第三章 ②


 外、ビルの一角が内側から吹き飛んだ。瓦礫と一緒に宙へと身を投じたリジェッタは、右腕の剛爪を外壁へと突き立てる。砂城のごとく白漆喰を削りながら落下速度を殺す。

 頭上に影、蜘蛛女が節足をビルの外壁と突き立て、そのまま疾駆する。地面と垂直に下りながらリジェッタの後を追った。

 速度を殺している分、こちらの方が遅い。攻城兵器にひとしき節足の鉄槌がリジェッタの命を狙う。

 リジェッタは胸郭を膨らませ、炎を吐き出した。灼熱を貫いて迫った節足はわずかに軌道をずらす。その隙を見逃さない。ビルの外壁から剛爪を抜き、節足に叩き付ける。

 爪の先端を節足の〝節目〟に引っ掛け、強引に身体を浮き上がらせる。上下の位置が入れ替わった。

 今度はリジェッタの番だった。五指の先端を合わせ、剛爪を一点に集約させた槍へと研ぎ澄ます。

 弓矢のごとく腕を引き、一気に突き出した。

 鋼さえも切り裂く瀑布となって蜘蛛女の脳天を狙う。しかし、敵の姿が眼前から消えた。

 蜘蛛女の身体が宙に固定され、再びリジェッタの頭上を取る。ビルとビルの間に巨大な蜘蛛の巣が繋ぎ合わされていた。蜘蛛女の腹部、尻に近い場所に開いた穴から縄のごとく白帯が噴き出す。

 太い蜘蛛糸がリジェッタの右腕に巻き付いた。地面に引っ張られるだけだった身体が急に軽く、加速、真横に軌道を変える。

 眼前に迫るのは、隣のビルの外壁だった。

 砲弾で狙われたかのように鉄骨造りの建物が軋んだ。

 粉塵広がる中央、リジェッタは無事だった。両足の膝までが壁に埋まりながらも、脳天の直撃だけは防いだ。爪で蜘蛛糸を切り、再び地上を目指す。

「逃ガスカ!!」

 リジェッタを狙って瓦礫が雨のごとく降り注ぐ。巨大な質量が弧を描きながら飛来する光景は、あきらかに物理法則に反していた。

 蜘蛛女は瓦礫を糸で引っ張り、鞭のようにしならせてリジェッタだけを狙う。フレイル、モーニングスター、なんでもいい。人間の武器ではありえない破壊と速度がダース単位になって一点へと破壊を押し込んだ。

 足を引っこ抜き、外壁を蹴る。

 再び、地上を目指す。

「しつこいですこと」

 久しぶりの地上は暗く湿っていた。どこの路地裏に着地したのだろうか。ゆっくりと考える余裕はなかった。

 寸秒と遅れず、蜘蛛女も地面に降り立った。拙速をたわめて衝撃を吸収し、リジェッタの前に立ちはだかる。

「ククククク。逃ガスモノカ!」

「熱心な方ですこと」

 一息、リジェッタは朱の花を咲かせた。

 高熱の火球が蜘蛛女を打つ。

 しかし、

「無駄ダ! ソンナ物ガ通用スルト想ウナ!!」

 節足が火球を貫いて高音を大気へと溶かした。これが本物の竜の息吹なら、相手は肉片一つ残らず消し炭になっていただろう。

 これが、限界なのか。

「サア死ネ! 今スグニ死ネ!!」

 高い位置から節足が打ち下ろされる。

 リジェッタは後方へと跳んだ。右腕で一本を止めても倍以上の数が迫るだけだ。

 これでは、キリがない。

 せめて、左腕が使えれば。

 肩甲骨が砕けている、無理だ。

 治すにしても時間がない。

 蜘蛛女が白帯を吐き出す。そうだ、この攻撃もあった。時間が経つにつれて蜘蛛糸は増え、逃げ道が狭まっていく。

「……困りましたわね」

 超人的な身体能力を発揮するリジェッタだが、二つの大きな弱点がある。一つが体格だ。数多の能力を付与、特殊な器官を追加したために全体が大きくなり過ぎた。

的が大きければそれだけ攻撃が当たりやすい。重くなればそれだけ動きが鈍くなる。破壊力抜群の重戦車だろうとも、戦闘機には追いつけない。

色々な意味で〝豊満〟だった。

動きの鈍さを補うのは、魔造手術によって得た瞬発的な筋力の爆発だ。だが、あくまで一瞬にすぎない。

長時間の行使となると、体力がもたない。

これが、もう一つの弱点である持続性だ。

どんなに高性能なエンジンだろうとも、燃料タンクが小さければ稼働時間は限られてしまう。

魔造手術の副作用で体力がないわけではない。むしろ、魔物の能力は通常の動物とは比べ物にならない。リジェッタの場合、その体力を作るために必要なエネルギーを蓄える能力そのものが低い。要するに、一度に食べる量が少ないのだ。

けっして、リジェッタが少食なのではない。普通の人間としてなら、医者が腰を抜かして白目を剥くレベルの大食漢だろうとも、人外の肉体を満足させるには足らないのだ。

 今この瞬間にも骨が、筋肉が、神経が、悲鳴を上げていた。極度の疲労が容赦なく肉体を蝕む。既存の臓器を活性化させるだけならともかく、鱗や爪を新しく作り直す生体変化の類は体力の消耗が甚大だ。それも、五段階ある封印を三つも外している。

 この形勢は長くはもたない。今すぐにでも勝負を決めなければジリ貧に終わってしまう。そうなれば、一気にこちらが不利だ。

「ところで、あなたはいったい、どこのどなたなのでしょうか? 私を狙う輩は定期的に現れるもので、検討がつきませんの」

「教エル必要ナドナイ。オ前ハココデ死ヌノダカラナ!」

 蜘蛛女が節足をたわめた瞬間、敵の背後で人影が飛んだ。

 どれほどの跳躍力か。蜘蛛女の頭上を軽々と越え、鋭き鋼が煌めいた。

 蜘蛛女の脳天にナイフが突き刺さる。大振りの刃を、リジェッタは最近見たことがあった。

 濁った悲鳴が狭い路地裏に響く。リジェッタが目をしばたかせていると、音もなく着地した人影がこちらを見るなり叫んだ。

「なにをしている? さっさととどめを刺せ!」

 夕日よりもなお真っ赤なマント姿の少女が、リジェッタの危機を救う。


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