第24話 貝の矢尻(四)

 城を出てきた時間が早かったおかげで、まだ日暮れには時間がありそうだ。太陽の位置からして、恐らく正午を過ぎた頃だろう。夏の強い日差しから一変した春の陽光は木々の葉を透かして梢の間から優しく林の中に明かりをもたらしている。

 湿った地面の冷たさが気持ち良いのか、石畳ではなく自然の土の感触が嬉しいのか、馬の足取りは気持ちばかり先よりも軽くなった。

「洞があるなんて、どうして知っているんですか」

 リーニ山脈を回ってトーナへ続く道はよく知られているが、ラピスの言う洞穴の存在など、クエルクスの見た限り地図にはなかったはずだ。もし書物に書いてあるとしても、ユークレース王宮の蔵書ならば目を通している数はラピスよりもクエルクスの方が圧倒的に多い。

「ひ、み、つ」

 先に見せた不安をどこへ隠したのやら、ラピスは悪戯っぽく口に人差し指を当てる。

「なんだかクエルクス、考えごとがあっても私に教えてくれないみたいなんだもの。だからお返し。私も教えてあげない」

 ラピスが頭を後ろに反らせて背後に乗るクエルクスを見上げてくるので、クエルクスは瑠璃色の無邪気な目を間近に見て答えに詰まってしまった。するとラピスは勢いよく頭を前に戻し、笑い混じりに喋り始めた。

「なんてね。クエルクスのことだからどうせ聞いたって答えてくれないだろうし、私の方のことは隠しても仕方がないからいいわ。星読みのお兄さんに教えてもらったの」

「星読みって、怪我をした時に面倒を見てくれた人、ですか?」

「そう。星読みは各地の星読み同士で連絡を取り合っているでしょう」

 星読みは一人ではない。国ごと、地域ごとに何人もの星読みが存在し、それぞれの担当区域で「星読み」を行う。観測結果を相互に連絡し合いずれがないかの確認をするほか、天体の移動や季節交替の時間を互いに照合し、観察の際に認識したどんな細かいことも報告するのだ。

 それぞれの国の星読みの活動は国家の管轄に入り、彼らは国家に守られると同時に国に仕える存在だ。しかしその一方で、国を超えた星読み同士の関係は彼ら独自の不可侵の領域である。知識をあまねく伝え、季節の変化とその仕組みの解明のための研究と発展を妨げないように、彼らの関わりに国が手を出すことは出来ない。これはもう遥か昔からの不文律だった。

「あのお兄さんはパニア王都以南、主に王都から近いところの星読みを担当しているのですって。それでね、パニアの他の星読みについても話を聞いたら、王都以北の星読みの活動拠点の一つが国境のリーニ山脈だって聞いたの」

 青年が言うには、少し標高が高いところの方が星は見えやすく、「読み」には都合が良い。青年が丘の上で星読みをする理由はそれであるし、パニア北部の星読みにとってはリーニ山脈が適所だった。そして彼らには幸いなことに、山の中腹に人が一人二人くらいは寝泊まりできる広さの洞ができており、いつからか星読みたちがその洞を駐屯地として仕事を行うようになったのだと言う。

「なるほど。それはちょうどいいですけれど、この道を行くので合っているのですか」

 また自分が寝ている間にしてやられた、とクエルクスは苦々しい思いである。反対にラピスは自分の手柄に嬉しそうに声を高めた。

「お兄さんが見せてくれた地図で確認したから大丈夫。彼らが作った道に行き当たるはずよ。間違いないわ。問題は……そうね、この子をどこまで連れて行こうか」

 ラピスは馬の耳にゆっくり手を滑らせた。

「一応、返すと言ってしまったのだから返さないと」

「そうですけれど、都に戻って無事で済むか分かりませんよ。僕ら二人を乗せてきてしまったとあっては」

「でもこの子が悪いわけじゃないでしょう。それに、もし家族がいるなら可哀想だわ」

 さすってやるラピスの手に鬣が沿うよう、馬は耳を斜めに傾けてされるままになっている。ラピスが「ねえ」と上から馬の顔の方へ身を乗り出すと、馬は鼻の頭を上げて短く鳴いた。

「こいつに聞いてみましょう」

 クエルクスはラピスの後ろから飛び降り、前に回り込んで馬の顔をじっと見つめた。そして栗毛の艶やかな毛並みに静かに手を置く。次に口を開いた彼の言葉は獣の言葉だ。状況を説明しているのだろう。

 馬は丸い目を動かさずに耳を傾け、時折りクエルクスの言葉が切れると小さく鼻を鳴らした。言葉が分からないラピスは黙って馬上から一人と一頭のやり取りを見ていた。するとクエルクスが何か確認するように短く言葉を掛け、それに応じて馬が元気よく嘶く。

「なんて?」

「帰りたいって。お兄さんが城にいるそうですよ」

「罰を受けるかもしれなくても?」

「僕も聞いたけれど、それでもやっぱり、だそうです」

 きょときょと二人の顔を代わる代わる見る馬の無垢な仕草に、ラピスは心が痛んだ。

「ごめんね……でも、いい? 怒られそうだったらお兄さんと逃げちゃうのよ。あなたは悪くないんだからね」

 言っていることが分かっているのかいないのか、馬は機嫌よく鼻を上げて答えると、再び進行方向に向き直った。クエルクスが地面を蹴って騎乗する。

「山の途中までは連れてってやるよ、だと。お言葉に甘えましょう。行きますよ」

 握り直した手綱をクエルクスが操るよりも早く、栗毛はひと鳴きと共に元気よく緩やかな傾斜を駆け始めた。

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