第48話 神の試練(四)
いつの間に現れたのか、宰相が扉のところに立っていた。腕を組んでこちらを見ている瞳には、一切の感情が感じられない。
「安心するがいいよ。奇跡の林檎を食べて死んだとしても事故だ。お前を咎める者はない」
「まさか……知って……?」
宰相は半眼になって鼻を鳴らした。
「事を行う時にはどう転んでも成就するようにしておくものだよ、クエルクス。知らなかったか? 林檎の伝説のうち、人の子が林檎に関わったものは押し並べて禍が降りかかる。林檎のおかげで生き長らえた話は神々の間でのみだ。あくまで神の間での奇跡なのだろうよ」
ラピスをちらと見た宰相の瞳は冷え切り、口の端だけが笑いの形に上げられる。
「秋の国まで行って片付けろと言ったはずだが……まあお前は与えられた務めは全うする、出来た甥だからな」
「ふ……ざける、な……秋の国まで行って、だと……?」
立ち上がろうとするクエルクスの体が、怒りで震えた。
「ユークレースを出てすぐに僕らを殺そうとしたのはどっちだ⁉︎ フィウの野犬も大鷲もあなたの差金だろう⁉︎ 獣と意志を交わせる魔法使いの末裔はもう、僕とあなたしかいない!」
「私の判断は誤っていなかっただろう? 私の予想通りお前は私の命を聞かずに王女を守った。情がありすぎるのだよ。特に王女に対しては、な。王族が消えたあとに、そういつまでも未練を引きずる者が残っても面倒だと思ったが」
クエルクスと同じ黒鳶色の瞳の奥が、残忍な光を湛える。
「ともあれお前は結果的に役目を果たした。褒美はやっても、罰は与えない」
「あなたは、ラピスの供につけた時からもう、僕も、殺す気でいたと」
「お前は親族を疑い切れないのだったな。だが見ろ、先代を失墜させたのは誰だ?」
淡々と話す声には、侮蔑に近い響きすらあった。
「それは陛下が、僕らを救う理由あっての……」
「そう、理由があってのことなら、寛大に見えるユークレース王であれ、親すら裏切れる」
低く述べた口元に皮肉な笑みが浮かんで、目に見えぬ力がクエルクスを威圧する。
「陛下を、どうする気だ」
「まあ放っておいてもユークレース王はいずれにせよ先が長くない。行く末は同じことだろう? ならばこれ以上、病に苦しませてどうする?」
足元に転がった林檎を拾い上げ、宰相はそれをためすすがめつ眺めながら続けた。
「せっかく愛娘が奇跡の果実を持って帰ったのだ。なに、病で死ぬのと大して変わりはあるまい。誰のせいでもないさ。奇跡の林檎を食べて息絶えても、誰にも予想できない事故だからな」
「この……っ」
「いいのか? 王女の命はあとわずか、あるかないかだぞ」
立てかけていた剣にクエルクスが手を伸ばすと、宰相は顎をしゃくって寝台を指し示した。はっとして振り返り、名前を叫んで駆け寄る。握った手首の脈はさらに微弱になり、先ほどまだほのかに赤みを残していた唇の色は白みを帯び始めていた。
「ラピス!」
「せいぜい、最後の別れを惜しむがいいよ」
去り際の宰相の声も、廊下を行く靴音も、クエルクスの耳には届かなかった。ラピスの名を呼ぶ叫びだけが、虚しく壁に跳ね返されるだけだった。
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