【和風ファンタジー】蹴鬼の出る宵

お題「雨」「鞠(まり)」「真の流れ」

ジャンル「サイコミステリー」(王道ファンタジーでも可)


※一部、ホラーっぽい表現がございます。

―――――――――――



 激しい雨が屋根を打つ。


 白露はくろの屋敷に来客があったのは、月も見えぬ晩のことであった。

 無様に廊下を鳴らして現れた来客に、白露は冷たく目を細める。


「おや、たちばな様ではありませんか。今宵は女性の元へ通わなくてよろしいのですか」


 橘と呼ばれた貴族は、乱れた直衣のうしの裾に構うこともなく、それどころではないとまくし立てる。


呑気のんきなことを申すな。白露、蹴鬼けおにをなんとかしてくれ」

「はて、蹴鬼ですか」


 ようやく橘の従者が追い付いてきて、主人の後ろでだらしなく息を切らせる。

 どうにも慌ただしい夜だと、白露は眉を寄せた。


 蹴鬼とは、ここのところ都を騒がせている噂のひとつだ。

 夜に出歩くと、どこからともなく蹴鞠の音が聞こえるという。


 ぼすっ ぼそっ ぼすっ ぼそっ


 その音が聞こえると、無事に屋敷へは戻れない。


 あとには牛車だけが取り残され、牛車に乗っていたはずの貴族も、お供の者たちも、牛車を牽いていたはずの者も、忽然と姿を消してしまうのだ。


 蹴鬼けおにに喰われたのだと、人々は口々に噂をした。


「妙なことをおっしゃる。たちばな様はこちらへおいでになったではありませんか」


 わざとらしく白露は首を傾げてみせる。

 女性めいた朱い唇が、燈台とうだいの光を受けて妖しく染まる。


「雨だ」


 ごくりと喉を鳴らし、橘が話を続ける。

 屋敷の外から聞こえる雨の音が、いっそう鮮明になった。


「雨の音で蹴鞠の音が掻き消される。そのときだけ鬼が出ないのだ」

「本当にそれは鞠の音なのでしょうかねえ」

「どういうことだ。まさか、噂には含まれておらぬまことの流れがあると申すか」


 その言葉には答えず、白露は微笑む。

 どこかから春の宵のようにどろりとした空気が漂ってくる。


「お話はわかりました。ところで、そろそろ帰られたほうがよろしいのでは?」

「来たばかりだぞ」


 橘が訝し気に白露を見る。

 白露は蜜のように甘い声で囁いた。


「もうじき、雨が止みますゆえ」

「ひいっ」


 橘は真っ青な顔をして転がるように去っていった。

 来たときと同じように、従者が慌ててそれに続く。


 彼らの姿がすっかり遠ざかると、燈台とうだいの光の届かぬ暗がりから声が聞こえてきた。


「挨拶もせず、無礼な」

「なんと無礼な人間ヤツめ」


 白露がそちらへ視線をやる。


阿基あき吽助うすけ。支度をなさい」


「行かれるのですか、白露はくろ様」

「もちろんお供いたしますとも」


 暗がりからの返事に、白露は頷く。


「ええ。雨のたびに駆け込まれては困りますからね」


 くすくすと笑う白露の声だけが残響のように残る。

 いつしか雨音はやみ、夜の静寂が訪れようとしていた。 

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