第4話 春の潮騒(四)

 出発の準備や日取りについて宰相と詳細を話し合ってから部屋を辞し、二人は図書室へ寄ってからラピスの自室に戻った。クエルクスは話を黙っていたことに散々文句を言われたが、それに堪える素振りも見せず適当に受け流すので、ラピスはもう怒るのも疲れてしまった。

「秋の国があるのは大分北になるわね……ここから国を二つ越えるか……」

 図書室から持ち出した地図を卓上に広げ、伝説の果実があるという森の位置を確認する。

 海洋国のため帆船で大陸の対岸にはラピスも何度か赴いたが、考えてみれば陸路を北へ進んだ経験は殆ど無かった。国境と接して北方に位置する隣国の辺境には行ったことがあっても、その先はラピスにとって未踏の地だ。

「行程は僕が把握していますから大丈夫ですよ。それより荷造りですね」

「あまり多くは持てないでしょう。必要最低限でいいわ」

 できるだけ時間をかけたくない旅だ。荷が重いと旅足が遅くなる。

「場合に合わせて、途中で調達しましょう」

「確かに。今年は気候が読めませんし、それが英断ですね」

 今年のように星読みも難しい状況では、いつ季節が変わってしまうか判らない。下手な予測をして荷を重くするよりは、行った先で買った方がその時に最適な質の品が手に入る。

 地図と真剣に睨めっこしながら、所々にせっせと印をつけていくラピスを見つめて、クエルクスはずっと黙っていた。しかししばらくして、ぽつりと溢すように口を開いた。

「姫様」

「んー?」

 ラピスは羽根ペンを止めず、地図に視線を落としたまま答える。

「なぜ姫様がお受けになるのです。他の誰かが行くこともできましたでしょうに」

 半ば非難を含む声音に、ラピスは面を上げた。

「これは私の父様の問題なのよ。私が行くのが当然じゃないの」

「ですが、失礼ながらまだお若く、しかもこの国の王位継承者であらせられる姫様が危険を冒すことも……」

「なによ、じゃあ城下に行って自分の将来の仕事とか生き方とかを考える楽しみを持っていてもしかしたらこれから恋をするかもしれないしたったいま絶賛誰かに想いをときめかせていて自分の人生の先に幸せの可能性が詰まっている女の子に私の父が大変だから死ぬかもしれないけど貴女私の代わりに行ってくださいって言えるわけ?」

 ここまでほぼ一息もつかずに一気に言われて、クエルクスは押し黙るしかなかった。そんな彼の様子に、ラピスはそれまでの叱りつけるような表情を緩ませて笑顔になる。

「王族ではあっても、家族は家族よ。自分の家族のことを、まずは家族の中で考えたいの。それに王族だからといって……いえ、違うわね、王族だからこそ、自分達のことのために国の人々を苦しめてはいけないわ」

 ラピスは、それにね、と柔らかな笑顔を崩さぬまま続けた。

「クエルクスがそんなことしちゃいけないって思っているのも知ってるもの」

「……知っていますよ」

 ラピスも国王も、いつもそうである。自己の権力を濫用することはなく、地位を振りかざすのをよしとせず、国民の営利幸福を真っ先に考える。それでいてむやみやたらな自己犠牲も厭う。下手な自己犠牲はただの自己満足となる場合が多く、結果的に民や臣下の不安を煽るだけで無意味だからだ。

 クエルクスはそんな国王一家を尊敬していたし、ラピスが今回の旅路の供もけして自分以外に任せることはないことも分かっていた。分かっていて、それでもやはり言わずにはいられなかったのだった。

 まだ暗い表情のクエルクスを安心させるように、ラピスは飛び抜けて明るい声を出す。

「大丈夫よ。クエルがついて来てくれるじゃない」

「僕は魔法も何も使えませんけれど」

「あらいやだ」

 地図をくるくると丸めて片付けながら、ラピスは瑠璃の瞳を悪戯っぽく動かした。

「国で一、二の剣技を誇るクエルクスともあろう御仁が、魔法まで使えたら詐欺だわ」

 誰も騙していないから詐欺じゃないだろう、とクエルクスは内心で呟く。しかしラピスの冗談めいた言い方に苦笑を誘われ、クエルクスも次の準備へ移ろうと、卓上のインク壺や羽根ペンを片付け始めた。

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