第16話 星の転換(四)

「お二人さん、道中、気をつけなよ」

 二人が宿代を払って馬車へ乗り込もうとした時、星読みの青年が玄関まで出てきて声をかけた。するとラピスは「あっ」と言って小走りに玄関へ走り寄った。クエルクスが怪訝に思って近づくより早く、ラピスは青年と二言、三言交わしすぐに馬車まで引き戻してくる。

「何かあったのですか?」

「ん、何でも。ああ、お兄さんはまだいるのかって」

「本当にそれだけ?」

「そうよ。星読みは季節が安定するか確かめるのに、十日はいるのですって」

 どうもラピスが何か隠していることにクエルクスは気がつかないわけではなかったが、特に追求する理由もなく、ラピスに続いて馬車に乗り込んだ。

 来た時とは対照的に、馬車にかけられた幌は風通しのいい麻布になっていた。布は肌を焼く日差しを和らげ、車内に淡い影を作る。とはいえ夏の熱気に対しては気休めみたいなものだ。緩やかに進む馬車の中に入る風は少なく、蒸した空気が車内を満たし、間を詰めて座る客の口数を減らしていた。

 太陽の位置からして、今が盛夏ならば日が落ちるまでまだ十分に時間がある。

「このまま谷まで行けば、谷間の街の隣が首都になる。首都までそう距離はありませんから、今日中に行ければいいのですけれど」

 クエルクスは、ラピスが膝の上に広げた地図を横から覗き込んだ。元々の予定では丘の上に着いた翌日の早朝に出立し、首都も一日で抜けてしまうつもりだったのだ。しかしラピスは意外にも、いいえ、ときっぱり言った。

「宿を探すわ。谷合の街は交易の要所になる大きな街だもの。すぐに見つかるでしょう」

「そんな、泊まっている時間がもった……」

「怪我人が何を言っているのよ」

 そう言って睨まれては、クエルクスの方は言葉を引っ込めるしかない。しかもラピスはつんとすまして進行方向から目を逸らさず、軽々しく話しかけられる雰囲気でもなかった。

 丘を下りた街から先は、パニアの平野地域に入る。南北の街道と東西の街道が出会うこの街は、交通の要所としての位置上、当然ながら商人や物資が四方から集まる。さらにラピスたちが進んだ南北の道をそのまま北に北上すればもう隣の都市がパニア王都であるため、自然とパニア随一の交易小都市に発展した。

 乗合馬車が谷に着いたのは、丘の上の宿を発ってからかなり時間が経ってからのことになった。だが太陽はまだ天高く昇っており、馬車から降りると強い陽射しが肌を焼く。

 街は背格好さまざまな人々や荷物を乗せた馬車が行き交っており、地元の人よりも旅行者や外国商人の方が多いと思われた。乗合馬車の停車場の周りは旅籠を意味する寝台のしるしを看板に掲げた建物が間隔狭く並んでおり、宿屋の集まる一画だと知れる。

 その宿場町の中をラピスは手に持った帳面を見ながらすたすたと進んでいくのだが、歩みには初めての街とは思えぬほど迷いがなく、止まって後ろにクエルクスがついて来ているのを確かめようともしない。クエルクスは無言のラピスの様子を窺い、「えらく機嫌が悪いな」、と倒れてしまった自分の失態に不安を感じつつ、黙って後ろを追うことしかできなかった。

 街の中央に近いと思われる辺りに入ってしばらく歩き、明るい壁に白い寝台の印をつけた小さめの宿屋の前でラピスは足を止めた。やはりクエルクスに何も言わずに木戸を叩くと、まもなく中から活発そうな中年の女性が山吹色の前掛けで手を拭いながら出てきた。

「すみません。今夜泊まりたいのですけれど、一部屋空いていますでしょうか」

 女性はラピスを見ると少し驚いたようだ。それはそうだろう。若い娘の一人旅は珍しい。しかも、どのような衣装を着ていようが仕草や風貌から出自の良さが見るからにわかるラピスならば尚更である。

「お嬢ちゃん、一人? その顔つきはリア辺りからじゃないの」

「いえ、兄がおります。これから王都に向かう途中です」

 小走りに追いついたクエルクスの方へ手のひらをひらひらと振ってラピスが答えると、女将らしい女性はクエルクスを一瞥して「おやまぁ、ひょろいわねぇ」と呟く。さらに心配が増したようだ。

「王都までの中継で一泊、お願いしたいのです。ここの宿のことは南の丘で、星読みをやっている方からお伺いしました。この宿であれば若者二人でも安全だと」

「あら、あの人の知り合い? ってことはまた星読み成功したのね」

「それで、ここなら女将さんの心遣いも行き届いているし、とびきり料理が美味しいと」

「あらやだ、なぁに上手ねえ」

 女将は少女のように顔を赤らめるとたちまち機嫌を良くしたようで、階上の部屋と夕飯の手配を請け負った。そしてすぐに上がって体を休めるよう勧めたが、ラピスは女将の申し出をあっさり断る。

「街へ出掛けたいので。荷物だけ預かっていただけますか? お夕飯の時間には間に合うように帰ります」

 自分の大きな荷物とクエルクスの背負った鞄をさっさと女将に手渡すと、ラピスは「じゃあよろしくお願いします」と頭を下げ、クエルクスの手を半ば強引に引っぱった。そして宿屋の先の角を曲がり、中心部の方へ歩み始める。

 またも早足かつ無言で進むラピスに、流石にクエルクスも会話がないままでいるのは決まりが悪くなる。

「いつの間に宿のことなんて聞いたんです?」

「貴方が寝ている間」

 遠回りに機嫌伺いをしようと違う話題から入った質問をばっさり切られて、クエルクスは自分の不覚にただでさえ焦りを感じていたところを追撃された。

「……やっぱり寝込んだの、怒っていますよね……」

「そうじゃないわよ。それは、別問題。むしろ怒るとしたら自分が大怪我してまで私をかばったことと、クエルの療養を私が怒っていると思っているところかしら」

 クエルクスの方を見もしないで鼻息荒く言い放たれたのだが、クエルクスの方はラピスに否定されたことの他に怒られる理由が思い当たらない。何かそれ以外に護衛としての不覚は……と逡巡していたら、あっという間に繁華街についてしまった。

 ラピスは街に入っても地図を見てずんずんと人をかき分けていく。クエルクスには行き先の検討がつかず、遠慮がちに問いかけると、いつになくきっぱりとした返事が返ってきた。

「買い物をします」

「買い物?」

「合物の服のままでは衛生面でクエルの傷に悪いでしょう。旅を続けるにも良くないから夏服を買います」

「それはそうだけれど……」

「それに」

「それに?」

 目で地図を真剣に辿りながら、ラピスは言い放つ。

「パニア王宮に行くのに、旅装では失礼にもほどがあるでしょう」

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