2-3.

 酒場というのは、この町には3軒ある。

 そのうち、今回詩布が選択したものは、シックな雰囲気で有名な酒場だった。

 一番うるさくないところを選んだのは、彼女なりの心遣いかもしれない。

 入り口をくぐるなり、コンテナハウスにこれでもかと詰め込まれた骨董品が真紀たちを出迎えた。品物は多くても、決してうるさくないあたりに店主のセンスが感じられた。


 サクラ材のカウンタの前に座るなり、詩布はジュークボックスを暇そうにいじるマスターに向かって「オレンジジュースふたつと日本酒ハクツルかん付けで」と声を張り上げた。

「ここで日本酒を頼むか……」

 健斗がイングリッシュパブ風に飾り付けされた店内を見回して呟く。

「寝起きだし、すっきりしたの呑みたいの」

 そう返答した詩布は、恐らく質問の意味がわかってない。この人はアルコールが入っていれば泥水でも笑って飲み干すタイプだ。


「さて、本題だけど」

 詩布はカウンタに両手を置き、切り出した。座った真紀たち二人の背筋が伸びる。

「あのサンパチ、このままだと処分されます」

「えっ……」

 健斗が残念そうにする横で、真紀は声を上げてしまった。

「規格外品だしね。半壊してるし、補給が絶望的だから置いとくメリットが無いんだ」

 でも、と詩布は続けた。

「私物として改造したものなら、自己責任になるからある程度融通が利く。どうかな」

「どうかな、って」

「鹿屋君が経歴でっち上げて、自分で改造したことにすれば万事解決ってことだけど」

 詩布は白い歯を見せて笑った。健斗が息を詰まらせて咳き込む。


「俺にその、RAMってやつになれってことですか」

「必要書類は用意したし、年齢その他の審査でも、見た感じ問題なさそうだから大丈夫。キミにしても、ここでの身分証明と働き口は欲しいでしょ」

「それもそうですが……」

 健斗は戸惑い気味にグラスの氷を見つめた。それを意地悪く眺める詩布の目には、何かを見極めようとする素振りがあった。

「私も、火器管制官としてサポートする所存です。いい提案だと思いますよ」

 真紀はこっそり健斗に耳打ちした。

「適性を含めて、色々『見る部分』は多いですし」

「真紀の操縦テクはアタシが保障する。ね、ダメかな?」

「あぁ、じゃあ、ここに馴れるまで……」

 両サイドから詰め寄られて、とうとう健斗が折れる。

 その困ったような顔が急に気の毒に思えてきて、真紀は無意識にオレンジジュースへと目を逸らした。


「よし、決まり! 真紀、明日は鹿屋君を案内してあげて」

 ばたん、と真紀の小ぶりな尻の下で派手に椅子が倒れる。

 カウンタで、マスターが視線を動かすことなく眉を上げた。

「あ、え、あの、そのぉ」

 真紀は噴き出した冷や汗をぬぐい、

「詩布さんの方が詳しいでしょう、どうして私なんですか」

「明日、透析入ってるの忘れてたの。あ、いいムードになったらこれ使いなさい」

 がっぷりと酒を呑んだ後、勿体をつけて机の上に何かを差し出す。

 半透明のセロファン紙に挟まれた、円形のゴム製品だった。

 多くの男女が睦みごとの直前に開封するであろう包装紙には、『突撃一番改さらに改』と無駄に壮々たる墨書までしたためられている。


 真紀は二度ひっくり返し、首の後ろが熱くなるのを感じた。

「これって、あの」

「ん、一枚じゃ足りなかった?」

 真紀は詩布を突き飛ばした。その勢いで健斗が椅子からずり落ちる。

「へ……変態! アホっ! アル中バカーッ!」

 真紀はコンテナハウスを飛び出した。

 健斗が座りなおすあいだに、うわああん、と泣き声がコンテナから遠ざかっていく。


 長く、沈黙があった。

 マスターがグラスを拭いて、キュキュッと音が鳴る。

 しばらくして詩布は椅子を立て直すと、頭をぽりぽりと掻いた。

「ちょいと今回はやり過ぎたかな」

 ぽいっ、とカウンタに財布を投げ出して勘定に入る。

「冗談だったのかよ……」

 健斗はげんなりしながら、改めてオレンジジュースを飲み干した。

 ここでは生のフルーツが手に入らないようで、ひどく化学的な甘ったるい味がする。

 ガチャ、と小さな音がした。顔を上げると、詩布がこっちを見つめていた。

「はい?」

「いや。ホントに馬賊じゃないんだ……」

 彼女は撃鉄を起こしたばかりのリボルヴァー拳銃を見せてきた。

 弾倉に2種類の弾が交互に入っている。赤いのは散弾だろうか。

「今、俺を撃とうとしたんですか?」

「反応してたらね。でも、もういいや。信用することにする」

 詩布は弾を抜いて並べた。

 つやつやした真鍮の薬莢に、情けない顔の男が映っていた。

 コップを置くついでに、健斗は口元に付いた水滴をぬぐった。


「さっき、透析って。腎臓でも悪いんですか」

「いや、キール・ブラッドの方……って、わからないか。アタシ、軍用の人工血液を使っているの。あっちの方がガス交換効率がいいから」

 あんたはやめときなさいよ、と詩布は言い添えて左腕を見せてきた。透析で注射針を1週間に3度刺される肘の裏は、肉が大きく盛り上がっていた。肘から先は義手のようで、皮膚の色が違う。

「極東の徴員のときに派手にやられちゃって、内臓もほとんど人工物。ま、アタシたちは正規の訓練を受けているわけじゃないし、女が死なない程度にやるにはコレでトントンってとこ」

「おれ、サンパチの操縦できるんですかね……」

 ぼやく健斗に、詩布はさっぱりとした笑顔を送った。

「そのために真紀がいるんじゃない。あの子は人間的には半端だけど、知識と技術だけはアタシも認めてる。安心して」

「信頼してるんですね」

「アタシだっていつ死ぬかわからないし、そう思わないとやってらんないの」

 マスターからレシートと財布を受け取り、詩布はグラスに残った氷を噛み砕いた。

 そうか、と健斗は呟きかけて、少し考えた。


 いつ死ぬかわからない、とは。


「すみません。この仕事、死亡率って……?」

「ん? 年間150人前後だけど、それが?」

 150人。母数が不明でも充分に多い。

 流れる沈黙に、突き出されたプリペイドカードを読み取る音が楽しげに響く。

 机に無言で突っ伏した健斗の口は、いつまでも「だまされた」と開閉運動を繰り返していた。

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