第12話 輿に二人きり


 鈴鹿山脈を越え、三河を抜ければ、遠州灘えんしゅうなだが見えてくる。

 伊達軍は新居関所の手前にある白須賀宿の近くで野営することとなった。むろん、明日の関所越えに備えて、である。

「大八とおかねは荷に紛れ込ませる」

 重綱は関所を越える策を阿梅達に説明した。

 新居の検査が厳しいとはいえ、全ての荷を確認するわけではない。鉄砲等の武器は調べられるだろうが、貴人の私物、それも高価な物ともなれば手をつける者はいない。

 小さな子供二人だ。長持に入れて運ぶことは容易だろう。

「不安であろうが、辛抱してくれ」

 重綱にそう言われた大八とおかねは、神妙な面持ちで「はい」と答えた。

 さて、問題は阿梅の方だ。

(殿のことだ、とんでもないことを言い出すとは予想していたが)

 重綱は阿梅をじっと見つめた。

「私は荷に紛れてはゆかぬのですか?」

 首を傾げる阿梅に説明してやりたいが、政宗からはきつく口止めされている。

 重綱は眉間にしわを寄せて阿梅に言った。

「そなたに関しては、別の方法を用いる」

「………そうなのですか」

 阿梅はそれ以上を聞かなかった。

 どうせ明日には分かること。重綱が説明しないならばそれには理由があるのだと、聡い阿梅は理解したのだ。

 それを感じとった重綱は阿梅の肩に手を置いた。

「気をしっかり持っておけ」

 初陣ういじんに行く者にかけるような、そんな響きのある言葉に阿梅は重綱の顔を見て、それからこくりと頷いた。

「分かりました」

 重綱の重々しい態度の理由は、出発時に判明することになる。

「そなたには、これに乗ってもらう」

 阿梅だけ片倉隊から離され重綱に連れていかれたのは、豪奢ごうしゃ輿こしの前だった。

 どう見ても貴人用のそれ。そして傍に控えるのは小十郎をはじめとする伊達家の立派な大人達。

(まさか)

 ちらりと重綱に目をやれば、彼はものすごく渋い顔をしていた。

「私は常に輿の傍にいる。何かあれば声を上げるように」

 そうは言われても、そんなことができるだろうか。

「いらん世話だな、小十郎」

 輿から聞こえた声に阿梅は思わず身体を強ばらせた。

 すっと輿の奥から手が伸びて阿梅を招く。重綱が頷くので阿梅は輿に入った。

 そこにいたのは―――やはりというべきか、隻眼の壮年男性だった。

 その顔は彫りが深く、伊達男という言葉に相応しい華やかさと苦みばしった鋭さがある。

「成る程。これは隠したくもなるか」

 その言葉が聞こえたのだろう。外から重綱の低い声が聞こえた。

「殿、約束を違えられませぬよう」

「分かっておる! まったく、心配性め。余計なことを気にせず早く出発いたせ」

 その指示に周囲の動く気配がして、輿が揺れた。

 彼は阿梅に人好きのする笑みをむけた。

「さて、さすがにもう察しておるとは思うが。わしが伊達藤次郎政宗だ。源二郎の娘、阿梅だな?」

「はい」

 ゆらりと動く輿のなか、政宗は阿梅の手を取ると自らの方へ引き寄せた。

「そう固くなるな。とって食いはせぬ。小十郎が煩いのでな」

 間近に迫る政宗に阿梅は呼吸さえままならぬ状態だったが、そんな阿梅を政宗はあろうことか、ひょいとあぐらをかいた膝の上に乗せてしまった。

「――――ッ!」

 いったいどうするのが正解なのか。うろうろと視線をさ迷わせる阿梅だったが。

「わしが怖いか?」

 囁かれた言葉に阿梅は政宗を正面から見据えた。

 あまりに近いので、かつて患ったという右目の濁りさえよく見えた。

「……………はい。恐ろしゅうございます」

 そう言いながらも阿梅の瞳はひたと政宗の顔を見つめていた。

「真正面から、よくも言う」

 ほんの少し口角を上げる政宗に阿梅は続けた。

「貴方様は、私達の命を握っておられる方。命の危機に恐れを抱かねば、生き延びることなどできぬでしょう」

 阿梅は、自らの立場を自覚している、と示したのだ。つまり、真田の子供の命運を握っているのは政宗だ、と。

 反らされることのない阿梅の瞳に政宗は目を細めた。

「……………似ておるな」

 ぽつりと呟いて政宗は阿梅の頬を撫でた。

「惜しい男だった」

 誰のことを言っているのか、阿梅には分かった。

 政宗は阿梅の父、信繁を思い浮べているのだろう。

「目もとがあやつそっくりだ。それに豪胆なところも」

 顔を緩ませ、政宗は阿梅に言った。

「恐れる必要はない。お前達の危機は取り除いてやる。まず、無事に白石まで連れていってやろうぞ」

 おどけた口調の政宗に阿梅の身体からいくらか力が抜けた。とはいえ、あまりに近い距離にどぎまぎはするのだが。

「それはともかくとして、小十郎のことなのだがな」

 政宗は阿梅の顔を覗き込みながら聞いた。

「お前、もう抱かれてしまったか?」

 あまりに直球すぎる政宗の質問に目を丸くしたが、阿梅は少し考えて正直に答えた。

「小十郎様は私に、身体は大切にせよと教えてくださりました」

 政宗は「うむ、想定内だな」と何やら頷いている。

 そして困ったことに、さらに質問を重ねてきたのだ。

「で、わしはどうだ? やはり、このような爺は嫌か? 小十郎と、どちらの方が男ぶりが上であると思う?」

 これに阿梅は弱ってしまった。阿梅は重綱に預けられた身。しかし政宗は重綱の主君だ。

 よく考え、阿梅は口を開いた。

「貴方様の方が男ぶりは勝っておりましょう」

 政宗はニヤリと笑った。が、阿梅の言葉には続きがあった。

「しかしながら、私は小十郎様の方が好みでございます」

 これには政宗も唸るしかなく、そして「参った、参った」と笑い出してしまった。

「聡いと聞いてはいたが、本当に大したものだ。ああ、小十郎にくれてやるのが惜しくて堪らん!」

 だがそうは言いながらも政宗の目は柔らかく、重綱を大切に思っていることが見てとれた。

「腹いせに、あいつの小さな頃の話でもしてやろう」

「小十郎様のですか?」

「ああ。左衛門さえもんといってなぁ、可愛かったのだぞ」

 そんなわけなので輿から下ろされる頃には、阿梅はすっかり重綱のあることないことを政宗から吹き込まれていたのだった。









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