第22話 貝の矢尻(二)

 二人に貸し与えられたのは若い栗毛の馬で、ラピスが鬣を撫でると顔をすり寄せてくるという人懐こさだった。特に強い警戒心も見せず、城門を出たのちクエルクスが手綱を引いて歩く間も、見知らぬ異国人の二人を嫌がりもせずに大人しく導かれるままについてくる。

 王宮から伸びる道が城下に入ると商店や住居が増えてきた。大通りの両側の建物の間には幾筋もの小道が通り、大通りと大通りを繋いでいるようだ。

 繁華街に入ってもなお大通りをまっすぐ歩いていた二人だが、城下の入り口から大分離れたところでクエルクスはラピスを促し右折した。馬車や荷車は通れない幅の小道である。方角としては北向きだが、事前に打ち合わせた道筋ではないところだ。

 小道に入ってすぐ、クエルクスは馬に向かって何か話しかけると、その様子を怪訝な顔で見ているラピスに馬の背を示した。

「ラピス、乗って」

「え? ここ街中よ?」

「いいから」

 そう言いながらラピスを持ち上げて騎乗させると、クエルクスはその後ろに飛び乗り手綱を握る。そして短く馬に声をかければ、馬はゆっくりと歩み始めた。

 ラピスもクエルクスとの二人乗りには昔から慣れている。だがいつもなら自分の頭越しに聞こえる落ち着いた息遣いが聞こえない。

 胸につかえる不安を感じ、クエルクスを見ようと顔を反らせる。するとラピスの横で素早くクエルクスの腕が振り下ろされ、鞭打たれた馬が勢いよく走り出した。咄嗟のことに、ラピスは「きゃっ」と叫んで馬の鬣にしがみついた。向かい風に目を細めながら後ろを見れば、クエルクスが歯を食いしばり、半眼で前を見据えている。

「どうしたのっ」

「追っ手が来てます。予想通りだ」

「追っ手? なん……」

 ラピスの問いは右耳の横で風を切る音に遮られた。何事かと顔の向きを変えると今度は左側でまたもや何かが飛び抜け、連続して別のものが光を反射しながら急速に視界を通り過ぎる。

「危ないっ」

 振り返ったラピスの顔の前にクエルクスの手が伸び、飛んできたものを短刀が弾いた。摩擦で飛翔速度を失ったそれはラピスが肩から下げた荷物の上に落ちた——先端に鋭く削った貝の刃を持つ矢である。

 ラピスは視線を素早く左右に動かした。早駆けで走り過ぎる左右の細い脇道に弓を持つ者の影がちらつく。

 ——パニア王……!

 即座にラピスの脳裏に浮かぶ傲慢な王の微笑。でも何故、王が追っ手を差し向けるのか。

 ——私の……昨夜の態度が原因? 

 薄ら寒いものがラピスの背筋に走った。

 馬の蹄の音に道行く人々の叫喚が入り混じり、飛び過ぎる左右の視界の中で、ある者は恐れを露わに立ち尽くし、ある者は身を守ろうと家屋に逃げ入る。クエルクスは後ろからラピスを包み込む形で前傾になり、馬の耳に囁き地を蹴る脚をさらに急がせる。いま走っている狭い道では逃げ場が無い。クエルクスが左手に持った短刀で自分たち目掛けて飛ばされる矢を払っていくが、追っ手が増えたらそれらを防ぐのにも限界がくる。かと言ってどこか別の横道に入れば、追っ手と正面で相対するのは必至だ。

 ——応戦するしか無いのか。

 クエルクスは唇を噛んだ。

 すると、鬣にしがみついていたラピスがぱっと顔を上げた。

「クエル、城下をこのまま突っ切って国境まで直行するわ」

「国境……山林の中ですか」

「検問から山道まで逃げ切れば大勢での後追いは難しくなるはずよ。向こうを錯乱する好機を作りましょう」

 パニアを北の隣国のトーナへ抜けるには、都を見下ろす高い山を一つ越えねばならない。城下の北の検問所を抜けて直進すれば程なくして山林に入る。パニアの外交姿勢を考えてみれば、最も友好関係が薄いのが北の隣国。ラピスが常日頃学んだパニアの土地政策が変わっていないのなら、山道の舗装はあまり整備されておらず、大抵の旅行者は山道を避けて迂回して北へ抜けているはずだ。

「……分かりました」

 クエルクスは主人の提案に頷いた。そして短刀を握りしめたまま、左手の指を唇に当てる。

 ピィィイーーッッ

 耳を突く甲高い音が空気を震わせ響きわたった。それに呼応するように二人を乗せた馬が体をしならせて嘶き、若馬の力強い声が空へ抜ける。

 するとすぐに、左右の脇道のあちらこちらから別の馬の鳴き声が聞こえ始めた。そしてつい今の今まで規則的に鳴っていた蹄の音が乱れ、それに続いて「うわっ」「何だっ」と狼狽する叫びが起こる。

「ちょっと揺れますよっ」

 クエルクスの叫びにラピスは反射的に馬の背にぴったりと胸をつける。馬は速度をさらに増し、クエルクスが何か言うのに合わせて左の路地へ駆け入る。路地を突っ切って飛び出た大通りでは、弓矢を手にした男が地面で脚を抱えて悶えていた。馬上から振り落とされたのか、馬は側にはいない。

 二人を乗せた馬はその脇を通り過ぎ、すぐにもう一つ向こうの路地へ入ると、そちらでも同じようにちょうど男が馬に振り落とされているところだった。

「この子に何を……」

「ちょっと仲間に頼み事をしてもらいましてね。パニア王の性格から思った通り、彼らはあまり良い待遇ではなかったみたいですよ。忠義に厚い馬でも、ヒトより同族の絆の方が強いものです」

 ラピスの疑問にさらりと答え、クエルクスは同意を求めるように栗毛の背を優しく撫でる。

「それよりしっかり掴まっていて下さい。撹乱します」

 乗り手を落とした馬達は、二人を乗せた一騎を目指して集まってきていた。左右からなおも飛んでくる矢はラピスが夢中で振るった短刀に運良く当たった。軌道を逸らされて荷袋に落ちた二本の矢を握りしめる。

 混乱する街人や立ち上がって追いかけようとする武装した男達の間をすり抜けながら、クエルクスは馬を左へ右へと次々に角を曲がらせ、入り組んだ路地を縫うように駆けていく。複雑な進路を取っているはずなのだが、それでも他の馬は、時に後ろから、時に横手の路地から集まり、栗毛にしっかりとついて来た。

 ジグザグに走りながらも二人は確実に城下を北上していた。ラピスが顔を上げると、前方に検問所が見える。

 検問所の前には門衛が二人、剣を手に行く手を塞いでいる。空中で交差した剣は馬の顔面と同じ高さだ。一方、後ろからは振り落とされた男達の怒号が近づいている。このまま直進したら剣の餌食、もし検問所を抜けられても追われ続けるだけだ。

「クエルっ」

「大丈夫。ラピス、矢を」

 ラピスは頷き、矢柄を貝の矢尻の近くで掴み直す。喉がごくりと鳴る。検問所までの距離は恐らく、もう僅か数秒。

「いまですっ!」

 叫んだ直後にクエルクスが指笛を鳴らし、ラピスも矢を前方へ放った。

 矢は門衛めがけて真っ直ぐに飛び、不意を打たれた門衛二人は両脇に飛びすさる。同時に後方からついてきた馬達は指笛を合図に半回転し、追っ手の方へ向かって一斉に駆け出し始めた。

 矢を避けた門衛の間に僅かに出来た空間を、二人を乗せた栗毛が駆け抜ける。

 前方を見据えて手綱を捌くクエルクスの脇の間から、ラピスは後方を返り見た。門衛の一人は地面に手をついているが、もう一人は弓を掲げて矢をつがえている。

「クエル、危ないっ」

 ラピスは自分の目が、門衛の弓の弧が震えたのを捉えた気がした。

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