第8話 再会と決断


 伊達の屋敷に入って数日。阿梅は変わらず、生活のほとんどを片倉隊の皆と同じにしていた。

 寝る部屋は個室を与えられたが、食事や仕事は片倉隊の皆と一緒だった。

 とはいえ休養中でもあるので、忙しいというわけではない。兵の皆ものんびりと過ごしていた。

 そんな中、阿梅は重綱に「風太、少しいいか?」と、屋敷の端にある離れへと連れていかれた。思えばここ数日、阿梅は重綱に会っていなかった気がする。

 いや、重綱は片倉隊の様子を見にきていたはずなのだが、阿梅に近寄ることもなく、また声をかけるでもなかったのだ。

(お忙しかったのだわ)

 阿梅は前をいく重綱の背中を見つめた。

 すると、ふいに重綱が足を止め、くるりと阿梅を振り返った。

「今から起きること、私がすることに、何か言ってはならん。できるな」

 妙に重々しく意味深なことを言う重綱に、阿梅は首を傾げながらも「分かりました」と言った。

 それに重綱はにこりと微笑むと、離れの戸を開けた。

 そこには――――。

「あねうえっ!」

「姉様!」

 小さな子供が二人、阿梅を見て叫び声を上げた。

「―――――おかね! 大八!!」

 走り寄ってくる二人を、阿梅は両手を広げ、しっかりと抱き止める。

「あねうえ! あねうえぇぇっ」

 泣きじゃくっている男の子と声も出せない程に泣いている女の子。大八とおかねだった。

「よく……………よく、無事で」

 阿梅の頬にも、この時ばかりは涙が伝っていた。

「阿梅様、ご無事で何よりです」

 見渡せば、知った顔の真田衆の者達がいた。

「皆、どうしてここに」

 そこで阿梅は、はっと重綱を見た。

「いや、私ではない。殿だ。もともと殿はそなた等を助けるつもりだったのだ。左衛門左さえもんのすけ殿の頼みを受けてな」

 阿梅はじっと重綱を見つめ、それから口を開こうとしたが、重綱がそれを遮った。

「今日からそなた等は私の預かりとなる。阿梅と同様に、だ」

「小十郎様」

 重綱はしたり顔をして付け加えた。

「阿梅、先ほど私は、何か言ってはならんと命じたはずだぞ」

 阿梅は泣き笑いをして、その目尻からほろりと最後の涙が落ちた。

「…………お礼も言わせてくださらないなんて」

「聞き飽きたからな」

 そう言う重綱に、阿梅のかわりに真田衆の皆が頭を下げた。

「伊達家の恩情には、必ず報います」

 重綱は頷いた。

「ああ。これからのことは、ここにいる―――」

 名を教えてよいものか迷った重綱だったが、隣にいる金助自らが前に進み出て言った。

「私、太宰金助と働いてもらおう」

 真田衆はさっと膝をつき頭を垂れた。

 阿梅はおかねと大八をぎゅっと抱き締めた。

「皆で一緒にいきましょうね」

 大八など、引き離されたことがよほど怖かったのだろう。

「あねうえといっしょ? ずっといっしょにいれますか?」

 と、幼い口調で繰り返し確認するように聞く。

 阿梅はまた重綱を見た。重綱は大きく頷いて、大八に笑いかけた。

「皆、一緒だ。そなたが大八だな? こちらの女子がおかねか。案ずるな。白石で共に過ごせばよい」

 大八は、ぱぁぁっと顔を輝かせた。

 泣いた鴉がもう笑った。幼子はくるくると表情を変える。

 一方、大八より年上のおかねは、どこか沈んだ面持ちだった。

「けれど小十郎様、二人をどうやって白石まで連れてゆくのです? 私のように変装するのは、無理があるように思います」

 阿梅が心配そうに重綱に聞いた。

 まだ阿梅はなんとか小姓に見える背丈だが、二人はあまりに小さすぎる。しかし重綱は「案ずるなと言っただろう」と妙に得意気だ。

「伊達軍の本軍と共に帰還する。かなりな大所帯であるし、荷物にでも紛れてしまえば、関所も抜けられよう」

 阿梅は目を丸くした。

「すごいことを考えますね、藤次郎とうじろう様は」

 その策が、伊達だて藤次郎とうじろう政宗まさむねのものであるとあっさり看破され、重綱は唖然とした。

 阿梅はバツの悪そうな顔をした。

「すみません。父上がよく頭脳明晰な方だと口にしていたもので」

 金助が堪らずといったように笑った。

「ははは、さすがは真田のおひぃ様! よく分かっていらっしゃる!」

 だが、ちょっと考えれば分かることだ。こんな計画は、伊達軍を動かす政宗にしか立案できないだろう。

 重綱は阿梅に「そなたは本当に聡いな」と苦笑いした。

 阿梅は少し顔を赤らめ、それから確認するように言った。

「では、伊達軍と共に行くのですね」

「ああ。片倉の皆も協力するだろう」

 そこで大八が阿梅を見上げて、不思議そうに言った。

「あねうえ? どうして、男子おのこのすがたなのですか?」

 阿梅はふふっと笑った。

「私は今、ここにおられる小十郎様の小姓なのです。立派に仕えているのですよ」

 大八は重綱と阿梅を交互に見やり、それから素直に感嘆の声を上げた。

「あねうえ、すごい!」

 重綱は思わず大八の頭をわしゃわしゃと撫でた。

「そなたの姉君は、まことに立派だ。誇りに思え」

「はい! えぇと、こじゅうろうさま!!」

 もうすでに、大八はきらきらとした目で重綱を見ていた。

 すると、その時。

「姉様、あの…………」

 阿梅の腕のなかで、おかねが小さく震える声を出した。

「どうしたの? おかね」

 阿梅が覗き込めば、おかねはまだ目に涙を浮かべ、悲しみに満ちた顔をしていた。

「まだ阿菖蒲おしょうぶが」

 阿梅はそれで全てを察した。下の妹、阿菖蒲がここの屋敷にたどり着いていないことを。

「阿菖蒲は今、どこにいるのです?」

 阿梅は真田衆に目を向けた。

「大阪城を無事に脱出できたことは確認しております。が、潜伏先が分かっておりません。

 お二人をここにお連れするのが精一杯でした。申し訳ございません、阿梅様」

「…………いえ、皆はよくやってくれました」

 阿梅は唇を噛んだ。

 おそらく伊達軍の引き揚げは間もなく始まる。それに間に合わなければ。

「姉様」

 泣きそうな顔で見上げてくるおかねに、阿梅は厳しくも言わねばならない。

「阿菖蒲が見つからないのであれば、仕方がありません」

「そんな!」

 悲痛な声を上げるおかねを、阿梅はそっと撫でた。

「選ばなくてはいけないというのなら、私は確実に助けられる貴方達を選ぶ」

 阿梅はおかねを見つめて静かな声で言った。

「私を恨みなさい、おかね」

「…………姉様」

 そんなおかねと阿梅のやり取りを、大八は不安そうに見ていた。おかねは大八の手をぎゅっと握った。

「姉様は正しい。けれど―――私は」

 そんなに簡単に割り切れるはずがない。当たり前のこと。しかし阿梅は何があろうと、決断を変えるつもりはなかった。

 おかねに恨まれようと、阿菖蒲を見殺しにすることになろうと。

(私が、選ばなくてはならない)

 その決断に、魂を引き裂かれるような痛みがあったとしても。阿梅は顔を上げていなくてはならないのだ。

 誰もが口出しすることを躊躇う、そんな空気の中。

「―――――よろしいでしょうか」

 涼やか声が響いた。




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