第32話 弔いの鐘


 寒さも厳しくなってきた冬も間近の頃。白石に弔いの鐘が鳴り響く。

 カァーン、カァーンと哀しみに満ちたその音は、白石城下をゆく行列が片倉小十郎景綱の葬式行列であることを報せていた。

 その鐘の音を、阿梅は行列に参列しながら聞いていた。

(あぁ――――本当にお亡くなりになってしまわれたのだわ)

 通夜の支度で大わらわであった時でさえ実感できぬことだったのに。その鐘の音に阿梅はようやく、あの偉大な武将が、もはやこの世にはいないのだと理解できた。

 それほどまでに受け入れ難い事実なのだ、と、阿梅は自身に驚いていた。

 何故ならば、景綱はいつ身罷ろうと不思議ではなく、阿梅は覚悟などとっくにできていると思っていたのだ。

 日に日に衰えてゆく景綱を白石城の者達は誰もが知っていた。寝所から出られぬ様子に、もしかしたら、と仄暗い予感を抱いたのは、きっと阿梅だけではないはずだ。

 しかしどうだろう、こうして鐘の音を聞く阿梅は、哀しみとも喪失感ともつかぬ、すうっと穴が空くような心地に襲われているのだ。これ程までに、阿梅の中にも存在していた御方だったのだ、彼の人は。

 父や兄を失った時とも違う感覚に、阿梅は重綱を思った。

(小十郎様の哀しみはいかばかりでしょう)

 阿梅でさえこんな心地でいるのだ。息子である重綱の心は、この比ではないだろう。それでも重綱は白石の城主として、小十郎として振る舞い立っている。

 阿梅はその後ろ姿を見つめるしかできずにいた。




 弔いの鐘が鳴る。その長い長い行列の先頭で、重綱が見ていたものは。

 親族の己より哀しみに満ち、蒼白になる程に精気の抜けた政宗の顔だった。

 重綱は父を失うことが恐かった。いや、今だって本当は足が竦みそうな程に恐い。あの父の代わりが勤まるとも、今だに思えはしない。

 だが、しかし。

(私が、支えねば)

 政宗の虚ろな横顔に重綱は奮い立った。ここで重綱がしっかりせねば、あの世で父に怒鳴られるだろうことが、ありありと想像できた。

 葬儀は粛々と執り行われた。景綱の意向に添って墓は作られず、一本杉が墓代わりとなった。墓を暴かれぬように、という景綱の考えは、戦を生き抜いた武将らしいものだった。

 殉死した家臣も少なくない。武将としての景綱の存在は、とてつもなく大きかったのだ。

 それを失って。足取りも覚束なくなりそうな、そんな中でも。重綱は精神を崩すまいと、顔を上げて政宗の傍に控えていた。

 葬儀を終えた後、白石城から一本杉のある方角をぼんやりと見つめて政宗が呟いた。

「小十郎が逝く、か」

 重綱はただ黙って政宗を見つめていた。

 己を見ない、おそらく無意識に景綱を「小十郎」と呼んだ、主君を。重綱は黙って見守った。

「喜多の時も堪えたが……………これは、」

 言葉にならない辛さだろう。政宗の信じたものが、一つ、また一つと、失われてゆく。

 重綱は身動ぎもせず、ただただ政宗の傍にいようと考えた。

 かける言葉など見つからない。いや、慰めなど、して良いことではない。それでも政宗の傍にいよう、と、重綱は決めた。

 信じるものを失った、政宗の傍に。たとえ己が信ずるに値しないと、彼の人に思われようと。

 自分の全てを尽くし政宗を支えるのだ。どんなことがあろうと。重綱は今までにない覚悟で、ひたすら黙って政宗を見つめ続けていた。

 どれ程そうしていただろう。政宗がぽつりと言った。

「お前は、先にいってくれるなよ」

 それは重綱にかけられた言葉だった。

 思わず重綱の目は潤んだ。しかしそれをけどられまいと、重綱は頭を垂れた。

「ずっとお支えします」

 政宗の動く気配がしたので重綱は顔を上げた。

 その先には確かに重綱を見る政宗がいた。

「ああ。頼むぞ―――――小十郎」

 苦笑いのような、泣き笑いのような、何かを見出だすような、そんな政宗の顔に。

 重綱は力強く応えた。

「御意に」

 代わりではない。己が小十郎なのだ。己がこの御方を支えるのだ。この時、真の意味で己が小十郎となった事を、重綱は気付いていなかった。

 世は移ろう。同じではいられない。変わってしまう。しかしだからこそ――――――人は前に進む。

 そうやって、変わる、変わってゆく力は、希望をもたらすのだ。政宗はそれを重綱に感じていた。

 失って、絶望して、違う何かを見出だして。いつだって、その繰り返し。だが政宗はもう知っている。心底信じたものは、けして失われないことを。

 喜多が、景綱が、いなくなってしまった多くの者達が、今の政宗を形造っている。それはけして失われることのないものだ。

 政宗の中に、重綱の中に、景綱はどうしたって存在する。それを政宗は見失ったりはしないのだ。

 ただ願わくば―――――重綱を見送りたくはないと、政宗は思った。

 できることなら、重綱に見送られる側になりたい、と。

 上に立つ者として、けして口にはできないことだが。

(二度は耐えられそうにない)

 小十郎を失う苦しみは、政宗にそう願わせる程のものだった。




 元和元年、晩秋――――片倉小十郎景綱死去。

 伊達政宗はその哀しみから三日三晩、誰とも会わず食事すら口にせずに引き籠もったという。

 それは確かに、伊達政宗という武将の、一つの時代が終わった象徴だった。










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