第10話 音楽のためのバンドか、それ以外のためのものか。

 メイクしているときは、すさまじく美人だったのが記憶に生々しくて、今ここにいる割合すっきりした顔の女と頭の中で一致しなかったのだ。

 本日はHISAKAはノーメイクである。

 とはいえ、別にここにいる彼女が不美人という訳ではない。顔の中身のバランスは非常に良い。

 確かにこの顔にアクセントをつけるメイクを入れればすさまじい美人になるんだろうな、と改めて思う。


「ま、立ち話も何ですからどーぞ。汚いところですけど」

「どーも」


 確かにあんまり人を上げたい状況ではなかったが、まぁ仕方あるまい。

 FAVは手早く、散らばっていた本やCDやテープをそれぞれ一所へ集める。お構いなく、と彼女は言うが、そういう訳にもいくまい。

 辺りに視線を這わす。ようやくある程度形がついたので、FAVは彼女にたずねる。


「とりあえずお茶でもいれますよ。日本茶でいーですか?」

「好きですよー」


 湯沸かしポットに水を入れ、その間にティーポットに葉を入れる。

 湯呑みは沢山はないから、コーヒーカップで代用。ティーポットだって、彼女は紅茶にもウーロン茶にも使う不届き者なのだ。

 湯沸かしのランプの色が変わり、トレイにティーポットとカップを乗せて、部屋の中にちょこんとある座卓に乗せる。

 だいたいFAVはこの上で手紙も書くし、本も読むし、食事だってする。クッションをすすめたが、大丈夫、と彼女は断った。クッションは一つしかない。


「あー喉乾いてたから美味」

「それであなた」


 何の用、とたずねかけた時、彼女はいきなり、


「あ、すみません、自己紹介し忘れましたね。あたしはPH7で太鼓叩きながらリーダーやっているHISAKAといいます」

「ひさか? それって名字? 名前?」


 一瞬マーチングバンドの様相を想像してしまって笑いそうになったが、とりあえずそう訊ねる。

 HISAKAはにこにこと笑って答えない。まあどっちだっていいか、と思って、FAVは別の質問を投げかけた。


「で、HISAKAさんはあたしにいったい何の用で?」

「いや、勧誘に」

「は?」

「あなたうちのバンドに入りません?」


 ……あのねー……


 少なくとも、彼女がバンドの今の状態を知っている訳ではないだろう。だとしたら、単純に、引き抜きにきているということになる。


「あたしの今のバンドのことは知ってますよね」

「ええ。あなたが作ったものってことくらいは知ってますけど」


 ……ちゃんと調べてきている。


「でも、あたし達、あなたの音がすごく欲しいって、思ったんですよ。こないだ」

「この間って。あんときは結構演奏は散々でしたよぉ」

「だってあれは、ヴォーカルが弱いんですもの」


 痛いところをいきなり突く。

 こういう顔してこういう事あっさりと言い、またお茶をずずっとすする。


「だいたいバンドのリーダー格のひと引き抜こうってんですから、口にヴェールなんてかけてやいられませんって。別に返事、急がなくてもいいし、断ってくれたって、あなたの自由なのは当たり前でしょーし。やりたくない人とやったって、いい音は出ませんもの」

「そりゃそーだ」


 あまりにまっとうな御意見にFAVはうなづくしかない。


「そういえば、FAVさん、うちの演奏どう思いました?」

「PH7の? 正直言って、すさまじく悔しかった、ってところかな」

「それはほめ言葉ですね」

「特に…… まあ本人の前で言うのは何だから、他の人のこと言うけれど、あのヴォーカル」

「MAVOちゃんですか」

「あ、彼女そういう名なの」

「たいていの人がアルファベット表記すると読めないんですよねー。単純にあたしが1920年代あたりの芸術運動調べてたときに見つけた単語が彼女の本名に近かったんで」


 そして知ってますーっ? とHISAKAは約五分くらい、「そのあたり」の芸術運動について話し、やがてはっとしたように、ああまたやってしまった… と肩を落とした。

 FAVはあっけにとられたようにその様子を見ていた。何処が単純じゃ、と思いつつ。


「あのひとの…… そのMAVOさんの声って、フツーじゃないね」

「ええ。尋常じゃない。あんまりよく通るんで、雨が近い日なんて耳にキンキン響くくらい。でもうちの連中って、結構みんな大声なんですよね」

「あの派手なベーシストさんも?」


 わずかにHISAKAは眉を上げたようだった。かすかに口のはじに笑みを浮かべると、


「TEARですか」

「てあ? てぃあじゃなくって?」

「あれはですねぇ」


 半ばあきれたような、そして半ば面白がっているような表情でHISAKAは言った。


「あれは本名は佳西咲久子かさいさくことかいうんですけどね、咲久子→裂く子→引き裂く→TEARっていう連想でつけたんですって」

「何じゃそりゃ。風が吹けば桶屋がもうかる、じゃあるまいし。てっきり『涙』の方だとはじめ思ってたよ」

「だいたいそう思うようですがね。いやあたしも当初そう思ってたし。まぁ本人もそのあたり面白がっているようなんで。あ、そーいえば、彼女があなたのこと、熱心に推すんですよ」

「彼女が?」


 ふとあの時の「派手なベーシスト」がくるくる回る様子が頭の中を走った。

 鮮やかな風がさっと吹き抜ける様な気がした。

 ややぼんやりと思い出していると、その間のHISAKAは正座したまま、ずずっとお茶をすすっていた。


「あーお茶が美味しい」


 どうもこの人は言葉と行動と外見のギャップが激しくて、いまいち本心が何処にあるのか掴めない。


「HISAKAさん」

「はい?」

「あたしを女のギタリストだから、誘ってるんですか? それとも」

「正直言って、それもあるんだけど」

「と、いうと」


 HISAKAはぐるんと首を回す。こっているようで、ぱきぱきと音がする。


「や、男をメンバーにすると、音楽以外のことで頭を使わなくちゃならないから面倒なんですよ。肩も凝るし。それに、何かしら、一番奥の所で何かが違うというか」

「違う?」

「何が違う、ってまあ言葉で説明するのが難しくて言えないんですけど…まあその中で分かり易い部分と言えば、『音楽が一番か』という部分なんですけど」

「でも男でもそういう奴はいるでしょうに」

「いることはいるんでしょうがね、でもどっかで何処かで生活かかっているとか、家族がどうとか、女の子がどうとか、いろいろ」


 でもそれは当然のことじゃなかろーか、とFAVは思う。誰もが裕福って訳じゃない。たいていのロック野郎は貧乏だし、女の子だっている。


「あ、言い方が良くなかったかな…… つまり、音楽のために、生活があるって人があんまりいないんですよ。このあたりに」

「え? 居ないんですか?」

「居ないっていうか――― 例えばTEARは放っておけば、もっと簡単に裕福に暮らせたんだって言ってましたがね。父親がロック嫌いで、クラシックやジャズや、そのあたりまでだったら学校にだって行かせてもらえたのに、ロックだったから、家を飛び出してしまったよーな人だし」

「はあ」

「ギターのP子さんは、あんまり学校行かなかったひとだから、ギターがなかったら、ずっと眠ってたかも、とか言ってたし。それに」


 HISAKAは言いかけて止めた。FAVはそれに構わず、


「でもそのくらいはよくあるんじゃ」

「そりゃあるけれどね、野郎なら。ただ、女の子のばあい、女の子だって事情背負った上なら、すさまじく大きなもんだと思うけれどね?」

「……」


 確かに、とFAVはうなづく。

 変なところで女の子というのは甘えが通じないところがある。

 流されているのなら、どんな甘えも許されるのに、その流れに逆らおうとすること自体は、男よりも、ずっと厳しい。


「あなたも、そうなんですか? HISAKAさん」


 彼女は笑って答えない。

 何かどうもところどころはぐらかされているような気はする。

 FAVは気を落ちつけようと煙草を取り出すと、吸っていいか、と断ってから火をつける。そして一息ついてから、


「えーとですねぇ」

「はい」

「すぐに答えられるってものでもないでしょう? しばらく考えさせてくださいな。あまり期待せずに」

「そうですね、それが妥当」


 まるでこう言われるのが当然という顔なので、小憎らしい。だけどその落ち着きは妙に憎めないのだ。

 FAVはこの女のことは、もっとごつい奴かと思っていた。

 確かにあの打ち上げの場で見たことは見たけれど、記憶の中により残っていたのは、彼女の姿よりも音だったのだ。

 2バス満載のドラム。

 FAVも遊びでイキからちょっと教わって叩いたこともあるけれど、体力勝負という点ですぐに投げだした。特に彼女達のやっているような速いナンバーだとすさまじいものがある。


 あの速さでずっとやってる訳だろ? どーゆー体力してんだ。


 彼はあのライヴの時、そう言っていたような気もする。

 少なくとも、FAVの知っているバンドで、あんな無茶苦茶なドラムは聴いたことがない。

 たまたまその時のメロディが「鉄腕アトム」を思わせるような「古き良きわくわく」させるようなものだったせいかもしれないけれど、打ち上げ寸前のロケットのように背中を押される感触があったのだ。

 それはひどく気持ちのいいものだった。


「あ、でも、HISAKAさん、あんたのことはすげぇ面白い人だと思うから。今度ライヴ観に行ったときに、遊びに行ってもいいかな?」

「もちろん。歓迎しますよ」


 そしてHISAKAは、もう一杯頂けますか? とお茶を頼んだ。

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