【BL・和風・ラブラブ・人外】女子にモテない僕はイケメン神様とご縁を結びたい!

【美人系神様×凡人高校生】


なぜか女子にモテない僕は、ある日、神社でお願い事をする。

「神様お願いしますっ。明日の告白うまくいきますよーに!」

準備万端、神頼みもバッチリ。

告白はうまくいくかのように思えたが、肝心なところで僕は思わぬことを口走ってしまう。


※全年齢向け。性的な描写はありません。


ノベルアップ+にも同じ作品を掲載しています。

https://novelup.plus/story/827138088

―――――――


01.なぜ僕は告白相手に恋愛相談をしているのだろう?



「神様お願いしますっ。明日の告白うまくいきますよーに!」


 賽銭箱さいせんばこに小銭を入れ、大きく柏手を打つ。

 他人からすると笑ってしまうような願いかもしれない。

 でも、僕は真剣だった。


 なにせ、僕は昔からモテない。

 フラレた数は両手両足の指を使っても足りないくらいだ。女の子から嫌われるというわけではないが、アプローチをしてもなぜかいつも肝心なところでうまくいかない。


 そんな僕だって、高校生のうちに一度くらいは好きな子と付き合ってみたい。

 少しくらい夢を見たっていいじゃないか。

 だから神様、お願いします!


 拝殿に向かって深々と頭を下げ、いかにも一仕事終えたような顔でふぅと息を吐く。

 力が入り過ぎてお願い事を声に出してしまったけど、誰も聞いてなかっただろうな。

 ふと不安になり、きょろきょろとあたりを見回す。少なくとも僕がここへ来たときには他の参拝者の姿はなかったはずだ。


 そのとき、ざあっと風が吹いて木々を揺らした。

 真っ黄色に染まったイチョウの葉がはらはらと降ってくる。

 その向こうに、人影が見えた。


 背の高い、どこか不思議な雰囲気のひとだった。

 長い金髪を背中まで伸ばし、風になびかせている。どこか憂いを帯びた目は、イチョウの木を見上げていた。


 ふたたび、ざぁっと風が吹いた。

 イチョウの葉が次から次へと舞い散り、足元へ落ちてくる。


(あ、れ……?)


 僕は目をこすった。

 いつのまにか人影は消え、そこにはただイチョウの木があるだけだった。


   ***


 家に帰った僕は、さりげなく姉に聞いてみた。


「ねえ。あの神社って、もしかして幽霊のうわさとかある?」

「神社って、川沿いの?」

「うん」


 そう頷いて見せると、姉は小馬鹿にするようにニヤニヤと笑った。


「なに、神頼み? どうせテストでいい点とりたいとか、女の子にもてたいとか、そんなことでしょ?」

「ちっ、違っ……」


 さす姉。

 見抜かれてる。


「だいたいあんた調子良すぎない? 神様だって、お願い事を聞いて欲しいときだけ来るような奴より、いつも熱心にお参りしてくれる人の願いを聞いてあげたいと思うんじゃない?」

「うぐっ」


 まったく姉の言うとおりである。

 そういえば、あの神社に行ったのはかなり久しぶりだ。

 もしかしたら子どもの頃に行ったきりかもしれない。


   ***


 そんなわけで、僕は翌朝学校へ行く前にまた神社に寄ることにした。

 ほいほいと姉の言葉に従ってしまうなんて、我ながらチョロいものだ。


 さわやかな朝の空気を吸い込みながら、ゆっくりと石段を登る。

 子どもの頃はそびえるように見えていた石段も、数えてみればほんの25段しかなかった。


 石段を登り切ると、左右に狛犬の像が置かれているのが見える。

 今にも飛びかかってきそうな躍動感だ。よく見ると、狛犬たちの視線の先にはそれぞれ仔犬がいる。きっと親子なのだろう。


 拝殿前に着くと、イチョウの葉の絨毯が僕を出迎える。

 ポケットから小銭を取り出して賽銭箱さいせんばこに入れ、深くこうべを垂れる。


 そういえば、子どもの頃はよくこの神社で遊んだっけ。

 同じ年頃の子がいて、いつもその子と一緒に遊んでいた気がする。今思うと、その子の親は外国人だったのかもしれない。長く伸ばした髪は、秋の夕暮れに透けるイチョウの葉を思わせるような金髪だったから。


 あの子は今、どうしているのだろう。

 ぼんやりそんなことを考えていると、すぐ横から声がした。


「ふむ。今日は願い事をせぬのか」

「おわあっ!?」


 驚きのあまり僕は飛びのく。

 いつのまにか真横に誰かが立っていた。考え事に夢中で気付かなかったらしい。


「す、すまぬ。驚かせたか」

 相手もテンパっているのか、やけに古風な謝罪をしてきた。

 それに釣られるように、僕もますます慌てる。

「い、いえ……大丈夫です!」


 そんな気まずいやり取りをしたあと、僕はようやく相手を見る。

 その瞬間、思わず見惚みとれてしまった。


 僕に声をかけてきた相手は、とても綺麗なひとだった。

 背筋がすらりとしていて美しく、腰まで伸ばした長髪は光を束ねたような金髪で、日の光に透けてきらきらと輝いている。

 顔立ちも整っていて、モデルか俳優じゃないかと思うほどだ。いや、それ以上かもしれない。中性的な顔の造りをしているが、耳に心地よく響く声は男性のものだった。


「……そのように熱い視線を向けられると、照れるのう」

 そう言われて、いつのまにかじっと彼を見つめてしまっていたことに気付いた。

「しっ、失礼しました!」


 慌てて視線を逸らし、そそくさと拝殿をあとにする。

 石段を駆け下りて振り返ると、もうそのひとの姿は見えなくなっていた。


   ***


 その日の昼休み、僕は化学室にいた。

 ここなら、授業時間外は他の生徒もめったに来ないはず。


 今から僕は、想い人である小春こはるちゃんに告白をするつもりだ。

 呼び出しのメッセージは十回以上も見直してから送ったし、今朝顔を合わせたときにも小春ちゃんは笑顔で「昼休み、行くね」と小声で僕に伝えてくれたから、完璧すぎるほど完璧だ。

 あとは彼女が来てくれるのを待って、想いを伝えるだけ。

 そうすれば僕もようやく彼女のいる高校生活を送れる。ああ、今日は素晴らしい日だ!


 それなのに、どういうわけか頭に浮かんでくるのは神社で出会ったあの人のことばかりだった。

 彼は、昔よく一緒に遊んでいたあの子と雰囲気が似ている気がする。

 そういえば、僕はたしかあの子と何か約束をしたような……。「また会おう」とか、そんなことだったと思うけれど。


「やっほ、お待たせ!」


 はずむような声に振り返ると、小春ちゃんが立っていた。

 相変わらずにこにこして可愛い。

 こちらも思わず笑顔になる。


「来てくれてありがとう」

「いえいえ~! それで、用事ってなあに?」

「あっ……えっと、恋愛相談とか……してもいいかな?」


 気がつくと僕はそんなことを口走っていた。

 あれ、おかしいな。こんなつもりじゃなかったのに。

 小春ちゃんは一瞬「えっ」という顔をして、それから少し考え、やがて「なるほど、そういうパターンね」と呟いてにんまりした。


「いいよ~? えへへ。それで、相手はどんな人?」

 ぴょこっとステップを踏み、小春ちゃんが椅子に座って僕を見上げる。

 僕もその隣に腰かけ、「う~ん」と小さく唸った。


「えーっと。髪が長くて、さらさらしてて、とても綺麗で」

「うんうん」

 なぜか小春ちゃんは照れた様子で髪をいじりはじめた。

「笑顔がとても素敵で、声も耳に心地よくて」

「ふ~ん!?」

「とても美人で、顔が整っていて」

「やっだー! それでそれで!?」

「物静かで、謎めいた雰囲気があって」

「んんっ?」

「背が高くて、姿勢もすごく綺麗で……」


 まだ話は途中なのに、彼女はジトリと僕を見た。

「ねえ」

「えっ……な、なに?」

「その人、私の知ってる人かなあ?」

「あっえっと……知らない人です」

「あそ」


 彼女は急に立ち上がり、僕に向かって手を振った。

「うまくいくといいね! じゃあね!」


 ……あれ!? な、なんで!?

 途中までめっちゃノリノリで聞いてくれたよね!?

 僕はまた何かやらかしてしまったのだろうか。


 ただひとつはっきりしていることは、僕の「告白」は大失敗に終わったということ。

 しかも、思いがけないかたちで。

 僕には呆然と彼女を見送ることしかできなかった。



02.そんなに顔を赤らめられると、僕も照れてしまう


 放課後、僕はまた神社に立ち寄った。

 いや、もはや立ち寄らずにはいられなかった。


 賽銭は入れず、柏手だけ打つ。

「……神様、うまくいきませんでした」

「そうか。すまぬな」


 またすぐ横で声が聞こえた。

「うわわっ!?」

 僕が飛びのくと、またあのひとがいた。


 そして不思議なことに僕は、告白がうまくいかなかった傷心よりも彼と会えた喜びを感じていた。

「あの、以前にもここで……」


 そう言いかけたとき、二頭の犬が駆け寄ってきて僕の足元にじゃれついた。

 いや、よく見ると犬にしては鼻先が短くて丸っこい。パグやシーズーに似ているが、銀色の毛はくるくると渦巻いている。

 彼らはしきりに僕のにおいを嗅ぎ、しっぽを振って「わふっ」と吠えた。


 僕はその場にしゃがみ、犬たち(?)をかわるがわる撫でる。

 そういえば、いつも神社で遊んでいたあの子も、いつも犬のような生き物を連れていたっけ。

 名前は、たしか……。


「……あかつき運河うんが

「ああ。仔は『たそがれ』・『せせらぎ』と名付けたぞ」

 その声に顔を上げると、あのひとが二頭の仔犬を抱えて微笑んでいるのが見えた。


 刹那、周囲の景色が一変した。


   ***


 そこは、色とりどりに輝く光の海だった。


 よく見れば、そのひとつひとつが誰かの記憶や想い出を映していた。

 今までこの土地に生きてきた人々の記憶が、次から次へと大河のように流れてゆく。


 そのうちのひとつに、目が吸い寄せられた。


 母親が赤ん坊を抱いている。

 その足元は黄色いイチョウの葉で覆われている。

 風が吹き、イチョウの葉がひらりと落ちた。それを見た赤ん坊が、きゃっきゃと楽しそうに声を上げる。


 赤ん坊は健やかに成長し、やがて5歳ほどの年頃になった。

 そのとなりには、同じくらいの年頃の少年がいる。背中まで伸ばした髪は、光を束ねたような金色。


 イチョウの葉が降り積もる境内で、ふたりは密やかに話をしていた。

「かみさまって、どんなことをするの?」

「この土地に暮らす人々の幸せを守るのだ」

「かみさまのしあわせは、だれがまもってくれるの?」

「それは……うむ……」

「だれもいないなら、ぼくがまもるよ! ぼくがずっとそばにいて、きみをしあわせにする!」

「これ。気持ちは嬉しいが、頷くことはできぬぞ」

「やだ! やだやだ!」

「しかたないのう……。それでは、お主が十二年後にも同じ気持ちであれば、そのときは受け入れよう」

「うん! ぜったい、またあいにくるよ!」


 その記憶を見た瞬間、心の中に温かいものが流れ込んできた。


 ……これは、僕の過去の記憶だ。

 そして翌年、六歳になった僕は小学生になり、神社へ行くことはなくなってしまった。

 でも、いくらまだ子どもだったとはいえ、こんなに大切な約束を今まで忘れていたなんて。


「お主の記憶は、わたしが封印したのだ」


 その声に振り返ると、あの青年が立っていた。

 僕は、ずいぶん前からこのひとを知っている。このひとは――神社に祀られている神様だ。

 そして、僕たちが約束をしてから、十二年という長い時が経っている。


「……なぜですか」


 震える声で尋ねる。

 彼の口調から、記憶を封印したのは悪意によるものではなく事情があったのだと伝わってきた。だからこそ、大切な記憶を封印されていた悲しみよりも、彼の側にいることができなかった悔しさのほうが強かった。


 彼は、困ったように微笑んでいた。


「うむ……。十二年という年月は、神にとっては瞬きほどの時間であっても、人間たちにとっては長い年月。そのあいだに他の誰かと出会うかもしれない。心変わりをするかもしれない。もっと幸せになれる道があるかもしれない。お主からその運命を奪いたくなかったのだ」


「……冗談じゃないです」

 僕はまっすぐに彼を見つめた。

 戻ってきた美しい記憶たちは、僕を饒舌にした。


「もし記憶を消されていなければ、僕はずっとあなたのことが好きだった! もっと会いに来ることだってできました。他の誰かに心を向けることもありませんでした。告白を成功させて欲しいだなんて無神経なお願い事をすることもなかった。十二年だなんて、神様にとっては一瞬のことかもしれませんが、人間にとってはとても長い時間で、だから、そんなにずっとあなたをひとりにしていただなんて、僕は……!」


「……くくっ」


 なにがおかしいのか、彼は笑った。


「笑いごとでは……!」

 咎めようとして、僕は思わず言葉を止めた。

 見れば美しい彼の顔が朱に染まっていた。彼は愉快そうに肩を揺らしている。


「なるほど。『人間から愛されるのは厄介だ』と他の神々からさんざん聞かされていたが、まさかこれほどまでに愛されるとはなぁ。お主を選んだのは間違いなかったようだ」

「……!……」


 今度は僕の顔が真っ赤になった。


「少しずつ昔のことを思い出してくれるお主を見て嬉しくなり、ついへ連れてきてしまったのだ。どうか許してくれ」


 そう言われて初めて、僕はここが神の国であることを知った。


「ここは……人間が来てもいい場所なのですか」

 おずおずと尋ねると、彼はあっけらかんと言う。

「以前にも神の国へ来た者はおるぞ。たしかウラシマという名前だったかな」

「ウラシマって……もしかして浦島太郎!?」

「おお、知り合いか」

「いえいえいえ! とんでもない!」


 もげそうな勢いでぶんぶんと首を振る。

 知り合いであってたまるか。

 だって、あの話は昔話だ。

 たしか、浦島太郎が竜宮城で楽しく過ごして元の世界へ戻ってきたらずいぶん長い年月が経っていたとか、そういった話だよな……。


 ……あれ?

 ということは、もしかして僕も……。


 こちらの考えに気付いたのか、神様は優しく言った。

「そう心配せずともよい。わたしはただ、お主にここの光景を見せたかっただけなのだ。とはいえあまり長居をしてはいけないな。そろそろ帰りなさい」

「……は、はい」


 後ろ髪を引かれつつ頷くと、ふっとあたりが暗くなった。

 気がつけば、僕は夕闇の境内にぽつんと立っていた。



03.そして僕のあだ名は「神隠し」になった


「ただいま~」


 玄関を開けると、母がすごい形相で飛んできた。


「あんたっ、今までどこ行ってたの!?」

「どこって……普通に学校に行ったけど……え、何?」


 いったい何がどうしたっていうんだ。

 あまりの剣幕に戸惑っていると、部屋から出てきた姉が僕の顔を見て言った。


「それは二週間も前のことでしょ。あんた、二週間どこに行ってたのよ」

「えっ……」


 慌ててスマホで日付を確認すると、たしかに記憶よりも二週間あとの日付が表示されている。さすがにこれには驚いた。

 もしかして、現代版・浦島太郎になるところだったのか?


「お母さん、とりあえず警察に見つかりましたって連絡しないと。それと、なんか様子がおかしいから病院に連れていったほうがいいかも」

「そ、そうね……今から診てくれるところあるかしら」


 姉と母がそんな相談をしているのが聞こえる。

 何やらとんでもないことになってしまったと、僕は頭を抱えた。


   ***


 翌日、学校へ行くと僕は一躍有名人になっていた。


「お前、なんで二週間もバックレてたんだよ! 自分探しの旅かぁ!?」

 友達に軽い口調で声をかけられ、つい口が滑った。

「ばっか、そんなわけあるかよ。僕はただ神社に……」


 そう言ってしまった途端、その場にいる全員がドン引きしたのがハッキリとわかった。

 そして昼休みにもなれば、僕はすっかり「神隠し」というあだ名で呼ばれるようになっていた。

 そりゃそうなるよね。


 でも、問題はそれだけじゃなかった。


 家が同じ方向の奴が、一緒に帰ろうと言ってきた。

 断る理由がなかったので頷いたら、なんとそいつ、僕の手を握って歩き出した。


「……あの、もしかしてうちまでこのまま?」

「お前のかあちゃんから言われてるんだよ。ちゃんと家まで送り届けてくれって」


 僕はため息をついた。

 どうせなら、可愛い女子と手をつないで下校したい人生だった。


 そいつは律儀に家まで僕を送り届け、チャイムを鳴らし、母に僕を引き渡した。

「本当にありがとうね」

 母は何度もそいつにお礼を言っていた。そして僕には「二度とあの神社には近付いちゃ駄目よ」と言った。


 どうやら学校での出来事は、すべて母に筒抜けになっているようだ。


   ***


 とても疲れる一日だった。

 今日のことを振り返り、げんなりとする。


 ……さて、これからどうしよう。

 僕が迂闊な発言をしたばっかりに、もうあの神社には当分近づけそうにない。

 でも、あのひとはきっと僕を待っている。


 僕はため息交じりに自室のドアを開けた。

 制服の上着を脱いでハンガーにかけ、続いてズボンも脱ごうとしたとき、部屋の中から声がした。


「ふむ、さきほどの男は友人か」

「どわあああっ!?」


 振り向けば、僕のベッドの上にあのひとが座っていた。


 そして家中に響き渡ったであろう僕の声を聞きつけたのか、どたどたと足音が近づいてくる。

「どうしたの!?」

 ノックもせずにドアを全開にして現れたのは母だった。

 その手には包丁が握られている。きっと料理中だったんだよね? ……よし、そう思うことにしよう。


 彼のことをどう説明しようか戸惑っていると、うしろから穏やかな声が聞こえた。

「お主以外の者には見えておらんよ」


 どうやらその声も聞こえてはいないらしく、母は部屋中を不審そうに見回している。

「虫でも出たの?」

「あ、う、うん、そうなんだ。虫が出たけど外に逃げていったから、もう大丈夫」

「びっくりさせないでよ」

 そう言って母は戻っていった。


   ***


 足音が去ってゆくと、彼はくすくすと笑った。

「相変わらず、お主は見ていて飽きないな」

 その表情はとても美しくて、頭がぼうっとなる。

 しかし、そうもいっていられない。僕は彼にすがるように言った。


「あの、僕……、実は親から『もう二度と神社に行くな』と言われてしまったんです。だから、しばらくは僕から会いに行くことはできなくて、でもっ……」


 そう言っているうちに、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。

 ようやくまた会うことができたのに。こんな面倒なことになってしまって、愛想をつかされてしまわないだろうか。

 そんな心配をよそに、返ってきたのは意外な言葉だった。


「お主は幸せなのだなあ」

「……えっ?」


 顔を上げると、目が合った。

 彼は嬉しそうに微笑んでいた。


「……わからぬか? お主の母親は我が子を守ろうと必死なのだ。父がお主を探すためにどれだけの人間に声をかけたか知っておるか? そして姉は、またお主がいなくなりはしないかと気をもんでおる。……それに、気にかけてくれる友人もいる」


 僕はいろいろなかたちで愛されている、ということなのだろうか。

 彼はゆるりと微笑み、言葉を続けた。


「そこで、わたしなりに考えてみたのだが」

「……はい」

「神をやめようと思う」

「……は?」


 すぐには言葉の意味が理解できなかった。

 神をやめる? いったいどういうことだろう。

 わけがわからずぽかんとしていると、彼は僕にもわかりやすいように言葉を並べて説明してくれた。


「わたしとて、お主のことは愛おしい。だからこそ、今のままではいずれお主を神の国へ連れて行ってしまうだろう。それはお主から一切を奪うことに等しい。お主を守るためにも、わたしが神をやめるほかないのだ」


 僕はその一言ひとことをしっかりと心に留める。

 人間の暮らす世界と神の国。そのあいだには、あまりにも大きな隔たりがある。

 でも、僕らが一緒にいられる方法は本当にないのだろうか。


「それと、少々言いづらいのだが……どうやら今までお主が女性と縁が結べなかったのは、わたしとのあいだに結ばれた縁が原因だったようなのだ」

「ええっ!」


 僕は思わず頭を抱えて悶えた。

 女の子にモテない原因がわかったのはいいけど、僕がモテないということを知られていたのが恥ずかしくて仕方なかった。


「もちろんこれも、わたしが神でなくなれば解消されるはず。やはりお主を幸せにするには、これが一番なのだ」

「あの、神をやめると……どうなるんですか?」


 おそるおそる尋ねてみる。

 僕には想像もつかない世界だ。

 彼は少し考えてから、こう答えた。


「今までわたしが見てきた記憶のすべてを神の世界へお返しすることになる」

「えっ……」


 思わず言葉を失う。

 神様が、今までの記憶をすべて失う。それがどれほど重いことなのか、人間の僕には到底想像もつかない。


 僕のことだけじゃない。

 今まで見てきた美しいもの、素晴らしいもの、幸せの瞬間なども、すべて手放してしまうということだ。

 だが、彼はそれを選ぶのだという。――他ならぬ、僕のために。


「そう不安そうな顔をするな。縁があれば、またいずれ会うこともあろう」


 最後にそう言い残し、彼の姿は雪解けのように消えていった。

 あまりにもあっけない別れ。

 もう、彼には会えない。

 そう理解した途端、ぼろぼろと涙がこぼれた。


   ***


 そんなことがあった翌日でも、僕は学校へ行かなくてはならなかった。

 なぜなら、友達が僕を家まで迎えに来たからだ。

 さすがに手をつなぐのはやめてくれたが、やる気が出るわけもなくダラダラと歩いて学校へ向かう。


「なんか今日は元気ないな? なに、神隠し疲れとか?」

 本気なのか不真面目なのかわからない友達の言葉に、僕はうつむいたまま首を振った。

「なんでもない」

「ふーん。あ、わかった。お前どうせまたフラれたんだろ」

「……!」

 図星を指され、つい苦虫をかみつぶしたような顔になってしまう。


「どうでもいいけど前見て歩けって。危ないぞ」

 そう注意された直後だった。

 僕は、曲がり角の反対から歩いてきたサラリーマンと思いっきりぶつかってしまった。


「ご、ごめんなさい!」

 慌てて謝ると、聞き覚えのある声が聞こえてきた。


「いやいや。気にせずともよい。こちらもよそ見をしていて悪かった」

 反射的に顔を上げる。

 そこに立っていたのは――あのひとだった。


 きちっとスーツを着込んでいたし、髪はばっさりと切られて短くなっていたけれど。

 その整った顔立ちを見間違えるはずもない。


「おっと、仕事に遅れてしまう。すまなかったな、青年」

 そう言って彼は軽快な足取りで去っていった。


「だから前見て歩けって言っただろ。それにしても今の人、すごくイケメンだったな」

 友達の言葉を聞いて、僕はその意味に気付く。

 彼の姿が見えている、ということは、彼はもう神様じゃない。けど。


 えええーーーっ!?

 って、そういう意味なの!?


 気がつくと、僕は友人の制止を振り払い、全力で彼のあとを追いかけ始めていた。

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