【恋愛】「メロンソーダ」「思い出」「劣等感」

「え? 美菜みなちゃん、メロンソーダ飲めないの? お子ちゃま~」


 小学生最後のクリスマス会で、目の前に出された紙コップに手をつけないでいると、周りの子達に不思議がられた挙句馬鹿にされた。

 早い段階から炭酸飲料が苦手だとわかっていた美菜は、極力それを避けるように生活してきた。

 けれど、今回は不運にも自分で飲み物を選べず、無邪気に差し出されたそれがメロンソーダだったため、味覚過敏であることがクラスメイトに知られてしまった。

 確かにコーラやソーダを飲めると何となく大人になった気持ちになるけれど、あくまで個人の好みだし、飲めないからといってからかわれる謂れはない。

 それは、ある程度の年齢に達していれば当然ながらわかっていることだ。ただ、精神的に未成熟な小学生なら、そのあたりの機微が読めないのも仕方ない。

 とはいっても、美菜も同じ小学生だ。

 この一言に大いに傷ついた。

 更に言うと、当時好きだった男の子が同じクラスにいて、この会話が聞こえていたであろう彼にくすりと笑われたことは、後々まで消えない出来事として美菜の中に刻まれた。

 それ以来、メロンソーダを見るたびに劣等感を抱き、同時に苦い思い出が蘇るようになった。



「美菜、お待たせ」

 校舎の前で待っていると、ブレザーに身を包んだ遠野とおの君が鞄を担いでやってきた。

「今日はできたばっかりのケーキ屋に行くんだっけ?」

「うん。開店初日に行った友達が自慢してたの。早く私も魅惑のミルクレープを食べたくて食べたくて」

「わかったわかった」

 苦笑しながらもつき合ってくれる遠野君は、私にはもったいないほど素敵な彼氏だ。

 高校に入って一生懸命アタックし、ついこの間オッケーをもらったばかりなので、未だに『彼氏』と呼ぶのも恥ずかしいぐらいだけれど、堂々と隣に並んで放課後デートができるようになったのは格別の喜びだった。

 どんな話でも穏やかな表情で聞いてくれて、美菜の希望を取り入れてくれるところは、大事にされてるなぁと頬が緩んでしまう。

 今日も、決して甘いものが得意なわけではないのに、美菜の願いを叶えるためにスイーツ店へとエスコートしてくれる姿に、もう何度目かのときめきを覚えた。

 弾むような足取りで目的地へ向かう美菜を、よほど楽しみにしていると勘違いした遠野君に、「ちょっとは落ち着け」とたしなめられながら通りを歩いた。


 洒落た外装の店に恐る恐る踏み入ると、中は落ち着いた色合いの調度品で揃えられていて緊張が和らいだ。

 窓際の席に案内され、遠野君と向かい合って腰を下ろす。

 顔を寄せ合ってメニューを眺め、お互い注文するものが決まったところで、遠野君が店員さんを呼んでくれた。

「ええと、ガトーショコラとコーヒー一つお願いします。美菜は?」

「ミルクレープとメロンソーダで」

「えっ?」

 遠野君が小さく驚くのを目の端に留めつつ頼む。

 それを受けて店員さんが復唱し、テーブルから離れていった。

 何気ない話を続けながら澄ました顔で待っていると、さほど時間を置かずにお互いのオーダーしたものが並べられた。

「わー、重なったクレープの層がすごく綺麗!崩すのもったいないなぁ。……遠野君、食べないの?」

「あ、いや、食べるよ」

 そう言いながらも、フォークを持って皿に近づける動作は緩慢だ。

 美菜は気にしないことにして、早速クレープを切り分けて口に運んだ。

「あま~い!生地がもちもちしてて生クリームとの相性最高!」

 最初の一口を堪能し、ストロー付きのメロンソーダで喉を潤す。


「飲めるようになったんだ……」


 呆然とした呟きを耳にしたのはその時だ。

 美菜はフォークを置き、はっとした表情で口を押さえる彼氏に向き直った。

「遠野君、今のどういう意味?」

「いや、それは……」


「やっぱり、私が小6の時のクラスメイトの『本郷ほんごう美菜』だってわかってたんだね」


 美菜の小学校卒業を待って両親は離婚した。

 親権は母親が持つことになり、中学に上がる直前に慌ただしく引っ越した。元いた家からそんなに遠くなかったものの、本来行くはずだった校区からは外れてしまったため、全く知り合いのいない中学校へ通うことになったのだ。

 おかげで、美菜の名字が『本郷』から母親の旧姓である『佐伯さえき』に変わったことに気づいた者はおらず、いらぬ同情や腫れ物扱いを受けずに済んだのは幸運だった。

 ただ、好きだった男の子──遠野君に会えなくなり、恥ずかしい過去を思い起こされなくてほっとしたのと、思いを告げられないまま転校したのとで、複雑な気持ちを抱え続けていた。

 それが何の偶然か高校で再会し、果てはもう一度クラスメイトにまでなり、封印したはずの淡い感情が息を吹き返したように湧き上がってくるのを自覚した。

 だから決意したのだ。今度こそこの気持ちを伝えようと。

 そして見事両想いになったわけだけれど。


「黙っててごめん。名字が変わってたから、気づかない振りをした方が良いのかと思って触れなかった」

 正直に認めると、遠野君はきちんと九十度頭を下げた。

 こういう潔いところが、彼を好きになった理由の一つだ。

 言わずにいたのも美菜を気遣ってのことで、遠野君の優しさは変わってないんだなぁと再確認する。

 それでも、どうしても聞きたいことがあった。

「名字のことを黙ってたのはいいよ。私も敢えて説明しようとは思わなかったから。でも、一つだけ教えて。あのクリスマス会の時、私がメロンソーダを飲めないのを見て笑ったよね?」

 それって炭酸飲料が飲めない私のことを馬鹿にしたんじゃないの?

 そう受け取ったからこそ、もう会えないとわかっても片想いに決着をつける踏ん切りがつかなかったのだ。

 嫌われていないまでも、特別に想われているとは露とも考えていなかったから。

 美菜の言外の疑問を読み取った遠野君は、ゆっくりと首を横に振った。


「確かに思わず笑っちゃったけど、あれは美菜のことを馬鹿にしたわけじゃなくて……。可愛いなって、思ったんだ」


「え?」

「勉強も運動もできて、先生にも頼りにされてた憧れの女の子が、メロンソーダを飲めなくて困ってるのを見て、不謹慎だけど可愛いなって。完璧な存在じゃないってわかって安心したのもあったかもしれない」

 でも笑ったことは事実だから、美菜を傷つけたのなら謝る。本当にごめん。

 真剣味を帯びた声で再度頭を下げられ、美菜はぽかんとして彼のつむじを見つめた。

 想定外の理由に頭がついていかない。

 あの時遠野君が笑ったのは蔑んだわけじゃなくて、美菜のことを可愛いと思ったからで、つまりそれはその頃から遠野君は──。


「ずっと言えなくて後悔してたのは俺も同じなんだ。小学生の頃から、美菜のことが好きだったよ」


 自分の予想と遠野君の言葉がぴたりと合致し、理解した瞬間、一気に顔が熱を持った。

 まさか彼も四年前から同じ気持ちだったなんて。

 嬉しい。でも昔の記憶は忘れてほしい。でもやっぱり嬉しい。

 色々な感情が渦を巻いて二の句が継げなくなった美菜に、遠野君はミルクレープより甘い告白を落とした。


「美菜がメロンソーダを飲めるようになったのも、苦手を克服しようと努力した結果だろ? そういう頑張り屋なところ、また好きになったよ」

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