がる。

 

「目には目を、歯には歯を、ってヤツ」

 

「いつの時代の話だ」

 

 中原も弁当袋を持ち、立ち上がる。

 そして、次の授業のため、自分達の教室に向かう。

 

「じゃ、またな」

 

 廊下で、俺は中原に軽く別れの挨拶をし、自分の教室に足を向ける。

 

「ああ。また」

 

 

 2014/06/18

 

「よう」

 

 俺は屋上へ続く扉を開けながら、先客に手を挙げ、挨拶をする。

 

「ああ」

 

 先にいた中原も、手を軽く挙げて返事をする。

 俺と中原がこの場所で会って、二週間が経った。

 その間、毎日この屋上で昼休みを、二人で過ごしていた。

 別にそういう約束をしているわけではない。

 でも、まるで示し合わせたかのように、俺達はここで毎日くだらない話をしていた。

 あの先生の授業はわかりづらいとか、道端の猫が可愛かったとか。

 俺にはときどきわからない話もあったけど(流行りのテレビとか知らん)、そういう時はこちらから質問すればいい。

 退屈な時間ではなかった。

 俺にとっては。

 ……

 

「なぁ、お前、友達居ないのか?」

 

 俺はともかく、なんでコイツは毎日この屋上に来ているのだろう。

 

「いきなり失礼だな、君は。ちゃんといる」

 

 中原は半目でこちらを見た……と思ったら、今度は悲しげな表情を浮かべ、

 

「……それと、今のは少し傷付くぞ」

 

 と小さな声で呟いた。

 

「なんでだよ」

 

「私と君は、友達ではなかったのか?」

 

「……」

 

 ……いや

 

「ここにばかり来るから、自分のクラスに昼飯を一緒に食べる友達はいないのかと聞いただけのつもりだったのだが……」

 

「……」

 

 中原の動きが止まる。

 

「……そうか、そういう意味だよな、うん」

 

 中原は何かを誤魔化すようにウンウンと大袈裟に頷いている。

 

「いる事にはいるが、あいつらとは、クラスで常に一緒だしな。昼休みぐらいこっちで良いだろ」

 

 ……俺はこいつが人気者だということは知っている。

 ならなぜ聞いたのかというと、俺は遠回しに『俺なんかと一緒にいて、お前は楽しいのか?』と聞いたつもりだった……のだが、中原には通じなかったようだ。

 だからといって、直接聞く勇気が俺には無かった。

 

「そうか」

 

 俺はペットボトルの中身のスポーツドリンクを口の中に含む。

 

「そういう上谷君はどうなんだ?」

 

「俺?」

 

 口に付けたばかりのペットボトルから、口を離す。

 

「君、クラスに友達できたのか?」

 

「……」

 

 中原とは話すようになったが、クラスの奴らと口を利いてない状況はまだ続いていた。

 

「その様子だと、いなさそうだな」

 

 中原は嘆息する。

 

「……悪いかよ」

 

 俺は顔を背ける。

 

「まぁ、君自身の勝手ではあるが、あまり良いことではないだろ?」

 

 その背けた俺の顔を、中原は覗き込む。

 

「それともなんだ。一人が好きなのか?」

 

『ああ、そうだ』

 そう答えようと思ったが、それは何か薄情のような気がした。

 だから、別の答えにした。

 

「……そうだったら、毎日友達と昼飯食べたりしないだろ」

 

 俺は視線を、中原から逸らす。

 割と本気で照れ臭い。

 

「……君、良い奴だな」

 

 なぜが中原は感心したようにそう言った。

 

「は?なんでそうなった」

 

「だって、君、さっきの私の勘違いに合わせて、そう言ってくれたんだろう?」

 

「……」

 

 まぁ、そうなのだが……

 こいつだけ勘違いで、小っ恥ずかしくて、嬉しいことを言ってくれたのに、俺だけ言わないのは卑怯な気がした。

 

「ふふ。ありがとう」

 

 中原は笑顔で礼を言う。

 ……ただでさえ、照れ臭いっていうのに、コイツは…………

 

「はぁ……」

 

「おい、なんでそこでため息をつく」

 

「別に……」

 

「別って、何の別だ」

 

 これ以上臭い会話なんてやってられるかとばかりに、俺はそっぽを向いて、中原の抗議に対して適当に返事をする。

 適当に流す俺と抗議する中原。

 言葉にしたら、悶着してるような二人。

 ただ、俺達の表情は笑顔だった。

 

 

 2014/06/24

 

 俺は生まれつき耳が良い。

 だから、俺のことを教室の端で陰口を叩いてる連中がいるのは知っていた。

 内容は大体『なんであんなヤツがこの学校来てるんだろう』『どうせならずっと学校に来ないで欲しい、迷惑』『事故にでもあえばいいのに』といったものだ。

 だが、俺がその陰口に対してどんな種類であれ、反応をしたことはない。

 そもそも俺の態度が態度だ。陰口を叩かれても仕方ないと理解していたし、何よりクラスメイトに全くと言っていいほど興味が無かった。

 俺と関係ない奴らにどうこう言われても、なんとも思わない。

 どうでもいい。

 ただ、最近その陰口の中に、ある名前が混じり始めてるのは気になった。

 中原夕。

 俺と中原は主に二人以外誰もいない屋上で会話していたが、廊下で会えば短くではあるが立ち話もする。

 誰とも話さないことで有名な俺が。

 そして、その様子は色んな生徒に見られていた。

 中原の方も中原の方で、俺とは違った意味で有名人だ。話題の種になるのだろう。

 勿論良い話題ではない。

 具体的には、『中原さん、あんなのと関わって、どうしちゃったんだろう』『中原の点数稼ぎに利用されてるんじゃないか、あの犬』『なんか、最近よく学校に来てるよね、中原の飼い犬』といった具合だ。

 中原が俺を飼い慣らしたってことになっているらしい。

 ……正直、ぶん殴りたいと何度か思った。

 ただ、内容が内容だ。俺自身、周りからどう思われようと構いはしないが、これ以上中原に迷惑かけたくなかった。

 どうせ放っておいても、文字通り口だけの連中だ。こちらから構わなければ、大きな問題に発展したりはしないだろう。

 俺はいつも通り、特に何もしない。

 だが

 

「はぁ……」

 

 ため息の数は多くなっていた。

 そんな日の朝のことだった。

 

「上谷優夜君」

 

 俺は窓側の席から、頬杖をつき外をぼんやりと眺めていたら、机の正面から俺の名前を呼ぶ男の声が聞こえてきた。

 

「……」

 

 無言のまま、俺は視線を前に移す。

 そこには髪を短く整え、やや大柄の男がいた。

 ハッキリとは分からないが、多分クラスメイトだろう。

 クラスメイトに話しかけられたのなんて、恐らく二ヶ月ぶりだ。こいつは、一体どういうつもりなのだろうか。

 そんな事を考えてるうちに、男は次の言葉を発する。

 

「僕の名前は杉原陽太(すぎはらようた)っていうんだ。よろしく!」

 

 大きな声を出しながら、俺に向けて、まるで握手を求めるかのように右手を差し出す。

 

「……」

 

 こいつは、一体、なんなんだ?

 何が目的だ?何を考えているか、全くわからない。

 

「……」

 

 俺は(いつも通りの)沈黙を続けると、目の前の杉原という男は、更に言葉を続けた。

 

「同じクラスメイト同士なんだ。仲良くやろう!!」

 

 うるせぇ。

 もっと声を抑えられないのか、コイツは。

 教室中聞こえるような、大きさじゃないか。

 というか、今更友達作りの儀か?

 ……いや、なんで今更なのかはわかりきっている。

 俺は今まで人との交流をシャットアウトしていたのに、最近は中原とは会話するようになった。

 それで、俺の態度が変わったと思って話しかけてきたのだろう。

 わざわざ、俺なんかを気にかける理由はわからないし、声が無駄に大きいのはもっとわからないが。

 まぁ、お人好しの部類なのだろう。

 

「……」

 

 ……反応するのも面倒くさいが、無視した方がもっと面倒くさいことになる気がする。

 

「……ああ」

 

 俺は杉原の手を取る。

 

『おおっ』

 

 ……それだけで、周りがどよめく。

 俺が人の握手に応じるのは、そんなに珍事か。

 

「おお!君、ちゃんと返事できるじゃないか!!」

 

「俺の扱いは小学生か。というか、お前の声うるさい、もっと静かに喋れ。周りにも迷惑だろうが」

 

 俺は未だに握ったままだった、杉原の手を振り払う。

 そうすると、杉原は目を見開いた。

 ……俺の仕草はそんなに乱暴だっただろうか。

 

「上谷君、流暢に喋れるじゃないか!」

 

 ただ、変な感心をしていただけだった。

 

「俺は日本に来たばかりの外国人か。それと静かにしてくれって言った俺の言葉は聞こえてないのか、お前?」

 

「ああ、すまない。ちょっと興奮していたようだ」

 

 声をやっとまともな(それでも大きくはある)大きさに落とし、杉原は胸に手を当てて深呼吸している。

 声もそうだが、仕草も大袈裟な奴だ。

 

「そろそろ、授業だから、席に戻るね!」

 

「……おう」

 

 もうそれしか言えない。

 嵐のような奴だった。

 俺の目の前から杉原は自分の席に移動する。

 それを俺は目で追う。

 って、隣の席だったのかよ、オイ。

 

 

 顔面が引き攣りそうになる。

 なんで、授業の合間の休み時間毎に、クラスメイトの連中が挨拶に来るんだ?

 なんだ、新手のお礼参りか?それとも俺はパンダの見せ物か?

 この意味不明な状況の中、一つわかったことは、俺はクラスの連中から思っていたより嫌われていなかったようだ。

 勿論、陰口や敵意ある視線が無くなったわけではない。

 たた、それはクラス全体ではなく、ある一部(大体三分の一ぐらいか?)であり、そうではない連中も結構いたようだ。

 多分、俺が連中に興味を示さなかったように、連中も空気のような俺に興味を持っていなかったのだろう。

 今日この日までは。

 今まで空気だった不良が、荒れていることもなく普通に喋る。

 それは、周りからは「非日常の面白いこと」として扱われた。

 なんだ、アイツら暇なのか?

 俺は「ああ」か「おう」としか返事してないのにも関わらず、引っ切り無しに人が来た。

 それだけの返事でも面白おかしいらしい。

 正直、面倒くさい……

 そうこうしてるうちに、四限目が終わった。

 カバンからコンビニで買ったパンの袋を取り出す。

 

「上谷君、一緒に学食行かないか!?」

 

 杉原のヤツが叫びながら昼食に誘ってきた。

 今日イチでかい声だ。学食が楽しみなのだろうか。

 

「悪いな。他の所で食う」

 

 コンビニの袋を杉原に見せる。

 

「そうか。わかった!」

 

 俺が断りの返答をするやいなや、杉原はすぐその場から走り去った。

 食堂の混雑をなるべくでも避けたいからだろうか。

 ……

 さて、俺も屋上に向かうか。

 

 

「今日は色々と大変だった……か?」

 

 いつもの屋上で、昼食を食べてる最中に中原はそんなことを言い出した。

 

「何だ、その煮え切らない言い方は」

 

「いや、君がクラスメイトの人達と色々会話をした、というのは他の人から聞いたのだが、実態がイマイチわからなくてな」

 

「……俺がクラスメイトと会話するっていうのは、他所のクラスまで届くような出来事なのかよ……………」

 

 マジでこの学校の連中暇人か?

 

「ふふ。そうみたいだな」

 

 中原はクスリと笑う。

 確かに、笑ってしまいたくなる出来事だ。

 

「それで、どうだった?」

 

 中原は先程と同じ意の質問を繰り返す。

 ……中原が先程から、申し訳なさそうな顔をしているのは気のせいだろうか?

 

「別に。ちょっとダルいが、どうということもない……というか、どうでもいい」

 

 ダルいが、どうでもいい。

 それが俺の偽らざる本音だった。

 それと、俺があいつらの会話に応じたのは、他の連中に言われてるみたいに、中原によって人が変わったから……ということではない。

 本当は今までと同じく無視したかった。

 関わりたくなど、なかった。

 だが、今と前じゃ状況が違う。

 今も前と同じように無視したら、『中原とだけ会話をする不良』となるが、他の連中にも返事をしたら『ある時期から色んな人と会話するようになった奴』となる。

 明らかに後者の方が問題的ではないだろう。

 ……別に、俺にどんな被害が来たところで、気にもならないが、それが赤の他人である中原に向けられるのは、はっきり言って嫌だった。

 

「まぁ、今は慣れてないだけだ。いつかは、何も気にならなくなるだろうな」

 

「そうか、良かった」

 

 中原は安堵したように小さく息を吐く。

 ……よくわからないが、俺はこいつに心配かけさせていたのだろうか。

 ……そういえば、この前、中原から『クラスに友達居ないのか?』と聞かれたな。

 

「……そういや、クラスで友達……というか知り合いが何人かできたぞ。意外なことに」

 

「意外なことって、自分で言うのか」

 

 中原は呆れたように言う。

 

「だって、本当のことだからな」

 

「そんなことないと私は思うがな」

 

「あ?」

 

「そんなことないと、私は思うぞ」

 

 中原は笑顔のまま、同じセリフを強く繰り返す。

 

「……」

 

 ……中原が俺の人物像をどう描いているか、少し気になった。

 

「……まぁ、何人か知り合いができたんだよ」

 

 俺の意外云々のセリフは、何の益にもならなければ、強い理由もない、ただのどうでもいい自虐だ。

 引っ張るほどのことでもない。

 

「特に隣の席の奴がめっちゃうるさくて、印象的でな。杉原陽太っていう奴なんだけど、お前知ってるか?」

 

「いや、知らないな」

 

 まぁ、違うクラスの人のことだ。

 知らなくても当然だろう。

 

「というか、他のクラスの生徒については、ほぼ誰も知らん」

 

「へぇ」

 

 なんか意外だ。

 

「私は部活もしてないしな」

 

 中原は部活をしていない。

 一週間ぐらい前に知った話だが、これも俺からしたら、意外だった。

 何かと行動力がありそうなイメージがあったため、何かしら部活をやっているだろうと思っていた。

 理由が気になって『なぜ部活をしてないんだ?』と聞いたら、『面白そうなのが無かったから』と答えが返ってきた。

 身も蓋もないが、まぁ部活なぞそんなものか。

 

「でも、お前に関して言えば、部活してなくても、他クラスの人と関わりありそうな気がしてたけどな」

 

「なんでだ?」

 

「なんでって……」

 

『お前のその見た目にその性格。お前、モテるだろ』とつい言おうとし……ふと、俺の動きが止まった。

 このセリフって、『男である俺から見て中原という女は、男から好かれる魅力的な女』……と『俺は』思っている、って遠回しに言ってるようなものじゃないか?

 

「……」

 

 俺の動きが完璧に止まる。

 

「ん?どうした?」

 

 不審に思った中原が、首を傾げる。

 

「……いや、なんでもない」

 

「なんでもないことはないだろう。なんて言おうとした?」

 

 中原は純粋に疑問に感じてるようだ。

 

「なんでもない」

 

 勿論、俺はその質問には答えられない。

 

「???」

 

 中原は更に首を捻る。

 

「……気になるな。何を言おうとしたか、教えてくれ」

 

「嫌だ」

 

「嫌だとか、そういう類の話なのか……?」

 

 昼休みの終了のチャイムが鳴る。やった。

 

「さて、昼休みも終わったし、早く教室に戻ろうぜ」

 

 俺は扉に向かって、心無し早足で歩く。

 

「え、そのあからさまに逃げる態勢は一体何だ……?余計気になるのだが…………?」

 

 後ろから中原の訝しむ声が聞こえたが、俺は聞こえなかったことにして、先に進んだ。

 

 

 

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